第235話 暴君

「そこを退きなさいよ」


 白く長い耳が特徴的な兎人のバルバラが、扉の前に立ち塞がる鬼人の冒険者に向かって、いつものように横柄な態度で言い放つのだが。


「あー。ちょっと中は立て込んでるから時間をずらして出直してくれや」


 立派な二本の角に青い肌の鬼人族の男は、少し申し訳なさそうに頭を掻きながらバルバラに告げる。


「私はその理由を確認するために来たのよ! 大体、他の扉もむさ苦しい冒険者が邪魔して通れないから、この私がわざわざ遠回りしてここにきたんじゃないっ!」


 ぷりぷり怒るバルバラの尻尾が左右にフリフリと揺れる。

 普段であれば、冒険者が少し騒いだくらいで冒険者ギルド側が介入することはない。あっても精々が注意で済ます。

 そもそも冒険者制度は、元々は力があり余っている無法者を管理し、有効活用するために造られた組織である。冒険者という肩書を名乗ってはいるが、根っこの部分は粗野で争いを好む者が非常に多いのだ。そのため冒険者ギルドでは多少の争いごとがあろうと、目を瞑るのが常識である。

 しかし、今回は話が別である。職業柄、巨人族や鬼人族などの人族を優に上回る巨躯を持つ種族が集まる都市カマー冒険者ギルドは、軍事施設に匹敵するほど頑丈に造られている。さらに各種魔法や魔導具などによって強化されているのだ。力自慢の冒険者が少々暴れたところで、冒険者がいる大部屋からバルバラなど受付嬢がいるカウンターまで音が響くことなど、本来ありえないはずなのだが。


「いつもの馬鹿騒ぎだ。少しすれば静かになる」


 当然これは嘘である。

 この鬼人の男はノアの知人であり、扉の前で門番のように冒険者ギルドの職員を通さないのは、ノアとヤークムの戦いを邪魔させないためであった。他の扉では『赤き流星』所属の冒険者たちが同じように、誰も通さないように立ち塞がっていた。


「あなたね! そんなわけないでしょうがっ! 少し騒いだくらいで受付にまで音が、ましてや冒険者ギルドが揺れるわけないんだからね!!

 ジョゼフさんとノアが殴り合っていたときでも、これほどの振動は響いてこなかったわ。さあ、そこを通しなさい」

「落ち着けって」

「きゃっ! 触らないでよ! 誰か~! いたいけな乙女が襲われてるわよ!!」

「いたいけなって……。そんな歳じゃないだろう」

「な、なんですって!! この、えい、とうっ!」


 バルバラが胸や腹を殴りつけるが、鬼人の男にとっては撫でているようなものである。こそばくなって思わず手で払うと。


「いだっ!? な、殴ったわね! 私の可憐な手を、よくもっ!!」

「ちょっと払っただけだろうが。大袈裟な」


 鬼人の男は軽く払ったつもりなのだが、そこは鬼人族のそれも冒険者である。バルバラは木の棒で叩かれたかのように感じたのも仕方がないだろう。

 赤くなった手の甲を擦りながら、涙目のバルバラが鬼人の男を睨みつける。


「そっちがその気なら、私にも考えがあるんですからね!」

「物騒だな」

「エッダさ~ん、冒険者が暴れてギルドの備品を壊してますよ~!!」

「ばっ!? バカっ! やめろ!!」


 違う意味で青くなった鬼人の男は、慌ててバルバラの口を塞いだ。都市カマーの冒険者であれば、冒険者ギルドで一番恐ろしいのはギルド長であるモーフィスではなく、エッダであるというのは誰もが知るところである。


「はなひなひゃいよっ!!」

「いででっ。噛むな」


 廊下でのバルバラたちとのやり取りとは打って変わって、大部屋の中は各々の殺気が渦巻いていた。


「ぺっ」


 ノアが口内に溜まった血を吐き出す。

 相手が強いほど自身の身体能力が上昇するノアの固有スキル『強敵好戦』はすでに発動中であった。にもかかわらず、肉弾戦でヤークムに押されているのである。相手が巨人族とはいえ、他種族にそれも武器を使用しない肉弾戦で後れを取るなど鬼人族であるノアにとっては屈辱以外の何物でもない。


