第215話 灼熱剣

「ブオ゛オ゛オオオォォ……ッ!」

「ワオオオオーン!」

「ヴォオ゛オ゛オッ!」


 ビッグボーやステップウルフ、ウードングリズリーなど、何百頭もの様々な獣が目的もないまま暴走しながら野を駆ける。


「急げ急げっ! もう少し頑張れば作戦の場所だ! そこまでこいつらを誘い込めば、ハァハァ、こっちのもんよ!」

「わかってるから、無駄なお喋りするんじゃないよ!!」

「くっそ! 囮役なんて引き受けるんじゃなかったぜ!」


 突如ウッド・ペインに出現した木龍によって、周囲の森林や山に生息していた魔物が混乱し、四方八方へと逃げ去っていった。さらに逃げた先の魔物を巻き込みながら、数を増していく魔物の群れはいくつかにわかれ、その群れの一つから進行ルートにある村々を護ろうと奮闘する冒険者たちがいた。


「隘路が見えたぞ!」

「このまま突っ込んで、一気に崖を駆け上がるよ!」

「了解っ!!」


 馬に跨った三人の冒険者は隘路に突っ込んでいく。そしてそのまま崖を駆け上がっていく。登りきると同時に、酷使させた馬が崩れるように横たわる。


「よくやったぞ。あとで腹いっぱい餌を食わしてやるからな!」

「シャム! あんたの言ったとおり、あたしたちは命懸けで魔物の群れをこっちまで引っ張ってきたんだから、これで無理でしたなんて言ったらぶっ飛ばすからね!」


 囮役を買って出た冒険者の一人である女の冒険者が、これで失敗したら許さないとシャムに詰め寄る。


「貴様っ! シャム様に向かって、なんて口のききかたを!!」

「冒険者風情がっ!!」

「はんっ! 今はあんたたちの主もあたしたちと同じ冒険者さ、それとも貴族様って呼べば満足するのかい?」


 自らの主であるシャムに対して無礼な態度を取った女の冒険者に、シャムの従者であるドッグとサモハが突っかかるのだが。


「やめよ! 今はくだらぬ諍いをしている場合でないことは、互いにわかっているであろう」


 シャムからの一喝にドッグとサモハ、女の冒険者は口答えすることなく、ばつが悪そうに「ふんっ」と鼻を鳴らし、あらぬ方向へ視線を向ける。


「そういうこった。

 シャムさんよ。魔物の群れは全部入り込んだのを確認したぜ。あと隘路の出口は『アースウォール』の上から『ストーンウォール』で覆って強化してるから、ちょっとやそっとじゃ突破できねえはずだ」

「よし。では始めるぞ」


 シャムの号令を合図に、冒険者たちは所定の場所へと駆け出していく。


「ここに来るんだろうな?」

「他の道は全部塞いでるからな。

 魔物の群れの先頭がこの場所になだれ込めば、あとは後ろから次々くる魔物が押し込むから、身動きのできねえ魔物たちは一網打尽ってわけよ」

「偉そうにっ。シャムが考えた作戦だろうが」

「あんたたち、お喋りはそのくらいにしときな。来たよ!」


 隘路の中を走り回っていた魔物の群れは、ある場所へと誘導されていたことに気づいていなかった。そこは少し開けた場所で、周囲は断崖に囲まれていた。当然、シャムたちが陣取っているのは断崖の上である。


「ブモッ!?」

「ヴオォンッ!!」

「ギャッ!?」


 魔物の群れの先頭が、シャムたちの手によって造られた壁にぶち当たり動きを止めるのだが、後ろから押し寄せる魔物によって来た道を戻ることができない。

 千を超える魔物によって、広場はあっという間にぎゅうぎゅう詰めである。


「入り口を塞げっ!!」


 黒魔法や精霊魔法を使える者たちが一斉に『アースウォール』『ストーンウォール』『グランドウォール』『カブルウォール』を放つ。その際、何匹かの魔物が生成されていく土や石の壁に取り込まれる。

