第262話 追い込まれる者たち
テーブルの上や床にワインボトルが何本も散乱していた。メイドたちが片付けても片付けても、次に部屋の掃除に来ると散らかっているのだ。
「ぷはあっ……。さっさと報告せんかっ。この~無能どもめぇ~」
バリューの口からは強い酒の臭いが漂ってくる。
それほど酒を嗜まないバリューが、叙勲式後からは人が変わったかのように、大量の酒を飲むようになっていた。
そして食のほうは、アルコールの摂取量に反比例するかのように減っていき、肥満体であったバリューの身体は日に日に痩せ衰えている。
家臣たちは、バリューの機嫌をできる限り損なわないように、恐る恐る報告を始める。
「サトウですが『悪魔の牢獄』で見たとの報告があります。おそらくは他の者たちと迷宮を探索中ではないかと」
「カマーへ向かわせた兵ですが、おそらくムッスの食客によって、全滅した模様です」
「姿をくらませたフランソワとピーターリット卿の行方は依然としてわかっておりません。おそらくフランソワは聖ジャーダルクへ帰還したものかと思われます。ピーターリット卿に関しては、領地に帰った形跡もなく――ひっ!?」
バリューが投げつけたグラスが、家臣の足元で砕け散る。
「おそらくおそらくと、どいつもこいつも~同じようなことを口を揃えて言いおって! それでも代々、我がノクス家に仕える者たちかっ!」
バリューが手を差し出すと、侍女が慌てて代わりのグラスを手渡し、ワインを注ぐ。
「んぐんぐっ! はあぁ~……。迷宮にいるのがわかっているなら、すぐに刺客を差し向けんかっ! 最優先するべきことはサトウを殺すことくらい、言わなくともわかるであろうがっ!!」
「『悪魔の牢獄』はAランク迷宮、並の冒険者では中層に辿り着くことすら叶いません。
古龍の角を手に入れたことから、サトウは最低でも第七十四層まで探索することが可能かと思われます」
「カマーから戻ってきた冒険者が、いくらでもいるではないかっ!」
「戻ってきた冒険者の中で『悪魔の牢獄』の、それも下層まで探索できる者など数えるほどです。
広大な迷宮の中を屈強な魔物を倒しながらサトウを見つけて、さらに暗殺するなど至難の業どころの話ではありません。
それにカマーから帰ってきた冒険者は、あちらで手痛い目に遭ったようで、しばらくは使い物にならないでしょう」
「ではどうするというのだっ!!」
バリューがワインの入ったグラスを床へ叩きつける。砕けたガラスの破片が飛び散り、絨毯に赤い染みが拡がっていく。
「私めに発言の許可をいただいても、よろしいでしょうか?」
胸に手を当て発言の許可を請う男は、バリューに仕える家臣の中でも序列が低い者であった。
「なんだ? なにかいい案があるのなら申してみよ」
「ネームレス王ですが――」
「あのような下賤の者を王と呼ぶなどっ!!」
「バリュー様がこのような目に遭っているのは、いったい誰のせいかわかっての発言か!!」
「黙らんかっ!!」
バリューが一喝すると、家臣たちは頭を下げ口を噤む。
「続けよ」
「ありがとうございます。
ネームレス王ですが『悪魔の牢獄』を探索しながらも、カマーへ幾度か戻っています」
「なにを言うかと思えば、馬鹿なことをっ」
「どうやって迷宮を探索しながら、遠く離れたカマーへ戻るというのだ」
口を噤んでいた家臣たちが、話の途中であるにもかかわらず、会話に割って入る。
「お忘れですか? ネームレス王が『時空魔法』の使い手だということを」
その言葉に、周りの家臣たちは思い出したかのように黙り込んだ。
「現に二度ほど、カマーでネームレス王と接触することができました」
「なっ!? そ、それはまことであろうなっ」
「はい、嘘偽りなく。
もっともネームレス王を刺激しないように、外部の者を雇い接触を試みました。こちらが礼を尽くせば、会うことは十分に可能です。
そして、ネームレス王が次にカマーへ戻るのは四日後とのことです」
「よ、四日……後だと……っ?」
なんの手かがりもなかったところへ、バリューは一筋の光明を見出したかのように、笑みを浮かべた。
「では、今から手練れの暗殺者を雇えば」
「それよりも高ランクの冒険者を――」
「その前にサトウの屋敷にいる召使いを拐うほうが――」
家臣たちが、どうユウを暗殺するかを相談し始めるのだが。
「お静かにっ!!」
その声に驚き、皆が序列下位の男を見つめた。
「まだこの期に及んで、そのようなことを仰っているのですか!
派閥は瓦解し、多くの貴族は処刑され、私兵や傭兵たちはどこに行ったのですか? あれほどいたローレンスなど姿かたちもないではないですか! 抱えていた冒険者も使い物にならず、恩知らずな者たちは形勢が不利と見るや、なにも言わずに離れていった。
すでに事はバリュー様のお命どころではない。代々ウードン王国に仕えてきた貴族の名門、ノクス家の存亡がかかっているのです!!
バリュー様、本日の賠償金はいくらだったか、覚えておいででしょうか?」
「さ……三百億だ」
冒険者ギルドでの屈辱的な光景を思い出したくないのだろう。バリューは言葉を淀みながら呟く。
「正確には三百四十三億五千九百七十三万八千三百六十八マドカです。四日後には、約五千五百億マドカを正午までに冒険者ギルドへ振込に行かねばなりません。どこにそんな金があるのですか?」
「わ、私の宝物庫にはまだまだ――」
「ありません!
誓約書の内容をお忘れですか? 賠償金の支払いは現金のみとなっています。
先のオークションで多額の現金を支払い、宝物庫や各ギルドへ預け入れしている現金はすでに六千億を切っています。
バリュー様の持つ美術品や高価な魔導具を売り捌きますか? 現金に変えるには、あまりにも時間がありません。
そして、仮に現金を手にしたとしても、わずかな延命にしかなりません。今すぐ準備をして強行すれば、各町や村で賠償金を支払いながら、四日後の正午までにカマーへ到着できます。
バリュー様、ご決断を。これが最後の機会なのです」
家臣たちが唖然とする中、バリューは頭を抱えて考え込む。
そして――
「すぐにカマーへ向かう準備をせよ」
その言葉に、真にバリューの身を案じる家臣の男は。
「すでに準備しております」
そう答えるのであった。
バリュー財務大臣が失脚した情報は、当初は混乱を避けるために箝口令が敷かれていたのだが。
処刑された貴族の家族や一族により噂は広まり、すでに王都だけでなく他国にまで知れ渡っていた。
始めは半信半疑であった王都の民たちも、ある日を境にローレンスの者たちが消えていたことを知っていただけに、口伝えに噂は伝染するように広まった。
すると、今まで財務大臣やその派閥の貴族たちが後ろ盾にいるのをいいことに、好き放題やってきた者たちへ、恐ろしい報復が開始された。
作物や商品を買い叩かれていた農家や商人たちが、一斉にベルーン商会との取引を停止したのだ。
積年の恨みも当然あったのだが、それ以上にべルーン商会と取引していることを知られるのを恐れたのである。
毎日のようにべルーン商会で働く誰かが、王都のどこかで死んでいた。べルーン商会が所有する店舗の周辺には、復讐の機会を窺う者たちが張りつき、次第にべルーン商会の者たちは、日中でも店舗の外へ出ることができなくなっていた。
「バリュー様とは連絡がつかないのかっ!?」
「そ、それが今はお会いできないと、従者より返答がっ」
「どうすればいいのだ!? こ、このようなときに、会長はなにをしているのだ!」
べルーン商会五番店も他の店舗と同様に、襲撃を恐れて店舗へ引き篭もっていた。
このような有り様では客など来るはずもなく、綺麗に管理されていた店舗内は荒らされ無残な姿を晒していた。
「グ、グルデムさま、私たちはどうすればっ」
「落ち着きなさい。今は耐え忍ぶときです」
またべルーン商会自慢の腕利きの護衛たちも恐れをなしたのか、いつの間にかその姿を見せなくなっていた。
外からは「出てこい!」と怒号が聞こえてくる。そのたびに、商人たちは身体を震わせた。
「ホッホ、お困りのご様子ですね」
「だ、誰だっ!?」
店の外が急に静かになり、べルーン商会の者たちが様子を確かめようとしたそのとき、大勢の男を引き連れた老人が店内に立っていた。
「き、貴様っ! どうやって店内に、そもそも誰の許可を得て入ってきた!! この泥棒めっ!!」
「ホッホ、泥棒とはなんとも酷い言い草ですな。ああ、扉はこちらで壊させていただきました」
「あなたは……マゴ・ピエットっ」
老人の姿を壁に隠れて見ていたグルデムは、その見覚えある姿に名を呟いた。
「おや? これはべルーン商会第五店舗の番頭を任される、グルデムさんではありませんか。私みたいな老人のことを覚えていたとは光栄ですな」
「交渉に来たのですか」
グルデムも伊達に若くしてべルーン商会の店舗を任されていない。バリュー財務大臣の失脚が誰の手によってもたらされたのかなど、すぐに見当がついていた。
ユウと手を組んだマゴの目的は、べルーン商会への復讐なのは容易に想像がつく。ならば、この場に現れたのは店の権利か、それとも惨めなこの様を嘲笑いにきたのか。
「交渉? ホッホ、これはおかしなことを」
「なにがおかしいのですか」
「交渉とは互いにある程度は力が拮抗しているか、または相手の望むものを提示できるかで、初めて成立するもの。
今のあなたたちに、私の望む物が提示できるとでも?」
「無礼なっ!!」
「言わせておけばっ!」
「王都から尻尾を巻いて逃げ去った三流商人の分際で!!」
べルーン商会の者たちに、なにを言われてもマゴの表情から余裕は消えない。それどころか楽しそうに、後ろに控える男たちと談笑すらしていた。
「ところで、あなたたち自慢の護衛の姿が見えませんな。
どこにいるのか、知りたくはないですか?」
マゴが手を叩くと、男たちが正方形の箱を次々にグルデムの前に並べていく。
「どうぞ、護衛の居場所を知りたくないのですか?」
「開けなさい」
不審がるべルーン商会の従業員へ、グルデムが開封するよう命じる。
「ひゃっ!?」
「な、なんということを……っ!」
「人のすることではない。鬼畜の所業だっ!!」
箱の中身は人の頭部であった。
その顔はどれもべルーン商会の者たちであれば、よく知る顔――護衛の男たちのモノであった。
「ホッホ、鬼畜の所業とはよくも抜け抜けと。
グルデムさん、あなたは私のことはすぐに気づいたようですが、後ろに並ぶ者たちに心当たりはありませんか?」
マゴにそう言われても、グルデムには見覚えのない者たちばかりであった。
「この者たちは、もとは商人です。
べルーン商会への協力を拒み、あるいは競合店だからと、財務大臣やローレンスの力を使って、あなたたちが潰した商人たちです。
しかも、あなたたちときたらそれだけに飽き足らず、さらなる追い込みをかけて不当な契約書にサインさせ、家族まで奴隷にして売り払うなど、どの口が人のことを鬼畜などと申すのですか。
私が奴隷商で得た伝手を辿って、ここにいる者たちを助けました。それでもまだ奴隷落ちした商人や、その家族が死んでいるのか行方不明なのかすらわからぬ者がどれほどいるかっ」
先ほどからマゴの背後に控える男たちが、並々ならぬ目で自分たちを睨みつける理由がわかり、べルーン商会の者たちは恐怖で背筋が凍りつく。
「ホッホ、べルーン商会はもう終わりです。他の店舗の皆様は喜んでこちらの提案を受け入れましたよ」
「提案……ですか?」
「ええ。
すべてを捨てて、王都から出ていくことを選びました。こちらとしては、どちらを選んでいただいても構いませんがね」
一人、また一人とべルーン商会の者たちが膝を折り、すすり泣く。彼らに選択の余地などないのだ。
「わ……わかりました。そちらの提案を受け入れます」
「では、服を脱いでください」
「なにを……言っているのですか?」
「人の皮を被った獣のあなたたちに、衣服など不要。裸で獣のように四足で歩行して、王都を出ていきなさい」
マゴの背後の男たちが、一斉にべルーン商会の者たちを罵倒し始める。そのあまりの迫力に、誰も逆らうことなどできなかった。
この日からべルーン商会の者たちが、全裸で獣のように四足で歩きながら、王都を去っていくのを多くの人々が見守った。
だが、それを憐れむ者はいない。
王都で権力と暴力を使って、好き放題してきたべルーン商会を庇う者など、誰もいなかったのだ。
「ホッホ。さあ、これで血生臭い復讐は終わりです。
これからは王都で、私の店を手伝ってください」
マゴの言葉に、復讐を終えた男たちが涙を流した。
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