第260話 叙勲式 後編

 玉座に座るウードン王の前に跪くバリューは、蛇に睨まれた蛙のように身体を強張らせた。


「へ、陛下、このような事態になり心中お察し申し上げます。ですが、ご安心ください。

 このバリューが責任をもってあの者を、ユウ・サトウを正しき道へと――」


 いつもと明らかに違う雰囲気を漂わせるウードン王に、バリューは言い訳するかのように言葉を並べ立てる。

 周りの貴族たちも、なにか様子がおかしいことに気づき始める。


「私の気持ちがわかるのかね?」


 顎に手を当てながら、ウードン王はバリューの目を覗き込む。


「ノクス家は代々ウードン王国――いえ、王家へ仕えてきた一族です。王家に対する忠誠心は、数多いる貴族の中でも並ぶ者はいないと自負しております。だからこそ、今の陛下のお気持ちがわかります。

 よりにもよってこのような日に……私がもっと早く動いていればっ……このような事態にはさせなかったのに。

 ご覧ください。この罪状の数々をっ」


 いかにユウが大罪人であるかを強調するかのように、バリューは懐のアイテムポーチから取り出した書面をウードン王に見せつける。

 これらは予めバリューがユウを陥れるために捏造した罪状で、法を司る貴族院が正式に書面へ記載された罪状を認める印が押されていた。


「バリュー財務大臣が作らせたモノ・・・・・・だね」


 ウードン王の言葉に、バリューの心臓が跳ね上がる。

 バリューが用意した書面は、貴族院の書面担当官を脅して作らせたモノである。


(まさか……口を割ったのかっ!? そんなはずはない。そのような真似をすれば、自分の命がどうなるかはわかっているはずだ)


「なかなか手の込んだ書面じゃないか。

 ああ、貴族院とは話がついているんだよ。

 書面担当官のルートガーくんだったかな。なに、少し遊戯をしながらお喋りをしたら、すぐにバリュー財務大臣に脅されていることを教えてくれたよ。ただ、どうしたわけか彼、遊戯の最中に自害したんだけどね」

「私が、この私が罪を捏造したとでも仰るのですか? このユウ・サトウが犯した罪の数々は事実です! 現に冒険者ギルドへ納めるべき金を脱税しているのは、あちらにいるテンカッシ冒険者ギルドの長であるカールハインツ殿や都市カマー冒険者ギルドの長であるモーフィス殿も認めています!!」

「そうなのかね?」


 バリューに手を向けられ、ウードン王から問いかけるような視線を向けられたカールハインツは、どこか楽しそうな雰囲気を醸し出していた。

「陛下。このカールハインツ、そのような話は初めて耳にしました」

「右に同じく」


 跪いてそう答えるモーフィスたちを、信じられないといった目でバリューが睨みつけた。


「き、貴様っ! なにを申しておるか!! 私の屋敷で言ったであろうが、ユウ・サトウが不正に利益を得て脱税していると!!」

「なんのお話ですかな。どうやらバリュー財務大臣は興奮して支離滅裂なご様子です。

 Aランク・・・・冒険者のユウ・サトウについてですが、こちらに御座す貴族の皆様もご存知のとおり、高位冒険者には庶民では考えられないような権利や税について様々な優遇が与えられます。その中でもAランクからは税の先納が認められています。もっとも、その法外な税額にほとんどのAランク以上の冒険者は利用しませんが、モーフィス」

「ユウ・サトウはAランク冒険者の権利を行使し、税の先納を利用してすでに税金を冒険者ギルドへ納めています。脱税など一切しておりませんな」


 カールハインツに続いて、モーフィスが補足して説明をする。


「待て……待たぬか! そんな話、私は聞いていないぞっ!?」


 モーフィスたちを指差しながら、バリューが怒鳴るように問い質す。


「冒険者の個人情報はレーム連合国と冒険者ギルドの間で結んだ約定により護られております。なにゆえ相手が一国の財務大臣とはいえ、全冒険者ギルドの長である私が、冒険者の個人情報を漏らすのですか?」