「クソがっ。ぶっ殺してやる!」


 わずかな時間ではあったが肉弾戦では埒が明かないと、ノアはアイテムポーチに手を突っ込む。


「ば、ばかっ!」

「拙いぞっ。ノアの野郎、本気になりやがった!」


 ノアの手には火轟の金棒と呼ばれる火を纏った金棒が握られていた。燃え盛る火は、周囲へ己の存在を知らしめるかのように熱気を撒き散らしていた。

 そしてトロピもノアと同じ結論に至っていた。


「巨人族って無駄に頑丈だから嫌なんだよねー」


 土の精霊が集うと、トロピの身体には不釣り合いなほど巨大な戦斧を形成していく。


「おんどれら、得物を手にしたからには儂も手加減はできんけえの」


 二人に呼応するかのようにヤークムも戦鎚を担ぐ。


「あ? 誰が手加減してたって」

「あはは。ボク、あとでムッス伯爵に謝らないと。あなたの大事にしている食客を殺してごめんなさいねって」

「ぬかせっ!!」


 三者の膨大な殺気が複雑に絡み合い、周囲で見守る冒険者たちに緊張が走る。ノアクラスの冒険者が本気で暴れれば、いかに堅牢を誇る冒険者ギルドといえど、ただでは済まないからである。


「これ止めねえとヤバイやつだ」

「じゃあ、お前が止めろや」

「無茶言うな!」

「俺はちょっと急用を思い出したから席外すわ」

「行かせるかっ!」


 すでに避難している者や怖いもの見たさに残っている者、ノアやトロピの知り合いや『赤き流星』所属の者などが、危険を見越して部屋に結界を張り巡らせていたが、気休め程度にしかならないと誰もが理解していた。


「俺がぶっ殺すんだから邪魔すんじゃねえぞ」

「えー、ボクのほうが上手に殺れると思うんだけどなー」

「お前も殺すぞ」

「あはは。一匹殺すのも二匹殺すのも変わらないかー」


 ノアとトロピに共闘する考えなど欠片もなかった。互いに邪魔さえしなければ放っておいてもいいくらいの考えであったのだが、邪魔をするのであれば話は別である。

 ヤークムよりも先に片付けるかと、ノアとトロピが向かい合う。それにノアの知人や『赤き流星』の者たちが反応する。共闘しないのであれば、別の場所でも違う争いが勃発しかねない状態であった。


「こんまいガキ共がなにを争うとるか。まとめて相手したるけえ、さっさとかかってこんか――ぬうっ」


 ノアたちを取り囲む人垣が、波が割れたかのように左右へわかれる。そこには黒い外骨格を纏い異形の身となったナマリが立っていた。ゆっくりとナマリが歩を進めるごとに、人垣は波が引くようさらに大きくわかれていく。


「お前、嫌なやつだな」


 ナマリがヤークムを見上げながら睨みつける。ナマリの変貌にノアは言葉も出ない。トロピはなにかを察しているのか、すでに距離を大きく取っていた。


「それがおんどれの正体か」

「エッカルトをなぐって」

「気色悪い姿晒しよってからに」

「ノアやトロピにまでいじわるして」

「じゃったらなんじゃ。文句でもあるんか」

「俺がやっつけてやる!」

「やってみんかいっ!!」


 ヤークムの左拳が唸りを上げながら、ナマリに振り下ろされる。


「やめ――」


 呆気にとられていたノアの反応が遅れた。

 『闘技』を纏ったヤークムが本気で放った一撃である。相手がオーガであろうが、一撃で粉砕する威力が込められている。喰らえばナマリの身体など、どうなるか誰もが容易に想像できた。


