第256話 叙勲式前日 後編

 一見、その姿はただの老人である。

 白髪を頭頂部で結び、ポニーテールのように縛り上げ、顔中に深く刻み込まれた皺に、口元を覆い隠す髭。

 ただし、一点だけ老人には相違する部分があった。額に妖しく光り輝く得体の知れない宝玉のようなモノが埋め込まれていたのだ。

 老人が身に纏うは、杖、ローブ、靴、指輪、腕輪、それら一つひとつから魔力の低い者でもはっきりと視認できるほどの膨大な魔力が溢れ出ていた。

 そして、それらすべてを併せても遠く及ばぬほど莫大な魔力を纏っているのが老人――大賢者であった。

 恐ろしいのは、それほどの魔力が目の前に存在するにもかかわらず、誰も恐怖を感じていないことである。常人であれば、触れれば即座に消し飛ぶような桁違いの魔力を纏っていながら、大賢者は完全に力をコントロールし、支配下に置いていたのだ。


「お前が大賢者か。

 どうしてわざわざ無駄に雷を纏って現れた?」


 これほどまでに魔力をコントロールできる大賢者が、なぜ無駄に派手な雷光を纏って登場したのかが、ユウには理解できなかった。だから純粋な気持ちで大賢者へ問いかける。


「無駄じゃと? これだから物の道理を知らぬ子どもは嫌いなんじゃ。

 よかろう、この大賢者自ら教えてしんぜよう。よいか? 英雄や勇者などと呼ばれる者たちは優れた力を持つことは当然の義務として、さらに人格やその立場に見合った立ち居振る舞いが求められる。

 それは大賢者である儂も例外ではない。大天才にして、あらゆる魔法を極め、存在自体が奇跡と言われるこの儂が、そのまま登場することを周りの者たちが許さない。ゆえに、この場では見栄えのいい雷光を纏って登場したのじゃ。

 言っておくが勘違いするでないぞ? 見栄えを優先したのであり、火・土・水・風などの四大属性は当然として、光・闇・氷・炎・聖・魔などのほぼすべての属性を儂は極めておる。

 ひょほっ、ひょほほっ! つまり儂は最強だということじゃな!」


 一々、決めポーズを整えながら話す大賢者の姿にユウは確信する。


(こ、こいつ……馬鹿だ)


 ウードン王や宰相、近衛たちにとっては毎度のことなのか、呆れる様子もない。


「ぐうぅぅっ……。な、なんてカッコいい登場の仕方っ!! さすがは大賢者殿っ!!」

「……私に匹敵する天才がいるとはっ!?」


 若干二名ほど、半パンの青年と特徴的な旋毛の少女は大賢者の登場に感銘を受けたようで、嫉妬するように歯ぎしりやら下唇を噛み締めていた。


「おひょ? 身の程知らずにも儂を睨むとは、誰かと思えば……」


 すべてを見通すかのような黄金の瞳で、大賢者がムッスの目を覗き込む。


「最近は大人しいみたいじゃが、自慢の食客は品切れかの?」

「大賢者殿、陛下の御前ですよ」


 挑発するような大賢者からの視線を受けても、ムッスは動じず平然としている。


「クレーメンスの前だからどうした? お主の父は貴族にしておくのがもったいないほどの漢じゃったぞ。勇敢で、民を思い、不正を働く者には相手が貴族であろうと毅然とした態度をとる。気高き魂を持った漢じゃった。

