第237話 飛んで火に入る夏の虫
ワイアット・ゴッファ・バフ。
ウードン王国に数多いる貴族のなかでも、貴族の中の貴族と民から慕われるほどの人物であった。
その悪を許さぬ正義感は凄まじく。悪事を働けば相手が貴族であろうと、手心を加えることなど一切なく粛清する苛烈さであった。
それゆえに他の貴族から疎まれることも少なくはなかったのだが、領民からは絶大なる支持を得て慕われていた。
誰よりも正義感の強い面が際立つワイアット伯爵であったが、それを行使するに足るだけの能力を兼ね揃えていたのだ。
わずか数十の手勢で、領土を侵してきた他国の軍を翻弄し、ウードン王国軍が来るまでの時間稼ぎをしたこともあれば、万の軍勢を率いて魔物の大群を討ち滅ぼしたこともある。
その貴族の中の貴族と言われていたワイアット伯爵が謀反を起こしたのは、今から二十年以上も昔の話である。
この謀反には様々な諸説があった。
内政は言うに及ばず、個としても軍を率いる将としても秀でていたワイアット伯爵が、数千の兵とともに王都を目指して進軍したのは、あまりにも無謀で不可解であった。事実、他の貴族や騎士たちからは多くの疑問の声が上がり、ワイアット伯爵を唆した者がいたとする陰謀説や、他国の諜報員が暗躍していたのではと疑う者、魔法やスキルによって操られていたと主張する者までいたのだ。
しかし、どのような事情があるにしろ謀反は謀反である。ワイアット伯爵が率いる反乱軍に対して、ウードン王国は一人の老人を差し向けた。
そう。軍ではなくたった一人の老人――大賢者を差し向けたのである。
王都テンカッシからの通達により、都市カマーから王都までに点在する各都市の軍は待機を命じられていたのだ。
そのことを事前に知っていたかのように、ワイアット伯爵は各都市を素通りしていき、一気に王都の目前にまで迫るのだが、その行く手を阻んだのが大賢者であった。戦いが始まる前に、ワイアット伯爵と大賢者の間でなんらかの会話があったと言われているが、その内容は明らかにされていない。
そして戦いは――否。それは戦いと呼べるようなモノではなかった。ワイアット伯爵が率いる歴戦の猛者を相手に、大賢者は文字どおり蹂躙したのだ。
ワイアット伯爵自身、単騎でランク7程度の魔物なら容易く屠ることができる武力を誇る武人である。その周囲を固める騎士たちもいずれ劣らぬ
だが――大賢者の前では無力であった。
数多の『剣技』『槍技』『弓技』や高位の魔法が絶え間なく大賢者へと放たれるが、毛ほどの傷をつけることすら叶わなかったのだ。
そして開戦から半刻も経たず、ワイアット伯爵が率いる反乱軍は王都テンカッシに一歩も足を踏み入れることすらできずに全滅したのだ。
ウードン王国では――いや、どの国であろうと謀反を起こした者の一族郎党は縛り首――すなわち処刑が常である。
だが、実際にはワイアット伯爵のバフ家は処刑どころか爵位剥奪もなしであった。それどころか爵位は息子であるムッスが引き継ぎ、反乱軍に参戦しなかったとはいえ、長年バフ家に仕えてきた家臣もお咎めなしであったのだ。
恩赦どころの騒ぎではない。
いくら民草から絶大な人気があったとはいえ、多くの貴族から減刑の嘆願書があったとはいえ、王に弓を引いた貴族に対して寛大にもほどがある処置であった。
これにはバリュー・ヴォルィ・ノクスが関わっているのではと、王宮内や貴族たちの間ではまことしやかに囁かれていた。
当時からバリューは異彩を放っていた。
それは名門ノクス家のなかでも飛び抜けており、当主に就いていないにもかかわらず、すでに子爵の爵位を叙爵されていることからも窺えるだろう。
血を分けた実の兄弟から眷族などの並み居るライバルとの過酷な権力闘争を勝ち抜き、政敵すら直接バリューとの争いを避けるほど悪辣で、強大な権力や暴力をすでに手にしていたのだ。
そのバリューが、ワイアット伯爵が起こした謀反の責任をバフ家に及ばぬよう、ウードン王に直訴したと噂されていたのだ。
子爵とはいえ、たかが一貴族が王に直訴して、それも伯爵の爵位を持つ貴族が起こした謀反の処罰に口出しなどすれば、不敬罪で領土どころか爵位をも取り上げられてもおかしくはないのである。
しかし、実際にワイアット伯爵が起こした謀反に対する処罰は、当事者であるワイアット伯爵と軍に参加した騎士や兵士たちだけで済んだのだ。それも大賢者によって皆殺しにされていることから、実質的にはお咎めなしのようなものである。
