第264話 勇者、立つ

 聖国ジャーダルク、自由国家ハーメルン。

 それぞれが五大国と呼ばれるに相応しい人口と国土を誇っており、その広大な領土ゆえに複数の国の領土と接している。

 あまりにも長い距離に渡って接している国境の一部は、無益な争いが起きないようにと、双方合意のうえで緩衝地帯が設けられるほどである。

 そのような場所は、亜人と称され迫害されている者たちにとっては楽園のような場所であった。特に聖国ジャーダルクから逃げ延びた者たちにとっては――


 どこまでも続く青い空から地上を見下ろせば、山々が連ね、緑生い茂る森林地帯が延々と続く。

 本来であれば、北国特有の寒冷地で雪に覆われていても不思議ではないのだが、魔力風や迷宮に強力な魔物の個体が支配する山など、様々な影響などもあり、この地帯は温暖な気候を保っていた。

 ここは聖国ジャーダルクと自由国家ハーメルンが設けた緩衝地帯である。これだけ広大な土地でも、緩衝地帯の一部というのだから、五大国と呼ばれる国々が、どれほど広大な領土を誇るかが窺えるだろう。

 その森林の中に一人の人族の青年が佇んでいた。

 金色の髪に青い瞳、白い肌からは一見物腰の柔らかい印象を受けるが、その眼には何者にも屈しない強い意志を感じるだろう。

 動きを重視した軽鎧、腰に帯びる剣からはなんらかの魔法かスキルの影響なのか、ときおり鞘から溢れ出すように稲光が発せられる。

 青年の視線は森の奥を見通すかのように前方を見据えている。

 すると、青年の視線に反応するかのように、森の一部が動いた。同時に抑えきれない力の奔流が暴風となって青年に叩きつけられた。

 だが、マントが激しくなびくだけで佇む青年は微動だにしない。


「話があります」


 青年が動く森に向かって話しかけた。

 動く森――近づいて見ればその正体が巨大な獣であることがわかるだろう。鋭い爪を備えた虎のような六本の脚に猿のような顔には四つの眼が、尾はなんと驚くことに蛇である。頭から尾まで測れば優に七十メートルは超えるだろう。

 獣を森と見間違えたのは、獣の背に生えた木々や苔が原因である。一匹の獣というには、あまりにも馬鹿げた巨体である。森の一部が動いたと錯覚してもおかしくないといえるだろう。

 青年の言葉に対する獣の返答は言葉ではなく脚であった。大地と木々を削り取りながら、獣の右前脚が青年に襲いかかる。

 空へ巻き上げられた大量の土砂と砕けた木々が獣の背に降り注ぐ。今まで自らの我が通らなかったことのなかった獣は、今回も同じように力で排除した――と思っていたのだが。


「僕の話を聞いてください。

 あなたと争いにきたわけではありません」


 青年が同じ場所に、同じように佇んで獣へ語りかける。

 どのようにして攻撃を躱したかなど、獣には興味なかった。ただ、人族と呼ばれる小さきモノが生意気にも自分の攻撃をやり過ごし、なおかつそれを誇らしげにするどころか平然としているその態度が気に食わなかった。


「あなたは人語を理解できる知性を持っているはずです。どうか僕の話を――」


 再度、獣の右前脚が振るわれた。

 今度は横に薙ぎ払うのではなく、上から下に叩きつける。地響きとともに、大地に巨大な穴が穿たれた。無造作に前脚を叩きつけただけで、この威力である。

 しかし土煙が晴れると、そこには青年が先ほどと変わらぬ様子で獣を見つめていた。


「この近隣一帯の山や森の主であるあなたにお願いがあります。いたずらにその力を振るわないでほしいのです。生きるための殺生なら理解できますが、あなたが無闇に力を振るうたびに大勢の犠牲がでています。

 この山々や森には多くの生き物や迫害から逃れ、やっとの思いで平穏を手に入れた弱き者たちが暮らしています」


 獣には獣なりの言い分があった。

 山や森を支配する自分は力を誇示する必要がある。なにより力を振るうたびに怯え逃げ惑う小さきモノたちを見るのは気分が良かった。それだけに、目の前にいる青年の物言いには不快感しかなかった。


「あなたの気まぐれで獣人の女性が死んでいます。その手には生まれて間もない赤児も――」


 話の途中で空より青年の頭上を目掛けて無数の雷が降り注いだ。

 恐るべきことに、この獣は雷を意のままに操ることができるのである。

 獣の放った膨大な量の雷によって大地から黒煙が立ち上るのだが、獣の眼が青年に雷が直撃していないのを見ていた。

 獣の四つある眼をもってしても、その動きを完全に捉えることができないほど、青年の動く速度は尋常ではなかったのだ。

 苛立つように獣が咆哮を上げると、怯えるように木々が大きく揺らぐ。その吠え声は遠く離れた山々に届きこだまするほどで、その声が聞こえただけで多くの魔物や動物たちは震え、我先にと逃げ始めるほどであった。


「お願いします。僕の話を聞いてください」


 四度目の懇願であった。

 だが、青年と対峙する獣の返答は対話ではなく攻撃であった。

 莫大な量の雷が獣の口内へ集い始める。不意を突いた落雷すら躱す眼の前の青年を殺すために、獣は広範囲に渡って薙ぎ払う選択をした。

 その獣の姿に青年は目を伏せる。

 自らの逃れられぬ死を悟って、観念したのかと獣が思った矢先――

 獣の身体を紫電が駆け抜けた。

 見れば巨大な獣の頭頂から尾にかけて紫色の雷が走っていた。

 微かに見えた青年の姿を追って獣が後ろを振り返ると、そこにはちょうど剣を鞘に納める青年の姿が見えた。

 そして、そこで獣の巨体は縦に真っ二つにわかれて意識が途絶える。最期に獣が思ったのは、どれほど強い魔物を相手にしてもさして苦労をしたことのない強者である自分を一刀のもとに屠っておいて、なぜ青年が憐憫の目を自分へ向けるのか、であった。