 お主はどうじゃ? 父の仇を前に平然としよって」

「私自身は武芸に秀でているわけではありませんので、直接はお相手できませんが、大賢者殿がどうしてもとお望みとあらば、すぐにでも各地の食客を呼び寄せますよ」


 大賢者を前に一歩も引かないムッスの姿に、パラムは「おお……」と短く声を漏らし、尊敬するかのような目でムッスを見つめる。


「ふむ。生まれつき身体は弱くとも、獅子の子は獅子か……」


 満足そうに大賢者は頷くと、周囲を一瞥する。


「きゃっ」


 大賢者と目が合ったニーナが、慌ててユウの後ろに隠れる。次にミスリルの箒に跨って浮かんでいるレナと目が合う。

 するとレナは――


「……私こそ、かの有名な天才魔術師ことレナ・フォーマ!」


 大賢者に対抗して、レナは天才の前に超をつけ加えた。なぜかパラムは「ち、超天才魔術師だとっ!?」と興奮して、自分も名乗る際に真似をしようかと考え込む。


「待て。超はダメじゃ」

「……なぜ?」

「大天才より超天才のほうが凄そうではないか」


 ユウからすればどうでもいいことであったが、大賢者にはレナの名乗りは許せないようだ。


「……私はいずれ大賢者を超える者、だから超を名乗るに相応しい」


 どこからその自信がくるのか。レナはミスリルの箒の上に立つと、大してない胸を張る。


「大賢者を超える……この儂を? ふはははーっ!!」


 大賢者の大笑いに続いて宰相や近衛たちまで堪えきれずに笑い出す。笑わなかったのは、ユウたちを除けばウードン王――クレーメンス・クラウ・ニング・バルヒェットのみである。


「なにがおかしい」

「ネームレス王はおかしくないので?」


 いまだ笑いの渦に包まれる大広間で、ユウの言葉に応えたのは宰相ボールズであった。


「幼き頃より神童と呼ばれ、数々の高位魔法を習得し、ウードン王国に比類する者なしと謳われる私ですら、大賢者殿を超えるなどと口が裂けても言えない。いえ、それどころか挑もうとすら思わない。

 それはレーム大陸にまで規模を広げても同じ結果となるでしょう。大賢者を超えるなどと宣うのは愚か者の戯言と笑われるのがおちです」

「それはお前が最初から諦めているからだろうが。お前は一度でも大賢者に挑もうとしたことがあるのか?」

「いいえ。そのような結果がわかりきったことをするのは、先ほども申しましたが愚か者のすることです」


 ボールズから視線を外すと、ユウはレナを見上げる。


「レナ、お前は冗談で大賢者を超えるって言ったのか?」

「……本気。いつか私は大賢者を超えて、超天才最強の魔導師になる」


 至って真面目な表情で、レナは宣言する。


「ならいい。カッコつけてるけど、下からだとダサいパンツが丸見えだからな」


 ミスリルの箒の上に立っているレナは、下から見上げれば下着が丸見えであった。

 ユウからの指摘に、レナは「……そう」と呟き、さり気なくローブを足の間に挟み込んで内股になった。


「これほど笑うのは久しくなかったぞ」


 冗談ではなく本気だと宣言したレナの発言を受けても、大賢者の顔から笑みは消えなかった。

 強者の余裕などではない。自分より上に立つ者などいないと信じて疑わぬ強烈な自我ゆえである。


「どうした? その小賢しい眼で儂の力を看破せぬのか?」


 ゆらゆらと浮遊しながら、大賢者がユウを挑発する。しかし、ユウは大賢者が姿を見せたときから『異界の魔眼』でステータスを確認しようとしていたのだ。


 だが――


(見えない)


