第236話 甦る恐怖
「えーっ!? オドノ様にいうの?」
部屋の主が不在の都市カマー冒険者ギルド長室に、ナマリの声が響き渡る。
「えー、じゃありません。
ナマリちゃん、自分がなにをしたのかわかっているの? あなたたちが好き勝手に暴れたおかげで、二階の大部屋はほぼ半壊です。修繕費は考えるのも嫌になるくらいの金額になるでしょうから、ナマリちゃんの保護者であるユウちゃんに伝えるのは当然でしょう?
それにしても私がギルドを任されているときにこんなことが起こるなんて、あとでギルド長になんて言われるか。でも、半壊したギルドをギルド長が見たら、心労で頭が……ふふ、それはそれで面白いかもしれないわね」
エッダは口元を手で隠してはいるが、頬が緩みきっていやらしい笑みを浮かべているのがまるわかりである。
「ぶー、ごめんなさいしたのになー」
ナマリは絶賛反省中であり、正座した状態でエッダから叱られている。その膝上では、モモがいまだエッダの展開している球体状の結界に捕らわれており、どうあがいても脱出ができないとわかると諦めて結界内でふて寝していた。
「謝って済ますには、あまりにもしでかしたことが大きすぎます」
「悪いやつをやっつけただけなのになー。
コレット姉ちゃんもなんとかいってよ~」
「リフジンナエルフデスネ」
「あはは……」
ナマリの頭の上で黒いスライムのナナがエッダの対応に憤慨していた。その様子を見ていたコレットが苦笑する。
「ナマリちゃん、エッダさんには逆らわないほうがいいと思うなー」
「そうだど。エッダを怒らせるのば、やめどいだほうがいいど」
ナマリの横で同じように正座させられているトロピがナマリの耳元で囁く。その反対側ではエッカルトも騒ぎの当事者として、慣れない正座に顔を苦痛で歪ませていた。
さて、残る当事者の二人であるノアとヤークムであるが――
「けっ。ナマリ、反省することなんざねーぞっ! このアホ巨人族が先にケンカを吹っかけてきたんだからなっ!!」
「誰がアホならっ! まーた儂にいわされたいんか!!
あー。エッダ、ええかげんにこの鬱陶しい結界を解かんかいやっ!! 儂は怪我人やぞっ!! ええんか? 冒険者ギルドの
「黙りなさい」
エッダが犬や猫を追い払うかのように、手を振るうとノアとヤークムを拘束するいくつもの棒状の結界が二人を締め上げていく。
「ぐおおおっ……こ、このクソバ――ぐはっ」
女性に対しての禁句を言いかけたノアが泡を吹いて気を失う。
「儂はババアなんて言っとらんやろ――ごはっ」
続いて高レベルの苦痛耐性を持つヤークムが意識を失う。
「ざまあっ」
その無様な姿にクラウディアが無邪気に喜ぶ。
「エッダ姉ちゃん、やめてよ。ノアは悪くないんだ。悪いやつをやっつけただけなんだから」
「いいえ。一緒になって暴れたノアも同罪です。なにより女性に対して配慮や気配りがなさすぎます」
「ぶふっ」
思わずクラウディアが吹き出し、トロピは平静を装おうと必死になって笑うのを堪えていた。そんな二人の姿にコレットはハラハラする。
「もう、エッダ姉ちゃんはガンコだなー」
ナマリはオーバーオールに縫いつけてあるアイテムポーチに手を突っ込むと、取り出した皿の上に載っていたのはロールケーキである。それもたっぷりのクリームとふんだんにイチゴが使われている。最近のユウはロールケーキ作りにハマっており、日によってクリームやフルーツを変えてさまざまなロールケーキを試作してはナマリたちのおやつとして試食させているのだ。
このロールケーキは、今日のナマリとモモの三時のおやつなのだが、それをナマリはエッダにずずいっと差し出す。そう、露骨な賄賂であった。後ろではコレットが「ナマリちゃん、そんなことしてたら悪い大人になるよ」と窘めるが、ナマリも必死なのである。
「あー、それってユウ兄ちゃんが作ったお菓子でしょ? いいなー、ボクも食べたいなー」
トロピが物欲しそうに指をくわえるが、ナマリはそれどころではない。ここで上手く立ち回らなければ、冒険者ギルドでの騒動がユウにバレてしまうのだ。
「これでノアをゆるしてあげて。あと怒られるからオドノ様にいわないで」
「ずるいんだー。自分とノアだけ助かろうとして。あ、それならボクもそろそろ勘弁してほしいなー」
「もう! ナマリちゃん、あとでユウさんに叱ってもらいますからね」
エッダはなにも言わず、甘い匂いを漂わせるロールケーキが載った皿をナマリから受け取りアイテムポーチの中へとしまう。すると、ナマリは笑みを浮かべ期待に満ちた目でエッダを見つめるのだが――
「それはそれ。これはこれです。
せっかくなので、こちらのロールケーキはありがたく戴いておきます」
無情なエッダの宣告であった。
「えーっ!? エッダ姉ちゃん、ロールケーキあげたのにずるいぞっ!」