 広場の唯一の出入り口が、巨大な壁によって塞がれる。すると、魔物の群れが出口を求めて暴れだすのだが、身動きのできない状態では満足に暴れることもできずにいた。


「今が勝機だっ! ありったけの矢と魔法を放てっ!!」

「応っ!」

「待ってたぜ!!」

「クソッタレの魔物共が喰らいやがれっ!!」


 矢が、魔法が、雨霰のように魔物の群れに降り注ぐ。躱そうにも身動きができないために、矢が皮膚を、肉を貫き。火の魔法によって全身火だるまに、氷の槍で串刺しになる魔物など、一方的な展開になっていた。中には魔物の死骸を踏み越えて断崖を駆け上がる魔物もいたのだが、上にはそれを待ち構えていた盾職や前衛職の冒険者たちによって再度広場へと突き落とされる。


「よし、よっし! このままいけるんじゃねえか?」

「ああ、こっちは大した被害も出てないぞ。たった百人足らずで、千を超える魔物の群れをどうにかできそうだぜ」


 皆が勝敗が決したと思ったそのとき――


「気をつけろ! 鉄猪が登ってくるぞっ!!」


 一人の冒険者が注意を促す。

 魔物の死骸を踏み越え、断崖を駆け上がる鉄猪の姿が見えたからだ。


「登ってくるんじゃないよっ!」


 女の冒険者がショートソードで斬りつけるが。


「バカっ! 鉄猪相手にまともに斬りつけるなんてっ!!」


 その名のとおり。鉄猪の体毛は鉄のように硬く、生半可な攻撃では傷一つつけることができないのだ。現に女の冒険者が斬りつけた箇所は、傷がつくどころかショートソードを弾き返し、逆に体勢を崩すことになる。


「きゃっ!」


 尻餅をついた女の冒険者の前には体長二メートルを超える鉄猪が、踏み潰さんとばかりに前足を上げ、立ち上がっていた。


「まっず!」

「ダメだ間に合わねえっ!」


 鉄猪の前脚によって、女の冒険者の頭が踏み潰される姿が頭の中をかすめる仲間たちであったが、立ち上がった鉄猪の腹を赤い剣閃が薙ぎ払う。すると、鉄猪の動きがまるで時が止まったかのように静止し、次の瞬間腹部の赤い線から血飛沫と共に臓物が溢れ出す。鉄猪は呻き声を漏らすこともなく、その場で倒れ息絶えた。

 鉄猪の弱点は体毛の薄い腹部であるのだが、それでも鉄の硬度を誇る体毛が覆っているのだ。生半可な腕では鉄猪の体毛を斬り裂き、その先にある分厚い脂肪と筋肉、さらには臓物にまでダメージを与えることなど至難の業である。


「怪我はないか?」


 シャムはそう言うと、赤煙を上げる白銀の剣を振り払う。白銀の刀身は、シャムのスキル『魔法剣』によって真っ赤な刀身へと姿を変え、高熱を帯びた刀身はわずかに残る鉄猪の血液を蒸発させていた。

 素晴らしい魔力制御であった。不必要に爆炎を刀身に纏わせるのではなく、刀身の中へと爆炎を押し留めることによって『魔法剣』の火力を上げ、鉄の防御力を誇る鉄猪の体毛を容易く斬り裂く威力をもたらしていたのだ。


「え、ええ。ありがとう。礼を言うわ。

 さすがはCランクにして『灼熱剣』の二つ名を持つだけはあるわね」


 シャムの差し出した手を取り、女の冒険者は立ち上がる。


「よしてくれ。

 この程度の腕で得意げになっているなど知られれば、笑われてしまう」


 自嘲気味に笑うシャムの顔を、女の冒険者は不思議そうに見つめる。

 粗方の魔物を倒した冒険者たちは、魔物の死骸から魔玉や素材を剥ぎ取る作業へと移っていた。


「逃げた魔物はどうする?」

「あんくらいの数なら、そんな影響もないだろうし。無理に追う必要はないってよ」

「それもそっか。今回のクエストは儲け度外視だって思っていたが、これだけの魔物の素材が手に入るんなら、赤字にはなりそうにはないな」

「ちげえねえ。あの貴族の冒険者、シャムって言ったか? 