「だりゃっ!」


 ナマリが右拳を振り上げる。ヤークムの巨大な拳とナマリの拳が接触する。

 轟音と同時に衝撃が空気を介して、ノアや周囲で見守る冒険者たちの全身を叩いた。


「お……おおっ」


 ノアの目が大きく見開かれる。それは周囲で見守っていた者たちも同様で目を見開き、驚愕の表情を浮かべていた。

 そこには拳が砕け、骨が皮膚を突き破っているヤークムの姿があった。


「まいったか!」


 得意気なナマリとは正反対に、ヤークムは冷静に受けたダメージの分析をしていた。

 損傷を受けたのは左拳だけでなく、アダマンタイトのガントレットに護られる左前腕の内部では橈骨、尺骨が衝撃で折れ、拳と同様に筋肉と皮膚を突き破っており、大量の血が左腕を伝って床へと滴り落ちている。


「ほうか。

 簡単にはいかんとは思うとったが、予想の上をいくか。

 じゃが、この程度じゃ参ったできんのう!」


 ヤークムが歯をむき出しにして嗤う。アダマンタイト製の鎧の中で肉体が膨張し、同時にヤークムの右腕が薙ぎ払われる。巨大な戦鎚がナマリの右脇腹へ叩き込まれた。

 人を叩いた音ではなかった。巨大な金属と金属がぶつかりあったかのような、耳をつんざくような異音が鳴り響いた。


「「ナマリっ!」」


 ノアやラリットが悲鳴のような声を上げる。

 ヤークムの得物は巨人族の名工が鍛えし逸品である。その戦鎚をまともに喰らったのだ。ナマリの身体が原型を留めているのが不思議なくらいであった。


「こんにゃろ!」


 何事もなかったのようにナマリが戦鎚を殴りつける。ただ無造作に殴りつけただけにもかかわらず、戦鎚がひしゃげるのではないかと思うほど、しなりながら弾かれる。しかし、その反動を利用してヤークムが槌技『旋槌せんつい』を発動。反対側の左脇腹に戦鎚を叩き込むのだが。


「傷一つつかんか。どない身体しとんじゃい。バケモンがっ」


 微動だにしないナマリの足下を見れば、強固な木材や補強の魔法をかけられた床にナマリの足がめり込んでいた。


「相手がバケモンならぁ、遠慮することはないわいの」

「わっ」


 ヤークムが戦鎚を叩きつけた反動を利用して、左右から槌技『旋槌せんつい』や上位技の旋風槌しっぷうついを連続で叩き込んでいく。一撃でも大型の魔物にすら致命傷を与える攻撃を怒涛の勢いで放つのだ。喰らうほうは堪ったものではない。


「ずるいぞっ。自分ばっかり」


 その凶悪な連続攻撃を喰らいながらナマリが間合いを詰めていく。防御もクソもない。


(儂の攻撃を喰ろうて、お構いなしに距離を詰めるか)


 歴戦の兵であるヤークムの攻撃がまったく効いていないのだ。

 魔物の攻撃を受け止める強靭な肉体に、凶悪な魔物を粉砕する攻撃力を併せ持つヤークムは、前衛職として目指すべき一つの姿である。その攻撃がただ力任せに暴れるナマリに通じないのである。

 あまりにも理不尽な光景に誰もが口を噤む。


「退きなさい」

「あん? 誰だ――げえっ!?」


 人垣をかき分けて現れた人物を見るなり冒険者の一人が逃げようとするが、身体が動かないことに気づく。他の冒険者も顔を見るなり慌てて逃げようとするが、先ほどの冒険者と同様に身体どころか指一本すら動かないことに気づき絶望する。


「つかまえた!」


 ナマリの手がヤークムの右足首を掴む。小さな手がヤークムの肉に喰い込んでいく。


「放さんかいっ!」


 ナマリの背中にヤークムが肘鉄を叩き込むが、ナマリは意に介さずそのままヤークムの足首を掴んで振り回す。


「とうっ!」


 そのまま無造作にナマリは床にヤークムを叩きつける。それも一度や二度ではない。さっきのお返しとばかりに連続である。


「がふっ……こ、こんバケモンがっ」


 さすがのヤークムも度重なる叩きつけに、強靭な肉体にダメージが蓄積していく。


「このままじゃ……ギルドが、冒険者ギルドがぶっ壊されちまうよ!?」

「誰があんなの止めるんだよ。いや、誰だろうと止めらんねえぞ!?」


 すでに争いを止めようと鋼糸でナマリを拘束したラリットは、逆に引きずられて腕がズタズタで治療を受けている最中である。


「だおっ!!」


 勢いよくナマリがヤークムを床に叩きつける。巨躯のヤークムの上半身が床に沈み込んでいく。さらにナマリが馬乗りになって拳打を放つ。ヤークムのアダマンタイト製の鎧に拳の形が刻まれ、肋骨が砕け、内臓が損傷し、噴き出した血によってヤークムの顔が血塗れになっていく。


