第214話 狂乱

 ウッド・ペイン。

 ウードン王国内にある小さな村である。周囲の山からは良質な木々が取れることからウッド・ペインでは木工が盛んで、腕の良い職人が多くいることで知られている。


「よっしゃ! 次はこの木を切るぞ」

「あいよ。それにしてもこんなに木を切って大丈夫なのかね?

 村長は任せろっていってたが、あんまり無茶して山の神様が怒らないか心配だよ」

「村長には村長の考えがあるんだ。文句を言うもんじゃねえ。

 なんでも王都に店を構えてるベルーン商会って有名な店の人たちが、村長に金を貸すんでもっと手広く商売をやってみないかって話があったそうだ。ほれ、おめえが使ってる新しい斧だって、その金で買ったもんだ」

「そうだったんか」


 むせ返るほど濃い森林の中で、ウッド・ペインの木こりの男たちは精を出して伐採に励んでいた。


「お、おい。あれを見てみろ! りゅ、竜だ!!」

「あん? おお、こりゃ珍しい。木竜じゃないか」

「なにを呑気なことを言ってんだっ! は、早く逃げねえとっ」

「わははっ。そっかそっか。おめえ、木竜を見るのは初めてか? 慌てる必要はねえぞ。こっちから余計なことをしなけりゃ、木竜はな~んもしてこね。離れて見る分には可愛いもんだ。それに木竜は木を喰うんだが、自分の餌さ守るために魔物を駆除してくれるありがてえ存在なんだぞ」


 仲間の心配する必要はないという言葉に、慌てふためいていた男は恥ずかしそうに手ぬぐいで顔を拭く。


「そ……そっか。慌てる必要はないんだな。

 それにしても初めて木竜を見たが、セコイーアの木と変わらんぐらい大きいとは、オラたまげたな。ワッハハハ!」


 照れ隠しするように大声で笑う男に、周囲も釣られて笑う。


「ガハハッ。そらセコイーアの木と同じくらいでかけりゃ……セコイーアの木と同じくらいだどっ!?」

「ど、どした?」

「セコイーアの木は、小さい木でも七十~八十メートルはあるんだど! 大人の木竜でも精々が十五メートルもありゃいい方だ。ま、まさか……りゅ、りゅうはりゅうでも、っ! ありゃ木龍だっ!!」


 騒ぎは伝染するかのように、あっという間に拡がっていく。木こりたちは作業を中断して、木龍を凝視する。


「木龍だとっ!? み、みんな落ち着くんだ。な、な~に、木龍と言っても、少し大きくなっただけで、大人しいもんだ」

「そう……だな。そうだよな? いやぁ、こりゃ村の者に自慢できるぞ! 木龍なんて見たやつは、村長くらいじゃないか?」

「は、はは。そうか、自慢になるか。よく見りゃあの木龍、真っ赤で綺麗な目をしてるもんな!」

「そうだそうだ。真っ赤な……木竜の目は澄んだ水色だど。龍になると変わるのか?」

「どれどれ。確かに真っ赤な目――ひっ」


 木こりの一人が木龍と目が合った瞬間、ウッド・ペインから少し離れたところにある森林地帯が消し飛ぶのが、ウッド・ペインに住む多くの村人が目撃する。 のどかな村里ウッド・ペイン近隣に、木龍が出現したことはすぐさまウッド・ペインから一番近い都市ペルジャエットォまで報告が上がる。

 都市ペルジャエットォや周辺の町や村から集められた、総勢一万にも及ぶ兵が木龍討伐へ乗り出すのだが――


「なにをしている!! け、結界をっ!! あ、あぁ……ダメ…………だ。お逃げくださいペル……ジャ……様っ」

「た、たいたい、退却っ!! 退却、退却だ!! あんな化け物、近隣から集めた兵ごときでどうにかできるわけがない!! 王都からの増援を待つのだ!!」


 都市ペルジャエットォを治めるペルジャ伯爵からの応援要請に対して、王都テンカッシからは、王命を受けたウードン五騎士『天翔剣』グリフレッド、さらには『絶対なる勝利をもたらす騎士』パラム率いる精鋭三万の軍勢を向かわせた。


「広域結界を緩めるなよ!」


 一万の後衛職が張り巡らす広域結界の中では、精鋭三万の中からさらに選りすぐられた五百の騎士を引き連れて、グリフレッドとパラムが木龍と激闘を繰り広げていた。


「ぬははっ!! 皆の者、見よ!! グリフレッド様の『天翔剣』によって木龍が悲鳴を上げておるわ!!」

「なんのなんの! パラム様の聖剣エクスカリバーも負けてはおらぬわ!!」


 当初は優勢であったウードン軍であったが、木龍の持つ桁外れの再生力や超重量の攻撃、木龍の放つ息吹によって徐々に疲弊していく。戦っている場所も悪かった。周囲を木々に囲まれた場所では陣形を満足に組むこともできない。


