第250話 受け入れろ

 パパル家はウードン王国を古くから支える名門貴族である。その歴史、貢献度はバリュー財務大臣のノクス家にも引けを取らぬほどで、パパル家現当主であるウィリアム・ボナ・パパルは公爵の爵位を授けられている。

 ウードン王国の爵位制度は王を除けば、上から順に大公、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵――と続いていく。

 大公は王の血縁関係、王族に与えられる爵位である。すなわちウィリアム・ボナ・パパルは、貴族としては最高位の爵位である公爵、いわゆる大貴族なのだ。


「本来であれば、バリュー卿を刺激するような真似はしたくなかったが、そうも言ってられないようなのでね」


 握手を求めるウィリアムをユウは観察する。

 赤茶に金の刺繍が施されたジュストコールにジレと呼ばれるベスト、下はキュロットの典型的な貴族の格好である。後ろに控える二人の従者も同様の格好であるが、一点だけウィリアムと違う点があった。それは腰から剣を下げていたのだ。

 『異界の魔眼』によって従者のステータスを確認したユウは、二人がお飾りなどではなく、警戒すべき使い手であると判断する。それは二人が身に纏う空気や何気ない動作一つからも、並の者ではないと窺えた。

 なにより二人が身につけている剣は、装飾などが施こされた見た目を重視した剣ではない。実戦で使うことを前提に作られた――否、使われてきた業物であった。


「握手を知らないわけではあるまい?」


 右手を差し出したまま、不思議そうにウィリアムが問いかける。


「どうして俺が、お前と握手しないといけないんだ」


 虚を突かれたかのように、ウィリアムの瞼がわずかに反応する。貴族として生を受けて、今まで平民の願いを断ることはあっても、自分の要望や行為を無下に断られたことなどなかったのだ。

 ウィリアムがどうしたものかと、長年に渡って一族でパパル家に仕えている護衛の騎士を見れば、一人は苦笑し、一人は手で笑っているのを隠していた。


「困った者たちだ」


 この時点でユウのウィリアムたちに対する警戒度は、さらに一段階引き上げられた。

 普通の貴族であれば、いくら高ランク冒険者とはいえユウのような平民を相手する際、隠しようのない横柄な態度が見え隠れするのだ。

 今までユウが出会ってきた貴族で例外は、ムッスとモーベル王国のダッダーンのみである。

 しかし、ウィリアムからはユウを見くびるような気配が感じられない。先ほども、ユウはワザとウィリアムを怒らすような言葉遣いをしたのにもかかわらず、ウィリアムは驚きはしたものの特に気分を害していない。

 本来であれば、自らの主を馬鹿にされて激昂するはずの護衛の騎士たちからも、どこか楽しげな雰囲気すら漂わせていた。

 正直やり難いとユウは内心で思う。

 少しでも早くこの場から離れたいユウは、ウィリアムを無視して歩き出すのだが。


「初日はローレンス、二日目はベルーン商会、今日がサザティーズ、明日・・は冒険者ギルド辺りじゃないかと私は見ているのだが、どうだろうか?」


 内心を見透かすようなウィリアムの言葉に、ユウの歩みが自然と遅くなる。


「君がサザティーズに訪れたことを、バリュー卿に知られるのは色々と拙いのでは?」


 トドメとなるウィリアムの言葉に、ユウの歩みが止まった。


「少しは私に興味を持ってくれたようだ。

 なに、しばらくは誰もここには近づかない。座ってゆっくり会話でも楽しもうじゃないか。こう見えても私は見た目以上の年齢なんだ」


 本心から言っているのか。

 ウィリアムは「んん……」と小さな声とともにベンチへ腰かける。少し離れてユウもベンチへ座る。

 日中、それも王都の観光名所の一つとして名高いサザティーズオークション会場周辺にもかかわらず、周囲を見渡しても観光客の姿は見当たらない。聞こえてくるのは鳥の囀りくらいであった。


「なにから話していいか考えていたんだが、正直に伝えるのが一番いいと判断した。

 君が手に入れたモノの一部をこちらに譲ってほしい」

「正直にと言ったのに矛盾してないか? モノと言われただけじゃ、なんのことかわからないな」

「そうかな。君はわかっているはずなんだが。

 なら、ピーターリット・モルデロン・パスレに調べさせていたモノと言えばわかるだろう」


 互いに目を合わせず、正面を向いたままウィリアムが確信を持って喋る。


「驚いたかね?