「ぷぷぷっ」
「グシシ。ナマリの賄賂は失敗しだな」
「大人ってずるいものなんだよ」
ナマリの両脇にいるエッカルトとトロピが、ふくれっ面のナマリを慰める。
「ナマリちゃん、子供のうちからこのような真似をしていたらろくな大人にならないわよ。それと――」
先ほどから堪えきれずに笑っているクラウディアを、エッダが睨みつける。
「クラウディア、なにがそんなにおかしいのかしら」
「なにがって決まってるじゃない。そっちの魔人族の子供が、さっきからエッダのことを姉ちゃんって呼んでるのが、ぷぷっ。おかしくてしかたがないのよ」
「エッダ姉ちゃんは、エッダ姉ちゃんなんだぞー! なにがおかしいんだよっ!!」
エッダは「まあまあ」と言いながらナマリの頭を撫でる。
「ナマリちゃんは良い子ね。それに比べてクラウディア、あなたときたら」
「なによ? この完全無敵な私に、なにか文句でもあるっていうの」
「はあ……。なにが完全無敵ですか」
大きなため息をつきながら、エッダがまるで聞きわけの悪い子をどう嗜めればいいかと悩んでいる母親のような、憐れむような表情でクラウディアを見つめる。
「な、なによ。その可哀想な子を見るみたいな目はっ!」
「あなたが腰に差してる精霊剣フィフスエレメントは、たしかエルフ族の至宝でしょう」
「まあね!」
クラウディアが誇らしげに大してない胸を張る。
「本家からわかれた氏族の一つとはいえ、その至宝を王位継承権第九か十位のあなたが勝手に持ち出していいものではないでしょうに」
「うっ……そ、そんなことは」
「大体、あなたがここにいることを王家は知っているのかしら?」
「……あ、あた、当たり前じゃない。し……知ってるわよ」
「なんなら私の伝手で連絡をとってあげましょうか。王家の至宝を持ち出したお宅のバカ娘のせいで迷惑してますって」
元々は一つであったエルフ族を取りまとめていた王族が、大戦を機に四王家にわかれたのは千年以上も前の話である。クラウディアはその四王家の一つの血筋を継ぐ分家なのだが、世俗と離れて日々を森の中で暮らすゆえに、都市カマーにクラウディアがいることが知られることはなかった。
しかし、エッダが王家にクラウディアの居所を伝えれば話は別である。すぐにでもクラウディアを捕まえようと、王家に仕えるエルフの精鋭が都市カマーに派遣されるだろう。
「そんなことしたら、あとでひどいんだからねっ!」
「ああ、ついでに国を飛び出した理由が、人族の男を追いかけてっていうのもつけ加えておきましょうか」
先ほどまでと打って変わって、クラウディアは動揺を隠せず足を見れば小刻みに震えていた。
「やめてよ~」
そこには『剣舞姫』と恐れ慕われるクラウディアの姿など欠片もなく。ただただ実家に居場所をバラされたくない家出娘の、慌てふためく滑稽な姿があるのみであった。
「まあ、冗談はこの辺で」
ずっと黙って見ていたバルバラは、エッダがやると言ったら本気でやることを十二分に知っている。とばっちりがこないように口を貝のように閉じていたのだ。
「私は出かけますから、あとは任せましたよ」
「出かけるって、どこに行くんですか?」
コレットがグズるナマリをあやしながら、エッダに問いかける。
「コレット、なにを言っているのですか。トロピの話を聞いていなかったの? 私が向かうのは王都テンカッシに決まっているでしょう。
財務大臣が裏でこそこそと動き回っているのです。本当にギルド長ったら大した用事じゃないと言っておいて、これだから困るのよね」
一気にまくし立てると、そのまま扉に向かって歩くエッダの前を、コレットが慌てて回り込んで立ち塞がった。
「コレット、これはなんの真似ですか?」
バルバラが目でやめなさいよと、トロピは「怒らせると怖いよー」と小声で呟く。
「ダ、ダメですよ。ギルド長が不在の間は、エッダさんが冒険者ギルドを任されているんですから、ギルド長の許可も取らずに王都に向かうなんて無責任です」
エッダはコレットの正論に、困ったわねと頬に手を当てながら考え込む。そして――
「コレット、あなたもそろそろ私やギルド長に頼るのではなく、自分で考えて動くいい機会です。フィーフィやレベッカなどの年長者や、バルバラやモフなど若く優秀な受付嬢がいます。なんなら、そこのトロピを使ってもかまいません」
正座しているトロピが「うへ」と舌を出すが、エッダに睨まれると慌てて舌を引っ込める。
「本来であれば、このあとユウちゃんやムッス伯爵のもとへ向かい、冒険者ギルドの修繕費について話し合うところですが、今はそれどころではありません。フィーフィやレベッカに任せてもいいのですが、さすがにあの二人にユウちゃんやムッス伯爵を相手取れというのは酷でしょう」
「わた、私だって無理ですよ!」
「あら、そうかしら?