 ユウの『異界の魔眼』を以てしても、大賢者の所持するスキルどころか、名前すら見ることが叶わなかった。


「な~んじゃ。がっかりじゃの」


 大きなため息をつき、落胆した表情で大賢者がユウを見つめる。


あの・・ステラが最後に育てた者と聞いておったから期待しておったんじゃが、この程度か……」

「ユ、ユウ……?」


 ユウの後ろにいるニーナが、恐る恐る名前を呼ぶが反応はない。


「力はともかく、この儂を前にして一歩も引かぬその気概はまさに鋼の如し。敵ながら見事と思っておったが……。

 英雄も老いては凡人に劣るというが『邪眼の魔女』もその例に漏れなんだか。あれほどの女傑が残念じゃ」

「もういっぺん言ってみろ」


 『邪眼の魔女』という言葉はユウには理解できなかったが、大賢者がステラを侮辱しているのは、ユウにも十二分に伝わった。


「ふむ。少々、難しかったか。

 では、子どもでも理解できるように言い直すかの。ステラは老いぼれて無能・・・・・・・になったと言ったんじゃ。ほれっ、お主の存在がその証拠ではないか」


 急激に大広間の空気が異質なモノへと変化していくのを、誰もが感じ取っていた。なにか大規模な災害が起こる直前の現場に出くわしたかのような、異常な空気である。


「陛下、私の後ろへ」


 宰相ボールズはウードン王の前に出ると、強固な結界を張り巡らした。パラムは知らず知らずのうちに後退し、気づけば近衛たちがいる壁際まで移動していた。


「ばあちゃんが……無能……だと?」

「ユウ、落ち着いてっ」


 ニーナの言葉もユウの耳には届かない。


「俺の……俺の存在が証拠だとっ」


 ユウの頭の中で、なにかが切れる音が聞こえた。

 同時に今までユウの『時空魔法』によって堰き止められていた封印の一部が綻ぶ。即座にユウの眼へ激流のように莫大な量の経験値が流れ込んでいく。あっという間に『異界の魔眼』がLV3からLV4に上昇する。それに伴いこれまでの『異界の魔眼』の能力が強化されると同時に、新たにジョブによる補正が見えるようになるのだが。


名前 :******・***・****・****

種族 :**

ジョブ:大**


 それでも大賢者の名前や種族すら解析できない。


「ハゲ爺が舐めやがって」


 怒りに我を忘れたユウに呼応するかのように、さらに膨大な量の経験値が眼に流れていき『異界の魔眼』がLV4からLV5に『強奪』がLV3からLV4へと上昇する。


名前 :シ****ゼ・**ン・**ンツ・***ル

種族 :人*

ジョブ:大賢者

LV :*4*

HP :*

MP :*72**9

力  :*

敏捷 :*

体力 :*

知力 :**14*

魔力 :*82*1

運  :**


パッシブスキル

詠*破棄

消*M*激減LV**

魔力*化LV**

MP回**度LV**

*法耐性LV**

状**常*性LV**

杖術*V**

知*激化LV**

杖**時、知*・*力・MP*化LV**

ロー*装*時、全ス***ス激化LV**

魔導変*LV**


 『異界の魔眼』をLV5まで上げても、ユウの目には大賢者のステータスが歯抜け状態に見える。

 感情の赴くまま、ユウはさらに『異界の魔眼』のLVを上げようとするのだが――


「やめよ」


 その声には、その言葉には、誰もがひれ伏したくなるような力が込められていた。

 その言葉を発したのはウードン王ではない。


「自分がなにをしているのか理解しておるのか? これでもまだわからぬようでは、ステラは真の愚か者じゃぞ」


 言葉を発したのは大賢者であった。

 その言葉に我に返ったユウは、急いで綻んだ『時空魔法』の封印を再度施す。


「少しは頭が働くようじゃな。

 ときに先ほど言っておったハゲ爺とは、まさか儂のことではないじゃろうな?」

「お前以外に誰がいるんだよ」

「この結んでおる髪が見えんようじゃ」

「それ以外はハゲてるだろうが」


 ユウの言うとおり、大賢者の頭頂はポニーテールのように結んでいるのだが、その部分を除けば他は剃っているのか髪は見当たらなかった。


「ハゲではない。これはおしゃれというのじゃ」

「言い訳は見苦しいぞ。

 そんなことよりわかったことがある」

「ほう……。その小賢しい眼でなにが見えた? 申してみよ」

「大天才だの魔法を極めただの偉そうなことを言っていたが。お前、ガジンにジョブを奪われたな?」


 ジョブを奪われたなどと、普通であれば一笑にふすところであるが、大賢者は否定もせず黙したままである。


「それに『不死』の呪いってなん……呪い? お前……」

「少しばかり儂のステータスが見えたくらいで得意げになりおって」

「見えるだけじゃないことを証明してやろうか」

「たかが老いぼれ古龍を倒したくらいで、自分を最強とでも勘違いしておるのか? そもそも自分がなにをしでかしたかわかっておらんようじゃな。マグラナルスは意味もなくあの場所にいたわけではない」