「おんどりゃっ!!」

「おわっ」


 ヤークムに払いのけられたナマリが床の上を転がっていく。


「好き放題殴りよってからに、あんまり調子に――なんじゃ身体が、動かんぞ」

「こいつ、まだまだ元気だ――あれ、う~ん、なんかおかしいぞ」


 ナマリとヤークムの動きが静止した画像のようにピタリと止まる。

 そして人垣の中からエッダとバルバラが姿を現す。


「ちょ、まっず。三だ――エッダさんだ」


 エッダの姿を見るなり逃げ出そうとしたトロピであったが、身体が思うように動かない。


「トロピ、この騒ぎにあなたもかかわっていますね」

「えへ。ボク、わかん――」

「わからないなどと、ふざけたことを言えばどうなるかはわかっていますね」


 普段のおっとりとした雰囲気など欠片もないエッダの姿に、トロピは舌を可愛らしく出すと。


「やだなー。ボクがエッダさんにそんなこと言うわけないよー。だから、この拘束を解いてほしいなーなんて。ダメ?」

「な、なんでオデまで」

「ぐおおおっ。このっ!!」


 身体が動かないのはナマリやトロピだけではなかった。意識を取り戻したエッカルトやノア、それどころか部屋にいる全ての者が不可視の拘束具でもつけられたかのように動くことができずにいた。

 この場にいるのはCランク以上の冒険者である。一階にいるようなDランク以下の冒険者ではない、いずれも腕に覚えのある者ばかりである。その者たちが一斉に拘束されたのだ。


「あなたたち、調子に乗りすぎたのよ。だからさっさと私を――」

「バルバラ、少し黙っていなさい」

「――はい」


 得意気に飛び出てきたバルバラは、エッダの言葉に慌てて口を手で塞いでエッダの後ろへと引っ込む。


「エッダ、なんの真似じゃいっ! はよ、この鬱陶しい結界を解かんかいっ!!」


 ヤークムが力尽くで立ち上がる。身体のどこかしらから肉の繊維が引き千切れるような音が聞こえてくる。


「聞こえんのかっ! この――があ゛っ!?」


 立ち上がったヤークムが逆再生のように潰れて床にめり込んでいく。


「この落とし前はムッス伯爵につけていただきますからね」


 ヤークムを拘束する結界の魔力が増大し、比例してヤークムの身体が締めつけられる。


「ム……ムッス殿は、関係……ないわい! 儂が、勝手に、あーっ!! 鬱陶しい結界じゃっ!!」

「ばーかっ! エッダさんの結界に逆らえるわけないでしょうがって、嘘でしょ……」


 エッダの結界に抗いながら歩いているナマリの姿がバルバラの目に入る。


「な、なんなのよ。あの化け物はっ!? エ、エッダさんっ」

「困ったわね」

「そんなこと言ってる場合じゃないですからっ!」


 エッダは言葉とは裏腹に大して困った様子も見せずに、ナマリを拘束する結界に魔力を注ぎ込む。


「うににっ! お、れは……強い、魔人族なんだぞっ!」


 ナマリを拘束する結界が次々と無効化され、その傍からエッダが新たな結界で拘束をするのだが、それでもナマリの歩みを止めることができずにいた。


「あら、止まらないわね。どうしましょ」


 頬に手を当て困ったと呟くエッダに、バルバラは急かすように。


「呑気に言っている場合じゃありませんよ! 早くなんとかしてくださいよ!」

「うおおおおおっ!」


 ナマリの動きが徐々に速くなっていく。


「でも、これ以上だと殺すことになるわね」

「ふざけんなよクソババアがっ! あれはナマリなんだぞ!! ちょっとでも手を出してみろ、俺がお前をぶっ――げぶっ!?」


 ノアの身体が押し潰される。やったのは当然エッダである。


あの子ノアにはあとでゆっくりと、お仕置きする必要があるわね。それにしても、どうしてあの可愛らしいナマリちゃんがあんな姿になったのかしら?」

「エッダさーんっ! 来ますって!!」

「わかったからスカートから手を放しなさい」


 エッダが腕を複雑に動かしていく。魔力が長方形を型取り次々とナマリの前方に現れ、行く手を阻む。


「だおっ!!」


 ナマリの拳打を受けた結界が脆くも崩れ去る。


「まあ、バルバラ聞いた? 『だおっ』ですって、姿が変わってもナマリちゃんは可愛いわね」

「ぜんっぜん可愛くありませんからっ!!」

「バルバラにはもう少し余裕を持ってほしいわね。

 でも私の結界ってあんなに脆かったかしら? ここはナマリちゃんがなにかしていると考えるべきね」


 もうダメだとバルバラが半ば諦めかけたとき、五色の剣がナマリを取り囲むように床に突き刺さり、五芒星を象る。火、水、風、土、光で構成された五本の剣がそれぞれの間を駆け巡り、エッダが展開する結界との相乗効果により凶悪な封印をナマリに施していた。


「なんか危なそうだからとりあえず封印しといたわ」

「あら、クラウディアじゃない」


 精霊剣フィフスエレメントを掲げる『剣舞姫』ことクラウディア・バルリングが、わざわざ目立つ姿勢でエッダや周りの冒険者たちにアピールするように立っていた。


「おんどれがなんでここにおるっ!」


 ムッスの館にいるはずのクラウディアが、この場に現れたことにヤークムが問い質す。


「最初の言葉がそれ? 助けてあげたんだから感謝くらいしてほしいものね。

 まあ、いいわ。なんでって、ジョゼフが帰ってきたのよ」

「あのアホが帰ってきたんか。まさか、かーちゃんは」

「死んでないわよ。でも当分は使い物にならないでしょうね」


 クラウディアの言葉にヤークムの全身から殺気が溢れ出る。


「マーダリーは、なにしとったんじゃっ!!」

「うるっさいわね。マーダリーならジョゼフが現れるなり、逃げてっちゃったわよ」

「あんのボケがっ!! かーちゃん見捨てよったんか!!」


 エッダの結界に抗って立ち上がるヤークムであったが、すぐさまエッダが結界に魔力を注ぎ込むと、潰され床に這いつくばる。


「で、この化け物はなんなの?」

「化け物じゃないわ。ナマリちゃんよ」

「ナマリって、あの魔人族の子供?」

「テダレデスネ。ナマリ、ツイカシマス」

「へ?」


 突如聞こえた無機質な声に、クラウディアが間抜けな声を漏らす。

 ナマリを覆う外骨格から飛び出ている巻角から一体の、否。今は一匹の黒いスライムへと変貌させた魔物が、滲み出てナマリを覆い始める。運悪く高レベルの『解析』を持つ冒険者が、その黒いスライムのステータスを見てしまう。


「ひっ、あ、ああ……ああああああっ!!」


 途端に恐慌状態に陥り取り乱すのだが、幸か不幸かエッダの結界によって身動きを封じられていたために、周囲へ被害を及ぼすことはなかった。


「なんか嫌な予感がするんだけど」

「ナマリちゃん、反抗期なのかしら」


 クラウディアとエッダのエルフコンビは悠長にナマリを覆う外骨格がより攻撃的な形状に変わっていくのを眺めていた。


「キイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イ゛イイイー!!」


 ナマリが発したとは思えない奇声であった。エッダが結界を張り巡らせていなければ、多くの者が鼓膜を損傷していただろう。


「オトナシクシナサイ。ナマリ、シハイリョクヲ」

「わ……わ゛が、わかってる」


 ナマリが従える十の魔物の一つ、『啼き蟲クインクイーン』がナマリとナナの支配から逃れようと暴れる。ナマリと黒いスライムとの間でどのようなやり取りが繰り広げられているのか。少しするとナマリを覆う外骨格の形状が安定する。


「うおおおっ!」


 ナマリの動きを阻害していた結界が、五本の剣が描く五芒星が綻び始める。


「エッダ!!」

「全力でやってるわ」


 クラウディアがエッダを横目で見ると、薄っすらと額には汗が浮かんでいた。周囲を一瞥すれば、冒険者やヤークムに混じってモモが結界に抗っていた。他の冒険者たちとは違い、モモを拘束する結界は一つや二つではなく、様々な形の結界が複雑に絡み合いながら、また不規則に回転しながら、妖精姫であるモモを封じていた。しかし、モモはそのエッダの結界を徐々にではあるが、破りつつあった。


「こっちに集中しなさい!」

「ダメよ。ここでモモちゃんが参戦すれば、お手上げになるわ」

「ちっ。私に合わせなさい!!」


 クラウディアが剣技『閃光』で、ナマリの両足首を削りにいく。そこに合わせてエッダが結界の一部だけを解除する。高速で動くクラウディアの動き、さらには狙う部位のみ結界を解除するという離れ業をエッダは難なくこなす。


(悪く思わないでね)


 精霊剣フィフスエレメント、精霊が宿るエルフ族の至宝である。そこに『剣舞姫』と呼ばれる剣の達人であるクラウディアの腕が加わるのだ。

 何物も斬り裂く剣閃がナマリの足首を襲う。


 だが――


「ぐっ……! 弾かれた!?」


 衝撃で手が痺れ、思わず剣を放しかけるクラウディアであったが、舞うような身のこなしで、体勢を立て直し剣を掴みなおす。


「本気で殺るしかないか……」

「もしナマリちゃんを死なせるような――」

「わかってるわよ! そのつもりでやらないと止まらないって意味に決まってるでしょうがっ!!」


 クラウディアが精霊剣フィフスエレメントを上段に構える。半端な攻撃ではナマリは止まらない。それこそ四肢をもぐくらいはしないと。

 今からクラウディアが放つのは剣技『堕ち椿』。その名のとおり決まれば椿の花が堕ちるように対象の首を斬り落とす技なのだが、狙うのは首ではなく外骨格が一番薄い手首と足首。先ほどは失敗したが、これが最善であるとクラウディアは判断する。

 高位の剣技を同時に四箇所へ放つ超高難度の技を、ナマリを殺さないように放たなくてはいけないのである。異常な集中力を要するクラウディアの精神が見る間に削られていくが、失敗するわけにはいかない。


「ジョゼフ、この貸しは高くつくんだからね!!」


 美しき剣閃が空気を斬り裂きながらナマリへと迫る。

 迫りくる精霊剣フィフスエレメントに対して、ナマリはクラウディアとの距離を詰め、頭部で刃を受け止めた。


「きゃっ!?」


 弾かれた精霊剣フィフスエレメントが宙に舞い、そして床に深々と突き刺さる。

 剣を放ったクラウディアの両手首は衝撃で折れていた。その横をナマリが素通りしていく。

 決死で放ったクラウディアの攻撃であったが、ナマリにはわずかな傷すらつけることすら叶わなかったのだ。


(じょ、冗談じゃない。これじゃまるで――)


 ――まるで魔王じゃない


 忌まわしき記憶がクラウディアの脳内に蘇る。


「エ、エッダさん……」

「これはダメかもしれないわね」

「ええっ!?」


 ナマリはヤークムの目の前で立ち止まる。


「やっつけてやる!」


 今もエッダの数十に及ぶ結界がナマリの動きを阻害しているのだが、それでもナマリは動きを止めない。そしてゆっくりと拳を放つ。


「ぬんっ!!」


 結界で満足に身動きが取れないヤークムも、力尽くで左腕を上げてナマリの拳を受け止める。

 しかし、アダマンタイト製のガントレットが鈍い悲鳴を上げながらひしゃげる。そのままヤークムの左前腕にナマリの拳がめり込んでいく。


「こ、こんのバケモンがっ!!」

「エッダ!! ヤークムの結界を解きなさい!!」

「そう言われても。ヤークムはギルドを壊した一人なのよね」


 あらあらと考え込むエッダの目の前では、ナマリの拳がヤークムの胸部を覆うアダマンタイトの鎧にまで達していた。


「もう! なんでそう融通が利かないのよ!!」


 誰もがヤークムはこのまま死ぬと思った。

 エッダやクラウディアの二人がかりでも止めるどころか足止めにすらならないのだ。誰があのような暴力の権化ともいえる存在を止めることができようか。

 皆が見守ることしかできないそのとき――


「ナマリちゃん?」


 一人の少女の声が部屋に響いた。


「ナマリちゃんだよね。ダメだよ」


 少女はコレットであった。

 騒ぎを聞きつけ、二階に駆けつけたのだ。

 驚くべきことに、コレットの呼びかけにナマリの動きが止まる。


「だって、こいつが」

「そんなことしちゃダメだよ。ユウさんも悲しむよ」

「……オドノ様が?」

「ごめんなさいしよっか」


 部屋を静寂が包み込んだ。

 そして――


「…………わかった。コレット姉ちゃんの言うとおりにする」


 誰もが諦めていたことを一人の力なき少女が成し遂げた。


「うっそ。あの子、止めちゃったわ」

「さすがはコレットね」


 呆然とするクラウディアと対照的にエッダは満足気であった。




 ネームレス島にある鍛冶場では今日もウッズが熱心に鎚を振るっていた。


「親方、これどうですか?」


 魔落族の女性が鍛え上げたばかりの剣をウッズに見せる。


「おう、いい感じじゃねえか。今度はもっと温度上げて試してみるか」


 樽体型の典型的なドワーフであったウッズは、いまや無駄な脂肪がこそげ落ち、その下に隠れていた筋肉が姿を現しており、近くで見なければドワーフと気づかぬほど身体は絞りに絞られていた。


「いやじゃいやじゃ~! 王よ。考え直してくれ~!!」


 鍛冶場の奥から魔落族の長であるマウノの叫び声が響き渡る。


「うるさいな。一本だけだろうが」

「それでもいやじゃ! ぜ~んぶ儂のなんじゃ!!」

「ふざけんな。いつお前のになったんだよ」


 ユウの抱える大きな布で包まれた物に縋るようにマウノが駄々をこねていた。


「おう、ユウじゃねえか。なんかあったのか?」

「おっちゃん、どうもこうも」

「おおっ!? ウッズ殿、いいところに!

 ウッズ殿からも言ってくれんか。王が古龍の角を儂から奪うんじゃ!!」

「奪うってなんだよ。これはもともと俺のもんだろうが。大体、持っていくのも一番小さな角で、それも一本だけだって言ってるだろうが」

「それでもいやなんじゃ~!!」


 とうとうマウノは地面に寝転がって手足をばたつかせて泣きじゃくる。普段のマウノを知っている者からすれば驚きの姿である。


「ま、まあ、マウノ殿のことはさておき。俺がいつまでたっても古龍の素材を使いこなせないのが原因か?」

「違うよ。ちょっと予定が狂ったから代わりに古龍の素材で代用するって言ってるのに、マウノが小さなガキみたいに駄々こねるから」

「それならいいんだが。俺も色々やってみてはいるんだが、なかなか上手くいかなくてな」

「別に俺は焦ってないから」

「そう言ってもらえると俺も助かるが。

 それはそうと、お前どっか調子悪いのか?」

「なんで?」

「目が真っ赤じゃねえか」


 ウッズがユウの目を覗き込もうとするが、ユウが顔を逸して目を合わせない。


「なんでもないよ。

 それじゃ、俺は行くところがあるから」

「そんな急いでどこに行くんだ?」

「わかっていても、やられっぱなしってのは嫌だから」

「あん? なに言ってんだ」


 足に縋りつくマウノを払い除け、ユウは鍛冶場の外へと出ていく。その後ろ姿をウッズは見送る。

 鍛冶場ではいまだ泣きじゃくるマウノをどう慰めるかを、ウッズは考えなくてはいけなかった。

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