 君が嫌う貴族も、なかなかどうしてやるものだろう。

 誤解してほしくないのだが、パパル家は王族派でも反王族派でもない。いわゆる中立派、まあ貴族によっては日和見派と呼ぶ者もいるがね」

「無理だな」


 譲歩も交渉も一切挟ませぬ物言いであった。


「なにもすべてを寄越せと言っているわけではない。それに見合う報酬も支払おうじゃないか。

 私がバリュー卿の派閥に潜り込ませている者、せいぜい数人だ。それだけなら君の計画に支障は出ないはずだ」

「無理」

「私はバリュー卿からの信用を得るために娘を失っている」

「それがどうした。

 お前の娘が死んだことと、俺になにか関係があるか?」


 情に訴えかけるウィリアムに対して、ユウは煽るように返す。


「そんなに貴族が嫌いかね?

 聖暦が制定されるよりも遥か太古、人は蹂躙されるだけの存在だった。

 日々、獣や魔獣に実体を持たぬ得体の知れぬモノから神の如き力を振るう龍や天魔の魔物が跋扈する世界に、誰もが怯え、死への恐怖に怯えていた。

 個では抗えぬと集となり、群れから村へ、村は町となり、やがて国となる。人は国家の庇護下に入ることによって、初めて平穏を手に入れることができた。

 では、その国を運営しているのは――そう、貴族だ。これに関しては誰もが認めるところだろう。

 貴族が世代を重ね。その子孫が国家を運営することで、今の平和がある。ときには貴族の横暴によって不幸な事故が起きることもあるだろう。高貴な血を持つことを鼻にかけ、貴族と呼ばれるに相応しい能力がない者が、横柄な振る舞いをすることもあるだろう。

