第266話 負の遺産

 奴隷制度。

 レーム連合国に加盟している国の実に九割以上が、さらに非加盟の国ですら奴隷制度を採用している。

 だが、これらは別段おどろくようなことではない。

 ほとんどの国が契約による奴隷のやり取り、つまり人身売買を認めているのだ。

 奴隷は身の回りの世話から過酷な現場での作業など、貴重な労働力として運用されている。


「ボス、これ――あいでっ。サトウさん、これでとりあえず全員です」


 都市カマーで警備会社アルコムを任されているエイナルが、魔力弾をぶつけられた鼻を擦りながら報告する。


「とりあえず?」

「い、いえ! 全員です!! この中庭にいる奴隷・・で全員です。間違いありませんっ!! な? なな? お前ら、そうだよな!」


 ジロリとユウに睨まれたエイナルが、慌てて訂正して子分たちに同意させる。

 このバリュー邸の中庭に集められた群衆は、エイナルが言ったとおり奴隷なのだが、通常の奴隷とは違う。バリューが抱える奴隷狩りたちによって無理やり拐われた者や、不当な契約によって奴隷に落とされた者たちなどである。


「それにしても多くないか?」

「多いですね」


 ウードン王国一の大貴族と呼ばれたバリューとはいえ、万を超える奴隷はあまりにも多すぎると言えるだろう。


「理由があるんですよ。

 ここにいるのは、バリュー・ヴォルィ・ノクスが違法に集めた奴隷だけじゃなく、ノクス家やその派閥の貴族に親族までもが言ってもねえのに、奴隷を差し出してきたんですよ」

「ノクス家はまだわかるけど、なんで派閥の貴族やその親族まで奴隷をよこすんだよ」

「そりゃあれですよ。一番の理由はウードン王を恐れてでしょうね。

 今回の件でとんでもない数の貴族が処刑されたそうじゃないですか。そのとばっちりを恐れて、自分たちは関与していないことを少しでもアピールしたいんでしょうね。なにしろこのなかの半分くらいは一般奴隷ですぜ」


 内心でエイナルは「貴族たちがウードン王だけじゃなく、ボスも恐れているんだけどな」と呟いた。


「まあいいか。じゃあ始めるから、連れてきてくれ」

「わかりました。おい、お前ら始めるぞ!」


 エイナルの声を合図に、アルコムの者たちが奴隷たちをユウの前へと誘導し始める。とは言っても数が数である。その動きはゆったりしたものであった。

 だが、奴隷とはいえ万を超える群衆が迫ってくる光景は、なかなかの迫力があった。ニーナたちやティンたちは涼し気な顔をしているが、商人やネームレス王国の者たちは警戒感を強め、顔は強張り緊張しているのが見て取れた。

 それは奴隷たちも同様で、ほとんどなにも説明されずにこの場へ連れてこられたのだろう。皆一様に緊張した面持ちである。しかし、さすがは貴族の奴隷だっただけあり、種族や年齢に差こそあれど、ほとんどの者が見目麗しかった。では見た目が劣っている者たちはというと、身体能力やスキルLVが高かったり、希少な固有スキルを有していた。


「おーしっ、ここで止まってくれ!」


 エイナルの号令に合わせてアルコムの者たちが次々に奴隷へ止まるよう命令していく。あまりの人数にエイナルがどれほど大きな声で叫ぼうが、後方にまで届かないのだ。

 ユウの眼前で止まった奴隷たちは今まで緊張していたのも忘れ、目の前の光景に唖然とする。

 周りの反応や様子からユウがこの場で一番偉い人物だということは察しているのだが、それよりもユウのすぐ後ろに高く積み上げられたに目が釘付けになっていた。それは何十個にも及ぶ宝箱であった。蓋が開かれてた宝箱の中には溢れんばかりの金貨が詰まっている。こうしている間にも、次々と追加の宝箱や金貨が運ばれていた。


「名前は?」


ユウの問いかけに答える奴隷はいなかった。皆、山のように積まれた宝箱に、金貨に目を奪われていたのだ。

 だが、ふいに背筋に氷柱でも突っ込まれたかのように最前列から数百人の奴隷が、さらにアルコムの者たちまで背筋を伸ばした。


「ご主人様のお言葉が――」


 原因はマリファであった。


「――聞こえなかったのですか?」


 氷のような瞳で睨むその姿に、誰も抗うことができずに言葉を失っていた。よく見れば、マリファの後ろに控える奴隷メイド見習いの虎人のメラニーや狼人のグラフィーラは尻尾を足の間に挟み込んで、震える身体を押さえつけていた。