このことからもバリュー・ヴォルィ・ノクスが、なにかしらバフ家の件に関わっていると囁かれる話に信憑性が増し、いずれバフ家を自身の派閥へ取り込むつもりなのではと貴族たちは噂していた。
だが、バフ家がバリュー派閥に取り込まれることはなかった。
ワイアット伯爵のあとを継いだ幼きムッス・ゴッファ・バフが、それをよしとはしなかったのだ。
父であるワイアットが謀反を起こしたことにより、ウードン王国中の貴族だけでなく、懇意にしていた貴族からすら距離を置かれ、多くの家臣を失い、またバフ家から離れていった。
そんな状況で、ムッスはわずかに残った家臣たちとともに都市カマーを、領地を守り抜いてきたのだ。
「なんですって!!」
ムッス伯爵の館の一室に、ヒステリックな女性の声が響き渡る。対面に座るムッスは動ずることもなく、いつもと変わらぬ表情で紅茶を啜る。
「ポーリーヌ殿、淑女がそのような大きな声を出されるのはいかがなものかと思いますよ」
小さな子供を諭すように微笑みかけるムッスに、ポーリーヌの柳眉がこれでもかと吊り上がっていく。
「ムッス伯爵。馴れ馴れしく名を呼ばないでください!
私の機嫌を損ねているのは、あなたご自身であると理解されているのですか! あなたがのらりくらりとバリュー財務大臣の誘いを断るから、わざわざ、この私がっ! こんな辺鄙な場所まで足を運んでいるのでしょう!!」
「あはは。辺鄙とは随分だなぁ。これでも都市カマーは毎年順調に成長しているんですよ。今のまま成長すれば、王都を除けば一番の都市になるのも夢じゃありませんから」
「そんなことどうでもいいですわ。
私が興味あるのは、あなたが王都にいるバリュー財務大臣のもとへ参上し、今までの非礼を詫び頭を下げ派閥に加わる気があるのか。
そして――」
「困るなー。サトウを王都に連れてこいと言われてもね」
「なにが困ることがあるのですか。ウードン
「うーん、サトウはそういったことに興味がないからね。それに恥ずかしい話なんだけど、僕の抱える食客たちが先日サトウと揉めたようでね。正直に言えば誘いづらい」
「なにを言うのかと思えば。
貴族であるムッス伯爵が少々腕の立つ冒険者ごときに、なにを遠慮する必要があるのですか。ただ命じればいいのですわ」
苛立つようにポーリーヌが拡げていた扇子を閉じる。まさか自分がわざわざ王都からカマーにまで足を運んだにもかかわらず、ムッスが説得を断るなどとは微塵も思ってなどいなかったのだ。
「命じて聞いてくれる相手なら、僕も楽なんだけどね」
「先ほどからのらりくらりと話をはぐらかしているようですが。そのような曖昧な態度をバリュー財務大臣は許しても、この私は許しませんからね!」
「ははっ。そんなつもりはないさ。ポーリーヌ殿が、バリュー財務大臣から送られた使者というのは重々承知しているし、その
「なら黙って素直に了承しなさいっ!」
バリュー財務大臣の使者とはいえ、爵位を持たぬポーリーヌの横柄な態度は、伯爵の爵位を持つムッスに対して敬意の欠片もないものであった。
だが、それほどの振る舞いをしても許される。いや、堪えねばならぬほどバリュー財務大臣の持つ権力は凄まじいのだ。
ムッスの傍で控える執事のヌングは、いつもと変わらぬ表情であったが、内心では腸が煮えくり返るほどポーリーヌの振る舞いに怒りを覚えていた。
「そもそもムッス伯爵。あなたはバリュー財務大臣への恩義があるでしょう」
「恩義? なにかあったかな」
「バフ家の
そのときティーカップが倒れる。
ムッスが倒したのだ。その音に皆の視線がテーブルへと集まる。
ティーカップの紅茶がテーブルの上を伝い、ムッスの足へと垂れていく。淹れてから時間が経っているとはいえ、湯気が立つ紅茶がムッスのズボンに落ちていき、染みが拡がっていく。
本来であれば、執事のヌングなりメイドたちがすぐさまに対応しそうなものであったが、誰も動くことができなかった。
「我が父、ワイアットが――ポーリーヌ殿、よく聞こえなかった。もう一度、なんて言ったか教えてくれないかな?」
ムッスに変化はない――はずである。普段と変わらぬ飄々としたムッスなのだが、それでも室内の空気が重苦しくなっていた。それはムッス以外の者たちが、石でも背負わされたかのように感じるほどである。
「ムッス様、お召し物が」
いち早く我を取り戻したヌングが、ムッスの汚れたズボンを絹のハンカチで拭き取る。次にメイドたちが慌てて新品のアームタオルで汚れた部分を隠した。
(王都の貴族たちから軟弱者と揶揄される者などに、この私が気圧されるっ!?)
