第257話 何者
聖暦三年、レーム大陸西方のとある国。
その国は五大国と比較すれば、領土・人口ともに小さく少ない国であった。だが、『死霊魔法』と『錬金術』に秀でており、その力を以て大国と同等の発言権を有していた。
また、その技術を惜しむことなく使用して、周辺の貧しい国々を積極的に支援するなど、小国でありながら六番目の大国と諸国からは称賛されていた。支持する国も多く、近い将来に大国の仲間入りするのではとも噂されていた。
だが、その素晴らしい国が戦火によって無残な姿へと変貌していた。
「こっちも追加だ」
真っ赤に染まったなにかを兵士が引きずっていた。
目を凝らしてみれば、それが老人の死体であることがわかるだろう。なぜ目を凝らさせねば老人だと判断できないのかというと、死体には無数の裂傷が刻まれていた。まるで牙や爪で切り裂かれたかのように、顔や胸に腕、脚と全身がズタズタである。
「これで全部か?」
うんざりしたかのように、兵の一人が尋ねる。
「そんなわけないだろ。小さな国とはいえ、民も含めて一国まるまるなんだぞ」
同僚の言葉にわかっていながら周囲を見渡した男は、その夥しい死体に驚くほど青ざめた顔になる。身体の震えが抑えきれぬのか、男は自分で自分を抱きしめた。
大地に横たわるのは、小さな子どもや女に男、老人に、この国の兵や騎士、赤児まで分け隔てなく死んでいた。その死に顔のほとんどが、「なぜ?」と問いかけているようであった。
十二万にもおよぶ死体を集めている兵の中に、驚くことにこの国の者は一人もいなかった。
おかしなことに、その死体を集めている兵たちが身に纏う武具は統一されていない。東の国によく見られる赤を基調とした鎧や、北国の青に金が混じった鎧や、南国の速度を重視した革鎧などである。兵科も歩兵から弓兵に魔法砲隊、騎兵やワイバーンに跨った竜騎士に中には従魔を従えた部隊など多種多様である。さらに兵の肌も、髪も、瞳の色も様々であった。
つまりこの場にいる総勢二十八万の軍勢は多国籍軍なのだ。それは軍の中に掲げられている軍旗を見れば、一目瞭然であった。
特に目立つのが五大国の軍旗で、その他は十ほどの属国の軍旗である。
「おい、見ろよ」
「どうした?」
「レイスだ」
黙々と死体を集めている兵の一人が、その作業をじっと見つめているレイスの存在に気づく。
「これだけ人が死んでるんだ。レイスくらい湧くさ」
「どうする。殺るか?」
男が剣の柄に手をかける。
「止めとけ。どうせなにもできやしない」
「だが、上からの命令は――」
「これ以上――」
口論する男たちを放って、周囲の者たちは死んだような顔で、黙々と死体を集めている。
どの者も目が虚ろで、次々と重ねられていく死体の山はさながら地獄の光景のようであった。
燃えている。
お気に入りだった花園が、城が、町が、すべて灰になっていく。
死んでいる。
民が、騎士が、兵が、皆がこの国を護るために死んでいった。
いつも厳しく怖かったけど優しかった兄や姉が、小言は多いけど、いつも優しかった爺やが、よく花の話をしてくれた庭師が、世話をしてくれた――、料理を――、皆が死んでいた。
「おい、見ろよ」
「どうした?」
「レイスだ」
遠くで男たちの声が聞こえるが、いまの
違う。もとから無力な私ではどうすることもできない。
自慢の髪も、肌も、声も、名前すら失った。
なんの力もない。
私は無力だ。
「あれが――みたいだぞっ」
「ああなっちゃ、――な身分もクソもねえな。あんな惨めな最期だけは迎えたくないもんだ」
「違いない」
大きな声が聞こえた。
大勢の男たちが、集まって行進している。
誇らしげに長い槍を何本も突き上げていた。
槍の穂先には――穂先には――には――
ああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――っ!!
や、槍の……槍の穂先には幾人もの生首が刺さっている。
どれもこれもズタズタに切り裂かれているが、どれほど無残な姿になろうとも、その顔だけは見間違えるはずがない。
――父と母だ。
大好きな父と母の……ああ゛っ……、な……生首を槍の穂先に突き刺し、雄叫びを上げながら男たちが行進している。
他の顔も知っている。
――だ。あれは――、そっちの顔は――だ。
アンデッドは痛みを感じない。
嘘だ。
なら、この張り裂けんばかりのこの胸の痛みは?