「ふぎっ……! そ、そもそもユウ・サトウはBランク冒険者ではないかっ!!」

「Aランクの冒険者カードの作成が間に合っていないだけで、ユウ・サトウはれっきとしたAランク冒険者です。それは私と、こちらの都市カマー冒険者ギルド長のモーフィスが保証します」


 こめかみに青筋を立てたバリューが、今にもモーフィスたちへ殴りかからんばかりの表情であるが、ここは王城の謁見の間で王の御前であることを思い出し、荒ぶる感情を無理矢理に抑えつける。


「バリュー財務大臣、君は上手く冒険者ギルドへ根回しすることができなかったようだね」

「なっ、なにを仰るのですか陛下っ!? 宰相殿、どうやら陛下はあまりの出来事に心乱されているご様子。

 この場は私に任せて、一刻も早く陛下を王宮へお連れしていただけますかな。さあ、早くっ。なにをしておられるのです!」

「いつもと変わりませんよ」


 冷徹な目を向ける宰相ボールズへ、バリューが「なにを馬鹿なことをっ」と呟く。


「そんなはずはない。現にっ、普段は寡黙な陛下が、これほど饒舌ではないか」

「ですから、陛下は普段から饒舌な御方です」


 ゆっくりとバリューは、視線をボールズからウードン王へと動かす。そこには、いつもと変わらぬ姿で微笑むウードン王の姿があった。

 だが、その姿から受ける印象は大きく違った。

 寡黙で、常に微笑みを絶やさず、なにを言っても頷くだけの愚鈍な男――それがウードン王クレーメンス・クラウ・ニング・バルヒェットであったはず。

 それが――――


「あっ……ああ……へ、陛下っ」


 なにか言葉を発しようとするバリューに向かって、默まるようにとウードン王は人差し指を自分の口に当てた。


「そんな顔をしないでほしい。

 私だって悲しいんだよ。

 考えてみてくれたまえ、時間をかけて楽しみに育てていた作物を、さあ収穫しようとしたら、横から掻っ攫われる。楽しみにしていた玩具で遊ぼうとしていたのに、すでに玩具は壊されていたかのような。

 そんな悲しみで声を上げて泣き叫びたいような、そう慟哭するような気持ちなんだ。

 本当ならこんなことになる前に、もっと早く君と遊んでいるはずだったんだ。

 それをワイアット伯爵が邪魔をした。半信半疑とはいえ、君はワイアット伯爵の謀反に疑問を抱き、私の存在に、思惑に気づいた。

 それによって、これまで以上に狡猾に深く潜って動き回るようになったのだが、それゆえに勢力拡大が鈍化してしまった。

 それがなければ、今頃はいい暇つぶしの相手になっていただろうに、残念だ。本当に残念だよ。

 レーム大陸全体から見ればマイナスでしかないが、ウードン王国に生きる民の犠牲が減ったのだから、ワイアット伯爵の思惑どおりだろうね。彼は今頃、あの世で高笑いしているだろう」


 生簀で餌をねだる魚のように、バリューが口をぱくぱくさせてなにか言おうとするのだが、言葉が上手く出てこないようだ。

 そんなバリューに興味を失ったかのように、ウードン王は玉座から立ち上がると。


「私の友を紹介したい」


 その言葉に、ユウの顔が不愉快そうに歪む。

 貴族たちはウードン王の変わりように、いまだ事態が飲み込めておらず、頭の処理が追いつかないでいた。


「そこにいるユウ・サトウだ。

 私の友にして、ネームレス王国の王。

 そしてウードン王国と対等の同盟国でもある。

 この場にいる者たちに、紹介が遅れてしまったことを謝罪したい」


 ウードン王国と対等の同盟国、さらにその国の王。

 散々ユウに向かって口汚く罵っていた貴族たちの顔が青くなっていく。

 同じくユウが一国の王に、さらにはウードン王国と同盟を結んでいたことを知らなかったモーフィスたちも驚きを隠せなかった。


「私は……陛下っ、私はそのような話はなにも聞いていませんぞっ!!」


 フェーチ侯爵が声を振り絞るかのように、ウードン王へ詰問するが。


「それはそうだろう。相談していないのだから。

 それともなにかな? 王である私が、バリュー財務大臣やフェーチ侯爵へ、なにかする度にお伺いしないといけないのかね」

「そ、それはっ……! し、しかし、このような国家の運営を左右するような重大な政を、陛下お一人でお決めになられるのは……!!」

「知らせるのを遅れたことは謝罪したじゃないか。

 それよりも大変なことになったね」


 他人事のようにウードン王は、ボールズへ話しかける。


「知らぬこととはいえ、ウードン王国と対等の同盟を結んだ国の王に対して、あのような物言いをするとは……こういった場合は、どのような罪に問われるのかな、ボールズくん」