 だが、魔物から受ける悲劇に比べれば、どれも小さいモノだ。事実、平民は貴族による支配制度を甘受している」


 「残念なことにね」と、ウィリアムはつけ加えた。


「勘違いするなよ」


 不意に鳥たちの囀りが消える。同時にウィリアムの護衛を務める二人の騎士は、ユウが放つ殺気に当てられて思わず抜剣しかける。


「受け入れてるんじゃない。お前らの方が強いから我慢しているだけだ」

「どちらにしても同じだと思うのだが、どうだろうか」


 ユウから放たれる殺気が増大していくごとに、護衛の騎士たちからは余裕が消えていく。


「なら、お前らより強い俺を受け入れろ。俺がお前らで遊ぼうが我慢すればいい」

「怖いな。

 座っていながら言うのもなんだが、本来であれば私などでは立っていられない殺気を放っているのだろう」


 言葉とは裏腹に、ウィリアムの表情は平静そのものである。その態度がユウを苛立たせる。


「今、俺が飼っている貴族は二十三匹で、うちウードン王国の貴族は七匹だ。意外と少ないだろ?」

「君はまるで悪魔のようだ。貴族をなんだと思っているのかね」

「悪魔? 悪魔にもなるさ。

 お前ら貴族ときたら、どいつもこいつも救いようのない屑ばかりなんだからな」

「そのような者たちと貴族を一括りにするのはどうかと思うがね。君がやっていることは、君がもっとも嫌っている者たちと同じことじゃないか」


 護衛の騎士二人は今にも主であるウィリアムを護るために、ユウに斬りかかりたい衝動に駆られる。

 炎のように苛烈なユウの殺気を受け続けているにもかかわらず、いまだにウィリアムからはわずかな感情の揺らぎすら感じられないことに、ユウの苛立ちが増す。


「一緒にするなよ。

 最初は生まれてきたことを後悔するほどの苦痛を与えていたんだ。でも、それじゃもったいないことに気づいた。

 治験? て言うんだってな。新しいポーションや魔法の実験台に使ってる。有効活用ってやつだ」


 個人の人体実験は、どこの国でも禁止されている。それを、よりにもよって貴族を使って試しているなどと堂々と言いのけるユウに、周囲で人払いの結界を展開している者や、有事の際にウィリアムを救い出す役目を担っている騎士たちは、恐怖に対する訓練を受けているにもかかわらず戦慄する。