生まれながらに身体が弱く、目立った戦歴もないムッスに対して、ポーリーヌは舐めてかかっていたのだ。
その考えが間違いであることを、目の前で微笑む人の皮を被った得体の知れぬモノを前に思い知らされたのだ。
咄嗟に怯えを気づかれぬよう、ポーリーヌは慌てて扇子を拡げ口元を隠した。
「し、失言でしたわ」
「そう。ならいいんだ」
「返答は……明日まで待ちます」
「なら今日は館に泊まるといいよ。部屋を用意しよう」
「結構です。未婚の私が殿方の、ましてや独身であられるムッス伯爵の館に泊まれば、良からぬことを言う者もいるやもしれませんわ」
「それは残念だ。
見知らぬ土地で困ることもある。なにか困ったことがあれば遠慮なく、こちらにいるヌングを使っていいよ」
「お困りの際だけでなく、なんなりとお命じください」
「お気遣い痛み入ります。
では、私は急用を思い出しましたので失礼させていただきますわ」
足早に部屋を出ていくポーリーヌを、ヌングやメイドたちが頭を下げて見送った。
ムッスの館を出たポーリーヌは従者や護衛を引き連れて向かった先は、都市カマーの西門であった。
西門を道沿いに進んだ先に見えてくるのは、都市カマーの住人であれば誰もが知っているユウの屋敷である。
そこでポーリーヌは、本日二度目のヒステリックな大声を上げた。
「な、なんですって!! もう一度、言ってみなさい!!」
「はい。
ご主人様はお会いになられません」
屋敷の門前でそう答えたのは、奴隷メイド見習いの狐人アリアネである。他にも狸人のポコリと魔人のネポラが、すました顔でポーリーヌたちを見つめていた。
「この私を誰だと思っているのですかっ!」
下賤な平民。
それも亜人と蔑む者たちの臭いが鼻へ届かぬように扇子で遮っているが、ポーリーヌが激昂しているのは誰が見ても明らかであった。
「どちら様なのでしょうか?
