第269話 二流の盟主

 闇夜のなか、地平線に太陽がその姿を見せ始める。光と闇が入り混じったなんとも言えない時間帯である。

 だが、その幻想的な光景も長くは続かない。闇が去り、光が世界を照らし始めると、静寂に包まれていた世界が活動し始める。鳥のさえずりや風によって揺れる草木の音、虫や獣たちも餌を求めて寝床から徐々にその姿を見せ始める。それは人も例外ではなく、各家庭を覗けば朝食の準備する姿がそこかしこで見ることができるだろう。そしてユウの屋敷でも同様に――


「ティン、魚は?」

「言われなくても焼いてるから、やんなっちゃう」


 ヴァナモからの確認に、ティンは不満そうに唇を尖らせて返事する。


「ご飯は炊けたよ」

「ポコリ、サラダの取り分けをお願い」


 メラニーとアリアネは、手際よく食事の準備を進めていく。冒険者という職業は、その職業柄から身体が資本である。前衛、後衛ともにそこらの肉体労働者と比べても、多くの食べ物を摂取する。現在ユウの屋敷にはニーナやレナにマリファを始め、アガフォンたちが、さらに奴隷メイド見習いであるティンたちもいるのだ。一度の食事で必要となる量は尋常ではない。


「ご主人様、そろそろ食事の用意ができそうです」


 出来上がった料理を並べているネポラと、それを手伝っているナマリの様子を見ていたマリファがユウに報告する。この場にいないグラフィーラは、コロたちを朝の散歩に連れていっているので、合流するのはもう少しあとになる。


「わかった。卵焼きは、もう少しで焼き上がるからマリファ――」

「おはようございます!」


 朝食の匂いで目が覚めたのか、アガフォンが大声で挨拶する。耳を塞いだマリファが睨むのだが、その視線に気づかないアガフォンにティンたちは、とばっちりを恐れてそそくさと居間へ逃げていく。


「おはよう。アガフォン、朝からうるさいぞ」

「盟主、おはようございますにゃ。あっ! 今日はお魚があるにゃ!」


 続いてフラビアが姿を見せる。そこからはいつもの順番でニーナたちが二階から降りてくると、ユウに挨拶して居間の自分の席へ座っていく。最後は決まって朝に弱いレナであるのだが――今日は違った。


「おう、ティン。今日の飯はなんだ?」


 パンツ一丁で頭をかきながら居間に姿を現したのはジョゼフである。その我が物顔に振る舞う姿は、屋敷の主であるユウよりも主らしいと言えるだろう。


「ジョゼフさま、おはようございます。えっと、今日の朝ごはんはご飯に、玉子焼き、ネームレスアジの開き、あとは豚汁にサラダです。それに魚だけだとアガフォンとベイブがぶーぶー言うから、ソーセージと厚切りベーコンを山盛りですね」

「ソーセージとベーコンはわかるが、あとはなんだかよくわかんねえな。まあいい、匂いは旨そうだ。ネポラ、酒も用意してくれよ」


 酒を控えていたのもどこへやら、こうしてユウの屋敷に泊まり込む際は、ジョゼフは酒を呑むのだ。


「かしこまりました。お酒はオドノ様が王都で購入されたワインでよろしいでしょうか?」

「ダメだダメだ! あれは大事に取ってんだ。そうだな、鬼殺し・極でいいや」

「鬼殺し……極ですか?」

「ああ、地下に置いてあるはずだ。この前、ノアの野郎がユウに貰ったとかあんまりにも自慢してくるから、自分で買ったんだ。まさかあんなに高くて、手に入れるのが大変だとは思わなかったぜ」


 アガフォンたちの挨拶に応えながらジョゼフは席につく。


「俺が用意したんだぞ」

「ガキのくせに偉いじゃねえか」


 ジョゼフに頭を撫でられると、ナマリとモモが嬉しそうに笑みを浮かべる。


「なんだ、まだ食わねえのか?」

「グラフィーラが帰ってきてないだろうが」


 食事は基本的に全員揃ってするのがユウの屋敷でのルールである。食事中はティンたちも一緒にとることになっているのだ。


「おお、そういえば狼人の姉ちゃんがいねえな。なんだ? えらく不機嫌そうじゃねえか」

「わかるか?」


 ユウを見ながらジョゼフは不敵な笑みを浮かべた。


「俺くらいになるとな、ひと目でわかっちまうもんなんだ。ほれ、言ってみな。悩みがあるんだろ?」

「そうか。実はな、むさ苦しい半裸の男がうろちょろしていてうんざりしてるんだ」


 ニーナたちの視線がジョゼフへ集まる。


「半裸の男だと? とんでもねえ変態じゃねえか。今度、見かけたら俺に言え、ぶちのめしてやる」

「お前だよ!」


 レナが思わず吹き出し、我慢していたアガフォンたちまで笑い出す。


「あん? 俺のことだと……。ワハハッ!! あっ、屁が出たわ。ユウ、お前でも冗談なんて言うんだな」


 嫌味が通じないジョゼフに、ユウの顔が引きつる。そんなくだらないやり取りをしていると、コロたちを連れて散歩していたグラフィーラが帰ってくる。


「おー、やっと帰ってきやがったか」

「お待たせしました」

「そんなに待ってないから、そこのゴリラの言うことなんか気にするな」

「なんだよ、さっきからツンツンしやがって。はは~ん、さては反抗期ってやつだな?」


 生暖かい目を向けてくるジョゼフに、ユウは相手をするだけ疲れると無視して朝食にしようと言う。その合図を待ってましたとばかりに、ニーナたちは一斉に食事を開始する。


「それでですねっ! がふがふっ、うめえっ! あっ、『妖樹園の迷宮』なんですけど、二十四層まではいけたんですよ。でもやっぱり力押しだけじゃキツイっすね。ベイブとアカネの魔法がなけりゃ、俺なんか三回は死んでましたからね」


 アガフォンの頭の上に寝そべっていたアカネが「よくわかっているじゃない」と、頬を染めながら呟く。


「そりゃそうだろ。Dランクの『ゴルゴの迷宮』はそれで通用したかもしれないけど、Cランクの『妖樹園の迷宮』はもっと考えて攻略しないと本当に死ぬぞ」

「ですよねっ! 俺もそう思っていました!!」


 ユウと会話できるのが楽しくて仕方がないアガフォンであったが、それが面白くないのはマリファである。


「アガフォン、先ほどからなんですか。食事しながら喋るのを止めなさいと、以前から注意しているでしょう。それにあなたが喋るたびに汚い唾がご主人様のお顔にかかっているのが、わからないのですか」

「ぐっ……。わかってるよ」

「わかってるよ? 誰に向かって口を利いているのですか」

「にゃははっ。ベイブ見るにゃ、アガフォンが叱らてるにゃ」

「やめなよ~。そうやっていつもケンカになるんだから」


 このやり取りもいつものことである。しかし、今日は少々いつもと違っていた。なぜならこの場には人族のみならず、獣人族やエルフ族などの他種族にまでその名を轟かせる男、ジョゼフがいるのだ。ティンたち奴隷メイド見習いの興味は、自然とジョゼフへと向かっていた。


「ジョゼフさまは、昔『災厄の魔王』を倒されたんですよね?」


 目を爛々とさせたアリアネが、ジョゼフに話しかける。


「あん? 倒したのは俺じゃねえぞ」

「ティンは知っていますよ。魔王を倒したのは勇者さまですよね? どんなお方なんですか? ティンは興味津々でやんなっちゃう」

「勇者って、ああ……ロイのことか。どんなって、軟弱な奴だったぞ。いっつも俺の顔色を窺ってばかりでな」

「ええっ!? 勇者なのになんかがっかりだな」


 期待していた勇者像と違ったのか、メラニーはあからさまにがっかりする。言葉にこそ出さないが、グラフィーラも同様で尻尾が心なしか元気がないように見えた。


「ティンは弱虫には興味ありません。それじゃあ、ジョゼフさまがこれまで戦ってきた者でもっとも強かった方はどなたですか?」


 その質問に騒がしく談笑していた食卓が静まり返った。ユウですら興味があるのだ。あのジョゼフが戦ってきたなかで一番の強者に。


「強かった相手って言われてもなぁ……。なにしろ俺は最強だろ? どいつもこいつも相手にならねえんだよな」

「えー、いくらジョゼフさまが強くても、手こずった相手くらいはいるとティンは思うんです」

「手こずった相手か……。そういえば一人だけいたな。名前は忘れたが、確か二つ名が――」


 ジョゼフの次の言葉を待って、皆が息を呑む。


「てん、てん……ああ、思い出したっ! 『天然でゴメン』だっ!!」

「真面目に聞いたティンがおバカでした……」


 冷めた目でティンが、ジョゼフを見つめる。


「ま、待てっ! 嘘じゃねえ! いや、待てよ……天下ゴメンだったか? とにかくクソ爺で、背中に四本も五本も剣を背負った剣士だ! あのクソ爺は強かったな。今でも最強だが、若い頃の俺はそりゃ――」


 悲しいことにジョゼフの言葉に耳を傾ける者はもはや誰もいなかった。


「あ~、お腹いっぱいだよ~」

「……うぷっ。食べ過ぎた」

「レナのおなか、ぽんぽこりんだぞ!」


 満足そうにニーナはお腹を撫で、レナはお腹をつつこうとするナマリの手を払い除ける。

 テーブルの上に並べられた山のような料理を、ニーナたちはものの三十分ほどで平らげたのだ。モモとアカネは、それほど大食漢ではないのにアガフォンたちと張り合って限界近くまで食べた結果、お腹はぽっこりと膨れ上がり、テーブルの上で仰向けにひっくり返ったまま動けずにいる。


「ユウ、今日はこのあと冒険者ギルドに行くんだよね?」

「そうだ。『悪魔の牢獄』で集めた素材を渡しにな。俺一人で行ってもいいんだけど、それじゃニーナたちの評価にならないみたいだ」

「……私の実力ならもうBランクを飛び越えてAランクでもいいはず」

「ふふっ」

「……お姉ちゃんを笑わない」

「随分と小さな姉もいたものです。言っておきますが、胸のことじゃありませんからね」


 レナの発言を鼻で笑ったマリファとレナが言い合いを始める。


「出かけるなら俺が留守番しといてやるよ」

「いや帰れよ」

「ついでにアガフォンたちを鍛えといてやる」


 ユウの声を聞こえないフリをする楽しそうなジョゼフとは対照的に、アガフォンたちの顔は険しくなる。アガフォンたちはこれまでに何度かジョゼフに相手をしてもらったことがあるのだが、その結果は惨憺たるものであった。普段はユウやニーナたちが、不在時はユウの死霊魔法によって創られた骸骨騎士が相手をしてくれるのだが、ジョゼフが相手だとなんの説明もないまま一方的に叩きのめされるのだ。身体で覚えろというわけではなく、ジョゼフなりに指導はしてくれているのだが、簡単に言うと指導するのが下手なのだ。


「あのジョゼフさん、せっかくの提案だけど――」


 フラビアたちから無言の圧力を受けたアガフォンが、断ろうとするのだが――


「お前らツイてる……」


 アガフォンが言葉を言い終える前にジョゼフが遮る。

 ジョゼフは椅子から立ち上がると、なにやらポーズを決めるのだが、パンツ一丁で筋肉ムキムキの大男が決めポーズをとっても不快なだけである。なぜかナマリは興奮して同じようなポーズをとって、アリアネやポコリが「真似しちゃいけません!」と叱る。


「この広い世の中で、どれだけのつわものが俺に挑み、散っていったか……。最強無敵の俺に鍛えてもらえるなんて、ツイてるとしか言いようがないだろう」

「バカじゃねえの」

「ふっ……。ユウ、お前も俺みたいになりたいのか?」

「ちょっと筋肉があるからって調子に乗るなよ」

「嫉妬か?」

「脳みそまで筋肉で、できてるのか? つき合ってられないな」

「ユウ、待ってよ~」

「……真の最強で超天才魔術師は私だけ」

「ご主人様、お待ちください。ティン、あなたたちもそこのゴリ――ジョゼフさんに鍛えてもらいなさい」

「え~、ティンたちもですか? めんどくさくてやんなっちゃう」


 ぶーぶー文句を垂れるティンであったが、その目はジョゼフを一泡吹かせてやろうと、好戦的であった。


「あっ、忘れてた」


 思い出したかのように、ユウは魚の刺繍が入ったアイテムポーチをフラビアに向かって投げ渡す。


「えっ……これって……」


 受け取ったアイテムポーチを、最初はなにかわからなかったフラビアであったが、次第にそれがなにかを理解すると、信じられないといった目でアイテムポーチを凝視する。それは以前、クラン『龍の牙』に奪われたフラビアのアイテムポーチであった。


「もうなくすなよ」

「うぅ…………ひっ……うぐっ……ひん…………おうじゃま゛っ~!」

 眉間に皺をよせ泣くのを我慢しようとしていたフラビアであったが、それも長くは続かず。溢れ出る涙と鼻水まみれの顔でユウに抱きつく。


「鼻水っ!?」

「フラビア、ご主人様から離れなさいっ!!」


 その光景をニーナたちは微笑ましい顔で見守る。ただし、ユウからフラビアを引き剥がそうとするマリファと、なんのことかわかっていないジョゼフを除いてだが。


「ヤーム、見ろよ。あのフラビアの情けない顔を」


 ずっと気にかけて心配していたくせに、それを誤魔化すようにアガフォンがヤームへ話しかける。


「ああ、泣いてる顔も可愛いな……」

「はあっ!? 本気で言ってんのか? 目が腐ってんじゃねえだろうな」


 堕苦族のヤームは、その青白い頬をわずかに赤く染めて、泣きじゃくるフラビアを優しい目で見つめる。


「じゃあ、昼前には帰ってくるから」

「おう、任せろや」

「お前には言ってない」

「素直じゃねえな。俺にもっと頼っていいんだぞ」


 呆れたユウはそのまま冒険者ギルドへ向かう。そのあとをニーナたちが慌てて追いかけていくのであった。


「行ったな……。じゃあ、始めるか」


 ユウが屋敷を出ると、ジョゼフは酒の入ったグラスをテーブルに置く。先ほどまでのダメ親父っぷりはどこへやら、ギラギラした眼でアガフォンたちを値踏みするかのような視線を向ける。