 最初は貧しい村々を護るから力を貸せとか、ふざけたことを抜かす野郎だと思っていたが、なかなかどうして大した奴だぜ。

 ギルドからは大した報酬は貰えないが、お前の言うとおりこれだけの素材があれば御の字だぜ。まさにシャムさまさまだぜ」


 思わぬ収穫にホクホク顔の冒険者たちとは別に、シャムたちは断崖の上で周囲を警戒する冒険者たちのもとへと向かっていた。


「シャム様、お見事です!」

「百人近くの冒険者を纏め上げた統率力。ランク4の魔物の中でも屈指の防御力を誇る鉄猪を、一太刀で屠った剣の技量。並大抵の者ではできることではございません!」


 シャムの従者であるサモハとドッグは、自らの主の活躍に興奮冷めやらぬ状態であったが、逆にシャムは落ち着き払っていた。


「今は世辞を言っているときではない。

 先ほど倒した魔物の群れは複数ある内の、それも小さな群れの一つなのだからな。

 それより見張りをしている者たちの様子がおかしい。サモハ、ドッグ、急ぐぞ」

「「はいっ!」」


 心身ともに成長した頼もしい主の後ろ姿を誇らしげに見つめながら、サモハとドッグはあとをついていく。


 断崖の上では、下で剥ぎ取りをしている冒険者たちとは裏腹に、その表情は険しかった。


「どうした。なにか異常でもあったのか?」

「おっ、シャムさんか。あっち見てみなよ」


 男と軽く挨拶を交わし、シャムは言われた方向へと視線を向けると。


「な、なんだあれはっ!? まさか……あれが全て魔物の群れだというのかっ!」


 遠く離れた地平線上に巨大な土色の雲が形成されていた。雲の正体は魔物の群れが起こす土煙で、あまりの量に魔物の姿が見えないほどであった。その中で、唯一目視でもハッキリと確認できたのが、木龍の姿であった。