「知らなかったでは済まされないでしょうな。死罪とはいかぬまでも、よくて降格でしょう。私は伯爵以下の爵位は剥奪で、侯爵は男爵へ降格が妥当かと思います」


 無慈悲な宰相ボールズの言葉に、貴族たちから悲鳴が上がる。


「このような横暴が許されるはずがないっ!!」

「そ、そうだ! 我が一族も黙ってはいませんぞっ!」

「陛下っ、どうかお慈悲を!」


 「私に慈悲を乞うてどうするのかね」と、ウードン王はユウを見ながら、困ったものだねと言いたげに首を横に振る。


「そうそう。私とネームレス王が知り合ったのは、彼がある物を探していたのがきっかけでね。

 どうやらウードン王国にあるのはわかっているらしいんだ。そのある物を探すのを協力してほしいと、ネームレス王から助力を頼まれたんだよ」


 バリューが自分の胸を、懐に仕舞ってあるアイテムポーチを押さえつけるように、手を押し当てた。


「バリュー財務大臣、なにか知っていないかな?」

「な……なぜ……私にっ」

「ウードン王国のことなら君に聞くのが一番だろう。

 ああ、そのある物とは聞いて驚かないでほしい。なんと時知らずのアイテムポーチなんだ。ネームレス王国の国宝で、それがこともあろうにウードン王国の領内で盗まれてしまった。同盟国としては、是非とも協力するのが、当然だとは思わないかね?」

「お……思います」

「もう一度、聞こう。時知らずのアイテムポーチについて、なにか知らないかね?」


 身体を小刻みに震わせ、真っ青になったバリューは、ユウに懇願するかのように顔を向ける。


「もう茶番はいいだろう。

 俺の時知らずのアイテムポーチには、盗難対策としていくつかの機能をつけている。お前の抱えるボンクラ錬金術師どもじゃ気づかなかっただろ?」


 右腕をバリューに向かってユウは伸ばすと、魔力を込める。すると、バリューの胸元が青白く光り始めた。


「っ!? ち、違うっ!! これはなにかの間違いだ!!」

「ごちゃごちゃ言わずに出せよ」


 周りへ自らの無実を叫ぶバリューへ、ユウが一喝する。

 震える手でバリューが胸元から魚の刺繍が入ったアイテムポーチを取り出す。


「こ……これは、私があるところから手に入れた物ですが、確かにっ、これは時知らずのアイテムポーチですが、これがっ! その者――ネ、ネームレス王の物だと誰が証明できるのですっ!!」


 この期に及んで、バリューは見苦しい言い訳を述べる。


「裏返してみろ。

 そのアイテムポーチを裏返してみろと言ってるんだ」

「はっ? だ、誰に物を言っ――ぐっ」


 最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。

 すでにユウがウードン王国と対等の同盟国の王であると知った以上は、バリューこそ言葉遣いに細心の注意を払わねばいけない立場なのだ。


(馬鹿めっ! 貴様の名が入った刺繍など、とうに……)