「老いぼれ古龍? ああ、ハゲ爺の言うとおりだ。あの古龍は自分がなにを護っているのかもボケて忘れてたぞ」


 ユウの言葉に、大賢者の片眉が上がる。


「貴様……まさかあの扉・・・をっ」

「死んでなかったぞ。ガリガリに痩せ細っていたけどな。

 そんなことはどうでもいいだろうが、それよりも……まあいいか」


 ユウはおもむろにニーナを抱える。


「え?」

「来るなって言ったのに来たよな? 罰として尻叩きだ」

「え~!? レ、レナ助けて~」

「レナ、お前も降りてこい」

「……私はニーナと違って大人のレディー。お尻を叩かれるのは困る」

 助けを求めるニーナの声を聞こえぬふりをして、レナは降りてくる様子がない。ユウは小さなため息をつくと、ウードン王に背を向ける。


「おや? 大賢者とは戦わないのかな」


 残念そうにウードン王が問いかける。


「正直に言えば、クソムカつくハゲ爺だし、いつまでも老害が上に居座っているのも気に食わないけど、レナが倒すって言ってたからな」

「私としては、もう少しネームレス王と談笑を楽しみたいところだね」

「ここでの用はもう終わった。ムッスの顔も立てたし、もう十分だろ? ああ、そうそう」


 ユウはアイテムポーチに手を突っ込むと、紙の束を取り出してウードン王に向かって放り投げた。それを結界で弾いたボールズが拾い上げる。


「好きに使えばいい」


 ぎゃーぎゃー喚き散らすニーナを抱えて、ユウは王宮をあとにする。


「儂はちと用があるので出かけるぞ」

「お待ちください」


 大広間から去ろうとする大賢者をボールズが呼び止める。


「あのときネームレス王は、なにをしていたのですか?」

「わからんのう」

「いいえ、大賢者殿は気づいていたはずです」

「仮に気づいていたとして、儂がなぜお前に教えてやらねばならん」

「私にはネームレス王がなにをしているのかわかりませんでしたが、あのままだとウードン王国の存亡にかかわっていたのでは?」

「ひょほほ。ウードン王国の存亡じゃと? これはまた大きな口を叩きよるわ」


 大賢者とボールズとの間に険悪な空気を感じ取ったパラムが、話題を変えようと割って入る。


「ところで、ネームレス王は潜伏していた大賢者殿に気づかなかったようで。我を圧倒した力は凄まじかったですが、大賢者殿には遠く及ばぬことが判明したのは、収穫と言っていいのでは?」

「うつけ者がっ」


 心底がっかりした表情で大賢者がパラムを叱責する。


「あの小僧は儂の存在など最初から知っておったわ。知っていながらわざとあのような小芝居を打って、ここにいる者たちを油断させようとしたわけじゃが、よりにもよって『ウードン五騎士』の一人であるお主が引っかかるとは恥を知れ」


 顔中からどっと汗を吹き出したパラムが、その場で跪き頭を垂れる。


「ネームレス王にそのような狙いがあったとは! このパラム、不覚にもまったく気づきもしませんでした。も、申し訳ございません」

「パラム、あなたは才能にかまけているから、あの程度の策に引っかかるのです。それでも栄誉ある『ウードン五騎士』ですかっ! 国の護り手としての自覚がないのなら、その称号を陛下に返上しなさい!!」