「まあ、あの群れがこっちには向かってないのが、不幸中の幸いか」

「なにを言っている! あの先にはいくつもの村が、それも貧しく満足に冒険者を雇うこともできない村ばかりなんだぞ!!」


 シャムの剣幕に周囲で警戒していた冒険者たちも驚く。自分たちの知っている貴族とシャムの姿があまりにもかけ離れていたからだ。


「待てよ。シャムさん、どこに行く気だ?」

「決まっている。微力ではあるが、このまま見過ごすわけにはいくまい」


 シャムの言葉に従者であるサモハとドッグですら、動揺を隠せずにいた。

 先ほど倒した魔物の群れと規模があまりにも違い過ぎるのだ。その上ウードン王国の精鋭三万でも仕留めることが敵わなかった木龍までいるのだ。


「サモハ、ドッグ、すぐに向かうぞ!」

「シャム様、お待ちください!」

「そ、そうです! 相手が悪過ぎます!!」

「相手が強いからと言って、民を見捨てるようでは貴族を名乗る資格はない」


 語気は落ち着いてはいたものの、シャムの言葉には強い力が込められていた。最早、誰にも止められないと思ったのだが。


「待ちな」


 シャムを呼び止めたのは、先ほど鉄猪から助けた女の冒険者であった。


「行かせないよ」

「私は行かねばならぬ」

「私たちは十分に時間は稼いだ。あの魔物の群れが向かっている先にある村は、どこも避難が終わってるはずよ」

「はず? そんな曖昧な考えで見過ごすわけには――」

「いい加減にしな! 私たちが平気だとでも思ってるのかい? この中にだって、あの魔物の群れが向かっている先の村出身者はいるんだよ!」


 女の冒険者の気迫に、シャムが呆気にとられる。


「あっ……。興奮して悪かったね。でも、あんたを無駄死にさせるわけにはいかないからね。それにあんたが向かえばそこの従者はもちろん、他にも追随する連中はいるからね」


 シャムが周囲にいる者たちを見渡すと、それでも行くというのならついて行くぞと表情が語っていた。

 自分の命だけではない。他者の命が両肩にずしりと伸しかかったのが、シャムにもわかった。それはあまりに重く。安易な判断で捨てていいものではなかった。


「…………少しは……成長したと思ったのだがな」

「「シャム様……っ」」


 空を見上げながら、シャムは己の無力さを嘆いた。




 丘の上から自分たちの村を悲痛な面持ちで眺める村人の姿があった。


「あの土煙が全部魔物なのか……」

「避難が間に合ってよかった」

「なにがいいもんかっ! 俺たちの村が、畑が、くそっ! くそっ!!」


 避難が間に合ったとはいえ、村は諦めることになる。魔物の群れが踏み荒らした村を再建することなど、貧しい農村では叶わぬのだ。自分たちの生まれ育った村が魔物によって好き勝手に蹂躙する姿を黙って見ることしかできないのだ。わかっていても怒りを抑えきれるものではない。

 男の怒りは村の誰もが同じ気持ちであった。


「す、すみません! うちの、うちの子を見ませんでしたか?」


 一人の女性が慌てた様子で、子供を見なかったかと周囲に尋ね回っていた。


「ちょっと前までいたはずだぞ」

「それがいないんです! ああ、まさか……あの子っ、なんてことを」




「ばあちゃんっ! 逃げようよ!! 母ちゃんも父ちゃんもみ~んな、丘の上に逃げてるんだよ?」

「私のことはいいがら、早う逃げんさい」


 農村の畑の前で座り込んだまま動かぬ老婆を、少年が引っ張っていこうとするが、老婆は自分の運命を悟ったかのように言うことを聞かなかった。


「そんなこと言わないで、早くしないと魔物が来るんだって!」

「私はこの村で生まれで、この歳までず~っとここで育った。はぁ……この畑だっで、亡くなっだ爺さんと一緒に育でてきたんだ。この畑を見捨てるなんで、私にはとてもじゃないけど、できんよ。それにこの足はもう満足に動かない。

 魔物の群れがここに来るんなら、爺さんの畑と一緒に死ぬのが私の運命なんだろ。

 さあ、早う行きんさい」

「い、や、だっ! 俺はばあちゃんと一緒に逃げるぞ!」


 少年は老婆を背負って連れて行こうとするが、そのとき地面が揺れて転倒する。


「わっ、わっ。じ、地震!?」


 地響きは徐々に大きくなっていく。


「ああ……」


 老婆には地響きの原因が地震などではなく。村に近づく魔物の群れによって引き起こされているのだと理解してしまう。

 自分だけならこのまま死んでよかった。だが、まだ幼い孫が自分と一緒に死んでしまうのは、あまりにも不憫でしょうがない。老婆は神に祈った。孫だけは助けてほしいと。


「お前ら、こんなところでなにしてんだ」


 老婆は自分の願いが届いたのかと、神に感謝する。そこには黒髪の少年が――ユウの姿があった。


「あ、ああ……神様っ。ありがとうございます! ぼ、冒険者様、お願いがあります。この、この子を連れて逃げてくれませんか? 私はこのままでいいんで、この子だけでも」

「ばあちゃんっ! 俺は嫌だぞ!! ばあちゃんと一緒じゃないと行かないからね!!」

「そんな満足に動くこともできないばあさんなんて、見捨てて逃げればいいだろ」

「なんだよお前! 勝手なこと言いやがって!!」


 少年はユウに突っかかるが、ユウは少年から目をそらさずに再度問いかけた。


「ばあさんのことが好きなのか?」

「当たり前だろ!!」

「ふーん」


 ユウは少年の返答を聞くと、そっけなく返事してその場をあとにする。怒っていた少年は、なぜか怒りが消え失せたかのように棒立ちになっていた。


「冒険者様、お待ちください! この子だけでも!! ああ、今からでも遅くない。早く、早くあの冒険者様と一緒にっ」


 涙を流しながら懇願する老婆をよそに、少年は不思議そうな顔で去っていくユウの後ろ姿を眺めていた。


「ばあちゃん」

「なにをしてるんだい。急いで――」

「あのお兄ちゃん、笑ってたよ」

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