第213話 わかんなーい
「まてまて~」
「やーだよっ」
「えいっ」
「も~う、どこに投げてるのよ!」
孤児院の庭で子供たちが元気よく遊び回っていた。
追いかけっこや、ユウお手製のフライングディスク、さらにはレナが創り出した水球で遊ぶ子供たちで賑やかなものとなっていた。
「レナ、大丈夫ですか?」
顔に汗を浮かべて水球をコントロールするレナを気遣って、マリファが声をかけるのだが。
「……話しかけないで。この魔力操作は緻密なコントロールが必要」
「なんですか。その言い方は」
マリファはハンカチでレナの汗を拭き取っていく。その様子をニーナが見ていることに気づいたマリファは「ニーナさん、なんですか。いやらしい笑みを浮かべて」と何事もなかったのごとく、レナから距離を取る。
「レナ、あっちの水球は魔力が少ない。そっちは注ぎ込み過ぎだぞ」
「……わかってる」
ユウに魔力量を指摘されたレナは、子供たちが遊ぶ大小百にも及ぶ水球の魔力をコントロールしていく。水球に魔力を込め過ぎれば固くなり、水球で遊ぶ子供たちが怪我をするかもしれない。逆に魔力が少ないと簡単に水球は割れて子供たちは水浸しになる。絶妙な魔力コントロールを維持することを求められるのだが、並の後衛職では一つならともかく五個も水球をコントロールしようとすれば、集中力が続かず水球を維持することすらできないだろう。それをレナは百にも及ぶ水球を維持しているのだ。水球とは言うものの、形や大きさは様々で球を形成しているものもあれば、楕円形や四角など一つの形に囚われないレナの緻密な魔力操作を他の後衛職が見れば、それがいかに常識外れで高度な鍛錬であるかが窺えるであろう。
ユウたちが今いるのは、都市カマーのスラム街にある孤児院である。ユウは定期的に孤児院の様子を見に来ては、シスターから近況の報告を受けていた。
「シスター、最近の様子は?」
「ユウさんのおかげで、皆元気一杯に成長していますよ」
木陰で子供たちが元気に走り回る姿を見ながら、シスターはユウに感謝して頭を下げるのだが。
「お世辞はいいから。孤児院にちょっかいをかける奴らは?」
ユウは膝の上でうたた寝しているモモの頭を撫でながら、シスターに困っていることはないかと探りを入れる。
「お世辞なんかじゃありません。本当に……以前の孤児院の状態を考えればどれほど改善されたか……」
餓えて亡くなった子供たちのことを思い出したシスターの瞳に涙が見る間に浮かび、慌ててシスターは涙を拭う。
「やだ。すみません。
困っていることなんてありません。たまに変な人たちが来ても、すぐにエイナルさんたちが追い払ってくれるんですよ。
でもワガママを言えば、子供たちはもっとユウさんたちに遊びに来てほしいみたいです」
「こっちもなにかと忙しい。そろそろ
「まあ。お掃除でしたら私、得意ですよ」
「いや、シスターの言ってる掃除と俺の――」
きょとんとしているシスターに、どう説明しようものかとユウが悩んでいると、子供たちの輪の中からナマリが駆け寄ってくる。
「オドノ様ー!」
飛び込んできたナマリをユウが受け止めると、膝の上でうたた寝していたモモが目覚めて大きな欠伸をする。
「みんながおなかすいたって」
「もうおやつの時間か。
今日は石焼き芋にするか」
ユウが立ち上がると、奴隷メイド見習いたちは言われるまでもなく大きな蓋つきの鉄鍋を用意し、手頃な石を集め始める。
十分な量の石は集まったのか、ティンたちは鍋に石を敷き詰めて加熱していく。熱した石の上にサツマイモを載せて、さらにしばらく加熱する。一時間もしない内に、サツマイモからは甘い匂いが発せられ、その匂いに釣られた子供たちが集まってくる。
「あれ?」
子供たちは順番に並んでいるのだが、ティンたちが石焼き芋を配る様子が全くないことに、不思議そうにする。しかし、同じく順番待ちをしていたナマリが気づく。
「小さい子がさきだぞっ!」
ぽかんとしていた子供たちであったが、年長組がナマリの言葉の意味をいち早く理解する。並んでいる子供たちの先頭は、年長組の子や身体の大きな子供たちであった。