案外、コレットなら大丈夫そうな気がするわよ」
手をわたわた振り回すコレットの肩にエッダの手が置かれる。
「とにかく、一刻も早くギルド長に合流する必要があるの。私ならギルド長が王都につく前に追いつくことができます。万が一、ギルド長になにかあればどうなるかは、わかるわよね?」
「と、都市カマー冒険者ギルドが……」
都市カマー冒険者ギルドは、ウードン王国内でも一二を争う冒険者ギルドである。その冒険者ギルドのトップであるモーフィスに、なにかがあればどのような事態になるのかは、コレットのような一介の受付嬢では想像もつかなかったのだが――
「うふふ。違うわよ」
エッダはコレットを抱き締めて頭を撫でると。
「
「ええっ!?」
「そうなると大変でしょ? だから、お願いね」
エッダはいたずらっぽくコレットにウインクする。そして、そのままコレットの横を通り過ぎ扉を開けるなり、スカートの端を掴んで小走りでかけていくのであった。
「クソッ……。あの腐れアンデッドにクソガキがっ! このままじゃ済まさねえ。覚えてろよ……絶対に許さねえからなっ!!」
ムッスの館へと続く道で、ランポゥが痛む身体を押さえながら毒づく。
「おいおい。勘弁してくれよ。
マナポーションで多少は回復したとはいえ、俺のMPはすっからかんなんだぞ。
それに、お前はあのレナとかいう嬢ちゃんに負けただろうが」
「ああっ!? 誰が負けたって!! あんなの不意打ちのマグレじゃねえかっ!!」
殺気の篭った目でゴンロヤを睨むランポゥであったが、その視線を真っ向から睨み返してゴンロヤが言葉を続ける。
「まさか本気で言ってるわけじゃねえよな? 勝負に不意打ちもクソもねえぞ。いつからお前は騎士や貴族みたいな甘っちょろいことを言うようになったんだよ」
「ぐっ……」
痛いところをゴンロヤに突かれて、ランポゥは言い返すこともできずに不機嫌な顔のまま黙り込んでしまう。
そのまま無言で二人が歩いていると、前方に見慣れた顔の小人族の姿が見える。
「おっ。ありゃプリリじゃねえか」
プリリもランポゥたちに気づいたようで駆け寄ってくるなり。
「あれぇ? お二人ともなんですかその無様な姿は。ま、まさかっ!? Cランクの格下相手に負けちゃったんですか!?」
道の十字路で鉢合わせたプリリが、ランポゥとゴンロヤの姿を見るなり負けたと決めつけて煽る。
「プリリ! てめえっ!!」
「どうもこうも、サトウの配下のラスってアンデッドにコテンパンにやられたんだよ。あっ、ランポゥは違うか」
「ええーっ!? 冗談で言ったのに、まさかまさかのまさかとは。
あの後衛職のみで構成されるクラン『殲滅の一撃』に在籍経験があり、Aランク迷宮『羅刹の巣』を始めとする数々の迷宮を攻略してきたランポゥさんが、冒険者になって数年のルーキー相手に負けたんですか? え? ええ? 本当に? 負けたんですか?」
怒りで身体を小刻みに震わすランポゥを小馬鹿にするように、プリリがランポゥの周囲をスキップしながら回る。
「プリリ、やめろよな。
そういうお前だって手ぶらじゃねえか」
「ほっ、よっ、私は負けてませんよ」
捕まえようとするランポゥの手を躱しながら、プリリがゴンロヤに応える。
「勝っていたのにララさんが邪魔したんです! それがなければ、今頃はサトウに言うことを聞かせることができてたんですけどねー」
「ララが来たのか!? そりゃ無理だわ……待てよ。ララがどうやってプリリのもとまで、まさか……」
「待てこらっ!」
「あはは。ランポゥさん、なにを怒ってるんですか?」
考え込むゴンロヤを放って、逃げていくプリリをランポゥが追いかけていく。
嫌な予感がしつつも、ゴンロヤはそのまま歩を進める。しばらくすると、一際高い壁が見えてくる。ムッスが所有する広大な敷地を囲う外壁である。いつもと変わらぬ外壁沿いを歩いていると、先に走り去っていったランポゥとプリリが立ち止まっていた。