アンデッドに感情はない。
嘘だ。
次から次に溢れ出るこの感情をどう説明する?
殺したい。
父を母を、兄を姉を、爺やを、民を、皆をこのような目に遭わせた連中を許せない。
殺してやる。
たとえ何百年かかろうとも、必ずやり遂げてみせる。
同じように必ず殺してやる。
それが私の役目であり使命だ。
この怒りが時とともに風化しないよう。
いや、させるか。させてたまるものか。
いまから私の――
聖暦三年に起こったこの不幸な出来事を、忘れぬように各国が史書に記して残している。
それぞれの国が違った視点から書き記しているのだが、共通していることがあった。
それは――
“獣人の卑劣な裏切りによって、人族の慈愛に満ちた国が滅びた”
――である。
どういう思惑があったのか、この滅びた人族の国について詳細なことはどの史書にも記されていない。
この出来事を機に人族から獣人族への偏見が増していく。それは日増しに過激になっていき、獣人族のみならず、エルフやドワーフなどの他種族的偏見へと拡大していく。
同年、レーム大陸連盟は名称をレーム連合国へと変更する。同時に『死霊魔法』の個人での修得及び各種資料の保有を禁止し、文献などはすべて破棄するよう法律を制定した。
翌年、とある国が六番目の大国として、レーム連合国に承認される。この頃より、他種族を亜人と呼称する国々が増えていく。
聖暦八年、レーム連合国と複数の種族で構成された亜人の国『ミキシング』が戦争を開始する。
この戦争が人族と他種族との間に決定的な亀裂をもたらすことになる。
ある歴史家の史書にはこう記されている。
こう綴られた史書は複数の場所で散見されるが、レーム連合国によってすべて回収された。
『悪魔の牢獄』第七十七層。
この階層はAランク冒険者で構成されるパーティーでもたどり着くこと叶わぬ。まさに強者のみが生存することを許された魔境である。
これまで第七十七層まで存在することは冒険者ギルドが保管する資料によりわかっていたが、第七十四層に巣食う古龍マグラナルスの存在によって、誰も足を踏み入れたことがない階層と知られていた。その魔境に大賢者が佇んでいた。
大賢者の眼前には門――と呼んでいいのか迷うほど巨大な構築物がそびえていた。
「異常はないようじゃが……」
その門の高さは迷宮内で言うのもおかしいが、天に届かんばかりである。横幅は一キロにも及ぼうか。厚みは軽く二百メートルを超えている。
驚くことにこの門は裏側に回ってもなにもない。なんのためにこのような場所に、誰がどのような目的で造ったのかすら、冒険者ギルドですら把握していないのだ。
「あの小僧は『時空魔法』が使えたか……。ならば、向こう側に行くことは十分に可能か……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら大賢者は門を見上げていたのだが、ふわりと浮かび上がると、そのまま後方に倒れるように回転する。天と地が逆さになり、大賢者が大きな欠伸をした。
「ふあ~あぁぁ……。どこの誰かは知らんが、この儂を生意気にも監視するとは、相手が大賢者と知ってのことであろうな?」
ほんの一瞬とはいえ、その存在に気づけなかったことに対して、わずかばかりの怒気を帯びる。それを誤魔化すかのように、普段は完全にコントロールされている大賢者の魔力が、周囲へ拡がっていく。
「監視するなどと、我もその程度の身の程はわきまえています」
「ほーん、これは驚いたのう。このような場所でアンデッドが――むむっ!? お主は……生きておったかっ! いやはや、アンデッドに対して言うべきことではないのう」
「お久しぶりです、大賢者殿。
マスターと大賢者殿がお会いになれば、必ずこの場所に来ると思いまして、マスターに無理を言って連れてきていただきました」
「マスターとは、もしやあの小生意気な小僧のことか?」
「小生意気とは……いくら大賢者殿でも、お言葉が過ぎます」
「お主がそれほどまでに心酔しておるとはの。
それにしても、あのガジンとの戦いの余波で滅びたかと思うておったわ」