「ほ、ほら、先に並んでいいぞ」
「おにいちゃん、いいの?」
「いいから、ほら。お前らも前に並べ」
「わ~い、ありがとね」
「えっと、おねえちゃん?」
「いいのよ。小さい子が前に行きなさい」
年少組はなぜ順番を譲ってくれるのか理解していないのだが、兄や姉たちに前に行くよう促されると、素直に喜んで進んでいく。
「うんうん。弱い子には優しくね。じゃないと、ご主人様も私もやんなっちゃう」
「獣人族では強い者からなんだけど」
ティンは年少組が前にくると、満足そうに石焼き芋を渡していく。同じく石焼き芋を配り始める虎人族のメラニーは、獣人族とは違う習慣に納得がいかないようであったが、横にいる狼人のグラフィーラから「余計なことは言わない」と注意されていた。
「年少組は切り分けてあげるから、こちらに来なさい」
「バターと塩はこっちでかけて上げるからね」
狐人のアリアネが、まだ手がおぼつかない年少組の子供たちの石焼き芋を切り分け、狸人のポコリがバターや塩をかけていく。
「あま~い」
「うん! それにいい匂いだね」
「おいしいよ~」
石焼き芋に齧りついた子供たちが、その美味さを身体をバタつかせることで表現する。
「オドノ様に感謝するのですよ。このサツマイモはオドノ様のお庭で育てた、普通のお店では売っていない物なのですからね」
「う、うん。ユウにいちゃんはすごい!」
「わかっていればいいのです」
魔人族の女性が口の周りを汚した子供の口元を拭いながら、
「ユウ兄ちゃ~ん」
いくつかの列にわかれている子供たちの中から、一人のピンク色の髪の少女がユウに走り寄ってくるが、その行く手をティンが阻む。
「あれぇ? お姉ちゃん、どうしたの?」
「あなたドワーフでしょ。そんな格好で私を騙せると思ってるなんて、やんなっちゃう」
ティンの両の拳には、拳闘士などが練習で嵌めるグローブを数倍大きくした巨大なグローブが嵌め込まれていた。
「えいっ」
ティンの可愛らしいかけ声とは裏腹に、轟音とともに巨大なグローブが少女を襲う。
「わっ、わっ」
大袈裟に驚く少女であったのだが、ティンの拳打が空を切る。
「お姉ちゃん、いきなり殴るなんてひどいよ」
舌を出しながら戯ける少女であったが、身体が動かないことに気づく。
「あれれ? 身体が動かないよ~」
「私の鋼糸に捕らわれたからには覚悟なさい!」
ヴァナモの操る小さな蜘蛛のお尻から、何本もの糸が飛び出ていた。その糸の先は、当然少女を拘束する糸と繋がっている。
これだけの騒ぎにもかかわらず、ユウは変わらず子供たちに石焼き芋を配っていた。周りの子供たちはなにかの遊びかと思っているのか、石焼き芋を食べながら見物している。
「ティン、メラニー!」
「わかってるよ。やんなっちゃう」
「はいよ」
ティンがグローブを打ち鳴らしながら、メラニーは猫科の猛獣が獲物に襲いかかるかのように、四肢で地面を踏みしめて身体を強張らせていく。
「うんしょ、うんしょ。この糸、ただの糸じゃないんだ」
少女は糸から逃れようと藻掻くが糸はびくともせず、それどころかより少女を拘束する力を強める。
「当たり前です! お姉さまと私が選別し育てた鋼蜘蛛の糸からは、何人も逃れることはできません!!」
「ヴァナモ、自分の手の内を明かすなんて愚かな真似はおやめなさい」
「お、お姉さま、申し訳ございません」
どれほど力を込めても拘束が緩まないことに、少女は諦めたのかと思ったそのとき――
「な、なにが起こったの!?」
その辺の子供と変わらぬ格好であった少女が、一瞬にして甲冑を纏った姿に変身したのだ。甲冑を纏う少女の足下には、拘束を振り千切られた鋼蜘蛛の糸が散乱していた。
「あーあ、ごめんね。ボクの土の精霊が勝手に動いちゃったみたい」
「何者です」
ティンたちを下がらせ、マリファが前に出る。
「ボク? 初めまして、クラン『赤き流星』で盟主をしているトロピ・トンって言います」
ピンク色の髪を持つ少女はそう言うと、頬に人差し指を当てて自己紹介する。そのあざとさに、マリファをはじめティンたちもイラっとする。