「ん? どうした。そんなところで立ち止まって」
「おかしい。敷地内を警備させてるゴーレムの反応がねえ」
「俺が館に張ってる結界には異常はないぞ」
「ランポゥさんが負けたのを察したゴーレムが、がっかりして
「このっ!」
「あははっ。全然、痛くありませんよー」
ランポゥがプリリの頭を小突き、そのまま門を通りすぎるとそこには――
「なんだありゃ」
ランポゥの眼前には、ムッスの館を護らせていた土や石に鉄などのさまざまな材質で創られたゴーレムが無残な姿となって、残骸が山のように折り重なっていた。
そして、その残骸の天辺に座っていたのは――
「サトウ……っ! てめえが、俺のゴーレムをっ!!」
「このガラクタはお前のか?」
「俺のゴーレムがガラクタだとっ!!」
「ガラクタじゃないなら玩具だな。
あんなでもムッスは伯爵だ。こんな玩具で本気で護るつもりなのか? もう少しマシな護衛を用意しとけよな。
で、他の塵共はどこだ?」
「俺たちが……塵だとっ!」
「塵じゃないなら屑だな。裏でコソコソ動き回りやがって、俺に用があるんだろ? わざわざ来てやったんだ。さっさとかかってこい」
ランポゥの左右の手の中には、すでに触媒であるミスリルの鉱石が握られていた。
「俺が勝ったら言うことを聞いてもらう」
魔力がランポゥの手からミスリルの鉱石へと伝わり、さらに土と混じり合いミスリルのゴーレムが創生されていく。
「ははっ。お前、俺に勝てるつもりなのか」
ゴーレムの残骸でできた山からユウが飛び降りる。それが合図であったかのように、ユウの着地と同時にランポゥが動く。
「待てっ!」
「うるせえ! あんなガキに舐められて黙ってられるかっ!! プリリ、手を出すんじゃねえぞ!! これは俺とサトウのタイマンだからなっ!!」
ゴンロヤの制止の声を振り切って、ミスリルのゴーレムを創生したランポゥがユウに向かって突っ込んでいく。
「いいじゃないですか。
向こうから姿を現したんです。むしろ好都合だと思いますよ」
キレていたのはランポゥだけではない。表面ではいつもと変わらぬように見えたプリリであったが、内心ではユウの言葉にむかっ腹を立てていたのだ。
「バカっ! わざわざ真正面からぶつかるのを避けてたのに、しかもムッス様の敷地内でやり合うなんて、どう言い訳すんだ。
それにサトウの様子がおかしい」
「そうですか? 私には生意気な子供にしか見えませんけど」
小人族で見た目が人族の子供と変わらぬプリリが言っても説得力はまったくなかった。
そんな実力はあるが感情をコントロールできない同僚たちに、ゴンロヤは頭を抱えたくなる。
「身の程を思い知らせてやる!!」
身の丈二メートル、総重量八百キロの巨体とは思えぬほど俊敏な動きで、ミスリルのゴーレムが距離をつめる。そして、その巨拳がユウの顔目がけて放たれる。
唸りを上げて迫るミスリルのゴーレムの拳を避けると、ランポゥは予想していた。そのため、左右には追撃用のミスリルのゴーレムをすでに二体創生し、控えさせていたのだ。
だが――
「なんだモロに喰らいやがったぞっ!?」
「あははっ。凄い音しましたよ。今の一撃で死んだんじゃないですか」
ランポゥと同じく、ゴンロヤもユウが躱してからの攻防をいくつも予想していたのだが、予想と違う結果に驚きを隠せなかった。
ユウの顔が消し飛んだのではと思うほどの激突音であった。血や歯が宙に舞い、ユウの身体が大きくのけぞる。
「は、ははっ! なにが勝てるつもりなのかだよ!! この程度も躱せない雑魚がっ!!」
予想外の結果に、ランポゥは拳を放ったミスリルのゴーレムに、そのままユウを追撃させようと魔力の糸で操作するのだが。
「おいっ……。どうした! 動けよっ!!」
ミスリルのゴーレムは殴りつけた姿勢のまま、ランポゥがいくら操作しても微動だにしなかった。
「お前、本当にレナに勝ったのか?」