名も名乗らず、不躾にもご主人様を呼べと喚き散らす方が、どこの誰かなどわかろうはずもありません」
アリアネの言葉に「よく言った」とばかりにポコリの重ねられている手に力が入る。
「こ、このっ! ぶっ、無礼者がっ!!」
生まれてから今まで、このようなぞんざいな扱いを受けたことがなかったポーリーヌは、相手が亜人であったことからより一層に屈辱感を受けていた。その結果、怒りで顔を赤く染めるどころか、逆に血の気が引いて青くなっていくのを自身で自覚するほどであった。
「無礼者っ!!」
ポーリーヌの護衛の一人が剣を抜き放とうと、柄に手をかけるのだが。
「なっ! け、剣が――なんだこの布はっ!?」
護衛の男の柄を握る手と剣の鞘が布で縛られていた。男がどれほど力を込めようともビクともせず、見れば布は鉄のように硬質化していた。
「き、貴様っ。『布術士』かっ!!」
護衛の男がネポラを睨みつける。
ネポラの右手と護衛の男の腕を縛る布が結ばれていた。布はメイド服の腰布である。『布術士』であるネポラの手にかかれば、柔らかな布もたちまち鋼と化すのだ。
「ここをどこかわかっていての狼藉ですか? 我らが主はBランク冒険者、領地こそ持たぬものの、男爵の爵位と同等の地位と発言権を持っています。その屋敷の前で剣を抜くなど、冒険者ギルド並びにウードン王国を敵に回すおつもりですかっ!」
ネポラの叱責に護衛や従者たちがたじろぐ。
目にもとまらぬ速さで機先を制したネポラの早業に、まともに戦っても勝てぬと理解すると同時に、正当性でも自分たちが不利だと気づいたのだ。
「私はウードン王国の貴族です。わかったらさっさとサトウを連れてきなさい。そもそも、いつまでこのような場所で私を待たせているのです!!」
たじろがなかったのは、ただ一人――ポーリーヌであった。その振る舞いは自分こそが絶対で、たとえ間違っていようが相手が非を認めるべきであるといった傲慢が垣間見えた。
「お名前と爵位を仰ってください」
ポコリが淡々と尋ねる。
「なっ! ぶ、無礼者っ!! 私が誰か――」
「ですからお聞きしています」
ポーリーヌの全身が怒りで震える。
「お答えになられないということは、爵位をお持ちではないと判断します。では、お帰りください」
「先ほどからメイド風情が無礼だぞっ! この方をどなたかわかっているのか!! パパル家のご令嬢であられるぞ!!」
「サトウは客人に対しての礼儀も知らぬのかっ!!」
罵倒する護衛や従者たちの言葉も、アリアネたちにはなに一つ響くことはなかった。
「ご主人様は
ポコリが暗にお前程度の貴族が、私たちのご主人様にお目通りできるとでも? と言っていた。
「またのお越しをお待ちしております」
罵る言葉など聞こえていないとばかりに、アリアネたちは深々と頭を下げて、ポーリーヌたちを見送った。
「も、申し訳ございません。お……お許しをっ」
「誰に口答えをしているのっ! この、私を、誰か、わかっていてっ!!」
ポーリーヌが鞭で男の顔を叩く。見る間に男の顔は腫れ上がり、倍ほどになる。
叩かれている男は、先ほど剣を抜こうとして逆にネポラに動きを封じ込められた護衛の男である。
「あなたが! 不甲斐ないせいで! この私が、どれほどの屈辱を味わったと思っているの!! 尊き血を受け継ぐ! 貴族である私が!! 亜人ごときに馬鹿にされたのよ!!」
「ひぃっ。お許しください」
都市カマーでも一番格式高い宿の最上階を、ポーリーヌは貸し切っていた。当然のように、先に宿を取っていた客を追い出してである。
「はぁはぁっ」
息を荒げるポーリーヌが鞭を放り投げると、従者が冷やしたタオルと紅茶を差し出す。
「カマーにも暗殺ギルドはあるわよね」
熱を持った手をタオルで冷やしながら、ポーリーヌが従者たちに尋ねる。
「ございます」
従者の一人が答える。目には恐怖の色が見えた。
「すぐに行って、サトウを――いいえ。あの亜人も含めて全員を暗殺するよう手配しなさい」
「っ!? そ、それは……よろしいので?」
「なにか言いたいことでも?」
「わ、私ごときがそのようなこと、ご、ございません」
「わかったら早く行きなさい。お金ならいくらかかってもいいわ。いい? できるだけ苦しめながら殺すように伝えなさい」