「ぐぬぬっ……。ボールズ宰相、なにもそこまで言わなくても」

「お黙りなさい! 以前から思っていましたが、その格好はなんですかっ! 道化でももう少しマシな格好をしていますよ」

「わ、我のこの格好はふざけているわけではないのです! そう、大事なこだわりがあるのです!! たとえばこの半パンから飛び出る鍛え抜かれた太腿を見ていただければっ」

「気持ちの悪いモノを私の視界に入れないでください」

「きもっ!? なんたる暴言! 宰相の役職を預かる方のお言葉とは思えませんよ!」

「思っていただかなくて結構です」


 パラムとボールズがくだらぬ諍いをしているのをよそに、大賢者は結局ボールズの質問に答えぬまま姿を消した。


「大賢者には、ネームレス王との会話で出てきたジョブや扉について聞きたかったんだが、相も変わらず自由気ままで困った御老公だ」


 ボールズが内心で、あなたもですよと呟いた。


「ああ、ムッス伯爵は帰らないように。このあとボールズくんに契約魔法をかけてもらう必要がある。それにせっかくの機会だ、少し話をしよう」




 ユウに遅れて大広間をあとにしたレナは、王宮から出るとミスリルの箒に跨る。


「少しよいか」


 飛び立とうとしたそのとき、背後から大賢者がレナを呼び止める。


「……あっ、ハゲじ――大賢者」

「この儂を前にしてその不遜な態度、逆に感心するわ」

「……なにしに来た?」

「あの小生意気な小僧に、もう手遅れじゃがこれ以上の力を使わせるな。儂の言っている言葉の意味はわかるな?」

「……わからない」


 どこか憐れむような顔で、大賢者はレナを見つめる。


「仲間ではないのか?」

「……仲間に決まってる」


 黄金の瞳がレナの言葉が嘘でないことを見通す。


「仮初の仲間であったか。

 この世界・・で誰も信じることなく、ただ一人で生きていくか。なんとも憐れな者よ……」


 誰に言うともなく大賢者は呟く。そして白魔法第7位階『フライング』で浮かび上がると、レナを置いて空の彼方へ消えていった。


「……仮初めじゃない。私はユウたちの仲間」


 そう呟くレナの瞳は、以前ルーキー狩りのあとに冒険者ギルドでコレットが見た濁った瞳であった。


「……この国も……あのときの冒険者たちと……一緒。もっと……が必要…………私一人で……蟲けらを……鏖にできる力が」




 時空魔法で創った扉で宿へ戻ったユウの第一声は。


「なんでいるんだ?」


 部屋の中で微動だにせず立っているマリファと、その傍で伏せているコロとランを見ながらユウは問いかける。


「ご主人様、お帰りなさいませ」

「ただいま……って違うだろ。小遣いを渡しておいただろ」

「ご主人様が他国の王族と謁見するというのに、奴隷メイドである私が呑気に王都観光をするわけにはいきません」


 内心で真面目かと、ユウは呟いた。


「マ、マリちゃん、助けて~。このままだと私のお尻が大変なことになるんだよ~」


 ガッチリとユウに抱えられているニーナは、もがいて抜け出そうとするが無駄な抵抗であった。


「お断りします」

「ええ~っ!? ど、どうして?」

「ご主人様について来るなと言われていたにもかかわらず、ニーナさんが黙ってついていったのが原因ではないでしょうか?」

「うっ……。そ、そうだけど~」

「なら罰を受けるべきです。

 大体、非公式の、それも一国の王と謁見する場に黙ってついていくなんて、場合によってはネームレス王国とウードン王国との間で国際問題になっていてもおかしくないことを、ニーナさんはご理解しているのですか?」