ユウの言葉を待っていたかのように、ミスリルのゴーレムの頭部から股間にかけて線が走り、遅れて唐竹割りに裂けていく。
いつの間にか、ユウの両手には黒竜・燭と黒竜剣・濡れ烏の二本の大剣が握られていた。
「マジかっ!? ミスリルの強度を誇るゴーレムだぞ」
目の前の信じられない出来事に、ゴンロヤが目を見開く。ラスの操るスケルトンが斬り裂いたのはアイアンゴーレムである。ミスリルのゴーレムとでは比べるのも馬鹿らしくなるくらいに、強度も耐久性も違うのだ。
「俺が人を殺したこともないガキに負けるわけねえだろうがっ」
「それでか」
一瞬、虚を突かれたかのような表情を浮かべるランポゥであったが、すぐさま憤怒の表情へと一変する。
「ああっ!? なにか? あのクソガキに殺す覚悟があれば、俺が負けてたとでも言うつもりかっ!」
怒りを露わにするが、そこはさすがに歴戦の猛者である。感情的になりつつもダマスカス鋼をアイテムポーチから取り出し、次々とゴーレムを創生して布陣を整えていく。
ユウに斬り裂かれたミスリルのゴーレムではなく、ダマスカスのゴーレムを選択したのもさすがである。強度や靭性だけなら、ダマスカス鋼はミスリルを上回る。
「もういいか?」
ミスリルのゴーレムの一撃によって砕けた歯や鼻骨がすでに再生し終えたユウが、黒竜剣・濡れ烏を肩に担ぎ問いかける。
「はっはー! てめえは本当にムカつくガキだな。
冒険者になってたかだか数年のガキが、俺を見下ろしてるんじゃ――」
ユウの上半身がブレた瞬間、ランポゥはダマスカスのゴーレムを盾代わりにし、大きく後ろへと飛び跳ねた。その際、精霊魔法第5位階『
着地と同時にランポゥが見たのは、自慢のダマスカス鋼でできた十体のゴーレムが左薙に斬り裂かれ、胴体からずり落ちていく光景であった。
「クソがっ……」
ランポゥが腹から感じる熱の正体は血であった。ローブは瞬く間に赤く染まり、足元に血溜まりを作り上げた。
ユウが放ったのはLV5の剣技『
「交代ですね」
「プリリっ!」
プリリがランポゥの斬り裂かれた腹部を撫でる。すると、傷はなかったかのように塞がっていた。しかし、斬り裂かれた箇所の傷は塞がっても、黒い靄のようなものがこびりついていた。
「呪いですね。
おそらくですが、魔法やスキルではなくあの剣自体が呪われていますね。傷は治しましたが、そんな強力な呪いは私では祓えません。ララさんに頼むのがいいでしょう」
「ま、待てっ! 俺はまだ――」
「まだ負けていないとでも言いたいのでしょうが。どうみても負けですよ」
振り返りもせずに歩を進めるプリリを、苦々しく睨みつけるランポゥであったが、そのプリリを覆い尽くすほどの黒い絨毯が視界に飛び込んできた。
「バカヤロウっ!?」
ゴンロヤが慌てて氷壁で、身動きの取れないランポゥを護る。
黒い絨毯と見紛うほどの黒い弾丸、黒魔法第4位階『スチールブレット』が雨霰のごとく、ゴンロヤの氷壁にめり込んでいく。
「なんて威力と量だよ。
ここは貴族街だぞ。ちっとは考えて魔法を使えってんだ」
「ぐおぉっ……。あのクソガキが、ちょ、調子に乗りやがって、プリリは……プリリは、大丈夫なのか?」
「プリリか。ありゃ相当な量の薬を飲んでるな。躱しながら余裕を見せつけるように歩いてやがる」
「バカがっ。余裕を見せてる場合か! ゴンロヤ、お前も加勢しろ!」
「お前な……。自分のときは手を出すなって言っておいて、プリリには加勢しろってなんなんだよ。
俺が加勢なんかしてみろ。あとでプリリからどんな嫌がらせをされるか。それに俺がここを離れたら誰がお前を護るんだよ」
ゴンロヤとランポゥが話している間も『スチールブレット』の弾丸は絶えず放たれているのだ。氷壁は削られ、抉られ、そのたびにゴンロヤは氷壁を厚く広範囲に再展開して、敷地外への被害を喰い止めていた。
その飛び交う弾丸の中をプリリは悠然と歩いていた。
「無駄ですよ」
