第261話 神の不在証明

「ええいっ! 無礼者が!! 私を誰だと思っている!!」

「このような無法が許されるはずがないっ!」

「下民が触れるな!!」


 ウードン王国の近衛たちに連行されているのは、バリュー派閥に属する貴族たちである。その腕は後ろ手に組まされ、さらに手枷が嵌められている。手枷には抵抗や逃亡を防止するために、身体能力や魔法の使用を拘束する効果が付与されていた。

 ぞろぞろと連行されるその姿は、王城内に勤務する文官や侍女など多くの者たちに見られていた。


「我らはどこへ連れていかれるのだ?」


 地下牢へ連行されると思っていた貴族が呟いた。すべてではないが、これまでに幾度も王城へ来訪したことがあるので、ある程度の構造は頭の中で把握しているのだ。


「ふんっ。貴族である我らを薄汚い牢などに放り込めるはずがない」

「どこかの建物に軟禁するとみた」

「貴族院での裁判を待つまでもないですな。今頃、私たちの従者やメイドたちが、各々の領内へ連絡しているでしょう」


 近衛たちがいるので言葉にこそ出さないが、ウードン王国の三分の一以上の勢力を誇る自分たちの陣営が反旗を翻せば、他にも王へ不満を抱いている陣営の貴族たちも呼応する可能性は十分にあると見ていた。

 そうなれば、貴族院で行われる裁判で判決を下されるよりも前に戦争が起きる。

 そこに活路を見出すしか、自分たちが生き残る道はないと考えていた。


「このような横暴が許されれば、国は乱れ、延いては民たちに悪影響が出る!」

「そのとおり! 事によっては陛下、いやウードン王のこれまでの怠慢や此度のご乱心による責任を取っていただき、王位を退いてもらう可能性も――」


 そこで貴族たちの会話は途切れる。

 眼前には赤や青などの色とりどりの美しい花々が咲き乱れていた。そこは王城と王宮の間にある中庭の庭園である。

 貴族たちの会話が途切れたのは、間違っても美しい庭園に見惚れたからではない。


「な……なんだこれはっ!?」

「なぜこのような場所に、絞首台・・・があるのだっ……」


 美しい花々の中、等間隔に設置された絞首台のそのさまは、まさに異様な光景で、貴族たちが口を噤むのも無理はなかった。


「間に合ったようだね。遠回りするよう指示を出しておいて、よかったよ」

「へ、陛下っ」


 驚く貴族たちを前に、少し息を切らしたウードン王がボールズと共に現れる。そして、どこからともなく現れた侍女たちがテーブルや椅子を並べ始め、ウードン王が席に着くと紅茶を淹れる。


「なにを驚いているのかね?

 自分たちの犯した罪の数々を思い出してみたまえ、ウードン王国の法に照らし合わせれば、間違いなく極刑は免れないだろう。君たちが貴族院での裁判で、どれほど弁が立つ優秀な者を用意して擁護させようが、極刑が覆ることはない。

 であれば、貴族院での裁判を待つまでもない。君たちを牢に幽閉するのにも、タダってわけじゃないんだ。牢を監視する兵、食事、排泄物の処理、なにより時間の無駄だ。

 なら、すぐさま極刑に処すのが合理的だと思わないかね?」


 貴族たちが絶句する。

 自らの生死が、こんな簡単にゴミでも捨てるかのように決められるとは思ってもみなかったのだ。


「ふふっ、これは建前でね。

 本音は最期くらい私を楽しまさせてほしい」


 そう言うと、ウードン王は貴族たちに向かってウィンクする。


「ふ……ふざけるなっ!!」

「狂ってる!! この王は、こいつは狂っている!!」

「凶王めっ! 必ず私の一族が貴様に報いを受けさせるぞっ!!」

「へ、陛下っ! ご再考を! お願いします!!」

「このような暴政を、なぜ誰も止めぬのだ!! 国が滅びるぞ!!」

「我らがいなくなれば、国家の運営が、政に支障がでるとなぜわからぬかっ!!」


 罵声する者や刑の執行を考え直すよう哀願する者などにわかれるが、最後には皆揃って口々にウードン王へ助命を嘆願した。


「ふふふっ。酷い言われようだ」


 「言われても仕方がないのでは」と、ウードン王の横に立つボールズは口には出さぬが、その顔にはありありと現れていた。


「それほどまでに君たちが、ウードン王国の未来を憂いていたとは驚きだね。

 だが、心配しなくてもいい。なんと都合よく君たちの領地を運営できる後任の人材が、偶然にも育成が終わって各領地で待機している」

「陛下っ!! ご、ご再考をっ!! このような無法は禍根を残しますぞ!!」

「フェーチ侯爵、そこまで悲観することはない。私の予想では、君は二番目だ」


 なにを言っているのだと睨みつけるフェーチ侯爵であったが、ウードン王の手前にあるテーブルの上に、紙が置いてあるのを見つける。その紙に自分たちの名前と横に番号が記されているのを見てすべてを理解する。


「お……おのれっ!! 狂人めがっ!!」

「さあ、始めなさい。同時にだよ」


 喚き散らす貴族たちの首に、近衛たちが粛々と縄をかけていく。そして、寸分の狂いもなく絞首台から突き落とした。


「あがっ……い、いき……がっ……」

「だれ……たふけ……で……っ」

「いひゃっだ……かふ……しにた……ない」


 首に食い込んでいく縄が頭部への血液の循環を阻害し、それによって貴族たちの顔色がみるみる青紫色へと変色していく。

 下腹部に染みが拡がっているのは、漏れ出た糞尿によるものだ。

 貴族たちの呻き声を、ウードン王は音楽鑑賞でもするかのように耳を澄ませ、紅茶を味わう。

 徐々に一人、二人と藻掻くことを諦め、あるいは意識を失っていく。十分もすれば、全員がピクリとも反応を示さなくなった。


「ボールズくん、見たまえ」


 ウードン王の差し出した紙をボールズが覗き込む。


「すべて当たった。私の勝ちだ」


 誰が先に死んでいくかを予想し、紙に書き記していたウードン王は、自分の予想が大当たりすると、嬉しそうに小さく拍手した。


「陛下っ」


 しばし余韻に浸っているウードン王のもとへ、王城側から一人の文官が駆け寄ってくる。

 近衛が制止するまでもなく、文官は眼前の凄惨な光景に足を止めて、言葉を失っていた。


「なにかあったのかね?」

「あ……はっ! し、失礼いたしました。ボナ公爵より、火急の用件で陛下に謁見の許可をいただきたいとのことです」

「ウィリアムくんが私に会いたいと?」


 吊るされている貴族たちをウードン王は見つめる。物言わぬ死体の中には、ウィリアムがバリュー派閥へ送り込んだ甥や貴族の姿があった。

「あれほど私と会うのを避けていたウィリアムくんが会いたいというのだ。喜んで会おうじゃないか」


 そう言って、ウードン王は立ち上がる。


「ああ、そうだ。

 君たち、くれぐれも遺体は損傷しないよう丁重に扱ってほしい。あと防腐処理も忘れずに、ネームレス王と約束しているんだ」


 「なんのために?」とは、ボールズですら尋ねようとはしなかった。




「面白いモノが見れるとは思ってはいたが、あれほどのモノが見れるとはっ」


 少し興奮した様子で語っているのは、カールハインツである。謁見の間から退出し、その後は取り調べなどもなく、王城から冒険者ギルドへ帰る途中であった。


「少しは落ち着かんか。

 ここは防音や盗聴対策の施された部屋ではないんじゃぞ」


 通りには多くの人々が行き交っている。誰がどこで聞いているのかわからないのだ。「みだりに口を滑らせるな」と、モーフィスが叱る。それを見て、エッダはなぜか「ふふんっ」と鼻を鳴らした。


「フィーフィちゃんはこうなることを予想していたのか。いや、いくらなんでも……いやいや! 私の愛娘なら十分にありえるな!!

 あのユウ・サトウはウードン王国と対等の同盟を結んだ。そのサトウに貸しを作ったことは大きいぞ。冒険者ギルドが得る利はどれほどのものか計り知れない。さすがはフィーフィちゃん、最高だよフィーフィちゃん、もう一つおまけにフィーフィちゃんだよ!」


 「この親バカがっ」と、モーフィスは罵ってやりたいところであったが、カールハインツの言うこともまんざら嘘でもないだけに、黙ってその自慢話を聞くことにした。


「しかし、喜んでばかりもいられない」


 急に真面目な顔に戻ったカールハインツを、エッダが気持ち悪い生き物でも見るかのように距離を取る。


「財務大臣だよ。あのバリューがこのまま終わらせるはずがない。どんなあくどい手を使って報復をしてくるか。なぜ、ユウ・サトウはあの場で始末しなかったのか、モーフィスならわかるか?」

「わかるわけないじゃろうが。だが一つだけ言えるのは、碌でもないことを考えておるのは間違いない」

「まあ、ギルド長ったら酷い言いようですわ。ユウちゃんは優しい良い子ですよ?」

「わかっておるくせに。

 それより、もう王都での用は終わったんじゃ。カマーへ帰るぞ」

「ギルドのみんなに、お土産を買ってませんわ」

「ぬうっ。土産などどうでもよかろうがっ」

「よくありません」

「わかった。わかったから早う買って帰るぞ」


 結局はエッダの言い分を受け入れるモーフィスに、カールハインツは自分のことを棚に上げて、女の尻に敷かれたみっともない男だと、バカにした目で見るのであった。




 ウードン王国王都テンカッシから北西に向かって進むと、やがて緑生い茂る森林地帯が拡がる。その木々の中を駆ける影が六つ。


(なぜだ? なぜこのような事態になった。

 あの女だ。ニーナ・レバ、あの女がユウ・サトウに関する情報の一部を隠していたのは明白だ。それがなければ、私がこのような失態など)


 自問自答するのはバリューに仕えている王都の文官にして、その正体は聖国ジャーダルクの諜報員であるフランソワ・アルナルディである。残り五つの影は、彼が従える諜報機関ブロソムに所属するステムの名を与えられた、いずれも並の兵などでは足元にも及ばないつわものたちである。


「フランソワ様、このままなにもせず祖国へ戻られるのですか」

「残念ですが、バリュー様が再起するには上手くいったとしても、数十年はかかるでしょう。

 それにウードン王は私の存在に気づいていました。あのままウードン王国に残るのは、メリットよりもデメリットのほうが大きいのです」


 これまでブロソムの一員として、数々の困難な任務を成功させてきたフランソワの顔は苦渋に満ちていた。

 突如、フランソワが足を止める。その動きに合わせて五つの影が散開した。


「そこに隠れているのはわかっています。出てきたらどうですか?」


 木の陰から出てきたのは、ニーナであった。


「別に隠れていたつもりはないんだけどな~。

 フランソワさん、そんなに慌ててどこに行くのかな?」


 友達にでも話しかけるかのように、親しげにニーナは振る舞う。


「あなたから血の匂いが、それもそれほど時間が経っていない濃い血の匂いがします」

「あははっ。ちょっと、ね?」


 散開したフランソワの部下たちは、すでに木の上や陰からニーナの頭部へと、スローイングナイフの狙いを定めている。


「あれれ? フランソワさん、もしかして怒ってる? どうしてかな~」

「白々しい。

 ニーナさん、あなたはユウ・サトウがウードン王と密かに会っていたことや、古龍の角を手に入れていたことを知っていましたね?」

「うん、知ってたよ。それがどうかしたのかな?」

「知っていて、なぜそれを私に報告しないのです。それができなかったとは言わせませんよ。それがわかっていれば、バリュー様はあそこまで追い込まれることはなかった」

「そんなことないと思うけどな~。それにオリヴィエ様からは、そんな指示は出てなかったから」

「やはりオリヴィエ・ドゥラランドから、制約など受けていなかったのですね。となると、今までこちらに流していた情報もすべて嘘ですか」

「ん? 嘘じゃないよ。ただし――私以外・・・だけどね。

 フランソワさんに流してた情報もぜ~んぶ、本当のことだよ? オリヴィエ様は自分やユウの情報を流すことによって、財務大臣やフランソワさんが必ずユウに手を出すと考えていたみたい。そうやって、徐々にユウのことを色んな国に知ってもらいたいんだって」

「それはなぜですか?」

「バタイユ枢機卿と同じように、ユウを使って戦争をしたいみたい。

 ただ、バタイユ枢機卿はそれを利用して信者を増やそうとしているみたいだけど、オリヴィエ様は違うんだよね~」


 左右に行ったりきたりしながら、ニーナは顔を横に傾けながらフランソワの様子を窺う。


「それは興味深い。

 あなただけ特別扱いな理由と合わせてお聞きしても?」

「特別じゃないよ~。

 そもそもオリヴィエ様は人形に興味なんてないから。あとオリヴィエ様の目的は――」

「目的は?」

「今から死ぬフランソワさんが知る必要はないよ」


 ニーナがフランソワに笑顔を向けた瞬間、周囲から数十のスローイングナイフが投擲された。刃には毒が塗られており、常人であれば掠るだけで数回は死に至るほどの猛毒である。


「やはりあなたもステラから転写・・を受けていましたか」


 いつの間にかニーナを護るように、魔力の糸が周囲に張り巡らされていた。その魔力の糸によって、投擲された数十のスローイングナイフの軌道が逸れ、または弾かれ、ニーナは無傷のまま立っている。


「いきなり酷いよ~」

「オリヴィエに私を消すよう命じられたのですか?」

「まっさか~。オリヴィエ様は最初からフランソワさんに興味なんてないから、殺せなんて命じないよ」

「ますますわかりませんね。では、あなたはどうしてここで私たちを待ち伏せしていたのですか」

「だってフランソワさん、ステラさんのことを恥部だの塵だの言うんだもん。だから懲らしめようかなって」


 傲慢な、とはフランソワたちは思わなかった。ニーナは若くしてレベル40に到達しているのだ。勘違いもするだろうと。

 だが、それも次の言葉を聞くまでであった。その言葉を聞くなりフランソワたちの態度が豹変する。


「それにイリガミットとかいう、胡散臭い神様なんかいないことを教えてあげようかと思って」


 ニーナを殺そうとスローイングナイフを投擲したときですら、一切の殺気を漏らさなかったステムの者たちから殺気が溢れ出る。


「わっ」


 音もなくニーナの背後へ接近したステムの一人が、心の臓へ貫手を放つ。

 だが、音は消せても濃密な殺気が漏れ出ていた。ニーナはわざとらしい声を上げながら、身体を半回転させて貫手を躱す。しかし、そこには地を這うように距離を詰めてきた別の男が、すでに足払いの動作に入っていた。


「ひゃっ」


 跳びはねて宙へ逃げるニーナに、さらに二人の男が追撃をする。男の右腕が捻られていき、一気に解放しながら掌底を放つ。LV4の暗殺技『狭掌心打きょうしょうしんだ』、心の臓に掌底を叩き込み心肺停止させる技である。それが前後からニーナの心臓を挟み込むように放たれたのだ。

 それに対して、ニーナは身体を捻って半身の構えになると、両腕で同時に『狭掌心打きょうしょうしんだ』を放つ。互いの掌と掌がぶつかり合い、威力が相殺される。

 これには表情にこそ出さないものの、ステムの男たちが内心で驚きと称賛を送る。あの不利な体勢から無理やり身体を捻って、なおかつ本来は片腕での使用を前提とされている暗殺技『狭掌心打きょうしょうしんだ』を両腕で放ったのだ。それも威力を相殺するほどの精度である。

 もし威力が劣っていれば、ニーナの両腕は粉砕されていただろう。仮にどちらかの腕の威力が勝っていれば身体のバランスを大きく崩し、隙を窺っていた五人目の男に決定的な一撃を加えられていた。


「正直、驚きました。ニーナさん、あなたがこれほどの腕を持っていたことに」


 黒装束に身を包んだステムの男たちが、一定の距離を保ちながらニーナを囲む。


「ですが、今の攻防でわかったでしょう、あなたでは勝てないと。

 ここにいるステムは、私が鍛え育ててきた者たちです。個々でもあなたを上回る力量の持ち主ばかり」

「そうかな~。今まで私が殺そうと思って、殺せなかったことなんてないからわかんない」


 そう言いながらニーナが両腕を交差させると、フランソワたちがニーナに向かって引っ張られる。


「ね?」


 ニーナが創り出した魔力の糸が、フランソワたちの身体に絡みついていた。


「聖技『天網恢恢・縛』ですか」


 引っ張る魔力の糸に抵抗するフランソワの表情に焦りはない。それは他のステムの男たちも同様で、手に握るダガーや腕や足に仕込んでいる刃に魔力を纏わせ、魔力の糸を切断していく。


「私たちブロソムが、ただの諜報機関だとでも思っていましたか? 聖者派や聖女派に対する抑止力でもあるのですよ」


 お喋りは終わりですと、フランソワは手刀で魔力の糸を切り払う。それを皮切りに、黒装束の男たちがニーナに襲いかかる。


「うわわっ」


 凄まじい速度でニーナと男たちの間で攻防が繰り広げられる。

 男たちは徒手空拳に暗殺技を織り交ぜていく。LV4の暗殺技『窒息刀ちっそくとう』、手刀でニーナの気管を叩き潰そうとするが、それを屈んで躱す。そこに別の男が蹴りを放つ。LV6の暗殺技『蹴殺撃しゅうさつげき』である。成功すれば一撃で相手の生命を奪う技だ。間一髪でニーナが十字受けで急所を庇うが、衝撃で後方へと飛ばされる。


「いたたっ」


 受けたニーナの両腕が衝撃で痺れていた。


「ひえっ。ちょっと待ってよ~」


 いつの間にか、男の一人がニーナの懐に潜り込んでいた。LV3の暗殺技『気殺けさつ』で気配を消していたのである。そのまま男はLV7の暗殺技『肘心叩ちゅうしんこう』を放つ。

 必殺の肘打ちがニーナの心の臓へ迫る。だが、男の動きが固まったように停止する。男の影には、スローイングナイフが突き刺さっていた。

 ニーナがLV1の影技『影縫い』で地面に縫いつけたのだ。しかし、それもわずかな時間稼ぎにしかならなかった。別の男が、影を縫いつけるスローイングナイフを投擲したクナイで弾く。

 ニーナはステムの男たちの一糸乱れぬ連携に、次第に追い詰められていく。


「きゃああっ」


 男の貫手がニーナを貫いたかと思われたのだが、それは影であった。LV3の影技『残影』である。


(妙ですね)


 戦闘を見守るフランソワは、満身創痍でいまだ動き続けるニーナを不審そうに見つめる。

 なぜまだ死なないのかおかしいくらいに、ニーナは健闘している。徐々にダメージは蓄積しているにもかかわらず、まだニーナは動き続けているのだ。


(すでに武器や身体に塗った毒で、死なないまでも動けなくなっていてもおかしくないのですが)


 ブロソムの者たちは階級に関係なく、基本的に武器や身体に毒を仕込む。

 その毒は、暗殺者や諜報員などの状態異常への耐性を持つ者たちであろうと完全に凌ぐことはできない。

 だが、ニーナは変わらず動き続けている。

 異常に気づいているのは、フランソワだけではない。ステムの男たちも、すでに気づいていた。

 しかし、厳しい訓練を受けた彼らが心を乱すことはない。


「もうっ! しつこいよ~」


 ニーナが再度、聖技『天網恢恢・縛』で男たちを拘束する。


「それは無駄だと言っ――『聖光糸編せいこうしへん』……っ」


 先ほど同じように魔力の糸を切断していく男たちであったが、切れた魔力の糸が複雑に絡み合い、より強固な力で男たちを拘束する。


「なぜ、あなたが聖女派・・・の技を使えるのですか」

「ふ~、疲れた」


 大袈裟にニーナは額の汗を腕で拭う。


「なにをしているのです。早く拘束を解きなさい」


 普段と変わらぬ口調でフランソワが命令する。だが、男たちが反応しない。いや、反応しようとしているのだが、身体が動かないのだ。


「えへへ~。これでちょ~っと動けなくしたんだ」


 ニーナが得意げに黒竜・牙を掲げる。

 黒竜の牙より作り出されたダガーには、一定確率で麻痺を与える効果があった。


「私の記憶が正しければ、そのダガーは一定確率で麻痺を与えるモノだったはずです」

「そうだよ」

「同時に、それも私の部下を麻痺させるなどありえない」

今は・・一定確率じゃないよ」

「なにを言っているんですか」

「それより、あとはフランソワさんだけだよ」


 伏兵を警戒していたフランソワも、この状況では参戦しないわけにはいかなくなった。


「そんな様で私に勝てるとでも?」

「余裕だよ~。私、負けたことないもん」


 フランソワを馬鹿にするように、ニーナがガッツポーズする。


「上には上がいるということを、教えて差し上げましょう」


 フランソワの姿が一瞬にして消え去る。

 暗殺技『気殺』で気配を消して、さらに武技『縮地』を同時発動させ、一気にニーナの間合いに入る。

 すでにフランソワの掌には膨大な闘気が圧縮して集められている。そこから発動するのは、LV7の暗殺技『血脈裂掌けつみゃくれっしょう』だ。あとは集めた闘気ごと掌を叩き込めば、全身の血管が破裂して、ニーナはなにが起こったのかもわからぬまま絶命するだろう。


「終わりです」


 終わってみれば他愛もない相手だったと、フランソワが闘気を叩き込んだ右手を見ると。


「あっ……これは……いったいっ…………」


 フランソワの右手の指はすべて折れ曲がり、無残な姿へと変わっていた。

 さらに『血脈裂掌けつみゃくれっしょう』を叩き込んだ、あるはずのニーナの姿はそこにはなく。フランソワがいる場所より十メートルも離れた場所に、ニーナは立っていた。


「な~んで、私がフランソワさんより弱いと思うかな~」


 後ろ手に腰を曲げたニーナが、フランソワの顔を窺う。


「少し甘く見ていたようですね。ですが、戦いはこれからです」


 右手の指をへし折られても、フランソワは一切の痛みを感じていなかった。LV6の戦技『心頭滅却』で痛覚を遮断しているのだ。


「う~ん、もう終わりなんだけど」

「なにをば――か、身体がっ」


 すでにフランソワの身体は、ニーナが創り出した魔力の糸で拘束されていた。


「いつですか」

「最初からだよ」

「そんな真似は不可能です。

 私や私の部下たちに気づかれずに『聖技』や『聖光糸編せいこうしへん』を仕掛けるなど」

「聖者派は『聖技』、聖女派は『聖光糸編せいこうしへん』って呼ぶけど、本当は違うんだよね」

「なにが違うのですか」

「これね。『綾取り』って言うんだよ。

 フランソワさんも、本当は知ってるでしょ?

 それを教えてもらっておいて、自分たちが編み出したみたいに、ほんっとジャーダルク人は薄汚いよね」


 魔力の糸に拘束され、麻痺の状態異常によって、口だけしか動かない男たちが――

 厳しい訓練によって肉体も精神も鍛え上げられた男たちが――

 並大抵のことでは揺るがぬその男たちが感情を露わにして叫んだ。


「い……異端者めっ! 黒き聖女シノミ――びゃっ」

「貴様、イモータリッティー教団の異端者か!! サク――ぱぁ!?」

 男たちの口が縦に、横に斬り裂かれる。


「ごめ~ん」


 申し訳なさそうに男たちへ、ニーナが謝るのだが。その手には黒い刃のダガー、黒竜・爪が握られていた。


「でもね? 薄汚いジャーダルク人が、気安く、馴れ馴れしく、その名を呼ばないでほしいな」


 男の腹部へ、ニーナの黒竜・爪の刃が抵抗もなく、吸い込まれるように入っていく。


「がっ……お、おの……れっ!」

「あ~あ、お腹に力を入れないほうがいいのに」


 刃を横に引かれた男の腹部から、腹圧によって臓物が零れ落ちる。


「ぐっ、い……いたんひゃがっ……」

「ほら、言ったのに~」


 フランソワと同じく戦技『心頭滅却』によって、痛みを感じないはずの男が、苦痛に顔を歪めていた。


「おかしいね? イリガミットを信仰するあなたたちへ、こんなに酷いことをしてるのに、私に天罰が下されないなんて。

 もしかしてイリガミットなんて神様は、いないんじゃないのかな?」

「ぎ、ぎざまっ!! ぎゃああああっ」


 別の男の腹部へ、ニーナが何度も黒竜・爪を突き刺す。


「それとも~、いるけど無能な神様なのかな? そんなのいてもいなくても一緒だし、役立たずなだけで邪魔だよね」

「ゆ゛、ゆ゛るざんぞっ!! でぇ、でぇんばひゅがっ!!」


 口が裂けて上手く喋れない男が、憎悪のこもった目で睨みつけるが、ニーナは意に介さない。そして、次々と男たちをできるだけ苦しむように拷問していく。


「フランソワさん、こ~んなにイリガミットのことを馬鹿にしてるのに、なにも起こらないね。やっぱり神様なんていないんだよ」

「あなたはっ」

「認める?」


 ニーナの問いかけに、フランソワは無言で返答する。


「まだわかんないのかな? 仕方がないな~」


 ニーナが黒竜・爪を振るうと、フランソワの衣服が斬り裂かれて、素肌が露わになる。

 さらに、ニーナは黒竜・爪で、フランソワの四肢の根本を円を描くように斬り刻んだ。


「いっくよ~」


 黒竜・爪を鞘に納めたニーナが、指をフランソワの右肩の傷口にめり込ませる。


「やめなさい」


 これからなにが起こるのか理解したフランソワが、平静のままニーナに止めるよう告げるが。


「そ~れっ!」


 ニーナが力を入れて皮膚を一気に引き剥がす。すると、フランソワの右肩のつけ根から手首にかけての皮膚が、べりべりっ、と激しい音を立てながら引き剥がされた。

 桃色の肌が姿を覗かせ、破れた服の袖のように、フランソワの右手首からだらしなく皮膚が垂れ下がる。


「――ぁ……っ!?」


 久しく感じることのなかった感覚に、フランソワが混乱する。


「ズルはダメだからね? 痛みを消すなんて許さないから」


 そう言いながら、ニーナは次にフランソワの左肩に指をかける。


「やめ……やめ――ひっ!? ぎゃあ゛あ゛あ゛あああーっ!!」


 皮膚を一気に剥がされる激痛に、フランソワが悶絶する。しかし、ニーナはフランソワの手の爪を剥がして、気絶から覚醒させる。


「まだ足も残ってるんだから、がんばってよ。早くイリガミットが助けてくれるといいね?」


 ニーナはフランソワに笑みを向ける。


「やめ゛――がはあ゛っ!? い、異端者めっ!! が、がみの、神の裁きがっ……い゛やだっ……! もうやめで……がみを、だすげ――ぎゃああああっぁぁぁ……!!」


 森の中にフランソワの悲鳴が響き渡る。

 どれほどの時間を費やしたのか。ニーナがすべてを終えると、辺りは血の海と化していた。


「やっぱり神様なんていないんだよ」


 誰に向かって呟いたのか。

 血の海に佇むニーナの言葉に答える者は誰もいない。

 真っ赤に染まった自分の手を見つめていたニーナが、ふと視線をそらすと、そこには――


 “二兎を追う者は一兎をも得ず”だよ。


 腰に手を当て、少し怒っているような黒髪の少女の幻影が、ニーナにそう告げた。


「そんなのわかってるよ……サクラ」




『……の…………てる…………クラ』


 小さな虫から、掠れた声が聞こえた。


「むぅ……。やはりこれだけ離れていると、精度がいまいちですな」


 咲き乱れる花の中、ビクトルは残念そうに呟いた。


「では、もっと近づけばいいのでは?」

「それは名案と言いたいところですが、止めておきましょう」

「私がお護りするのでは不安でしょうか?」


 『ハーメルン八闘士』の一人、ダリボルが不服そうにビクトルへ尋ねる。


「そう拗ねない。そもそも私に、あなたのような戦闘職の強さなどわかるわけがないでしょう」

「ならどうしてです?」

「強さはわかりませんが、勘が告げるのです。これ以上は近づかないほうがいいと。

 私のような無害な男が、どうして悪鬼羅刹が蔓延る王侯貴族を相手にして、生き残ってこれたかわかりますか?」


 「どこの誰が無害なんですか?」とは、ダリボルは尋ねなかった。


「自分の勘に従ったからです。自慢ではありませんが、これまでに外れたことはありません」

「そうですか」

「そうなんです。

 それより王都へ戻りましょうか。これから忙しくなりますよ。なにせ、今まで進出できなかった王都に、ハーメルンの支部を作るんですからね。ベンジャミン様もきっとお喜びになられますよ」

「バリューは放置してよろしいので?」

「バリュー? ああ、あの人ですか」


 ビクトルの言い方は、まるでバリューがすでに過去の人でもあるかのようであった。


「まさか私に刺客を差し向けるだなんて、悲しいですな」


 悲しそうにビクトルは花を見ながら呟く。

 その花が咲き乱れている場所は、大地ではない。目を凝らせば、花が死体から生えているのがわかるだろう。

 ビクトルやダリボルの周囲には何十もの死体が転がっていた。そして、その死体からは無数の花が咲き乱れていた。




「どこに行ってたんだよ? 待ってたんだぞ」


 宿の一室で、戻ってきたニーナをユウが出迎える。


「ごめ~ん。ちょっと王都を観光してたの」

「それで俺が渡した小遣いは使い切ったんだろうな?」

「え? その、それは、えへへ~」


 笑って誤魔化すニーナを、ユウは呆れた目で見る。


「……私は使い切った」


 レナが自信満々に、ない胸を張ってニーナとマリファに告げる。


「あんな大金を使い切るだなんて、なにに使ったんですか」

「……お世話になっている人へのお土産」

「レ、レナがっ!?」


 思っても見なかった常識的なレナの発言に、マリファとニーナが驚く。


「……失礼」

「ごめんってば」

「普段の行いを思えば、驚くのも当然です」

「ちゃんとしてたのはレナだけかよ」


 ユウの言葉に、マリファが悔しそうにする。それをレナが下から覗き込む。レナの旋毛のアホ毛が、マリファを挑発するようにクルクル回転する。


「それなら俺もお世話になってる人たちに土産を買うから、今日中に終わらせるぞ」

「きっと子どもたちの分も買うんだよ~。あいたっ、なんで叩くの?」

 孤児院や島の子どもたちに、山のように土産を買うんだと、ニヤニヤしながらツッコんだニーナの頭を、ユウが軽く小突く。


「余計な口を利くな」

「お買い物が終わったら、王都観光をするんだよね?」

「いいや」


 その言葉に、ニーナが嫌な予感がする。


「喜べ、終わったら『悪魔の牢獄』で死ぬほど鍛えてやる」

「ええ~!?」

「……望むところ」

「ご期待に応えてみせます」


 王都で思う存分に遊ぶつもりだったニーナが、震えながらユウに尋ねる。


「ど、どれくらいかな?」

「四十日くらいかな」

「ぎゃふんっ」


 あまりのショックに倒れたニーナを、マリファとレナが慌てて受け止めた。




「なん……だ? どういうことだこれはっ!!」


 屋敷の一室で、バリューが怒りを露わにする。


「なぜお前たちしかいないのだっ!! バグジーはどうした? 各クランの盟主たちは? 私の兵や傭兵の者たちは? どこなのだっ!! 答えぬかっ!!」


 怒りのあまり、バリューはテーブルをひっくり返す。


「バリュー様、お怒りをしずめてください」

「これが怒らずにいられるかっ!! 貴様、バグジーのとこに向かったのではないのか!!」


 執事の男が、バリューに恫喝されて身体を縮ませる。


「は、はい。バグジー様のもとへ向かいましたが……」

「ならどうしてここに、姿を現さないのだ!!」

「ご、ご不在でした」

「不在? あの馬鹿息子はなにをやっておる! それなら他の者がいただろ。そんなことまで指示せねばわからぬのかっ!」

「い……いませんでした」

「だから、それ――いなかったとは誰のことを言っておる?」


 身体を震わせる執事に、バリューはなにかがおかしいと気づき始める。


「バグジー様も、他の幹部の方もっ、それ以外の者もっ! ローレンスの者たちは誰一人としていませんでしたっ!!」


 顔を青ざめさせながら執事が叫んだ。


「誰も……? 一人も……なのか?」

「はいっ……一人も見当たりませんでした」

「ば、馬鹿なっ。何人いると思っているのだ……っ。お……お前っ、冒険者ギルドに向かったのだろう? クランの盟主たちはどうした?」

「バリュー様の指示ではなかったのですか?」

「なにを言っておる。私にわかるように説明せぬか!」

「はっ! も、申し訳ございません。冒険者たちですが、現在カマーに向かっています」

「カマー……? なぜだ。なぜカマーに向かっておる」

「私はバリュー様のご指示かと思っていました」

「知らぬ! そんな指示は出しておらんぞっ!! すぐに呼び戻さぬか!!」

「すでに王都を発って数日は経過しております。ご存知の通り、冒険者たちには通信の魔導具を持たせていないので、今から早馬で追いかけても、追いつくのは彼らがカマー到着後になるかと」


 どっと疲れが噴き出し、バリューは倒れるようにソファーに座り込んだ。


「わ……私の私兵や傭兵たちはどうした?」


 残る最後の従者へ、バリューが問いかける。


「連絡は取れました」

「お……おおっ。そうか! よくやったぞ!! で、なぜこの場にいないのだ?」

「隊長以上の者たちが姿を消しているようで、彼らも身動きが取れないとのことです」

「意味がわからぬ。その者たちは――」

「ご、ご主人様っ!!」


 そのとき、部屋へ侍女の一人が飛び込むように入ってきた。


「なんですか、騒々しい! バリュー様の前ですよ」

「で、ですがっ。へ……塀にっ! と……とにかく、見ていただければっ!! いいえっ!! ここからでもお見えになられるかとっ!!」


 尋常ではない侍女の慌てかたに、バリューはソファーから立ち上がり、窓へ向かう。

 バリューたちがいる部屋は、屋敷の二階である。ここからなら、窓を通して塀を見下ろすことができるのだ。


「ひっ……」


 窓から塀の上を見るなり、バリューは悲鳴を上げた。

 塀の上にはいつから置いてあったのか、生首が綺麗に並べられていた。


「だ……誰の仕業だっ!!」

「ま、待ってください。あの顔に見覚えがあります。傭兵の隊長をしていた者です」

「あちらはバリュー様の私兵だ。話したことがある」


 塀の上に並べられていた生首は、バリューの私兵や傭兵の隊長格以上の者たちであった。


 真っ青になったバリューが、執事や従者に向かって叫ぶ。


「だ……誰でもいい! 金は払う! 腕の立つ者を雇うのだ!! それで、いっ、一刻も早くサトウを、サトウを殺すのだっ!!

 なにをしておる! 早く行かぬかっ!!」

「は、はいっ!!」


 この日より、バリューはなにかに怯えるように部屋へ閉じこもる。だが、ユウへの賠償金の支払いだけは自らの手と足で行わなければならず、護衛に囲まれながら冒険者ギルドへ向かう姿が、多くの人々によって目撃されるのであった。

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