 バリューが恐る恐るアイテムポーチを裏返すと。


「ぎゃあっ!? そ、そんなはずはないっ! 私は刺繍を抜き取ったんだ!! はがぁっ!? ち、違うっ、今のは、つい言葉の綾でつい出ただけなんだっ!」


 裏返したアイテムポーチには、青白い光でユウ・サトウと表示されていた。

 唾を飛び散らしながら、バリューは必死の形相で訴えかけるが、誰も助けられる者はいない。

 あのフランソワですら、どうすることもできないこの事態に、顔に動揺こそ浮かばせないものの、動けずにいた。


「これは驚いた。

 ネームレス王が探していた国宝を、まさか私の国の貴族が、それも国の重責を担う財務大臣の役職に就く者が盗んでいたとは」


 ほとんど棒読みのような一切の感情が込められていない言葉を述べながら、ウードン王は紙の束を取り出す。

 その紙の束は、昨日ユウから渡された物である。


「話はこれだけでは済まない。

 ネームレス王が時知らずのアイテムポーチを探す際に、ウードン王国で悪事を働く不届き者たちを見つけてくれたようでね。

 この書面には、多くの貴族が関わっている犯罪の証拠とその拠点とされている場所が記されている。

 そして残念ながら、この場にいるすべての貴族が、これらの犯罪に深く関わっているようだ。なになに、ふふっ。これによるとフェーチ侯爵、君は植物を煮詰めてできる粉末がとても好きなようだ。ソスピーロ子爵は他種族の年端も行かぬ子どもを好むか」

「陛下っ! そのような姦詐に惑わされてはいけませんぞっ!」

「いかにも!! これはネームレス王国とやらが、ウードン王国を陥れるための謀計に違いありません!!」

「長年ウードン王国に仕える我らと、そこのどこの馬の骨かもわからぬ者の言うこと、どちらが信に置けるというのですかっ!!」


 ここを凌がなければ貴族としての地位どころか、すべてを失うだけにどの貴族も必死にウードン王へ訴えかける。


「連れてきなさい」

「はっ! 直ちに」


 ウードン王の命を受けて、近衛の一人が玉座の裏手に控えていたある者を連れてくる。


「ピ……ピーターリットっ!? き、貴様、ここでなにをしておるっ!!」


 自分の配下であるピーターリットの登場に、バリューが目を見開く。


「ピーターリットくん、このネームレス王の渡してくれた書面に偽りの箇所はあるかね?」

「いいえ! 陛下、そちらの書面に記載されている数々の悪事はすべて真実ですっ!! ウードン王国に忠誠を誓うピーターリット・モルデロン・パスレの名に懸けて、この場にいる貴族たちの罪を告発します!」