高速で飛来する弾丸を躱し、あるいは手で受け止めながら歩を進める。
「ですから無駄ですって。それに私は躱す必要すらないんですよ? ほら、こんな風に」
殺意の込められた弾丸を抱き締めるように、プリリは両手を開いて受け入れた。
ゴンロヤが「やめろ!」と叫ぶ間もなく、数百発の弾丸がプリリの全身を貫いていく。
「ね? 無駄でしょ」
プリリの全身に開けられた風穴が、瞬く間に塞がっていく。
「私を倒すことなんて不可能です」
ユウとプリリが対峙する。
手を伸ばせば互いに掴めるほどの距離である。
「もしかして近距離戦なら、私に勝てると思っています?」
すでにプリリの散布した無色無臭の石化毒が、ユウの全身を覆っていた。
「石化毒です。
手加減する必要はないので、全力で――あれ?」
石化が進行していく端から、石がユウの全身から剥がれ落ちていく。
「驚きました。
石化耐性が付与している装備は、なかなかお目にかかれないんですが」
「装備じゃない」
「私ならともかく。あなたみたいな人族が状態異常耐性の中でも稀有な石化耐性を持っていると?」
プリリの言葉を無視して、ユウは二本の大剣を肩に担ぐ。
「いいでしょう。好きなだけ攻撃してください。
あなたを殺す方法などいくらでもありますが、あなたがなにをしようが無駄だということをわからせてあげます」
薬によって動体視力が異常に向上しているプリリにとって、前衛職の攻撃を見て躱すことなど造作もないことであった。仮にまぐれで攻撃を喰らうことがあったとしても、自身の誇る再生力を持ってすれば恐るるに足らずというのが、プリリの考えであった。
「え?」
だが、ユウのとった行動にプリリはマヌケな声を漏らす。
「どうして武器を――」
プリリが驚くのも無理はない。ユウは肩に担いでいた二本の大剣から手を放したのだ。
そのまま大剣は地面に落下して突き刺さり、それを目で追っていたプリリの視界をユウの手の平が優しく覆い、直後に右拳が掠めるように顎を撃ち抜いた。
脳を激しく揺らされたプリリは、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。
「なにをするかと思えば、この程度の攻撃で……あれ? どうして、この程度で私が立てなくなるなんて」
「脳が揺れてるんだ。どれほど再生力が凄かろうが立てるわけがない」
プリリを見下ろしながら、ユウが地面に突き刺さった黒竜剣・濡れ烏を掴み取ると、そのまま振り上げる。
「首を刎ねても生えてくるか試してやる」
「待てっ!!」
ゴンロヤが叫ぶも、氷壁の展開は今からではとてもではないが間に合わない。そして、ユウが黒竜剣・濡れ烏を振り下ろそうとしたのだが、そのときユウの動きが止まる。
それだけではない。ユウは地面に突き刺さった残る大剣、黒竜・燭を引き抜くと大きく飛び跳ねる。さらに二度三度、なにもない宙で地を蹴るかのような動作で高く舞い上がっていくと、そのまま宙を駆けてあっという間に見えなくなる。
「な、なんだ。どうしてサトウは逃げ――うおっ!?」
あのまま剣を振り下ろせばおそらく、いや間違いなくプリリは死んでいた。にもかかわらず、どうして逃げるような真似をと思考するゴンロヤの背後から、凄まじい殺気が叩きつけられる。
殺気を漲らせている本人は叩きつけたつもりはないのだが、あまりにも膨大な殺気にゴンロヤが叩きつけられたと錯覚したのだ。
「ジョゼフ……帰ってきてたのか」
ゴンロヤとランポゥの眼前には、肩にジョズを抱えたジョゼフが立っていた。
「今のは、まさかユウじゃねえだろうな?」
「てめえっ、今頃のこのこ現れやがってっ!」
ジョゼフはジョズを放り投げると、そのままランポゥのもとまで近づく。
「ユウに手を出したのか」
「だったらなんだ!」
「殺すぞ」
声を張り上げたわけでもないジョゼフの言葉に、ゴンロヤの全身の毛が逆立ち、いまだ足元がおぼつかないプリリは地面にへたり込んだ。
だが、ランポゥは違った。
「殺れるもんなら殺ってみろっ!!」
ゴンロヤは瞬きするのも忘れ、その瞬間を見た。
ジョゼフとランポゥ、前衛職と後衛職の違いはあるものの、誰もが認める高位冒険者である。その二人の刹那の攻防を――
精霊魔法第3位階『カブルウォール』によって、石の壁がジョゼフとランポゥの間に展開される。さらにジョゼフの視界を遮った石の壁から木目状の鋼、ダマスカス鋼でできた槍が石を突き破ってジョゼフに迫る。
視界を遮られた至近距離から精霊魔法第6位階『
必殺の一撃である。
ただし、相手がジョゼフでなければ。
「ぐお゛お゛おおおっ!!」
石の壁が斜めにずり落ち、その先には苦悶の顔で太腿を押さえるランポゥの姿があった。
ジョゼフは攻撃を躱すだけでなく、石の壁ごとランポゥの太腿を斬り裂いたのだ。
「ぐうぅ……こ、この野郎っ!!」
ランポゥが精霊魔法第5位階『
魔法が発動しないのはジョゼフの放ったLV2の暗黒剣『
「クソッタレがっ! なんで魔力が――ごう゛ぁっ」
ジョゼフがランポゥの顎を蹴り上げる。砕けた顎から血反吐を撒き散らしながら宙に舞うランポゥが、そのまま落下して地面で数度ほど跳ねると、そのまま意識を失う。
「そこまでだ!」
さらに攻撃を加えようとするジョゼフの足元が凍りついていた。
「いくらなんでもやりすぎだ」
「やりすぎだ? 誰に向かって口をきいてやがる」
ジョゼフは自身を拘束する氷を岩石竜の大剣で砕き、ゴンロヤに向かって距離をつめていく。
「それ以上、俺に近づくな」
殺気を纏いながら近づいてくるジョゼフにゴンロヤが警告するも、お構いなしでジョゼフは距離をつめていく。
「たくっ。人の話を聞かない奴らばっかだ」
ゴンロヤが腕を掲げると、地面から氷壁が姿を現す。その氷壁から刃が飛び出す。飛び出した刃はジョゼフの岩石竜の大剣である。
厚さ一メートルにおよぶ氷壁をぶち抜く、それもただの氷ではない。ゴンロヤが展開した魔力の通っている氷である。
しかし、ゴンロヤはジョゼフならこの程度のことなど造作もなくこなすことくらいはわかっていた。
ゴンロヤが複雑に腕を交差させると、次々と氷壁が展開されていく。合計六枚の巨大な氷壁が最初の氷壁を囲み、最後に頭上から氷の塊が降ってくるとそのまま蓋をする。
「これで、まーたMPが空っぽだ。
本来なら隙間なく氷で埋めるんだが、窒息しないように空間が開けている。少しそこで頭を冷やしてくれや」
ランポゥの様子を見ようと振り返ったゴンロヤの前に、ジョゼフが立っていた。
「なっ――ごはっ」
鬼人族のノアと真正面から殴り合いをするジョゼフの拳を顔に受けて、ゴンロヤが吹き飛んで――いくことはなかった。なぜならゴンロヤの右手首をジョゼフが掴んでいたのだ。ジョゼフはそのままゴンロヤを引き寄せると、両腕を脇に挟んで一気にへし折る。
「ぐがっ」
枝を折ったような乾いた音が響いた。
まさか剣を捨てるとは思っていなかったゴンロヤは完全に油断していた。次々と拳を繰り出すジョゼフの攻撃を、MPもなく、結界を張れず、両腕を折られたゴンロヤでは、ジョゼフの拳を受けることも躱すこともできなかった。
見る間にゴンロヤの顔が腫れ上がり、地面に崩れ落ちる。
「俺はお前らになんて言った?」
ゴンロヤの後頭部にジョゼフが足を乗せる。
「黙ってねえで答えろよ」
ジョゼフが足に体重をかけていくと、ゴンロヤの頭蓋骨が悲鳴を上げるように軋む。
「手を……手を出すな……ぐがああぁっ」
「そうだ。願ったわけでも頼んだわけでもねえ」
「あがっ……あ゛ぁ゛ぁぁっ……」
「命令したんだ。
俺の命令に逆らうってことは、喧嘩を売ってるんだろ?」
すでにゴンロヤは意識を失っていた。もう少しジョゼフが足に力を込めていれば、頭蓋骨は間違いなく砕けていたであろう。
「ちっ。ちょっと小突いたくらいでどいつもこいつもすぐに気を失いやがって」