「拙いぞ。押され始めているっ」


 指揮官の一人が、戦況の流れが傾きつつあることにいち早く気づく。


「ええいっ! 広域結界のみならず、木龍の動きを封じ込めることはできんのかっ!!」

「む、無理です! 木龍を結界内に押し留めることすら、至難の業ということをご理解ください!!」


 指揮官の無理難題に騎士の一人が諭すように答える。

 一方、広域結界を担当する後衛職で構成されている部隊では。


「もっと魔力を注ぎ込め!!」

「やっている!! 第四中隊は第五中隊と交代だ!!」

「木龍が移動するぞ!」

「は、端に……広域結界に体当たりする気だっ!」


 五百の精鋭と激闘を繰り広げる木龍が、木々を押し倒しながら広域結界に向かって体当たりを繰り返す。


「だ、大隊長っ! 結界に綻びがっ!!」

「なにをしている!! 早く修復を――」

「報告します! 木龍、広域結界を突破!! 繰り返します!! 木龍、広域結界を突破して南下しています!!」

「な、なんだとっ!!」


 木龍はウードン軍から逃げるように南下し始める。その際、森の木々を喰らい、なぎ倒し、近辺に生息する多くの動物や魔物たちが木龍から逃げるように四方八方へ散っていく。逃げた先には、その地域に住む魔物が当然いるのだが、突如数千から数万にも及ぶ魔物が押し寄せたのだ。混乱はさらなる混乱を招き、魔物が暴走し始める。

 ウードン軍は暴走した魔物の群れから近隣の都市や町を守るために兵の多くを割くことになる。

 都市や大きな町はまだいい。ウードン軍に護ってもらえるのだから。可哀想なのは小さな村々である。運悪く暴走する魔物の群れの先にあった村々は、為す術もなく魔物によって蹂躙される。


「魔物の群れがどこに向かっているか早く調べぬか!」

「恐れながら、四方八方に散った全ての魔物を把握することは難しいかと」

「言い訳はいい! 一刻でも早く――」

「パラムはどこにいる」

「今はそれどころでは――こ、これはグリフレッド様。し、失礼を。私は大隊長――」

「構わぬ。今は緊急事態だ。そんな形式ばった挨拶はやめよ。それよりパラムはどこにいる?」

「パラム様は手勢、約千を引き連れて木龍のあとを追いました」

「なんというバカなことを。たった千の兵では木龍を倒すことなど」

「し、しかし逃げた木龍は満身創痍、パラム様であれば――」

「相手が龍ということを忘れたか? あの程度の傷など、すでに回復しているだろう」

「で、では……パラム様は」

「やむを得ない。今はパラムのことよりも民を優先する。すぐに各部隊を再編成して、まだ無事な町村に向かわせよ」

「ハッ、すぐに!!」




 木龍討伐失敗の情報は、ウッド・ペインより遠く離れた都市カマーにまで伝わっていた。


「聞いたかよ? ウードン軍が木龍の討伐に失敗して、大変なことになってるみたいだぜ」

「ああ、知ってるぜ。木龍から逃げた魔物が暴走してんだろ? 小さな村なんて助けが来ずに全滅したとこもあるって話だ」

「マジかよ。まあ、小さな村よりも都市や大きな町を優先するのは当然か」


 都市カマーの冒険者ギルド内でも、木龍と暴走した魔物の群れの噂で持ちきりであった。


「あれ見ろよ。あいつがアガフォンって獣人だろ?」

「ああ、ユウと一緒にいるってことは、あの獣人が『ネームレス』の一員だって話は本当みたいだな」

「くっそ。俺だってマリファさんと同じクランに入りてえよ」

「俺だってそうさ。しかも、あいつって獣人は獣人でも人族との間の子らしいじゃねえか。なんでそんな雑種が『ネームレス』に入れたのかねえ」


 出来たばかりにもかかわらず、都市カマーに名を轟かせるクラン『ネームレス』。そのネームバリューは凄まじく、多くの冒険者が加入したいと切望しているのだが。ユウが加入を認めることはなかった――今までは。

 アガフォン率いる雑種の獣人族や堕苦、魔落族、さらには魔人族にハーフオークまでと他種族から迫害されている者たちが『ネームレス』に所属しているという噂はあっという間に拡がり、ニーナたちと交流のある冒険者たちから確かな情報であると確認されると、多くの冒険者は嫉妬した。


「ちょっと受付に行ってくるから、次のクエストでも探しとけ」

「うっす」


 ユウはそう言うと受付に向かう。


「くれぐれもギルド内で騒ぎなどは起こさないように」

「おこしちゃダメなんだぞー」

「わかってますよ。ナマリ、お前はえっらそうに」


 マリファから警告され、それを真似たナマリにアガフォンは嫌そうに返事する。


「こんにちは。コレットさん」

「ユウさん、こんにちは!」

「コレット姉ちゃん、俺もいるぞー!」

「あはっ。ナマリちゃんもこんにちは」

「こんにちはー!」


 ユウの背後に立つマリファは軽く頭を下げて挨拶する。ナマリの頭の上に跨っていたモモも、それを真似てコレットに頭を下げる。コレットは慌てて同じように頭を下げると、その姿にユウは薄っすらと笑みを浮かべる。