「『赤き流星』との件はすでに終わっているはずですが」
「みたいだね。でもでも、盟主であるボクがいない間のことだし。デリッドくんには困ったものだよね」
「また赤っ恥を掻かされたいのですか?」
「あはは。この孤児院の周りにね。ボクが手塩にかけて育てた子たちを潜ませているって言ったら、どうする? 言っとくけど、どの子もソルンムくんみたいなBランク成り立てのヒヨッコじゃないよ」
トロピはいまだこちらを見ようともしないユウに視線を向けるが、ユウは子供たちの相手をするのに忙しいのか、チラリともトロピを見ようとはしなかった。
「脅しのつもりですか? それでは――」
「あー、やめやめ」
「いいでしょう。……やめ?」
「そう。やめとこ。だってユウ兄ちゃん、ボクに興味を持ってくれないんだもん。あー、つまんないの」
トロピは頬をぷくーっと膨らませて、ユウの方へと歩いていく。その際、トロピが纏う甲冑が光の粒子となって消えていく。後ろからはマリファが「待ちなさい」と追いかける。
「お前、オドノ様の敵か?」
ナマリの二本の巻角からは黒いスライムが一匹、一匹溢れ出していた。
「ナマリ、マスターノキョカナク、チカラヲツカウノハヤメナサイ」
「ナナはだまってて!」
「おチビさん、ボクは敵じゃないよ?」
「ほんとに? ん? チビっ!? 俺はチビじゃないぞ!!」
「ナマリハ、チビデスヨ」
「ナナっ!」
チビ扱いされてプリプリ怒るナマリと、黒いスライムの一匹であるナナが口喧嘩しだす。
「ユウ兄ちゃんは、ボクに興味がないのかな?」
「誰が兄ちゃんだ。お前、ドワーフだろ。子供のフリをしても、その拳ダコを隠さないと意味ないぞ。ティンにも速攻でバレてたしな」
「拳ダコ? あー、そっかそっか。これじゃ怪しい奴だって、自分で言ってるようなものだよね」
「ご主人様から離れなさい」
「やだよー。まだ話すことがあるのに」
「話があるなら私が聞きます」
「えー。キミじゃやだなー」
マリファから剣呑な気配が漏れ出すのだが、トロピは全く意に介していなかった。
「ボクね。この前まで王都にいたんだけど、財務大臣派閥の人たちから、部下にならないかって誘われてたんだよねー」
チラッ、とユウを見るトロピであったが、ユウはナマリの乱れた髪を手櫛で整えており、興味を持ってくれない。
「今ねー。冒険者や傭兵くずれの人たちをいーっぱい集めてるみたいだよ。今頃はどれほどの人数になってるんだろうね? でもね。その人たちがカマーに足を踏み入れることはないんだよね」
「それはなぜですか?」
「ボク、わかんなーい」
トロピのフザけた態度にマリファのコメカミに青筋が浮かぶ。
「ムッスだろ?」
「あたりー! 正確にはムッス伯爵の十の食客が、王都からカマーに繋がっている主要な道を見張ってるから、財務大臣の雇った私兵なんかじゃ到底かないっこないんだよねー。
でさ、なんで財務大臣はね。
「なぜですか」
「わかんなーい」
「こ、このっ」
「お、お姉さま、落ち着いてください。眉間に皺がっ」
ヴァナモがマリファを宥める。
「ふふん」とユウに視線を送るトロピであるが、またもやユウは興味がないようで、コロを魔法のブラシでブラッシングし始める。あまりの気持ち良さに、コロが恍惚の表情を浮かべるが、そのとき見てしまう。マリファが氷のような瞳で自分を睨んでいることに。恐怖と快楽の間で揺れ動きながら、コロは耐え続ける。
「ちぇっ。もう少しボクに興味をもってほしいな。
財務大臣はね。ムッス伯爵を自分の派閥に取り込みたいんだよ。でもね、ムッス伯爵は首を縦に振らないみたいなんだよね。それで嫌がらせをずっとしてるんだけど、一向に効果はないみたい。
まあ、財務大臣の気持ちもわかるよ。ムッス伯爵が伯爵でいられるのも、財務大臣のおかげなんだからね」
「それはどういうことですか」
「わかんなーい」
今度はマリファは言葉を発することはなかった。ヴァナモが「ひっ」と悲鳴を漏らすほど、殺気を纏って攻撃に移ろうとするが。
「ムッスの親父が謀反を起こしたときに、財務大臣がムッスには被害が及ばないよう庇ったからだろ?