「お……おおっ! では森の王は間違いなく死んだのでっ!?」


 年老いた獣人が青年に歩みよる。


「ええ、残念ながら話には応じてもらえませんでした。やむなく戦うことになり、結果として命を奪うことになりました」


 青年の言葉に、周囲の獣人たちから歓声が上がった。

 今まで森の王と呼ばれていた獣によって、何人もの村人が犠牲になってきたのだ。村人が喜びにわくのも無理はないだろう。


「それにしても、あの兇獸ヌ・エリオ・サンガリオンの末裔とも言われている森の王を難なく倒されるとは……さすがは『パンドラの勇者』ロイ・ブオム様ですな」

「長の言うとおりだ。

 森の王には村の腕自慢だけじゃなく、森の魔物だってまったく歯が立たなかったってーのに、昨日の今日で倒しちまうなんて凄すぎるな」

「凄いなんてもんじゃないだろ。『災厄の魔王』を倒した勇者様は噂に違わぬ強さなんだな」


 人族の青年――ロイ・ブオムは、口々に称賛する村人の言葉に困ったように苦笑いを浮かべる。

 ふとロイが視線を下げると、そこには目を輝かせた獣人の子供たちの姿があった。


「ゆうしゃさま、すごいね!」

「わたしおよめさんになってあげようか?」

「お、俺も勇者になりたい!」

「ばかっ! それなら俺だって!!」


 特に二人の少年はロイを崇拝するかのように慕っており、頬を真っ赤に染めて他の子供たちを押しのけてロイにつめよった。


「ああ、なれるさ」

「「ほんとにっ!?」」

「恐怖に立ち向かう勇気は誰もが心に秘めている。勇気を糧に正しき行いをしていけば、いつかきっと勇者になれるよ」


 ロイの言葉に少年たちは大喜びで跳びはねる。その姿にロイの心の靄が幾分か晴れていくのを実感する。

 村を上げてお礼と祝の場を設けるという長の言葉を、丁重に断りロイは村をあとにする。行き先は決まっていないが、やることは決まっていた。

 弱き者を助ける。それが勇者である自分の使命だとロイ・ブオムは理解していた。


「姿を現したらどうですか?」


 不意にロイは立ち止まったかと思うと、振り返りもせずに背後へ声をかけた。すると、木々などの遮蔽物もない空間からローブ姿の者たちが姿を現す。

 隠形の術――それも遮蔽物もない場所での、それだけでこの者たちが手練だということがわかるだろう。


「またあなたたちですか」


 呆れたような言葉とは裏腹に、ロイは内心では焦っていた。

 なぜならば、この者たちが纏っているローブはイリガミット教団のモノである。聖国ジャーダルクの迫害から逃れて暮らす獣人たちの村の場所を悟られぬようにと、ロイは細心の注意を払って移動はしていたのだが、それでも完全には安心することはできなかった。それほど聖国ジャーダルクの亜人に対する迫害は苛烈なモノであった。


「バタイユ枢機卿との会談の件、考え直していただけたでしょうか?」

「その話ならお断りしたはずです」

「こちらもロイ様のお立場を考えて、こうして何度も出向いているのです」

「なにを言われようと、僕の考えは変わりません」

「私たちも子供の使いではありません。そろそろ色よい返事をいただきたいのです」

「無理強いは感心しませんよ」


 軽口を叩きながら、ロイの左手が自然と剣の柄にかかる。

 視認できるだけで九人、巧妙に隠している気配を辿れば十、いや二十人は配置されている。たかだか自分一人に大層な布陣だと、ロイは内心で呟く。


「これだけお願いしてもですか?」

「勇者は国家権力や不当な暴力に屈しない」


 「仕掛けてくるか」とロイが警戒を強めるのだが、イリガミット教の者たちからは攻撃の意思を感じられなかった。

 予想に反する結果となり、ロイは一瞬だけ気が緩みそうになるのだがすぐにより強く気を引きしめる。これまで聖国ジャーダルクが獣人たちなどに行ってきたことを知っているロイからすれば、当然の心構えであった。


「話は終わりましたね。ではこれにて失礼します」


 イリガミット教団の者たちに背を向けて歩きだすロイであったのだが。


「凶報の兆しあり」


 その言葉にロイの歩みが止まる。


「新たな魔王が顕現するやもしれません」


 ロイが振り返っていれば、イリガミット教団の者がほくそ笑んでいることに気づけただろう。


「顕現すれば無辜の民に甚大な被害をもたらすでしょう」

「それは確かな情報でしょうか?」

「さあ? 私はバタイユ枢機卿より『災厄の魔王・・・・・』を超える魔王が顕現するかもしれぬとしか聞かされておりませんから」

「災厄の魔王……っ」

「場合によっては大きな戦が――そう聖魔大戦の再来ですね。

 勇者ロイ様が災厄の魔王を倒すまでに百万人以上の犠牲が無辜の民にでましたが、しかし此度はその比ではないとバタイユ枢機卿は予想されています。犠牲者の数はどれほどになるのやら……桁が一桁……いいえ、二桁は跳ね上がるでしょう」


 自らも気づかぬうちに、ロイは拳を強く握り締めていた。


「わかりました」

「では?」

「バタイユ枢機卿のもとまで案内してください」

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