「ご主人様」


 何事もなかったかのように、マリファはユウに向かって軽く会釈する。


「名前は?」


 再度ユウが問いかける。

 その言葉に最前列にいた一人のエルフが、マリファの顔色を窺いながら恐る恐る答える。


「わ、私の名前はダフィモロトです。姓はありません……み、見てのとおりエルフ族です」

「故郷は?」


 エルフの男性は黙ったままである。エルフやダークエルフは森に生きる種族である。他種族とあまり関わらずに隠れるように暮らしているのだ。その場所はどれだけ仲が良かろうが他種族には教えない。このエルフの男性も、それは同じであった。奴隷の首輪によって命令に逆らい苦痛が与えられようが、それだけは漏らさずにいたのだ。


「ま、待ってくれ!」


 待ったをかけたのは、エルフの男性の隣にいた獣人の青年である。


「俺を無理やり奴隷にしたあの野郎はどうなったんだっ!!」

「あの野郎って誰だよ」

「決まってるだろうがっ! エクスクレ……っ!? ぐ、ぎぎぁぎゃ……っ! ク、クソがっ」


 獣人の青年が主であるエクスクレモン伯爵の名前を呼び捨てにしようとした瞬間、奴隷の首輪が苦痛を与える。口から涎を垂らしながらも獣人の青年はユウを睨みつける。


「エイナル、こいつの主は誰だ?」

「ちょっと待ってくださいね」


 エイナルはそう言うと、獣人の青年の首元にある焼印と紙の束を捲っていく。


「エクスクレモン伯爵ですね」

「ああ、あいつか。死んだぞ」


 嘘である。

 エクスクレモン伯爵はユウの死霊魔法によってアンデッドとなり、今もネームレス王国の城の地下奥深くにあるトーチャーの部屋で大切に可愛・・がられている。


「し、死んだ……!?」

「私の主はっ? 聞いてください! 私は奴隷じゃないんです!! 奴隷狩りに拐われて――」


 呆然とする獣人の青年の後ろにいた天人の女性が叫ぶ。それが引き金となった。


「そ、それなら俺だってそうだっ!! 解放してくれ!!」

「お願いします! 家に帰らせて!!」

「なんの説明も受けずにここに行くように言われたんだ!」

「これから俺はどうなるんだ? いや、俺のことはどうなってもいいから、妻を、子供たちだけでも解放してやってくれ!!」


 次々と奴隷たちが嘆願や説明を求めて騒ぎ出す。このままだと騒ぎが後方の奴隷たちにまで広がっていき、やがて暴動に発展しかねないと、エイナルをはじめとするアルコムの者たちが素早く反応する。

 だが、ティンたち奴隷メイド見習いは動く気配がない。むしろ、哀れみの目で奴隷たちを見ながら、心の中で「おバカ」と呟いた。


「なあ、あんた聞こえて――げふっ」

「きゃっ!?」

「ごはっ!」


 騒いでいた者たちだけが、ひれ伏すかのように地面に這いつくばった。


「いつ、ご主人様が話していいと許可を出しました。のご主人様がお優しいからといって、勘違いしないでください」


 這いつくばっている奴隷たちの背には、マリファが操る一匹で八十キロもあるオスミウム虫が無数に纏わりついていた。

 身動きできずに呻き声しか上げることのできない状態であるが、ある意味で幸運であったと言えるだろう。あと数歩でもユウに近づいていれば、ネームレス王国の者たちによって八つ裂きに――それならまだいい、ただ死ぬだけなのだから。もしラスが動いていれば死よりも恐ろしい結末が待っていただろう。


「ご主人様、お見苦しいところをお見せしました」


 ドン引きしているアルコムや商人たちをよそに、マリファは澄ました顔である。


「そこのお前、ダフィモロトって言ったよな。帰る故郷はあるのか?」

「あ、あります」


 エルフの男性――ダフィモロトは思わず返答してしまったことを後悔した。これから自分に待っている未来は悪い可能性はあっても、良い可能性は限りなく低いと思ったからである。


「ここから一人・・で帰れるか?」


 ユウの言葉が理解できずに、ダフィモロトは口を開けたまま間抜け面を晒す。


「帰れないのか?」


 なにか裏があるのではと、ダフィモロトは黙ったままでいた。すると、ユウの後ろに控えるマリファとラスからの圧力が露骨に強くなり、身の危険を感じたダフィモロトは覚悟を決める。


「か……帰れます。ですが、故郷の場所を言うつもりはありません」


 ユウは不思議そうに首をかしげる。だが、そこまでダフィモロトの言っていることが気にならなかったのか、宝箱から金貨二枚を摘んで放り投げる。ダフィモロトは自分に向かって放り投げられた金貨を慌てて受け止めると、そのまま驚いた表情でユウを見つめる。


「あそこに商人たちがいるのが見えるだろ? 左側が手数料なしで両替を、真ん中が食料を、右側が衣服や旅に必要な物の販売だ」


 混乱しているダフィモロトをよそに、ユウは素っ気なくそう告げる。


「なにぼうっと突っ立ってるんだ? 言っとくけどな、無理言って頼んだのにあいつらは適正価格で販売してるんだぞ。それとも王都で買うつもりか? 奴隷じゃ入れてくれないと思うから、ここで揃えるほうがお得だぞ」


 実際には両替の手数料はユウが立て替えると、商人たちには伝えていた。

 次へ移ろうとしたユウであったが、思い出したかのようにダフィモロトに自分のもとまで来るように手招きする。


「忘れるところだった」


 そう言うと、ユウは無造作に奴隷の首輪を取り外した。それを見ていたマゴやビクトルたちが飲んでいた紅茶を噴き出した。

 奴隷の首輪は奴隷の所有者である主のみが取り外すことができるのだが、ここにいる奴隷たちは主の権限移行が行われていなかった。にもかかわらず、ユウが奴隷の首輪を取り外したのだから、商人たちが驚くのも無理はないと言えるだろう。

 本来であれば、奴隷の所有者と高位の契約魔法の使い手とユウの間でやり取りが必要なのだ。さらにここにいる奴隷の半分は主を失っているので、通常とは異なりややこしい手続きや複数の契約魔法の行使が必要であった。

 しかし、真に驚くのはそのあとであった。ユウの両手のひらがわずかに光ったと思ったそのとき、奴隷の首輪と魔玉が分離し、ユウの右手には完全な魔玉が握られていた。


「驚いただろ?」


 珍しくイタズラっ子みたいな笑みを浮かべたユウが、マゴたちへ視線を送る。


「ふっ……ふははっ! こ、このビクトル、あまりのことに少し取り乱してしまったようですな。で、サトウ様と私の仲ですから、その技術を教えて――」

「教えるわけないだろ。

 これは俺だけじゃなく、ラスと一緒に研究した成果なんだぞ」

「まさかその魔玉に込められた契約魔法を取り除き、再利用などもできるので?」

「どうだろうな」


 ビクトルは顎髭を撫でながら「できるようですな」と呟きラスを見つめた。他の商人たちも、その方法を喉から手が出るほど知りたいのだが、ユウの機嫌を損ねると我慢しているのがありありと見えた。


「次――そこのお前だ」


 ユウは奴隷の首輪をゴミでも捨てるみたいに空き箱に放り投げ、魔玉はラスへ渡す。


「お……俺も帰る場所が、家族が待っているんです!」


 先ほどと同じようにユウは金貨二枚を渡して、奴隷の首輪を取り去る。


「私を解放してくれるんですか?」

「解放……っ。やった……! 自由だっ!!」

「ありがとうございます!! この恩は決して忘れません!!」


 次々と奴隷が解放されていく。

 そして次の奴隷が――小人族の幼女であった。


「名前は?」


 小人族の幼女は黙ったままである。


「帰る故郷はあるのか?」


 なにを問いかけても答える様子がない。


「あ、あの……」


 おそらく小人族の幼女と同じ場所で奴隷をしていたのだろう。見かねた獣人の少女がか細い声で震えながら、ユウの前に出てくる。


「この子は喋れないんです」


 ユウが小人族の幼女のほうへ歩いていく。獣人の少女が「本当なんです!」と叫ぶなか、ユウは小人族の幼女の前まで行くと、奴隷の首輪を取り去った。首には傷跡が――声帯を切られた跡であった。

 まだ幼い女の子から声が奪われていた事実に、その場にいる皆が声を失う。マリファは過去の自分の姿と重ね合わせていたのか、知らず知らずのうちにメイド服の胸元を握りしめていた。

 ユウはゆっくり優しく小人族の幼女の首の傷跡を撫でる。手がとおりすぎると、傷跡は跡形もなく消え去っていた。


「これで喋れるだろ」

「…………ぁ……ぁぁ……あっ」


 小人族の幼女は声が出ることに戸惑う。何度も自分の首の傷跡があった場所を触り、声を確認する。


「名前は?」

「わか……なぃ……」

「親は?」

「わ……なぃ…………ぐすっ」

「生まれ故郷の場所は?」

「ひっく……ぞん……なの…………わがっ……う゛ぇっ、わがんないよっ」


 物心がつく前に拐われた小人族の幼女は、自分の名前どころか親の顔さえ覚えていなかった。


「勝手に座っちゃダメよ!」

「もうむりだよぅ……」

「ほら、怒られるから立つの!」

「うぅ……おうちにかえりたいよ」


 少し離れた場所でドワーフの子供が座り込んでいた。


「つぎはあたしたち、どこにうられるの?」

「余計なことを言うな」

「おなかすいたなぁ……」


 また別の場所では鬼人の幼女がお腹が空いたと、竜人の男へ話しかけていた。


「ご主人様ー」

「なんだよ」


 脳天気な口調でユウに話しかけたのはティンである。


「ティンはなんだかお腹が空いて、やんなっちゃう」


 メラニーが真っ青になって、慌ててティンの口を塞ぐ。横目でマリファの様子を窺うが、先ほどからなにやら物思いにふけているようでティンの発言に気づいていないようだ。


「しょーがないな。ヴァナモ、食事の準備をしろ」

「かしこまりました」


 いつものヴァナモならティンに噛みついていてもおかしくないのに、大人しいことにメラニーが不思議そうに見ていると。


「メラニー、なんですか」

「いや、いつもならご主人様に向かってなんてことを言うんですかー! って怒るじゃん」

「ティンはご主人様のお心を察して発言したのです。それをどうして私が怒ると言うんですか」


 ヴァナモの言っていることが理解できないメラニーが唸っていると。


「メラニー」

「は、はい! ご主人様、なんでしょうか」

「お前とグラフィーラもヴァナモを手伝ってやれ。あと、食事中に物欲しそうに見られると鬱陶しいから、奴隷たちにも食事を与えろ」

「ええっ!? あ、与えろって……ご主人様……この人数をですか?」


 いくらなんでも無理だと。

 そもそも万を超える人数を食わせるだけの食材は? 調理器具は? あったとしても、メラニーたちだけでは対応しきれないと思っていると、ヴァナモがメラニーの袖を引っ張る。「なんだよ」と見れば、ヴァナモの視線の先――ユウが創った時空門からネームレス王国の住人が次々と食材や調理器具を抱えて姿を現す。


「ポコリ、アリアネ」

「「ここに」」


 狸人のポコリと狐人のアリアネが、ユウの前で跪く。


「俺の奴隷に他の所有者たちの焼印があるのは目障りだ」

「「ごもっともです」」

「ネームレス王国から医療部隊を連れてきて焼印を消せ。ついでにいい練習台になるから、目につく傷跡や悪いところも治させろ」


 ポコリとアリアネが時空門へ視線を向けると、自分たちの出番は今か今かと待ちわびている医療部隊の者たちが待機している姿が見えた。しかし、この二人は空気が読めるので、ユウが最初から呼びよせているじゃないですかなどとは言わない。


「「お任せください」」


 ユウが望むとおりに動くだけである。


「ネポラ」

「ここに!」


 魔人族のネポラがメイドというよりは武人のように、ユウの前で跪く。


「このままじゃ日が暮れても終わらない。ルバノフ、ビャルネ、マウノ、それにマチュピもいるだろ。あと暇そうな奴らに、奴隷たちへの説明をさせろ」

「お任せを!」


 ユウはネポラに奴隷たちへする説明の言葉を伝える。また帰る場所がない奴隷には二つの選択肢を与えるようつけ加えた。

 指示を受けた奴隷メイド見習いたちは、すぐさま行動を開始する。ネームレス王国の住人やアルコム、それに商人たちの協力もあって、大きな混乱もなく万を超える奴隷たちに食事が順次配給されていく。


「ぬははっ! 我々も食事にありつけるとは、さすがはサトウ様っ! このビクトル、感激していますぞ!!」

「うるさい。黙って食えよ」

「そうだぞー! ごはんちゅうはしずかにたべないと、オドノ様におこられるんだぞ!」


 ユウから少し離れた場所で奴隷の子供たちと食事しているナマリが、立ち上がって、偉そうにビクトルに説教するのだが、マリファに叱られると慌てて座り直して食事を再開する。


「ふはっ。ナマリちゃんは相変わらずですな。それにしてもナマリちゃんやモモちゃんが同席していないのは、なにか理由があるので?」

「お前らみたいな連中は、ナマリみたいな子供の教育に悪影響だからな」


 マゴがニヤリと笑う。


「サトウ様のお前らの中には、マゴ殿も含まれているということをお忘れなく」

「ホッホ。まさかそのような」

「いや、入ってるぞ」

「ホッ!?」


 仕返しとばかりにビクトルや商人たちがニヤリと笑った。


「ところで話は変わるのですが、バリュー様の財宝の中には多数の美術品などもあったと記憶しています」

「ああ、レーム大陸中から集めてたみたいだな」

「処分でお困りのようでしたら、このビクトルめが適正価格で引き取らせていただきますが」


 バリューが収集した美術品の中には非合法な品も含まれている。その中には中小国家の王族たちが先祖代々から大切にしてきた家宝などもあるのだ。ビクトルとしてはユウからそれらの品を買い取って、他国の王族に恩を売りたいのであった。


「売らないぞ」

「では私共の商会にお売りいただけないでしょうか」

「いやいや。ここは他国の王族にも顔が利く私にどうかお売りください」

「私は他の商人が提示した金額より上乗せして買い取りますぞ」


 ビクトルと同じ思惑の商人たちが、ここぞとばかりにユウへ自分たちを売り込むのだが。


「だから売らないって言ってるだろ」

「ほう。それはなぜか理由をお聞きしても?」

「美術館を造るからだ」

「まさか亜――ネームレス王国の住人のためにですかな?」


 危うく失言しかけて、ビクトルは内心で冷や汗をかく。


「教育にいいらしいからな」

「教育? サトウ様、それは私の考えが間違っていなければ、ネームレス王国の子供たちのためですかな?」


 王族や貴族の子供ならまだわかる。幼い頃から礼儀作法から言葉遣いに様々な分野の知識などの英才教育を行うからである。それがただの平民どころか、亜人と称される種族の、それも子供たちに国宝級の美術品の価値や美を理解できるとはビクトルには思えなかった。


「誰があんなうるさいガキどものためだって言った」


 不快そうに眉間に皺を寄せたユウが、ビクトルを睨みつける。


「ぬははーっ。では、その幸せな方はどなたなのか。このビクトルめにお教えいただきたいものですな」


 ユウの視線を平然と受け止めながら、ビクトルが意地悪そうに笑みを浮かべ問いかける。


「…………ラスだ。こいつはそこらの品じゃ満足しないからな」

「ほほおぅ。ラス殿でしたか! ふはっ」

「それにマリファも高い家具が好きだからな」


 あまりにも苦しい言い訳にビクトルの頬は緩むばかりである。とばっちりを恐れて、マゴや商人たちはユウと目が合わないように顔をそらしている。


「ニーナ、なにか言いたいことがあるんなら言えよ」

「ユウってあれだよね。そう、ツンデレ・・・・だ」

「誰がツンデレだっ! ん? お前、どこでそんな言葉を――」

「サトウさん、お取り込み中すみませんが少しよろしいですか?」


 商人たちをかきわけて出てきたエイナルによって、ユウの疑問はうやむやになる。


「ご相談したいことがございまして」

「なんだよ」

アルコムうち縄張りしまがでっかくな――いでっ」

「言葉遣いに気をつけろ。もうチンピラじゃないんだ」


 魔力弾をぶつけられた鼻を押さえながら、内心では自分だってと思うエイナルであるが、当然そんなことは言わない。


「営業所が増えて人員が足りないんですよ」

「孤児院から増やせばいいだろ」

「あんなガ――子供ですよ? そんなすぐに使い物にならないですよ」


 ただでさえアルコムで働く孤児院の子供たちは、ユウから勤務時間や休憩時間に食事、おやつと細かく注文をつけられていた。


「それで違法奴隷じゃなく、一般奴隷をこっちに回してほしいんですよ。もちろん相手が納得したうえですけどね。給金だって支払いますから」

「奴隷が納得するのか?」

「へへ。サトウさんには理解できないかもしれませんが、みんながみんな奴隷から解放されたいわけじゃないんです。中には奴隷のまま衣食住を保証してほしい奴らもいるんですよ」

「エイナルの言うとおり俺には理解できないな。

 わかった。どうせ最初からそのつもりで前に違法奴隷を、後ろは一般奴隷で並ばせてたんだろ」

「お見通しでしたか」

「それより王都のほうはどうなんだ?」

「どうもこうも、順調すぎて怖いくらいですよ」

「ローレンスの下部組織や、押さえつけられてた連中とは揉めてないのか?」

「とんでもない! むしろ協力的ですよ」


 アルコムの後ろ盾がユウだということは、王都テンカッシの闇社会に知れ渡っていた。わずか数日でローレンスを、さらにはウードン王国の表と裏を牛耳っていたバリュー一派を壊滅させた相手と事を構えるような馬鹿はいなかった。むしろアルコムに協力することで、自分たちの立場を少しでも良くしようと考え、どの組織も競うようにアルコムの手助けをしていた。


「なんだ。困っていたら助けてやろうと思ったのにな」

「ハ、ハハ……」


 エイナルやアルコムの者たちから乾いた笑い声が出る。


「なにか勘違いしてるだろ? 俺は話し合いだって得意なんだぞ」

「へー、そっすか。いでっ!? ちょ、ボスやめてくださいよ! マジでその飛ばすやつ痛いんですって!!」


 アルコムの者たちがユウの魔力弾から逃げるように、一般奴隷たちのほうへ散っていく。

 周囲を見渡せば、食事を終えたところから奴隷たちへの説明が行われていた。説明を受け自由を選択した奴隷たちが、両替や旅に必要な備品を求めて商人たちのもとへ長蛇の列を作っていた。

 ユウも他と同じく奴隷たちへの説明を再開していた。順調に進んでいると、二人のエルフの番になる。姉と思われるエルフは気が強そうだが、エルフの中でも頭一つ抜き出た、まさに容姿端麗という言葉が当てはまる美しさを誇っていた。その姉の後ろに隠れているエルフも可愛らしい庇護欲をかき立てる容姿である。


「名前は?」

「私の名はゼノビア。偉大なるベイリー氏族の末裔で、こっちの臆病者はクリスだ」

「ね、姉さまっ」

「氏族があるってことは帰る場所があるんだな」


 ユウは宝箱から金貨を取ろうとするのだが。


「ま、待てっ! 私たちのことを覚えていないのか!?」


 訝しげな眼差しをユウはゼノビアに向けると、嬉しそうに長耳をピクピクと動かす。だが、その様子を見ているマリファからは冷気のような圧力が放たれる。


「いや、知らないな」

「なんで覚えていないんだ! 私だ!! 本当は覚えているんだろ? な! なっ! こ、こらっ、金貨を渡そうとするんじゃない!」

「そういう詐欺はよそでやってくれ」

「ちーがーうーだーろー! 私があの悪い人族の連中に足を舐めさせられそうになったときに、助けてくれただろうっ!!」


 どうやらゼノビアとクリスは、ローレンスの本部にユウが乗り込んだときに居合わせたエルフであった。

 だが、それでもユウの記憶には残っていないようで――


「知らない」

「おおーいっ! なんでそんな意地悪を言うんだ!!」

「いいから金を受け取って帰れよ」

「嫌だっ!! 私は帰らないぞ!! ぜーったいに受けた恩を返す!! ベイリー氏族の名にかけてな!!」

「姉さま、そんなお願いの仕方は失礼だよ」

「クリスっ! お前までなにを言っているのだ!」


 ユウが無理やり金貨を渡そうとするのだが、ゼノビアはその手を払い除ける。すると、ユウとゼノビアの間にマリファが割って入った。


「な、なんだお前は! 私はいま大事な話をしている最中なんだぞ」

「ご主人様は、どうやらあなたのようなエルフのことは知らないご様子です。さっさと、その金貨を拾って消えなさい」


 氷点下を思わせるほど冷たいマリファの態度である。常人であれば、臆してもおかしくないほどの圧力を放っているのだが、当のゼノビアは気が強い――というより鈍感であった。


「やだっ。私は諦めないぞ!」

「ティン、この礼儀知らずを連れていきなさい」

「えー。お姉さま、ティンは食後の休憩を満喫しているのに、やんな――」

「ティン」

「――と思ったけど、急にやる気が湧いてきました。ささ、エルフちゃんは大人しく帰りましょうね」

「や、やめろ~! 私を聞き分けのない子供みたいに扱うんじゃない!」

 ティンに引きずられていくゼノビアが必死に抵抗する。


「ま、待ってくれ! 私は弓が使えるんだ!! きっと役に立つぞ!!」

「弓が使えるのか?」


 弓という言葉に反応したユウに、ティンの動きが止まる。その隙を突いて、ゼノビアがティンの手から逃れる。


「そうだ! 私は弓の名手なんだ!」

「自分で名手などと、よく言えるものです。ご主人様、排除します」

「うわっ。待て! お前の主は私に興味を持っているのに、勝手に動いてもいいのか!」


 力尽くで排除しようとしたマリファが、苦々しげにゼノビアを睨みつける。


「弓の名手なのか?」


 ネームレス王国には、残念ながら弓の使い手がいない。弓を使うマリファにしても、弓系のジョブに就いていないために『弓術』のレベルは3である。


「くふふっ。気になるか? この私の弓の腕がっ!」

「どれくらい使えるんだ?」

「それはもう誰もがびっくりするほどだぞ」

「シモン、マーダリー、ハンスくらいは使えるのか?」

「待て、待て待てっ!! その三人は『深緑の死神』シモン・ヘイに『黒い死神』ハンス・ウルルン・ルードル、『一射一殺』マーダリーのことだろ。

 む、無茶を言うな! 三大弓術士に選ばれるような者たちと比べられては堪ったものじゃない」

「なんだ。じゃあ、いいや」


 興味を失ったユウは次の奴隷に意識が移っていた。


「さあ、これであなたも満足したでしょう」

「い~や~だ~っ! 待ってくれ~! そ、そうだ!! と一緒なら勝てぬまでも引き分けくらいならできるかも……いや、できる!」


 ゼノビアの弟という言葉に、先ほどからゼノビアの傍でおろおろしている可愛らしいエルフに皆の視線が集まった。


「あ、あの……そそ、そんなに見つめられると恥ずかしい……です」


 女物の衣装ではないが、どこからどう見てもクリスは女の子にしか見えない容姿である。皆の疑問を代表するように、ナマリはクリスに近づくと股間をパンパンする。


「きゃっ!? な、なにをするんですかっ」


 内股で顔を真っ赤にしてクリスがゼノビアの後ろへ隠れる。


「あーっ! オドノ様、こいつおち◯ちんがあるぞ!!」

「ナマリ! 大きな声でそのようなことを言ってはいけません!」

「だってマリ姉ちゃん、こいつ弱虫のくせにお◯んちんがあるんだぞ!」

「お、お◯ん……ちんがあるから、どうだと言うのですか」

「だって~、うう……」

「あははっ。クリスを女と思っていたのか?

 だからいつも私が言っているだろう。もっと胸を張って歩けと」

「姉さま、酷いよぅ」


 胸を張ってどうにかなるレベルではない。ボブカットの今の時点でも、娼館を運営する商人たちは、クリスが店の一番人気になれる魅力を秘めていると確信していた。


「どうだ? 私たち姉弟がほしくなってきただろう!」

「いや、別に」

「なんでーだーよーっ!」

「さあ、帰りましょうか」


 マリファが嬉しそうにゼノビアの肩に手を置く。


「やだやだやだっ! 私は帰らないぞっ!」

「ふふっ。私のご主人様は、あなたに興味などないと言っています」

「そ、そんなことない!」


 抵抗するゼノビアと連れていこうとするマリファの間で、なんとも醜い争いが起こるが、その後は大きなトラブルもなく奴隷の選別は進むのであった。

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