「君は意図的に相手を怒らせ、または恐怖を与えることで自分のペースを握るのが得意みたいだが、無駄だ。

 残念だが、私には通用しない」


 ウィリアムは懐から青色の小瓶を取り出すと、ベンチの上に置いた。


「パパル家に古くから伝わる秘薬だ。

 この小瓶だけで優に金貨百枚は飛ぶほどの材料費がかかるのだが。その効果は絶大だ。

 余計な高揚感や依存症もなく、恐怖だけを取り除くことができる。一度の服用で二時間ほどしか効果はないがね」


 ウィリアムの状態が『恐怖無効』だった理由が判明して、ユウは納得するように青い小瓶を見つめた。


「君はバリュー卿をはじめとする反王族派が、これまでに行ってきた不正の証拠をもとに、ウードン王国と交渉するつもりかもしれないが、それらはすべて徒労に終わるだろう。

 私が知っているだけでも、現在君には国家転覆罪から殺人など数百の罪状が捏造――とは言っても、半分は事実だったか。

 どれだけ貴族の横暴を訴えても、君の言うことを信じる者は誰もいないだろう。たとえムッス伯爵の力を借りようとも、それらが覆ることはないと、断言する。

 今からでも遅くない。私と手を組もうじゃないか。私と君が協力すれば――」

「最初は寄越せ、次は脅迫、今度は協力か。

 貴族もマフィアもやることは変わらないな」

「私はバリュー卿の気持ちがわからないでもない。だが、彼では駄目だ。彼では駄目なんだ……。

 重ねて問おう。私と組む気はないか?」

「しつこい奴だな。無理だって言ってるだろうが」


 最初から最後までユウの考えが変わることはなかった。

 「残念だ。本当に残念だ」と、ウィリアムが呟いた。


「コレット・マイスル。種族差別せず、誰に対しても平等に接する素晴らしい少女じゃないか。

 ノウルチェ・ボンネフェルト。シスターがスラム街で孤児院を経営するのは、並大抵の苦労ではないだろう。

 そういえば、孤児院にいる子供の数は九十八人――いや昨日と一昨日でさらに五人増えていたか。親に捨てられ、やむえず置いていかれ、もとから親がいない子もいる。

 これ以上の不幸など起きてほしくないものだね」


 暗に協力せねば、ユウの知り合いに不幸が訪れるとウィリアムは言っている。

 しかし、ユウは空を、青空に漂う雲を眺めていた。


「まーたワガママ言って困らせてる」


 ウィリアムも護衛の二人も、ユウがなにを言っているのか理解できなかった。


「ほら、お前がわざわざ他国から呼び寄せた教師だ。甘やかして育ててきたんだろうな。自分のワガママが通って当たり前だと思ってやがる」


 懐から懐中時計を取り出して、ウィリアムは時刻を確認する。孫たちが教師と勉強をしている時間帯であった。


「今から三十分以内に、お前の孫たちの生首をここに並べてやろうか?」

「貴様っ」


 思わず護衛の一人である騎士が声を発した。黙っていられなかったのだ。


「お前ら屑どもは、笑えるくらいにどいつもこいつも同じような手を使ってくるよな。

 言うことを利かなければ、親が、恋人が、友人が、知人がどうなってもいいのか? てな。

 別に脅迫はお前らの専売特許じゃないんだ。俺だっていくらでも使うさ」

「いつからだね」


 聞いてはいけない。それでもウィリアムは聞かずにはいられなかった。


「いつから? 最初からに決まってるだろ。なんで自分だけが相手のことを調べていると思うんだ。

 国を敵に回すんだ。有力な貴族の身辺は調べるし、弱点は突くに決まってるだろうが。

 あー、さっき不幸がどうとか言ってたな。やれるものならやってみろよ。それよりも先に、お前の大事にしている奴らを皆殺しにしてやるよ」


 ウィリアムの反応を横目で窺うが、なにを考えているのかユウにはわからなかった。


「交渉決裂だな」


 ベンチから立ち上がると、ユウはその場をあとにする。そして、それを待っていたかのように、サザティーズオークション会場の周りに人の姿が見え始めた。


「どうかね?」

「どうかねと仰られても」


 ベンチに座ったまま、ウィリアムが背後に立つ二人の護衛騎士に問いかける。



「お前たちは『天翔剣』グリフレッドに、剣の指南を受けたことがあったはずだ」

「はい。

 幸運なことに数度ほど指南を受けたことがあります」

「私が合図を出していれば、この場でユウ・サトウを消すことはできたかね?」

「御館様、ご冗談を」


 二人とも、即座にできないと返答する。


「では、二人がかりなら?」

「結果は一緒です。

 御館様を逃がすこともできずに息絶えるでしょう」

「仮に成功した際はどうだろう?」

「間違いなくパパル家に報復が、それも想像を絶するほどの規模で起こるでしょう」


 ウィリアムはユウ陣営の者たちを思い浮かべる。

 高位のアンデッドであるラスやクロといった者たちが、主であるユウが消えた際にどのような行動にでるのかは、ウィリアムでも予想はつかない。ナマリやモモといった見かけとは裏腹に強大な力を持つ者もいる。

 高レベルの斥候職であるニーナを敵に回せば、厄介なことになるのは間違いないだろう。

 一方で、レナやマリファにメイドたちはいかようにでもなる。他のアガフォンやフラビアといった者たちも同様だ。

 ムッス伯爵も領地に手を出さなければ、中立派の自分には歯向かっては来ないだろう、と。


「一番危険なのは、マリファという名のダークエルフです」

「マリファ・ナグツだったか。あの者がそれほど危険とは思えないな」

 護衛の言葉をウィリアムは否定する。


「虫を使うので」

「使うと言っても、下位の『虫使い』だったと思うがね」

「三百年ほど前に堕苦族の虫使いによって、甚大な被害がもたらされたと記録が残っています」


 パンッ、という音がウィリアムの耳に響く。

 護衛騎士の一人が、手を打ち鳴らした音である。


「これです」

「これとは……蚊かね?」


 潰されて死んだ蚊をウィリアムが見つめる。


「どのようにしてかはわかりませんが、堕苦族の虫使いは蚊を使役して疫病を撒き散らしたそうです。

 その犠牲者は数十万人にも及んだと記録には残っています。

 マリファ・ナグツは狂信的と言っても過言ではないほど、ユウ・サトウを信仰しています。そのマリファが面倒を見ているメイドのなかに、堕苦族の女がいたはずです。であれば、主であるユウ・サトウがパパル家によって殺害されたとわかれば、躊躇なく使用するでしょう。もしくは、わからなくてもウードン王国に対して使用することも考えられます」

「堕苦族のメイドがいるのは私も知っている。だが、だからといってその記録に残っている堕苦族と同じように、蚊を媒介にした疫病を使えるとはわからないだろう」

「可能性の話です。

 なにせ堕苦族は同胞である小人族からも忌み嫌われている種族で、その数自体が驚くほど少ないので、調べようにも見つけることがまず難しいのです」

「可能性の話では判断がつかないな」

「あえて危険な橋を渡る必要はないかと」


 パパル家に忠実な騎士たちの言葉に、ウィリアムは小さくため息をついた。


「なんともままならぬものだ」

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