「す、すぐにっ!」
数人の従者と護衛が慌てて部屋を出ていく。
「ふ、ふふ。この私を怒らせたのよ。楽に死ねると思わないことね」
暗殺ギルド。
その名のとおり、金銭で殺人を請け負うギルドである。
少し大きな町や都市であれば、一つ二つの暗殺ギルドが存在する。
当然、都市カマーにも――
「この通りの奥にある果物屋だ。そこで金貨一枚と帝国金貨一枚でアプリの実を二個購入すれば、あとは案内人が目的の場所へ連れてってくれる」
「わかった。これは情報料だ」
浮浪者にしか見えない男に、ポーリーヌの従者は情報料を渡して果物屋へと向かう。
「へいらっしゃい」
「アプリの実を二個くれ。代金はこちらで」
雑貨屋の店主は金貨と帝国金貨を受け取ると、店の奥にいる老人を呼び出す。
「あとは、このじっさまが案内する。なーに、ついて行くだけでいいんだ」
腰の曲がった老人のあとをついて行くと、いくつもの路地を曲がり、古びた建物の中を通り抜けた先に、廃棄された地下水路へと繋がる扉が見えてくる。
案内人の老人は扉を杖で差し、自分が案内できるのはここまでで、帰りはまた同じように案内すると言うのみであった。
「よし、行くぞ」
「ギルドとはいえ、相手は暗殺ギルドだ。油断するなよ」
「わかっている」
男たちが警戒しながら廃棄された地下水路を進むと、大きな石畳の広場が目に飛び込む。そこは魔道具で一定の光量が保たれており、地下だというのに目を凝らす必要がないほどの明るさであった。
「我らの用件はわかっているな?」
「ひっひ。そら、こんな場所まで俺らに会いにくるんだ。用件は一つだわな」
ボサボサの髪に眼帯で片目を覆っている男が、不快な笑い声を上げながら近づいてくる。
広場には十人ほどの男たちが、ポーリーヌの従者や護衛たちを値踏みするように睨めつけている。
どこにでもいそうな平民姿の男やスラム街にでもいそうな汚らしい老人、身なりのいい中年など、その見た目は様々であったが、この者たちは暗殺を生業にしている者たちである。各々が恐るべき殺しの技術を持った手練であった。
「なーるほどな。サトウとそのメイドたちを惨たらしく殺してくれか……」
「できるか? 金ならいくらでも払うぞ」
「ひっひ。まあ、そう慌てるなよ。サトウって言ったらカマーで知らぬ者はいないほど有名な冒険者だ。その取り巻きも一筋縄ではいかない連中ばかりとくらあ。それをぜーんぶ、殺すってなると、な?」
「わかっている。金は言い値で払おう」
従者の男はアイテムポーチから布袋を取り出す。布袋の中身は金貨である。それをテーブルに載せると、重みでテーブルが軋む。
「おほっ! こりゃ凄えな。よっぽどあんたらの雇い主様とやらは、サトウを恨んでるようだな」
「無駄口はいい。こっちは急いでいるんだ。すぐにでも取りかかってくれ!」
「慌てるなって言っただろ? おい、あれ持ってこい」
眼帯の男がそう言うと、奥から別の男が両腕で抱えられるくらいの箱をテーブルまで持ってくる。
「なんだこれは?」
「ひひっ。そう慌てなさんな。
実はな? 随分前にも依頼があったんだよ」
ポーリーヌの従者や護衛たちに緊張が走る。
それもそうだろう。以前に依頼があって、ユウが健在ということは暗殺ギルドは依頼に失敗したということなのだから。
「まあ、あんたらみたいに殺してくれって依頼じゃなくてよ。クソ生意気なガキに、ちーと痛い目に遭せてくれって、あとなんだっけ? ある貴族様からの依頼さ。
ああ、依頼主の名は聞かれても言えねえぜ。こんなアコギな稼業だが、そこは仁義ってもんが、な?」
人殺しがなにを言うかと、従者や護衛たちは内心で罵った。
「でよ。その依頼を受けた奴が使った手っていうのが、スラム街のガキを使ったもんだったんだ。まあ、俺らがよく使う手の一つだわな。駄賃を渡して、暗殺対象の足止めや、場合によっては――
眼帯の男が頭をボリボリ掻くと、フケか頭皮のような白いモノがテーブルに粉となって落ちていく。それを不快そうに従者たちが目を背けるが、護衛の男たちは油断ならぬと警戒を緩めない。