「なにを言うかっ!」

「爵位も持たぬ四男坊がっ!!」

「兵はなにをやっている! 早くあの男を黙らせろ!!」


 貴族たちの罵りを受けても、ピーターリットは言葉を翻すことはなかった。ただ、怯えるようにユウの顔色を窺った。


「陛下、ご覧のように場は非常に混乱しております。しからば、改めて事の真偽を確かめるのがよいかと、提案させていただきます」


 フェーチ侯爵の言葉に、貴族たちが口々に「それがいい!」と騒ぎ立てるが。


「それには及ばない。

 私だって長年ウードン王国に仕えてきた、君たちがここに記されているような犯罪に手を染めているとは思えない」

「おおっ……。さすがは陛下――」

「だからグリフレッドくんやパラムくんたちが兵を率いて、今頃はこの書面に記されている君たちの領内の数百箇所の拠点と屋敷に踏み込んでいるだろう。

 安心してくれたまえ、私は君たちのことを信じている。この捜査はきっと無駄骨に終わるだろう」


 希望を見出した貴族たちの顔が、一瞬にして絶望の色に染まった。


「きゅ、急用を思い出したので、私はこれにて失礼する!」

「ソ、ソスピーロ子爵っ、ご自分だけ逃げるおつもりですかっ!」

「なにを言っておるかっ!」


 青い顔のまま、ソスピーロ子爵が早歩きで謁見の間の出口へ向かうのだが。


「退かぬかっ!」


 扉の前にはウードン五騎士『首切り』ガレスが塞ぐように立っていた。

 ソスピーロ子爵の言葉が耳に届いていないかのように、ガレスは無視して立っている。業を煮やしたソスピーロ子爵が無理やりガレスを押し退けようとしたそのとき――


「…………へがっ?」


 ガレスは躊躇なくソスピーロ子爵の首を刎ねた。その首が床に転がり、間抜けな声を漏らした。


「陛下は退出の許可を出しておらぬ。無礼者がっ」


 首を刎ねたにもかかわらず、一滴の血すらついていない天魔ゴルラァ・ヴァの戦斧をガレスが一度振うと、その戦斧が巻き起こす風がバリューの頬にまで届いた。

 バリューの護衛を務めるガレスが、派閥のソスピーロ子爵の首を刎ねたことを理解できない貴族たちが唖然とするなか。

 あらゆる悪事に手を染め、人を利用し続けてきたバリューはいち早くそのことに気づく。


「いつからだっ」

「いつからとは?」

「とぼけるな! いつから私を裏切っていたっ!!」


 先ほどまで放心していたバリューは、ピーターリットに続く裏切り者の出現に、怒りに身体を震わせていた。


「これは異なことを仰る。私の忠誠は陛下に捧げている。それを裏切るなどと、人聞きの悪い」

「き、貴様の村を、貧しい農村を誰が救ってやったと思っている!」

「農村? ああ……あれのことですかな」


 バリューの言葉に首を傾げていたガレスは、ようやく思い出したのか、ニヤリと笑みを浮かべる。その表情だけで、バリューはすべてを悟った。


「い……偽りであったのか」

「急拵えで心配だったが、バリュー財務大臣を騙せていたようで一安心だよ」


 ガレスに代わってウードン王が、バリューの疑問に答えた。


「さあ、もう化かし合いは十分だろう。連れていきなさい」

「はっ!!」

「そうそう、バリュー財務大臣を除いてね」


 ウードン王の言葉に、近衛たちが貴族たちを取り押さえていく。王城では貴族といえども、許可なく武器を身につけることは許されない。剣や槍を持つ近衛たちに、魔法で対抗しようとする貴族もいたのだが。


「ぐあっ!?」

「抵抗する際は殺してもよいと、陛下より命じられています」


 近衛の一人が、魔法を発動させようとしたダウトォワム男爵の太腿を、容赦なく槍で貫いた。その光景を目にして、抵抗する貴族は皆無となる。




「へ、陛下! 何卒お許しを! お慈悲をっ!!」


 派閥の貴族たちが連行されるのに合わせて、モーフィスや文官に一般兵たちも半ば強制的に退出させられていた。なぜかウードン王は文官の一人であるフランソワだけは、その場に残るよう命じていた。

 現在、謁見の間に残されたバリューはウードン王に向かって跪き、頭を床に擦りつけている。その横に立っているユウが、バリューを嘲笑うかのように見下ろしていた。


「何卒っ!! ウードン王国の建国より尽くしてきたノクス家の功績を考慮し、お慈悲をっ!!」

「ふふふっ。私に言われても困るんだよ」


 頭を下げたまま、バリューがなにやら小声で呟く。なにを言っているのか『聴覚上昇』の固有スキルを持つユウには聞こえていたのだが、バリューの傍で屈むと。


「い、いくらだ? いくら払えばいいっ? 貴様が望むだけの金額をっ……し、支払ってやる! だから、貴様が陛下と私の間に入って執り成せ。文句はないだろう? 好きなだけ金が手に入るのだっ」


 急激に血が、体温が、ユウは下がっていくのを感じる。今まで屑と呼ぶに相応しい者たちを数多く見てきたユウであったが、このような事態になっても、まだ自分の保身を考えるバリューの浅ましさに、怒りを通り越して熱が冷めていったのだ。