「ち……違うんです。話を……話を聞いてください」
プリリが震える全身を押さえつけるように抱き締めながら、ジョゼフに話しかけるのだが。
「誰が喋る許可を出した。お前も俺に喧嘩を売ってるんだろ? さっさと殺ろうぜ」
怖い――プリリは自身に向けられる殺気から、今すぐにでも逃げ出したい気持ちであった。だが、逃げれば間違いなくジョゼフに殺されるのを、頭ではなく本能で理解していた。
そしてプリリの脳裏に恐怖の記憶が甦る。
ジョゼフがカマーに来たばかりのころは、ムッスの食客は今の倍の人数はいたのだ。
よせばいいのに槍の英雄どれほどのものぞと、食客たちに誘われたプリリも面白半分でジョゼフに絡みにいったのが間違いであった。
七名の高位冒険者がプリリの前で惨殺され、四名が半殺しに遭う。手を出さなかったプリリは無事であったが、半殺しにされた者たちは傷が癒えると逃げるようにカマーをあとにした。
ここ数年で幾分か丸くなり、ユウと出会ってからは一層くだけた性格になり、冗談を言っては笑う姿にプリリは忘れていたのだ。
ジョゼフ・ヨルムという男が自分などとは隔絶した強さを、なにより敵対した者に抗うことのできない恐怖を与える男だということを。
「や……殺りません。そんな恐ろしいこと」
恐怖で震えるプリリの身体は一向に治まる気配がない。
「だったら、そこのバカども連れてこい」
「は、はいっ」
いまだ激しく渦巻く殺気を纏いながら、ジョゼフは館に向かって歩いていく。プリリは、このままでは死ぬであろうランポゥたちに最低限の治療を施すと、引きずりながらジョゼフのあとを追った。
「くそっ」
固有スキル『疾空無尽』で、文字通り空を駆けているユウは明らかに苛立っていた。
「なんで俺がジョゼフの姿を見て逃げなきゃいけないんだよ。ジョゼフが邪魔するなら、一緒に――くそっ。これじゃ、まるで俺が――」
――まるで親に悪戯を見つかり、叱られるのを恐れて逃げる子供のようであった。
「私を誰だと思っているのですかっ。こんな粗末な宿に泊まれと?」
都市カマーから北に約六十キロほどのとある村の宿の一室で、綺羅びやかなドレスに身を包む女性が、ヒステリックな声を張り上げていた。
この宿は現在ある一行が貸し切っているのだが、驚くことにこの一行より先に宿泊していた者たちをすべて追い出して貸し切ったのだ。
そのような無法は本来であれば通るはずがないのだが、それを通すことができる権力をこの一行は、いや女性は持っていた。
「申し訳ございません。ですが、この宿が村で一番の――」
乾いた音が部屋に鳴り響く。
女性が扇子で従者の男の顔を叩いた音である。
「誰に向かって口答えしているのです」
「申し訳ございません。
明日にはカマーに到着する予定なので、今しばらくはご不自由を与えることをお許しください」
女性の我侭を諌める者は、誰一人いなかった。普段からこのような振る舞いをしているのであろう。従者や護衛の者たちは、女性の機嫌を少しでも損なわないように気遣っていた。
「ムッス伯爵には、私が明日会いに行くことは伝えているんでしょうね?」
「もちろんでございます」
「そう。
それなのに出迎えの使者の一人も寄越してこないとは、この私も舐められたものね」
部屋を見渡せば、一行が持ち込んだ絹や高価な調度品で勝手に模様替えされている。しかし宿の者たちが不満を述べることも抗議することもないであろう。ウードン王国の国民なら誰しもが知っていることである。財務大臣やその派閥の貴族や関係者には、絶対に逆らってはいけないと。
「誰のおかげでのうのうと伯爵の地位でいられるのかを、教えて差し上げないといけないようね」
従者がグラスに注いだワインを飲み干し、女性は笑みを浮かべる。それを間近で見た従者は思わず身震いをするのであった。
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