「あー、ユウさん。今笑いませんでした?」

「すみません。つい、一生懸命なコレットさんの姿に、変わらないなと思いまして」


 ユウに見つめられてコレットは気恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にしてナマリにからかわれる。


「こちらの瓶をギルド長に渡しておいてもらえますか?」

「渡すだけでいいんですか?」

「はい。渡せばすぐにわかると思います」

「不思議な色をした液体ですね。この液体はポーションかなにかですか?」

「ギルド長にとっては命より大事な物だそうです」


 瓶の中にある液体を見つめていたコレットは、ユウの言葉に驚き瓶を落としそうになる。


「冗談ですよ」

「も、もう。ユウさん、驚かさないでくださいよ」

「ところでアデーレさん、体調でも悪いのですか? 元気がないように見えるんですが」


 受付から離れた場所で作業をしているアデーレの姿は、ユウが言うとおりどこか元気がないように見え、目もくぼんでいた。


「それは……。ユウさん、木龍が現れたのは知っていますか?」

「ええ。ウッド・ペインで暴れていたそうですね。今は木龍よりも、木龍を恐れて暴走している魔物の群れが問題になっているみたいですが」

「そうなんです。その魔物の群れの一つが木龍に追い立てられているみたいで、アデーレさんの生まれ故郷の村に向かっているそうなんです」


 ユウはしばしコレットを見つめる。なぜユウが自分を見つめるのか理解できないコレットは気まずそうに目をそらす。


「ユ、ユウさん、どうかしましたか?」

「私に頼まないんですか? 木龍と魔物の群れから、アデーレさんの村を護ってくれと」


 ユウの問いかけに対して、コレットは苦しそうな表情を浮かべるが、すぐに笑みを浮かべる。


「そのような危険なこと、ユウさんに頼めません。木龍と戦った軍は多くの戦死者を出していると、冒険者ギルドにも情報が入ってきています。

 ウードン王国からは冒険者ギルドにも、クエストで冒険者の協力を要請するよう嘆願がきていますが、小さな村では支払える金額も微々たるものです。

 クエストに見合う対価も支払わず、危険なクエストを冒険者の皆様に斡旋することは、私にはできません。

 それにアデーレさんがユウさんが来ているのに近づかないのも、きっと話してしまえば頼ってしまうからだと思います」


 本当はアデーレのために、今すぐにでもユウに縋りたいはずのコレットは、冒険者ギルド受付嬢として私情を挟まず役割を全うする。

 その姿をどこか眩しそうにユウは見つめる。


「そうですか。わかりました。私は少し用を思い出したので、これで失礼させていただきます」


 コレットのもとを去ると、ユウはクエストボードを見ているアガフォンに声をかける。


「アガフォン、行くぞ」

「俺まだクエスト決めてないんですが」

「受けなくていい。今から全員集めろ」

「どっか行くんですか?」

「ああ、カマーを離れて遠征する」


 アガフォンは「ははーん」と、なにか思い当たることがあったのかニヤリと笑う。


「なんだよ。お前の考えているようなことじゃないぞ」

「わかってますって。あのトロピとかいうドワーフから逃げるためでしょ?」

「…………」


 ユウは否定しなかった。

 アガフォンは一度マリファを見てから、ユウの耳元で小声で話す。


「俺は今までマリファさんが一番怖いって思ってたんですが、上には上がいますよね。まさか、マリファさん以上の変態がいたなんて」

「お前な、マリファが変態ってどういうことだよ?」

「ええ、知らないんっすか? 俺、見たんっすよ。この前マリファさんが洗濯物を干してるときに、盟主の下着に頬ずりとかしてたんっすよ。 その姿見てから、マリファさんだけには逆らわないようにしてたんっすけど、トロピってドワーフはそれを上回るんっすからね」


 アガフォンの言うとおり、トロピは生粋の変態であった。年頃の少年に欲情するその姿、執着心は、フィーフィに匹敵するレベルである。

 ユウが孤児院で初めてトロピに会ってから、すでに一週間以上経つが、連日トロピはユウを追い回していた。それも阻止しようとするマリファたちの妨害をくぐり抜けて。

 ユウは初めて恐怖にも様々な種類があるということを、身を以て知ることになった。


「アガフォン」


 ユウがトロピのことを考えていると、マリファがアガフォンの肩に手をかける。


「なんっすか?」

「私のこの長い耳は伊達ではありません。それはそれは、よく聞こえるのを知っていますか?」


 アガフォンの顔から血の気が引いていく。冒険者ギルド内の喧騒や、ユウの耳元で話していたので大丈夫と思っていたのだが。マリファの耳にはしっかりと聞こえていたようだ。


「ご主人様、少々アガフォンとお話があるので、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「い、嫌だ! め、盟主、助け――ひゃっ」


 暴れるアガフォンであったが、身体が思うように動かない。マリファの操る虫によって、すでに身体の自由を奪われていたのだ。子熊が泣き叫ぶかのように、悲壮なアガフォンの助けを求める声に応える者は誰もいなかった。

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