「自分の立場をわかって言葉を選べよ、塵が」


 床に頭を擦りつけるバリューの頭部に、ユウの足が乗せられる。


「ぎ、貴様っ!! 貴族……選ばれし、尊き、高貴な血を持つ、私の頭にっ! 薄汚い平民の足を……っ!!」

「死ぬか?」


 煮沸するかと思うほど熱くなったバリューの血が、一瞬で凍りついたかのように冷めていき、精神性発汗による汗が手や足の裏、さらに脇から全身に渡って滲み出る。


「お、お許しをっ!! どうかお慈悲をっ!!」


 慌てて、先ほどよりも強く額を床に擦りつけて、バリューは許しを請う。


「普通なら憐れと思うんだろうな。もっとも古い名家で、大貴族と謳われるノクス家の当主が、こんな無様な姿を晒してるんだからな」

「ぐぎぎっ……!!」


 あまりの屈辱に、歯を食いしばるバリューの口元から血が滲み、床に血が滴り落ちる。


「だけど、お前に関してはまったく思わないな。まあいいや」


 ユウが宰相ボールズへ目で合図すると、事前に用意していた書類を台座に載せて持ってくる。


「本来であれば、あなたのしてきた数々の犯罪は、ウードン王国の法に照らし合わせれば、極刑以外はありえません。が、こちらのネームレス王はこうなることを見越していたようで、あなたに謝罪と生き残る機会を与えるそうです」

「謝罪…………生き残る機会……?」


 ボールズの言葉に、恐る恐るバリューが顔を上げる。


「こちらの書類には、私が契約魔法を込めています。あなたもよくご存知のように、私の契約魔法を破ることは死を意味します」


 ボールズから書類の説明を受けながらも、バリューの頭の中では笑いが止まらなかった。

 あの状況で、まず間違いなく死刑はまぬがれないとおもっていたところを、爵位剥奪すら回避できたのだ。バリューが笑いたくなるのも無理はないだろう。


(見ろっ! どれだけ罵ろうが、この国には私が必要なのだ!! 必ず私は再起してみせる。そして、私を裏切った者たちに報いを受けさせてやる!!)


 思わず緩みそうになる頬に力を入れて、バリューは書類の文面に目を通していく。


 一つ、ユウ・サトウ及びバリュー・ヴォルィ・ノクスは互いに手を出さないことをここに誓う。以後、ユウ・サトウを甲、バリュー・ヴォルィ・ノクスを乙と記す。


 一つ、乙は謝罪としてチェス盤のマスを合計した数を償いの期間とし、一日目は一マドカ、二日目は二マドカ、三日目は四マドカと順に増やしながら現金で、甲へ都市カマー冒険者ギルドを通じて賠償金を支払う。


 一つ、冒険者ギルドへは乙が賠償金を持参することとする。代理の者を通じての持参は禁止とする。


 このような箇条書きで、文面は続いていく。

 そして、最後に――


 一つ、この誓約書の内容を破った者は、苦痛に苛まれながら絶命し、相手へすべての資産を譲り渡すこととする。


「それでは問題なければ、双方こちらの誓約書にサインをし、そのあと親指に墨をつけて拇印を押してください」

「ま、待てっ!」


 淡々と作業のように進めるボールズへ、バリューが待ったをかける。

「なんですか?」


 ボールズの冷酷な目は「あなたにそのような権利があるとでも」と言いたげであった。


「いくつか確認したいことがある。まず、チェス盤の件はなんなのだ? それになぜ代理の者は不可なのだ」


 バリューの質問に答えたのは、ユウである。


「ウードン王はチェスで遊ぶのが好きらしいから、俺もチェスに絡めてお前で遊んでやることにしたんだ。

 チェスのマスは合計で六十四マス、つまりお前は六十四日かけて俺にせっせと賠償金を支払うんだよ」

「むう゛っ! こ、この程度の金額は即金で支払う!」

「お前は馬鹿か? 嫌がらせに決まってるだろうが、ここに記してあるとおり、毎日お前の足で冒険者ギルドに賠償金を支払いに行くんだよ」


 あまりの怒りに血管が切れたのではと、自分で錯覚するほどバリューは怒り狂っていた。しかし、ここで相手の挑発に乗るわけにはいかないだけに、顔だけは必死に平静を保とうとしていた。


「これ以上の質問がなけ――」

「待てっ! こ、この都市カマーの箇所を消してもらおうか。王都に住む私が、毎日カマーの冒険者ギルドまで足を運ぶのは無理に決まっているだろうがっ!」

「へえ、馬鹿のくせに引っかからなかったんだな」

(このクソガキがっ!!)