「なんの因果か、こうしていまも無様な姿を晒しております」
「この儂になにか用があるのなら申してみよ」
「ありがとうございます。
では早速用件に移らせていただきます。大賢者殿には、なにがあろうともマスターに手出ししないよう願いに参りました」
大賢者とラスが申し合わせたかのように黙り込む。互いに魔法を行使したわけでも魔力を解放したわけでもないにもかかわらず、奇妙な緊迫感が場に発生していた。
ふと明後日の方向を見ていた大賢者が、いたずらっ子のような顔をして魔力を解放していく。
「嫌じゃと言ったらどうする?」
大賢者の纏う魔力がラスへと押し寄せるが、ラスはその魔力を軽くいなして平然としている。
「大賢者殿が愛するウードン王国へ、暗黒魔法第9位階『
大賢者殿ならば、その名前から効果は推し量れるでしょう。いかに他を寄せつけぬ強大な魔力を保有する大賢者殿でも、数千万人を超えるウードン王国の民を救うことは不可能と断言できます」
大賢者から笑みが消え去り、魔力が攻撃的なモノへと変貌していく。
「そんな真似を儂がみすみす許すとでも?」
「いいえ」
「この場でお主を殺せば、なーんの問題もないと思うがの」
「それは叶いませぬ」
「ほーん、この儂を相手に勝てると申すか」
「先ほども申したとおり、身の程はわきまえています。大賢者殿に勝てるなどと思ってはいません。ですが、逃げるだけなら高い確率で成功するでしょう」
「おひょひょっ。それが身の程知らずと申しておる」
大賢者が杖を振り下ろすと同時に、天からラス目がけて無数の流星が降り注ぐ。それに対してラスは神聖魔法第8位階『神域結界』で、流星の軌道をそらして躱す。
軌道をそれた流星が大地を抉りながら、遠く離れた場所にいくつもの巨大なクレーターを穿つ。
「おひょ? この儂の放った黒魔法第8位階『メテオ』をしのぎよった。しかもアンデッドでありながら神聖魔法を使いよるか」
広範囲に影響を与える高位魔法を放っておきながら、空に浮かぶ大賢者は些かの疲れも見せぬどころか、楽しそうにクルクルと回転している。
一方のラスにそれほど余裕はない。現に先ほどラスが展開した『神域結界』は、大賢者の放った魔法によってすでに砕かれていた。
「ちと思い出したんじゃが、ここ二百年ほどローブ姿でレーム大陸中の指導者や素質ある者たちに、予言やら助言をしとる者がおるそうなんじゃ。巷では『放浪の救世主』『導く者』『傍観者』『観察者』などと大層な名で呼ばれておるそうなんじゃが。
そうそう。数十年ほど前にこの『悪魔の牢獄』の結界を壊した大馬鹿者がおったんじゃが、残念なことに取り逃がしてな? その者もローブ姿で顔を隠しておった。
お主、なにか知っとるか?」
「さあ、どうでしょうか。いくつかには心当たりがありますが」
油断なく杖を構えるラスとは対称的に、大賢者はふざけるようにゆらゆらと浮遊している。
「いくつかでも心当たりがあれば、滅ぼす理由として十分じゃ。ほれっ」
精霊魔法第9位階『プロミネンス』が発動。一万度を超える超高熱の火柱がラスもろとも天に向かって迸る。
「ぬうっ」
結界と氷の魔法を駆使するが、拮抗すらせずに火柱が結界を砕き、氷を蒸発させてラスを包み込む。
「のひょひょっ。いまのを耐えよるか」
ラスが身に纏うアークデーモンのローブから煙が立ち上る。
「考えて見れば、お主とのつき合いも長いものじゃ。初めて見たのは聖暦八十八年の第一次聖魔大戦のときじゃったか。思い返せば、その頃よりお主は暗躍しておったのかもしれんな。もっと早くに気づいて滅ぼしておくべきじゃった」
お手玉でもするかのように、次々と高位魔法が込められた球体が創られていき、大賢者の周りを高速で動き回る。
「いえ、それは違います」
「違う? なにがじゃ」
「最初にお会いしたのは、第一次聖魔大戦のときではございません」
傷ついた躯を高速で回復させながら、ラスが大賢者を見上げる。
「そうじゃったかの? 最近は物忘れが激しくていかんわい」
「無理もありません。
その頃の私はまだアンデッドになる前で、大賢者殿もいまとは違う名で呼ばれていました」
大賢者の身体がまるで時が止まったかのように固まり。次いで高速で動き回っていた球体も同様に動きを止める。
「その頃のあなたの額にはまだ『
感情が抜け落ちたかのような顔で、大賢者がラスを凝視していた。
「お主……いや、貴様っ……
「私もここでむざむざ滅びるわけにも捕まるわけにもいきません。どのような犠牲を払ってでも、成さねばならぬことがありますので」
ラスは手に持つ杖をアイテムポーチへ仕舞うと、代わりの杖を取り出した。その杖を見て、大賢者の眼が見開かれる。
「なぜ貴様が、その杖を……『狂える聖女の杖』を持っておる!? いや、待て待てっ、その前にどうして装備がで――むおっ」
その杖は、禍々しい存在であるアンデッドが持つには不釣り合いな、神秘的な力を感じさせる装飾が施されていた。事実、杖からは神聖な力を秘めた膨大な魔力が迸っている。
「私の用件は終わりましたので、帰らせていただきます。
大賢者殿、マスターに手を出せばウードン王国にどれほどの被害をもたらすことになるか、ゆめゆめお忘れなきように」
ラスが狂える聖女の杖の力を解放する。
目を開けることすら困難な眩い光が、ラスを中心に拡がっていく。
「これ、話は終わっておらん。待たぬかっ!」
光が消え去ったあとには、ラスの姿はどこにも見当たらなかった。ラスの解放した力を受けても、巨大な門には傷一つもついていなかったが、光の輪の半径三キロ圏内にいた魔物はすべて消失していた。
「この儂を相手に、まんまと逃げ果せよったか」
巨大な門と同様に、傷一つない大賢者は不服そうに呟いた。
「どうだった?」
『悪魔の牢獄』第八十三層で、ユウが回収したラスに問いかける。
「不真面目なようで融通の利かないご老人なので、素直には聞いていただけませんでした。
それにしても、ここは?」
「ここは『悪魔の牢獄』第八十三層だよ。
クロが力を試してみたいっていうからさ」
ユウの言葉になるほどと、見覚えのある景色にラスは納得する。だが、少し様子がおかしいとラスは内心で思う。
おそらくユウが倒したのだろう。人型の天魔の背に座るユウは、ラスに背中を向けたままだ。ユウの傍にいるクロの鎧に損傷は見受けられないが、左腕は千切れ、右足もあらぬ方に折れ曲がっている。右手に握る天魔アンドロマリウスの大鎚で身体を支えねば立っていられないのだろう。
「マスター?」
ユウの前に回ると、ラスが取り乱す。
「け、怪我をされたのですかっ!?」
頭部から血を流しているユウの姿に、ラスは慌てて回復魔法をかける。
「思いの外、強い天魔だったからな。
「貴様はなんのためにマスターの傍にいたのだ!」
ユウの怪我を治しながら、ラスがクロを罵倒する。普段であれば、クロも言い返すところであるが、自分が足手まといだったせいでユウに怪我を負わせてしまっただけに、なにも言い返せずに黙ったままである。
「本当なら、ここで仲の悪いお前らを組ませようと思っていたんだけどな。ちょっとそれは無理そうだ」
「ご冗談を。どうして私がゴブリンなどとっ。それもマスターをお護りすることもできないような無能な下僕ですよ。
これで自分がいかに無能かがわかっただろう? マスターの下僕に相応しくないと理解したなら失せるがいい」
「だ……黙れっ」
喋るだけで、クロの全身から血が勢いよく噴き出す。
「こんなところでケンカをするな。
クロもこれでわかっただろう? 自分がまだまだだって」
「はっ。慢心せず……より一層のた、鍛錬に……励みます」
跪こうとするも、身体が言うことを聞かずにクロがふらつく。
「じゃあ、帰るか」
「マスター、本当によろしいので?」
「さっき言ったろ。無理そうだって、
「そ……それはまさかっ」
ユウの言葉に、ラスの纏う魔力が動揺するように大きく揺らいだ。
「いまはナマリもいないし、面倒なことになる前にラスは屋敷に、クロは島に帰れ。俺はこのまま一仕事だ」
それ以上はなにも言うなと、ユウは『時空魔法』でラスとクロを送り届け、自分は王都へと戻るのであった。
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