「んでよ。まあ、スラム街にいるようなガキなんて、いつくたばってもおかしくない、誰も気にかけない言ってみりゃ塵だわな? それを小遣いやるって騙しこんでサトウに向かわせたわけよ。ああ、予めサトウにはさる貴族様がお怒りで、その件で話があるって呼び出してたんだぜ? そしたらサトウはのこのこスラム街に来やがったんだ。
さあ、こっからが話も佳境ってやつさ。貴族様の依頼は痛い目に遭わせる前に、自分の配下になるよう説得もしろってもんだ。まったく貴族様ってのは無茶を言いなさる。
まー。案の定、サトウは配下になる気は一切ないって言うわな? で、痛い目に遭ってもらうことになって、そこで合図を待っていたガキどもがサトウに群がったんだ」
こんな話になんの意味があるんだと、従者の一人が苛立ちげに足を揺する。
「ひひっ。こりゃ大事な話だから、まあ最後まで聞いてくれよ。
そのガキどもの一人にはナイフを持たせてたんだ。それも毒がべっとり塗ったやつがな。
サトウも相手がガキってことで油断してたんだろうな? まんまとガキに腹を、こうっ! ぶすりと抉られてよ。
ひっひ。さしものサトウも、その頃はDランクにもなってないような
それがいけなかった。サトウを怒らせちまったんだわな? 俺らだってこんなアコギな稼業をしているんだ。いつかは死ぬ覚悟はできてるさ。だけどよ? だけど、こんなのってあんまりだろ?」
「な、なにを……言っている」
「ひ、ひひっ。その箱を開けてみな。いいから、ほら。見ればわかる」
従者の一人が恐る恐る言われるまま箱を開けると、そこには――
「ひっ!? な、なな、なんだこれはっ!!」
「どういうつもりだ!!」
「貴様っ!!」
驚いた拍子に、箱の
箱の中身は、人の――生首であった。
「ひひひっ。ひゃっひゃっ!! 驚いたか? でもよ。驚くのはこれからなんだよ。ほれ、落ち着いてもう一回、それをよーく、いいか? よーく見るんだ」
眼帯の男に剣を向けていた護衛や、驚いて尻もちをついていた従者たちが、テーブルの上の生首へ視線を向けると。
「ばっ!? 馬鹿なっ!! この生首は、い……生きている?」
「そんなっ!? こ、ここ、こんな……ア、アン、アンデッドなのか?」
生首は声こそ出さぬものの、口を魚のようにパクパク開いては、なにかを訴えかけるように虚ろな目で周囲の者たちへ視線を向ける。
「ひ、ひひ。そうさ。そいつはアンデッドだ。死にたくても死ねないってのは、どれほどの苦痛なんだろうな?
サトウが俺ら暗殺ギルドのアジトを見つけるのは早かったぜ。その生首を持ってさ、サトウが言うんだよ。これは罰だって。
その生首はベンっていう名の男なんだが、そんな姿でも意識はハッキリとあるんだぜ。調子のいい日なんかにゃー、殺してくれって一日中泣き叫ぶんだからよ。こっちは気が狂いそうになるってもんだ」
「サ、サトウの目的はなんなんだ。こ……こんな非道を、人の命を弄ぶような真似をしてっ!!」
「ひひっ。そらあれよ。
今後こんな馬鹿な依頼をするような奴が現れないようにって、きつーく俺らは言われてんのさ。でさ、でさっ! そんな馬鹿が現れたらどうすると思う?」
そこに至ってようやく従者や護衛たちは、自分たちが罠にかかったことに気づいた。周囲の出入り口は塞がれ、暗殺ギルドの男たちの手には武器が握られていた。
「逃げようったって無駄だぜ? こっちも命より大事なもんがかかってるんだ。たとえ死んだってお前らを殺してやるってもんだ」
「ま、待てっ! 金なら、金ならいくらでも払うんだぞ!! それに我らの主を誰だと思ってるんだ!!」
「金だぁ? 主だぁ? 馬鹿なこと言ってんじゃねえぞっ! こっちは毎日毎日、気が狂いそうな目に遭ってんだ!! そんなもんのために、サトウを敵に回せるかってんだ!!
わかったらさっさと死んでくれよ! なあ? なあ! なあなあっ!!」
「ま、まま、待って……ぎゃああああっ!!」
「くそがっ!!」
「戦うな! どこか逃げ――がやあ゛あ゛ああああっ」
その広場からポーリーヌの従者や護衛たちが生きて出ることは、誰一人として叶わなかった。出ることができた者は、物言わぬ屍のみであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます