第268話 御為ごかし

 聖都ファルティマ。

 イリガミット教の総本山である。イリガミット教団の信者にとって、聖都は特別な場所であった。それは聖国ジャーダルクの中枢と同時に、光の女神イリガミットが降臨したと言われている聖地だからである。ジャーダルク宮殿の最深部の神託の間には、光の女神イリガミットより授けられたと言われている聖杯が厳重に保管されており、教王のみが神託の間へ入ることが許されている。




 ジャーダルク宮殿の一室で、いつものように教国大司教オリヴィエ・ドゥラランドが読書をしている姿があった。メイドのチンツィアは主の邪魔をしないように、黙したまま傍に控えている。

 静寂が部屋を支配するかのように、時だけがゆっくりと流れていく。チンツィアがオリヴィエの手にある本の表紙に目をやれば――『偉大なるカンムリダ王国:大国からの没落 第二巻』と記されている。その名を見るだけで、思わずチンツィアの重ねられた手に力が入る。


「オリヴィエ様――」

「どうやらやっと重い腰を上げてくれたようだ」


 部屋に近づいてくる魔力をオリヴィエたちは察知する。


「それにしても――ここは聖都ファルティマでもっとも安全なジャーダルク宮殿内にもかかわらず、これだけの魔力を誰に向かって放っているのか。聖女・・殿はここを戦場と勘違いでもしているんじゃないだろうね?」


 オリヴィエの言うとおり、隠す気もない膨大な魔力を放ちながら悠然と近づいてくるのが、見なくても手に取るようにオリヴィエたちにはわかった。


「お待ちしておりました」


 チンツィアがノックをされる前に扉を開けて出迎える。さもそれが当然とばかりに部屋へ入ってきたのは――光り輝く楕円形のいわゆる卵の形をした物体であった。大きさは縦に百二十センチほどであろうか。卵は地面から十センチほどを浮遊しており、そのまま滑るように部屋の中央で椅子に座るオリヴィエの前にまで移動すると。


「この私がわざわざ足を運んだのに、座ったままとは傲慢ね」


 卵から幼女のような高い声と同時に、纏う魔力が威嚇するように光の波となって部屋に拡がっていく。


「これは失礼しました」


 苦笑しつつオリヴィエが読んでいた本を閉じて立ち上がると。


「たかが教国大司教の分際で、この私を見下ろすなんて不遜にもほどがあるわね」


 卵は浮遊しているとはいえ、十センチほどである。卵自体の大きさを加味しても百三十センチほどにしかならず、自ずと立ち上がったオリヴィエからすれば見下ろす形になる。


「これでよろしいでしょうか? 『三聖女』テオドーラ殿」


 そう言うと、オリヴィエはその場で跪き手を差し出す。

 五大国の一つに数えられる聖国ジャーダルクだが、ほとんどの国と同様に一枚岩とはいえない。複数の派閥によって権力争いを繰り広げている。最大派閥である教王派を除けば、取り分けて大きな派閥が三つあるのだが、その一つが聖女派である。

 聖国ジャーダルク教国大司教、つまり序列三位のオリヴィエといえど、聖女派の象徴であるテオドーラに対しては強く出ることができないのだ。


「『三聖女・・・』、その二つ名で呼ばないでほしいわね。まるで他の二人が私と同格みたいじゃないの」

「では、なんとお呼びすれば?」

「最強聖女テオドーラ・サンチェス様と呼びなさい」

「最強聖女テオドーラ殿、以前から――」

「気安く名前を呼ばないでほしいわ。耳が腐るでしょうが、それにその手はなんなのかしら? まさか私の手を握るつもりなんじゃないでしょうね。ああ、汚らわしい! 男なんかに触れたら妊娠するじゃない!」

 あまりにも理不尽な言葉に、オリヴィエの顔が引きつる。二人のやり取りを見ているチンツィアの頬が緩んでいるように見えるのは、気のせいではないだろう。いいようにあしらわれているオリヴィエの姿がおかしいのだ。


サンチェス・・・・・殿、以前からお願いしていた件を引き受けてくれる気になりましたか?」

「はあ? そんなわけないでしょうが。最強聖女たるこの私が、どうして教国大司教ごときに使われないといけないのよ。年寄り連中が断るにしても無視はダメだってうるさいから、こうしてわざわざ汚らわしい男がいる部屋にまで足を運んだんでしょうが。ここまで言わないとわからないなんて、馬鹿じゃないの? ああ、口を開かないで! あなたが口を開くたびに毒のような吐息が、私の清らかな肉体を蝕むようで不快なの。まあ、私の最強結界を貫けるわけないから、あくまで気がするだけだから勘違いしないでよね」


 テオドーラが纏う卵型の結界が、オリヴィエを煽るように旋回する。


「筋は通したから帰るわ」


 周囲を威嚇するように放っていた光が、卵型の結界へ吸い込まれていく。扉へ向かうテオドーラの前へ、チンツィアが立ち塞がるように遮った。


「退きなさいよ」

「サンチェス様、まだオリヴィエ様のお話は終わっていないようです」「はん? 興味ないわね。さっさと――」

「ジョゼフ・ヨルムの居場所を知りたくはないですか?」

「――退きなさ……い?」


 完全無欠のテオドーラが纏う卵型の結界にヒビが入り、魔力となって散った箇所からわずかに顔の一部を覗かせた。ヒビは瞬きするほどの速さで消えたのだが、オリヴィエにはそれで十分であった。

 卵型の結界がその場で高速回転しながら跳ね上がり、オリヴィエを見下ろす位置で停止する。


「言いなさい」


 テオドーラから先ほどまでの余裕が完全に消え去り、攻撃的な魔力が溢れ出していた。


「それほど知りたいですか、ジョゼフ・ヨルムの居場所を。協力していただければ喜んで教えますよ。居場所どころか魔王討伐後、彼がどのように生き、立ち直ったのかまで」

「…………ジョゼフが……あのジョゼフが立ち直った……?」

「ええ。会えばあまりの変わりように驚くでしょうね」


 聖国ジャーダルクのシスターはイリガミット教の教義により純潔を守らなくてはいけない。聖女になるとさらに俗世との関わりを完全に絶ち、清らかな心身を穢されぬよう守る必要がある。そのため、テオドーラは外界からの情報を知ることができないのであった。


「返答はいかに?」

「わかったわ」


 あれほど嫌悪し。


「協力するわ」


 求められた協力の内容に不快を示していた。


「だからジョゼフの情報を教えなさいよ」


 その気持ちが、心に穴を開けられたかのように抜け落ちていることにテオドーラが気づくことはなかった。


「ありがとうございます。もしかすると、教える必要はないかもしれませんよ?」

「どういう意味かしら」

「『災厄の種』ことユウ・サトウとジョゼフ・ヨルムは懇意にしているので、サンチェス殿が任務中にジョゼフと出会う可能性があるかもしれないと言っているんですよ」


「ま……まさかっ!? そのユウ・サトウって――」


 テオドーラから放たれる魔力が動揺するかのように、大きく揺らぎ始める。膨大な魔力が不安定になるだけで、教国大司教であるオリヴィエに当てられた幾重にも結界や魔法処理を施された部屋全体が軋み始める。さらにテオドーラの卵型の結界に無数の亀裂が入り始めると、その隙間から目が眩むほどの光が漏れ出す。光を抑えようとする結界との拮抗は、まるで噴火直前の火山を思わせた。


「ご安心ください。ユウ・サトウは少年ですよ」

「――そう。ならいいわ」


 オリヴィエの言葉を聞いて納得したのか、テオドーラが落ち着きを取り戻すと同時に光の奔流が収まり魔力が霧散していく。そして、もう用はないとテオドーラは部屋を退出するのであった。


「ふっ……」


 ジャーダルク宮殿の廊下を浮遊しながら移動するテオドーラを、メイドや使用人たちが作業の手を止め、頭を下げて見送る。


「ふふっ」


 それがさも当然であるかのように、テオドーラは気にも留めず通り過ぎていく。テオドーラは卵型の結界で覆われているので、その姿を見ることは叶わないのだが。それでもイリガミット教の信者たちにとっては、普段は俗世から隔離されている聖女が宮殿内とはいえ、その姿を目にすることができるのは光栄なことであった。なにより、今日のテオドーラはすこぶる機嫌が良いようで。その証拠に、テオドーラから漏れ出る光に触れた植物が、まだ花開く時期でもないにもかかわらず、色鮮やかに咲き誇り始める。

 その恩恵は植物だけではなく信者にまで及んだ。腰や膝を痛めていた者たちから痛みが取り除かれ癒やされていく。口々に「聖女様」と感涙の涙を流しながら声を上げて拝む。


「ふっふっふっ! ジョゼフ、待っていなさいよ! この最強聖女たるテオドーラ・サンチェスが、会いに行ってあげるんだからね!!」


 一人、卵型の結界内で吼えるテオドーラの声を聞く者は誰もいなかった。




「台風みたいなお方でした」

「あれで私たちを除けば、聖国ジャーダルクでも五指に入る実力者だから困ったものだよ」


 倒れた椅子や花瓶を片付けながら、チンツィアがテオドーラに対しての感想を述べる。


「さあ、忙しくなってきた。ここからさらに追い込みをかけようか。

 チンツィア、バタイユ枢機卿の動きはどうなっている?」

「宗務で昨日より都市イー・ポンへ向かっています」

「おや? 北東に向かっているのか……」

「ですが尾行させているフフからの報告で、一団は二手にわかれたとのことです。一つはそのまま北東へ、こちらはそのままイー・ポンへ向かうのでしょう。もう一つは進路を東へ変更しています」

「東か。ならアダネスゴルトで間違いないだろう」

「私もそう思います。そこで件の勇者と内密で接触するのかと」

「それにしても、なにか企むときは決まって同じ場所なのはどうかと思うよ」

「私に言われても困ります」

「今から向かえば間に合うな」

「ではすぐに準備を――」

「君は連れていかない」


 信じられないとばかりにチンツィアがオリヴィエを見つめる。


「この部屋で影武者・・・をしてもらわないと困る」

「お一人で向かわれるのは反対です」

「大丈夫さ。バタイユ枢機卿の手口も配下もよく知っている」

「それでも――」

勇者・・については誰よりも知っている。勇者ロイ・ブオムとは一対一で話してみたいと思っていた」

「わかりました」


 言葉とは裏腹に、チンツィアの顔は不満をあらわにしていた。


「そんな怖い顔をしているとせっかくの美人が台無しだよ」

「誰のせいだと思っているのですか」

「私には思い当たらないな。じゃあ、あとは任せたよ」


 オリヴィエが姿を消すとチンツィアは小さなため息をつく。そしてオリヴィエに化けると普段と変わらぬように椅子に座り読書をし始めた。




 都市アダネスゴルト。

 聖国ジャーダルクの聖都ファルティマより東に約三百キロほどの位置にある水運が盛んな都市で、水運を活かすため街中に運河が設けられており、物流拠点の一つとして重要な役目を担う都市である。

 穀物や果物などの食べ物から絹布に貴金属、さらに東はセット共和国、南はデリム帝国などから仕入れた珍しい品々が集まる都市なだけあり、様々な商店が建ち並んでいる。店は遠方より仕入れに来た商人から一般市民などで賑わっていた。人がいるということはそれだけ商機があるとも言える。飲食店を覗けば大勢の客が所狭しと座って、運ばれてくる酒や料理に舌鼓を打ちながら談笑を楽しんでいる。

 曇り空の下、口から漏れ出る吐息は真っ白であるのだが、そんな寒さを感じさせない熱量が人々から発せられている。


「本当にここで合っているのか」


 娼館が立ち並ぶ通りに、人々から勇者と慕われるロイ・ブオムの姿があった。娼婦たちが男たちを誘惑するかのように色気を振りまき、そのたびに男たちからは下卑た笑い声が飛び交う。勇者であるロイがいるには、あまりにも場違いといえる場所であった。

 枢機卿の使いの者たちは、ロイを都市アダネスゴルトが見える場所まで案内すると、あとはお一人でと言い残して姿を消していた。


「そこのお兄さん、私と良いことしない? 銀貨一枚のところを、そうねー。お兄さんは顔が良いから、半銀貨七枚でいいわよ」


 娼婦の一人がロイに声をかける。キツイ香水の匂いを漂わせながら、胸元が大きく開いた服を隠すどころか強調するように組んだ腕で寄せ上げるのだ。


「い、いえ……僕はその、大丈夫です」

「なによー。私なんかの相手はできないっていうの?」

「やめなさい」

「ちょっと商売の――マダムっ。ごめんなさい」


 マダムと呼ばれた女性は通りで客引きをしている娼婦たちとは、顔立ちから放つ色気、身につけている品のレベルまですべてが違った。


「お待ちしておりました。やんごとない身分のお方が、先ほどからお待ちしております」


 顔を真っ赤にしたロイは、マダムに連れられて路地に入っていく。


「ダメですよ。顔があまり知られていないからとはいえ、日のあるうちから勇者さまが娼館通りを歩くなんて誤解されますよ」


 ロイにも言い分はあったのだが、落ち着いた雰囲気を纏うマダムになにも言い返すこともできずに、ついて行くことしかできなかった。


「ここからは勇者さまお一人で。まっすぐ進むとすぐに階段が見えてきます。そのまま階段を上がって突き当りの部屋です」


 娼館の裏口までくると、マダムは自分が案内できるのはここまでだと、ロイに先へ進むよう促す。意を決してロイは扉を開けて中に進むと、いたるところから嬌声が聞こえてくる。しかし、それも上階に行くまでであった。階段を上がると魔法か魔道具によるものなのか、先ほどまで聞こえていた嬌声はピタリと聞こえなくなっていた。そのままマダムに言われたとおり奥の部屋へ向かう。娼館とは思えないほど色気のない造りの廊下を進み、ロイは木製の扉をノックする。


「入りたまえ。鍵はかかっておらんよ」


 しゃがれた老人の声であった。

 警戒しながらロイが扉を開けると、ソファーに座った老人の姿が目に入る。老人が身に纏うローブには紫色と銀色の刺繍が施されていた。イリガミット教団でローブに紫と銀の刺繍を入れていいのは、教国大司教より上の地位に就く者のみである。つまり目の前に座る小柄な老人が、教王を除けば聖国ジャーダルクの最高権力者である枢機卿であった。


「驚いたかね?」

「ええ。まさかバタイユ枢機卿と娼館で会談するハメになるとは思ってもみませんでした」

「それだよ。聖国ジャーダルクの枢機卿が、まさか娼館にいるなどとは誰も思わん。しかも勇者と密談しているなどとはな」


 バタイユ枢機卿が愉快そうに笑みを浮かべると、顔の皺がさらに深く刻まれる。


「でしょうね。それも僕と二人だけでとは」

「くだらん肚の探り合いはよしてもらおうか。この部屋は人払いをしておるが、娼館内に私の配下がいることくらい察しているだろうに」


 先ほどとは打って変わって不快そうに、バタイユ枢機卿はテーブルに一枚の紙を置く。


「こちらは?」

「その前にかけたらどうかね」


 ロイはソファーに腰掛けると、テーブルの上に置かれた紙を手に取る。紙には契約魔法が、それも高位のモノが込められていた。


「そう警戒せずとも大した内容ではない。ここでの会話を他者に漏らさぬようするためだ」

「バタイユ枢機卿は嘘を申さないと書かれていますね」


 紙にはすでにバタイユ枢機卿のサインが記入されていた。


「私の立場上、安易に契約魔法が施された書類にサインをするのは避けるべきなのだが、それでは勇者殿だけが一方的にサインすることになり不公平なのでな」


 自分が用意した契約魔法の書類に不公平もクソもないなと、ロイは内心で失笑する。一言一句、書類の内容を確認してからロイはサインを記入した。


「ふむ。これで安心して私も言葉を交わすことができるというものだ」

「僕は逆に不安ですね。バタイユ枢機卿ならば、僕に頼るまでもなく手練れの者たちがいくらでもいるでしょう」

「それができぬから、こうして勇者殿に話を持ちかけておる。私の使いの者から聞いておるであろう。凶報の兆しあり、『災厄の魔王』を超える魔王が顕現するかもしれぬと。力が――勇者殿の助力が必要なのだ」

 薄笑いを浮かべるバタイユ枢機卿の姿からは、ロイはとても助けを求めるほど困っているようには見えなかった。


「それこそ聖国ジャーダルクが誇る聖騎士団には、他国にまで武勇を轟かせる『聖槍』のドグランを筆頭に『鉄壁』のバラッシュ、『聖拳』ドロス、『三剣』と選り取り見取りじゃないですか」

「それができれば私もそうしたい。さあ、なにも口にせず話すというのも寂しいものだ。ささやかだが酒と肴に、勇者殿の故郷ハーメルンより果物も取りよせ用意させた」

「バタイユ枢機卿はお酒を嗜むので?」

「いいや。これでも枢機卿の聖職位なんでね」

「僕だけが――」

「安心したまえ。勇者を害する者などいない、もちろん私を含めてな」


 警戒して食べ物に手を出さないロイの心中を読んだバタイユ枢機卿が、ロイの言葉に被せて遮る。


「契約魔法により、この場で私は勇者殿に嘘はつけない。これで少しは安心してもらえただろうか?」


 それでもロイが食べ物に手を出さないことに、バタイユ枢機卿は不快になることはなかった。


「くははっ。勇者殿が聖国ジャーダルクを警戒する気持ちは、私なりによくわかっているつもりだ。

 ここだけの話になるが、極秘で軍事行動が予定されているようなのだ」

「軍事行動ですか。それは聖国ジャーダルクで?」

「うむ」

「なぜ曖昧な表現なのですか」

「この私にすら詳細が知らされておらんのだ」

「バタイユ枢機卿を相手にそんな真似ができ――まさか教王が動かれているのですかっ!?」


 聖国ジャーダルクの内政、外交、軍事行動で、バタイユ枢機卿が全容を知ろうとして知ることができないとなれば、考えられる理由はそれほど多くはない。簡単なことだ。枢機卿より上の権力者が動いているとロイは予想する。それならばバタイユ枢機卿が迂闊に動けないこともわかるというものだ。


「さすがは勇者殿、察しがいい。当たらずといえども遠からずだ。此度の軍事行動には教王が関わっておる。だが、中心になって動いているのは――オリヴィエ・ドゥラランド教国大司教だ」


 バタイユ枢機卿が感情をあらわにして、苦々しい顔でその名を口にする。


「僕はあまりその方について存じておりません。知っていることといえば、若くして教国大司教の聖職位についたくらいですね」

「あやつが若い? どうだろうか。若く見えるが、私よりも年老いているように見えるときもある。

 現在、聖国ジャーダルクで『災厄の種』に指定されている者の数はご存知かな?」

「存じていませんね。そもそもあなたたちが決める『災厄の種』認定は、どのような基準で決めているのですか? 固有スキルに『魔の祝福』を持って生まれただけで、悪と決めつけられ処分された赤児もいると聞きます」


 今度はロイが感情的になる。聖国ジャーダルクに『災厄の種』や異端者、邪教徒として処分された者たちは枚挙にいとまがない。


「ここで聖国ジャーダルクの正義と勇者殿ご自身の正義について、問答するつもりはない。

 さて、聖国ジャーダルクが危険な存在として『災厄の種』認定をしている数が四十九、これは人族から亜人に魔物などすべてを含めた数だ。要監視対象が二十七、行方を追っているのが十五、最重要監視対象が四、その中には単体で国を滅ぼす力を有している、または滅ぼしたモノが両の指で数えても足らぬほどだ」

「待ってください、数が合いません」

「残りの三については世界の存亡に関わる存在ゆえに、レーム連合国の全戦力を以て滅すべき存在だ」

「世界の存亡とは、また大きな話になって――ではバタイユ枢機卿が詳細を知らされていない軍事行動とはっ!?」

「『災厄の種』の一人、ユウ・サトウはいる最重要監視対象の一人であった。だが、その危険な思想や力に成長速度を加味し、最重要監視対象から滅ぼすべき存在へと繰り上がったのだ。

 私は軍事行動に反対しているわけではない。レーム連合国の協力を仰がず聖国ジャーダルクのみで軍事行動を起こすのも、早急な対応をする必要性から理解もできる。だが、オリヴィエ・ドゥラランドはユウ・サトウを滅ぼすのではなく捕獲すると宣っておるのだ!! 血迷っているとしか思えん!! 聖国ジャーダルクの武を以て滅ぼすから意味・・があるのがなぜわからんっ!!」


 話すうちに感情が高ぶったバタイユ枢機卿が、テーブルに拳を振り下ろす。


「僕としては安易に命を奪うのではなく、捕獲と聞いて少し安心していますけどね。それで軍の指揮を執るのはどなたですか?」

「聖騎士団副団長バラッシュだ」

「バラッシュ殿ですか。バタイユ枢機卿の腹心中の腹心だったはず。彼に詳細をお聞きすればよかったではないですか」

「私とてバラッシュとの間に何度も場を設けた。しかし、洗脳でもされているかのように、詳細は教えられんと言うばかりだ。あれほど私に忠誠を誓っていたバラッシュが……信じられん話だがね」

「『鉄壁・・』のバラッシュ殿を洗脳ですか……それが本当なら恐ろしい話ですね」

「バラッシュだけではない。事によっては教王も精神操作を受けている可能性がある。でなければこのような大規模な軍事行動を、この私に相談もなく許可を出すわけがないのだ」

「元聖女である教王を相手に、精神操作など可能なのでしょうか?」

「教王の力は誰よりも私が知っている。だが、そうでないと説明がつかないことが続いておる。

 今こそ勇者としての役目を果たすとき、そのためなら私も協力を惜しまない。幸いにもバラッシュ率いる聖騎士団が軍事行動を起こすには、まだ幾分かの時間がかかる。だが、私たちに残された時間にそれほど余裕があるわけではない。すぐにでも都市カマーへ向かい、聖国ジャーダルクよりも早く、ユウ・サトウを滅すべし」


 熱弁するバタイユ枢機卿を前に、ロイは右手を額に添えて思案顔である。


「わかりました」

「おお……っ! では――」

「ユウ・サトウに会ってみます」

「なにを悠長なことを言っておるのだ!」

「バタイユ枢機卿が言うように滅ぼすべき悪なのかを、会って話して見極めたいと思います」

「世界の存亡がかかっておるのだ。勇者の責務を果たす気はないのか」


 失望した顔でバタイユ枢機卿はロイを睨む。


「なんと言われようが、僕の考えは変わりません。それにバタイユ枢機卿のお話を聞いていて疑問に思うところがありました」

「なにを……私は嘘など言っておらん」

「嘘を言わずとも欺くことはできますよ。今回の軍事行動は、本当はバタイユ枢機卿が中心となって進めていたのでは? もしくは起こそうと考えていた。それもユウ・サトウを捕縛ではなく、滅ぼすことを前提に」


 ロイの問いかけにバタイユ枢機卿は答えることはなく、年老いて垂れ下がった瞼の奥にある眼が暗く鋭さを増した。


「『災厄の魔王』を倒したあと、僕は意味もなく放浪の旅を続けていたわけではありません。なぜ『災厄の魔王』が自由国家ハーメルンの小さな農村パンドラで顕現したのか。あれは自然に発生したのではなく、人為的な――それも国家規模の思惑があったのではないかと疑っています」


 バタイユ枢機卿がなにも答えないので、ロイが独白をしているように見えた。


「第三次聖魔大戦の際は、随分とイリガミット教の信徒が増えたと聞きます。抗えない困難に出くわしたとき、人は神に縋りつきたくなるものなのでしょうか」


 ロイが微笑みかけても、バタイユ枢機卿は険しい顔のまま口を真一文字に結んだままである。


「平和になってきた証拠でしょうか。最近では他種族を亜人と称する過激な教えより、平和で差別的な考えのない水の女神サラアナや温和な風の神エウドラなどを信仰する信者が増えているそうですよ」


 今やバタイユ枢機卿はロイを射殺さんばかりの目である。


「なにもお答えいただけないのですね」

「私に言えることは、世界のために、人族の平和のために、勇者の責務を果たすべし」

「ここに至っても人族・・の平和のためにですか。バタイユ枢機卿に言われなくても、僕なりのやり方で勇者の責務を果たしますよ」


 その後、密談を終え娼館の裏口から出たロイは、そのまま雑踏に紛れて歩く。あそこでバタイユ枢機卿を怒らせる必要はなかったかと思うロイであったが、それでも黙ってはいられなかったのだ。


(なにもしてこないようだ)


 拍子抜けするほどあっさりと解放されて、気が緩みそうになるロイであったが、すぐに気を引き締める。


(こういうところが僕の甘いところだな。相手はジャーダルク、最低でも隣国に入るまで油断はできない)


 聖国ジャーダルクが、イリガミット教の信徒が、どれほど執念深いかを知っているロイは、自分の甘さに呆れる。これだけ人通りが多いと、手練れが紛れて尾行すれば自分が気づくことは難しい。


「驚いたな」


 どのルートで都市カマーへ向かうかを考えながら喧騒の中を歩くロイは、不意にその声に反応して足を止める。自分に向けて言われたかも定かではないにもかかわらず。


「ダメだよ。他国とはいえ、パンドラの勇者が娼館から出てくるなんて」


 視線を声のほうへ向けると、白地のローブに紫色の刺繍が施された男――オリヴィエ・ドゥラランドが建物の壁を背に立っていた。


「驚いたのは僕のほうですよ。こんな場所で教国大司教にお会いするなんて」

「おや? 実際に会うのは初めてのはずだが」

「ジャーダルクでそんな目立つローブを着て、わからないほうがどうかと思いますよ」


 ロイは違和感に気づく。周りの人々が自分の顔は知らなくとも、イリガミット教の教国大司教がいるにもかかわらず、通行人の誰も気づかず素通りしていく。これではまるでオリヴィエの存在を誰も認識していないかのようである。


「バタイユ枢機卿とのお喋りは楽しめたかな? ああ、答える必要はないよ。どうせあの方のことだ、契約魔法で言動を縛られているんだろう」


 親しげに話しかけてくるオリヴィエとは対照的に、ロイは動揺を隠せずにいた。そもそもロイはこういった策謀や搦め手などが得意ではない。どうしてこの場にオリヴィエがいるのかもわからない。それとも、もともとバタイユ枢機卿と通じていたのか。混乱する頭を落ち着かせようとすればするほど、さらに頭の中は真っ白になる。


「なにやら誤解されているようだが、私とバタイユ枢機卿は通じてなどいない。どういうわけか、あちらは私のことを一方的に敵視しているがね」

「それを信じろと?」

「とんでもない。信じるなどという言葉はもっとも薄っぺらい言葉だよ」

「仮にもイリガミット教の教国大司教が、そのようなことを言ってもよろしいのですか」


 軽口を叩きながら、ロイは自身に魅了や誘惑のスキルや状態異常の魔法をかけられていないかを確認していく。先ほどバタイユ枢機卿が言っていた、オリヴィエが魅了や誘惑などの精神操作を使用できる可能性があることを警戒してである。もっとも、本当に精神操作を受けていれば、この確認という行為自体もほぼ意味をなさないのだが。


「そう警戒しなくてもいいじゃないか。私は君の理解者だよ」

「あなたに僕のなにがわかるというのですか」

「わかるさ。おそらく君よりも君のことを理解しているだろう。勇者としての重圧、苦悩、そしてロイ・ブオムの正義について」


 依然として多くの通行人がロイの近くを通り過ぎていくのだが、やはりオリヴィエに興味を示さないでいた。早る鼓動を落ち着かせるために、ロイは右手で鋼鉄のガントレットに触れる。昔から強敵や絶望的な状況に陥ったときはこうすることで、不思議と気持ちを落ち着かせることができるのだ。


「真実を知りたくないか? 『災厄の魔王』を滅ぼして十年近くも放浪の旅を続けて、どれほどの成果があった? 訪れた国々が君になにをしてくれた? どうせ体良く使われてきたんじゃないのか」

「そんなことは……ないっ」

「君の故郷であるパンドラで発生した『災厄の魔王』の顕現について、各国の王族や貴族たちはなんと答えた? そういえば、心当たりが、もしかして、大して知りもしないくせにそれらしい言葉を述べて、その前に助けてほしいことが、困った問題を解決してくれればと、便利な道具のように勇者である君を酷使してきたんじゃないのか?」

「すべての……国がそうじゃない」


 ロイ自身にも覚えはある。それでも困っている国々を、人々を見過ごすわけにはいかなかった。


「ユウ・サトウに会うといい。かの少年は君とはまた違った意味で被害者・・・だ。そして、君の疑問に答えてくれるだろう」

「あなたではなく……ユウ・サトウが僕に真実を教えてくれると?」

「私でもいいのだが、それでは君も納得がいかないだろう? ただし、サトウと会ってもそのまますんなりと話し合いには応じないだろうね」

「それはどうしてでしょうか」

「かなり心の屈折した少年で、君とは正反対のタイプなんだ。君は真摯に頼めば、誰であろうと最後には心が通じ合うと思っているようだが。うーん、なんと言えばいいのか……簡単に言えば相性が悪い」

「それでも僕は諦めません」

「ははっ。まあ、頑張ってみるといい。それでもダメなら、ステラの遺体の場所を知りたくはないかと言うんだ」

「ステラとは?」

「こちらでのサトウにとって、たった一人の心を許していた親代わりみたいな存在さ。まあ、サトウを監視するために送り込んでいたんだけどね」

「なんてことを……っ! あなたたちには人としての道理はないのですか」


 思わずロイは拳を強く握りしめる。


「私が決めたことじゃない、利用はしたがね。大事なことは、そのサトウにとって大切な存在であるステラの遺体が、何者かによって墓から掘り起こされて持ち去られたということだ。サトウとしてはステラの遺体を是が非でも取り戻したいだろうね」

「そんな故人を利用するような、それも僕に嘘をつけと?」

「ステラの件を利用するかどうかは君に任せるよ。何事もなく話し合いができれば問題はないんだ。ただ、たとえサトウが話し合いを承諾したとしても、勇者である君とサトウが話し合うのを良しとしない者たちが邪魔をするだろう。今や大小様々な国家や組織がサトウを監視あるいは狙っている。それにサトウの周りの者たちも、勇者である君が接触するのは快く思わない可能性が高いだろうね」

「僕は勇者ですよ。どうして快く思わないのですか?」


 不思議そうにロイはオリヴィエを見つめる。理解できないといった様子で、その目は年齢以上に幼く見えた。


「君はちょっと純粋すぎるね。とにかくサトウと話し合いをするにしても、誰にも邪魔されない場所が必要だ。

 ブエルコ盆地を知っているかな? ウードン王国の王都テンカッシから北西に位置するジンバと呼ばれる小国にある盆地なのだが、そこに氏神を祀った祠がある。ジンバ王国はウードン王国の属国なのだが、遠方にあり、また利用価値が低いことから諸国から干渉されることもない国だ。そこでなら誰にも邪魔されずサトウと話すことができるだろう。ジンバ王国には、私のほうから事前に話を通しておこう」

「なにからなにまでありがとうございます」


 なぜそんな離れた場所にまで行く必要があるのか。ロイはそんな当たり前の疑問が浮かばない。それにロイはなにか大事な――忘れてはいけない大事なことが記憶から抜け落ちていることに気づくことはなかった。


「成功を祈っているよ」


 雑踏に消えていくロイの背中に向かって、オリヴィエは呟いた。

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