「あ、あのご飯を食べたばっかりなんで、す、すぐに運動はしないほうがいいと思います」


 ジョゼフの指導を恐れるベイブが、なんとか引き延ばせないかと足掻くのだが。


「腹がいっぱいだから待ってくれって言ったら、敵が待ってくれるのか?」

「で、でも……」

「全員でいいぞ」


 ジョゼフのその言葉で、ベイブを除く全員の目の色が変わる。


「舐めやがって!」

「あんまり調子に乗ると、痛い目に遭うってことを教えてやるにゃ」

「はんっ、自分のことか?」

「はあっ!? アガフォンっ! あんたから先に痛い目に遭いたいのかにゃん?」

「ふ、二人とも、ケンカはやめなよ~」

「ベイブ、ほっときなさいよ。いつものことでしょ」

「モニクの言うとおりよ。それより早くあの人族をぎゃふんと言わせましょう」


 アガフォンたちがぎゃあぎゃあ騒ぐのだが、ジョゼフは呑気に耳の穴をほじって意に介さない。


「お前ら知ってるか? 最近ウードン王国だけじゃなく近隣諸国の冒険者たちの間でも、ウードン王国のカマーってところに『ネームレス』ってクランの盟主をしているユウ・サトウって凄え冒険者がいるって噂されてるそうだぞ」

「さすがはオドノ様だ」

「ウチの盟主なら当然にゃ」

「お前のモノみたいに言うんじゃねえ」

「まあ、人族にしてはやるほうだとは、私は思ってたわよ」

「もー! アカネったら素直じゃないんだから」

「で、でも本当に凄いよね、ヤーム」

「ああ、俺たちの盟主は最高の御方だからな」


 騒いでいたアガフォンたちは、まるで我が事のように誇らしげな顔になる。


「ガキみてえにどいつもこいつも嬉しそうな顔をしやがって」


 ニヤニヤしているジョゼフを見て、ティンが横にいるヴァナモに「ジョゼフさまも嬉しそうだよね」と囁く。


「じゃあ、こっちの噂は知ってるか? 『ネームレス』はユウ・サトウだけのワンマンクランで、クラン員はその辺にいるような雑魚ばっかりだ。冒険者としては凄えかもしれねえが、クランの盟主としては二流だってな」


 先ほどまで誇らしげにしていたアガフォンたちが絶句し、その顔から笑みが消え去る。


「この前、王都から来た冒険者たちも同じようなことを言ってたぞ。まっ、俺が丁重にもてなしてやったら泣きながら帰っていったけどな。他にもユウにさえ気をつければ弱小・・の『ネームレス』は、名を売るのにうってつけだの、楽勝だの言ってる冒険者やクランが山ほどいるそうだ。今のニーナやレナにマリファなら、そんなふざけたことぬかす連中なんざ返り討ちにできるだろうが、お前らはどうだろうな。

 ワハハッ、でも大丈夫か。結局はそんなことになっても、ユウが尻拭いするだろうしな」

「っ…………る!」

「あん? なんか言ったか?」

「やってやるって言ったんだっ!!」


 アガフォンが獣のように吼える。殺気立った目は血走り、全身の毛は逆立つ。いつもは気弱でおどおどして、目を合わせないベイブですら強い眼でジョゼフをまっすぐ見つめる。


「ちっとはマシな眼ができるじゃねえか」


 ジョゼフが不敵な笑みを浮かべる。


「俺たちの盟主が二流だとっ!? ふざけんなっ!! そんな舐めたことぬかす連中は、俺が全員ぶちのめしてやる!! おっさん、さっさと始めようぜっ!!」


 興奮したアガフォンは、そのまま屋敷の外へ飛び出していく。そのあとにフラビアたちが続く。


「おーおー。やる気になったのはいいが、俺をがっかり――ん? んんっ!? お……おっさん……だと? コラッ! 誰がおっさんだ!!」


 発破をかけることに成功したジョゼフであったが、アガフォンの一言に自分までもが興奮し、パンツ一丁のまま外へ向かうのであった。

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