「では都市カマー冒険者ギルドの箇所を削り、冒険者ギルドへと修正します」


 ボールズが文面を修正し、書類にユウとバリューがサインをして、最後に親指に墨をつけて拇印を押す。


「これにて手続きは完了です」

「では私は失礼する」


 契約魔法が終えると、バリューは足早に謁見の間から去っていく。


「バリュー様――」

「フランソワくん」


 そのあとを追うフランソワを、ウードン王が呼び止めた。

 王城で働く文官の一人である自分の名を、ウードン王が知っていることを内心驚きながらも、フランソワは跪いてウードン王の言葉を待った。


「思えば、君とのつき合いも長いものだ。これが最後になると思うと悲しくなるね」


 ウードン王の言葉に、フランソワは顔にこそ出さぬものの、なにを言っているのだと心中で呟いた。

 自分が聖国ジャーダルクよりウードン王国へ潜り込んだのが、五年ほど前になる。そこから一年で王城勤務の文官になり、さらに一年かけてバリューに近づいたのだ。

 これまでにウードン王と直接話した機会などない。どこからつき合いが長いなどという言葉が出るのか疑問に思っていると。


「おや? 忘れたのかな、寂しいね。ほら、私がウードン王国の王位に就いて、諸国に挨拶回りしていたときだよ。ジャーダルクで、失礼。聖国ジャーダルクで私の案内を任されたのがフランソワくん、君だった」

 聖国ジャーダルクの諜報機関ブロソムの最高位である花びらペタルのフランソワは、戦技『恐無サイコ』で恐怖を感じない状態でなければ、鳥肌が立つのを押さえれなかっただろう。


(何十年前の話だと思っている。私がブロソムに所属したばかりの八つの頃の話だぞ。あれから顔も身体も大きく成長し、現在の見た目も年齢よりはるかに若く作り変えている)


 沈黙することしかフランソワにはできなかった。なにか言葉を話せば、すべてをウードン王に見透かされると思えたのだ。


「無事に生きて聖国ジャーダルクに帰ることができたなら、教王にクレーメンスがよろしく言っていたと伝えてくれたまえ」


 フランソワは返事も頷くこともせずに、ただ頭を垂れたまま謁見の間から退出した。




「あれでよろしかったので?」


 ボールズが尋ねるが、ユウは答えずに飛行帽弐式を脱いだ。そこにはいつの間に呼び寄せていたのか、モモが頭の上で寝そべっていた。


「どうだった?」


 頭の上に寝そべっているモモがユウの手のひらへ跳び移ると、ユウの問いかけにモモは肩を竦めて、首を横に振った。


「じゃあ、もう帰っていいぞ」


 そのあんまりなユウの言葉に、モモは頬を膨らませて再度ユウの頭へ跳び移ると、そのまま頭をペシペシと叩くのであった。

 モモからの抗議を甘んじて受け入れ、ユウは足元を見ながら「いてっ」と呟いた。




「直ちに呼び寄せるのだっ!!」


 王城の謁見の間から逃げるように屋敷へと戻ったバリューは、執事や従者たちを部屋に呼ぶなり、大声で叫んだ。

 「どなたを?」とは執事も従者も尋ねることはなかった。このように主であるバリューの機嫌が悪いときは、呼ぶ寄せる者は決まっていた。バリューの息子にして、王都の裏社会を支配する犯罪組織ローレンスのボスであるバグジー、バリューのいくつも抱える冒険者クランの盟主たち、そして私兵や傭兵たちの団長である。


「許さんぞっ!! この私に、高貴なる血を持つこの私に、あのような恥を掻かせよって!! 殺してやる……そうだ、皆殺しにしてやるっ!!」


 怒声を発しながらバリューがサーコートを脱ぎ捨てると、その肥えた身体は数十もの魔導具を身に着けていた。どれもオークションでもなかなかお目にかかれない逸品で『猛毒耐性』『誘惑耐性』『魅了耐性』『物理耐性』『斬撃耐性』『刺突耐性』『状態異常耐性』『即死耐性』『魔法耐性』『石化耐性』などの強力な耐性を誇る3級以上の魔導具ばかりであった。


「ばあぁかめーっ!! あのような数遊びに、私が引っかかるとでも思っていたのか! 貴様の思惑通りにはいかんぞっ! 時間などかけるものか、短期決戦だ! 一ヶ月以内に皆殺しにしてくれるわっ!!」

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