「ううっ……それは、だって、だってね?」

「だってではありません。どうせレナも一緒にいたんじゃありませんか?」

「そう! レナは自分だけ逃げたんだよ~。酷いと思わない?」

「思いません! いいですか――」


 その後もマリファの小言は三十分以上に渡って続く。やっとマリファのお説教が終わったと安堵するニーナを待っていたのは、ユウからの尻叩きであった。


「いだいよ~。お尻が割れた~っ!」

「尻はもとから割れてるだろうが」


 ベッドにうつ伏せになっているニーナは、絶賛お尻丸出し中である。その真っ赤に腫れ上がった尻の上には、氷水を入れた革袋が載せられている。


「ふ……ふふっ」


 その無様なニーナの姿に思わずマリファが笑ってしまう。


「ああっ!! マリちゃん、笑ったでしょ~!」

「わ、笑ってなど、ふふっ、いませんよ」

「笑ってるよ~!」


 真っ赤に腫れているニーナの尻を見ながら、コロが大丈夫と目で訴えかける。ランは興味深そうにニーナの尻を前足で突くと。


「いだっ!? ランちゃん、触っちゃダメだよっ!!」

「これに懲りたら、ちっとは人の言うことを聞くんだな」


 ニーナへのお仕置きが完了したユウは、再び鎧や剣を身につける。


「ご主人様、お出かけでしょうか?」

「ああ、多分戻るのは明日の朝になるから、飯は先に食べておいてくれ」

「外出先をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ダメだ」


 今朝の件があるだけに、ユウも同じミスは犯さない。自分は部屋で待機していたのにと、マリファは恨めしそうにニーナを見つめた。




 ユウたちが立ち去った王宮では、意図せずレーム六大国盟約事項の特記事項の一部を知ってしまった者たちが、ボールズの契約魔法による口止めが行われていた。

 その口止め最後の一人であるムッスが、契約魔法が込められた誓約書にサインを記入し、その上から親指につけた墨で拇印を押す。


「これでよろしいでしょうか」

「ええ。これで契約魔法及び手続きはすべて完了となります」


 ボールズはムッスから誓約書を受け取ると、箱の中へ収め蓋を閉じると魔法で厳重に封をする。


「ムッス伯爵、手間を取らせて悪いね」

「陛下、滅相もないことです。これもウードン王国の恥部・・を護るためです。

 まさか私もウードン王国が、つ――」


 それ以上の言葉をムッスは紡ぐことはできなかった。ボールズが施した高位の契約魔法によって、言動に制限がかかっているのだ。


「気をつけたほうがいい。ボールズくんの契約魔法は、並の使い手とは違ってとても強力だ。どれくらい強力かと言うと、本人にそのつもりはなくとも、誓約に触れそうになるだけで呼吸がまともにできなくなるほどだ」

「ぐっ……はぁはぁっ。陛下、お気遣い……ありがとうございます」


 わざと契約魔法を破ろうとしたムッスが、呼吸困難に陥り息を乱す。生まれつき身体が弱いムッスには、呼吸が少しできないだけで大きな負担となるのだ。


「無理はしないほうがいいよ。

 そうだ、私はね。ムッス伯爵に聞きたいことがあったんだ」

「聞きたいこと、ですか?」

「どうしてこのような場を設けたかだよ」


 ウードン王はチェスの駒で手慰みしながらムッスに問いかける。


「ウードン王国にとってもネームレス王国にとっても、此度の会談は非常に得るモノが大きかったと私は自負しております」

「私もそう思うよ。戦争を回避・・できたんだからね」


 驚きを隠せないムッスと目も合わせずに、ウードン王は手慰みを続ける。


「ムッス伯爵、おそらく君はその天眼で見たんじゃないのかな。ウードン王国がネームレス――いや、ユウ・サトウと戦争をする光景を」

「陛下の仰るとおりなら、戦争を回避した私にお褒めの言葉でもいただけるのでしょうか?」

「どうしてそんな真似をしたのかと思ってね」

「恐れ入りますが、陛下のお考えが私には理解できません。戦争を回避して、なぜそのように思われるのですか」

「だって好機じゃないか。父君の仇を取りたくはないのかね? 私の、大賢者の命を狙う機会を潰すのはどうかと思うよ。

 ネームレス王は一度訪れた場所になら『時空魔法』で繋ぐことができるらしいじゃないか。私なら『悪魔の牢獄』や『腐界のエンリオ』などの高ランク迷宮と王都や各都市を繋げるね。きっと戦争になればネームレス王も同じ手を使うはずだ。そして自分はどこかの迷宮の奥深くに隠れているだけで、ウードン王国は大混乱だ。

 ほら、ムッス伯爵の十の食客のなかには、毒の使い手やゴーレム使いの達人がいるじゃないか。混乱に乗じてゴーレムを使って毒をばら撒けば、ボールズくんを始めとする『ウードン五騎士』や各騎士団は対処で私の警護は手薄にならざるえない。大賢者には『槍天のジョゼフ』をぶつければとりあえずの時間稼ぎはできる。

 そこに君が手元に抱えている食客とは別の、各国にいる食客を招集すれば十分に私の命を狙えるじゃないか」


 楽しそうに話すウードン王の無神経な言葉に、ムッスの頭に血が一瞬で上っていく。


「陛下っ、あなた・・・がそれを言いますかっ」


 ムッスの言動に合わせてパラムや近衛たちが動こうとするが、ウードン王が動かなくてよいと手で制す。


「私はウードン王国の貴族ですっ。父は常々申していました。無辜の民を護るのが貴族の役目だとっ!

 今まで手段を選ばなければ、幾度とその機会はありました。ですが、それをすれば私は誇り高き貴族ではなくなる!」

「だから君は私の遊び相手になれない」


 感情が高ぶるムッスとは正反対に、ウードン王は自分の中で熱が冷めていくのを感じ取っていた。


「ムッス伯爵、君の父君もそうだった。

 財務大臣の横暴を許すのは、国を預かる王として如何なものかとね。謁見の許可も得ずに、制止する近衛たちを引きずり回しながらの直訴――というより不平不満、ふふっ。文句と言ったほうが正確だろうね」


 ワイアット伯爵がウードン王に直訴していたなど、息子であるムッスですら知らぬことであった。


「陛下は父上の直訴に対して、どのようにお答えになられたのですか」

 手慰みをしている手を止めると、ウードン王はムッスと目を合わせる。


「獣人やエルフなどの亜人と蔑称される者たちが、ウードン王国で起こす犯罪件数を知っているかね? 把握されているだけで、年間百万件を超えている」

「財務大臣は……亜人たちの抑止力として放置したとでも仰るのですかっ」

「そうだよ。財務大臣かれはとても便利な人材だ。良からぬことを企む者たちを勝手に吸い寄せてくれる。こちらとしてもそのほうが管理しやすいからね、重宝しているよ。

 自分で言うのもおかしな話だが、私は誰よりも平等に資源を管理している。それはウードン王国に限った話ではない。レーム大陸中の国に干渉し、あるいは裏から手を回し、すべての種族が平等に恩恵を受けられるように立ち回っている」

「そのような馬鹿げた話を信じろと?」

「少なくとも、父君であるワイアット伯爵は知っていたよ」

「父上が……知っていた?」

「私がしていることを知っていたうえで直訴してきたんだよ。目の前に悪がいるのを見逃すのは、貴族の取るべき行動ではない、とね。

 何度も話し合いの場を設けた。私は個人的にワイアット伯爵を気に入っていたからね。でも、彼は提案を受け入れなかった」


 饒舌に話すウードン王の傍に控えるボールズは、再度契約魔法で近衛たちを縛らなくてはいけないと頭が痛くなる。


「ある日、ワイアット伯爵が直参や数千の兵を率いて王都に向けて進軍した。ちょうどそのときは『ウードン五騎士』を他国へ派遣していたんだけどね。それもワイアット伯爵は見越しての進軍だった。

 正直に言えば、これには困ったよ。私が楽しむためにウードン王国の戦力は削っていたからね。自業自得とはいえ、精鋭の兵を率いるは他国にまでその名を轟かせるワイアット伯爵だ。それに彼が直々に鍛え上げた直参の者たちも厄介だった。中途半端な騎士団を差し向けたところで、返り討ちに遭うのがわかりきっていたからね。すぐに各都市を治める貴族に手を出さないようにと通達したよ。

 そしてワイアット伯爵の狙いもすぐにわかった」


 それはムッスも予想したとおりの言葉であった。


「彼は財務大臣を屠ろうとしていた。

 私が各都市の貴族に手を出さないようにと、通達するのもわかっていたからこその、警戒も索敵も無視しての怒涛の進軍だった。だからといって、みすみす財務大臣を殺されるわけにはいかない。そんなことになれば、せっかく一箇所に集めた貴族やコントロールしている亜人たちの流入が爆発的に増え、長い目で見ればより多くの不幸がウードン王国へもたらされる。

 こうなると、私が繰り出せる手駒は必然的に大賢者となる。

 ワイアット伯爵と大賢者の間でどのような言葉を交わしたのかは、私にすら大賢者は教えてはくれなかったよ。

 結果はムッス伯爵も知ってのとおり。大賢者はワイアット伯爵率いる数千の兵を一人残らず屠った」


 ワイアットが――あれほど尊敬していた父親が、ウードン王国に対して謀反を起こすなどありえないと信じていなかったムッスであったが。改めてウードン王の口からその事実を聞き。心の中で重くのしかかっていたなにかが、消えていくのを感じていた。


「話はこれで終わりじゃないんだよ。

 ワイアット伯爵の本当の狙いは、私の存在を財務大臣に気づかせることだったんだ」


 大袈裟な仕草でムッスに語るウードン王は、見るからに嬉しそうであった。


「私も驚いたよ。そんなことを気づかせるためだけに、ワイアット伯爵だけならともかく、数千の兵が命を投げ出すだなんて思うかい? してやられたと喜ぶと同時に、ワイアット伯爵を失った喪失感はなんとも言い難いよ。もう彼と遊ぶ・・ことができないなんてね」

「遊……ぶ?」


 謀反を起こした反逆者の息子と、長年に渡ってウードン王国の貴族たちから忌み嫌われ、父の無実を信じてバフ家を背負ってきた重圧から解放されたばかりのムッスの心の中に、重くドス黒い液体が溜まっていく。


「そう! ワイアット伯爵の命を懸けた遊戯に、私はまんまと騙され一矢を報いられた!」

「違う! 父上は遊戯などのために命を懸けたわけではありません!!」

「私にとっては同じことだよ。彼は素晴らしい遊び相手・・・・・・・・・であった」


 ムッスにはウードン王が人の形をしたなにかに見えた。それ以上はなにも言わずに、ムッスは王宮をあとにした。




「陛下が誂うので、ムッス伯爵は気を悪くして帰られたではないですか」


 ムッスが怒って帰ったあと、ボールズはウードン王とチェスに興じていた。

 そんな困った王にボールズが小言を述べる。


「仕方がないじゃないか。これもムッス伯爵の成長のためだと思って、受け入れてほしいものだね」

「もともと優秀な貴族ですが、さらなる成長を望むのですか?」

「でないと私が有利すぎて面白くない」

「私にはそうは思えませんでしたが」

「あのステラが育てたと聞いていたから期待していたんだけどね」

「ネームレス王ですか……。想像以上の化物だったではありませんか」

「ネームレス王――あの少年の強みはなんだと思う?」

「パラムに匹敵する剣の腕もさることながら、同時に数々の魔法を自在に操る――」

「違う」


 ボールズの回答にがっかりしたウードン王がチェスの駒を進める。


「守るべき者がいないことだよ。

 間違いなくジャーダルクはステラにそう育てるように命じていたはずだ。にもかかわらずいまや少年の周りを見渡せば、多くの亜人で身動きが取れなくなりつつある。パーティーのメンバーも女性ばかり。まるで足枷のようじゃないか」

「英雄色を好むと言いますからね」

「ボールズくん、君も資料には目を通しているだろう。ネームレス王に性欲は皆無だよ。ステラの仕業か、あえてあの場では言わなかったが、親から性的虐待を受けていた可能性もある。ボールズくんはどちらだと思う?」

「どちらにしても、真っ当な者のすることとは言えませんね」


 いつも小難しい顔をしているボールズが、ユウへの憐憫によって表情が変わる。


「そのパーティーメンバーも三名中、身元が明確に判明しているのはレナ・フォーマのみ」

「マリファ・ナグツはダークエルフですから、元々の身元がわからないのもおかしくはないのですが、ビビット村が出身地となっているニーナ・レバに関しては黒です。

 少々手間取りましたが、家系を遡れば歪な点が見つかりました」

「ネームレス王の最初の仲間となったのがニーナ・レバ、次に仲間となるレナ・フォーマを誘ったのもニーナ・レバ、その次に仲間となるマリファ・ナグツをネームレス王が購入する。これもニーナ・レバがそうなるよう誘導したと思うのは、私の考えすぎだろうかね?」

「現時点ではわかりかねます。もしそうなら、なぜネームレス王の弱点を増やすような真似をするのか……」

「遊び相手は多く、強く、種類も豊富であってほしいものだよね。そう思わないか? ボールズくん」

「それだけは賛同しかねます」


 つれないボールズの態度にウードン王は苦笑する。

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