それにしても一国の王に謀反を起こしておいて、財務大臣の口添えがあったからって、その息子が親の爵位をそのまま引き継げるってのが異常だよな」
ユウがトロピと話し始めたことから、マリファは攻撃するのを思いとどまる。
「なーんだ。ユウ兄ちゃん、知ってたのか。
そうなんだよね。ムッス伯爵の一族は罪に問われるどころか、領地は削られたとはいえ、爵位はそのままだったんだから、どれほど財務大臣には権力があるんだって話だよねー。
そんな強大な権力を持っている財務大臣に、ムッス伯爵以外に狙われている人がいるんだって。ユウ兄ちゃんは知ってる?」
トロピは意地悪そうにユウに問いかけるのだが、ユウはまたも興味がなくなったのか、今度はランにブラッシングし始める。
「もーう! ユウ兄ちゃん、ボクは財務大臣派閥に誘われてるんだよ? ここはボクを味方に引き込んでおいたほうがいいと思うんだけどなー」
くるりと回転して決めポーズを取るトロピであったが、ユウはランのブラッシングを続ける。
決めポーズのまま放置されたトロピを可哀想と思ったのか。あるいは自分と変わらぬ身長に共感したのか。今まで黙ってことの成り行きを見守っていたレナが、トロピの肩をポンっ、と叩いた。
「……ドンマイ」
「ボク、おっぱいはあるからね」
トロピは自分の胸を抱えると、レナに見せつけるように弾ませる。
「……っ!?」
動揺したレナはティンやヴァナモに助けを求めるように、視線を送るのだが。
「レナちゃん、私もヴァナモもお胸はあるよ」
「こ、こらっ! ティン、あっ、ちょっと、わ、私の胸を揉むのを、やめなさい!!」
レナが地面に片膝をつく。これほどの敗北感を味わったのはいつ以来だろうか? あまりの屈辱に、レナは震える身体を押さえつけるように抱き締める。そのとき、レナの肩を叩く者が。
「レナ、胸なんてあっても邪魔なだけですよ?」
聖母のように微笑むマリファの姿に、レナはイラッ、とした。
「もう帰れよ」
「ユウ兄ちゃん、また会えるかな?」
「会わない」
「イジワルっ!」
トロピがユウに向かって舌を出して走り去っていく。
「なんだったんですか。まるで駄々っ子です」
「……私の心は深く傷ついた」
「トロピさん、いいんですか?」
「いいんだよー」
「ですが、このままだと財務大臣を敵に回すことになるのでは?」
孤児院のあるスラム街から大通りに向かって歩くトロピの左右には、五人の男女の姿があった。この五人こそ、先ほどトロピが言っていた手塩にかけて育てた『赤き流星』の精鋭である。
「デリッドくんはクランを大きくすることばかり考えてて、よくボクとは衝突してたんだよね」
「へ?」
話をはぐらかされた男の一人が思わず間抜けな声を出してしまう。盟主であるトロピと副盟主であるデリッドの仲が悪いことなど『赤き流星』の団員であれば、誰でも知っている。
「デリッドくんはクランを大きくすれば、先代が戻ってくると思ってるみたいだけど、ボクは無駄に大きくするより少数精鋭でいきたいんだよね。
でもボクもデリッドくんも『赤き流星』を守りたいって気持ちは同じなんだよ」
「だったら――」
「だからユウ兄ちゃんとは敵にならないって伝えておいてよ」
トロピは男の影に向かって話しかける。すると、影よりニーナが這い出てくる。
「いつの間にっ!?」
「気をつけろ『ネームレス』のニーナだ!」
「ニーナちゃん、戻ってちゃんと伝えておいてね」
笑顔のままニーナを見つめるトロピとしばし見つめ合うニーナであったが、やがて踵を返し孤児院へ向かって消えていった。
「もし、さっきユウ兄ちゃんたちと戦っていれば、どうなったかなー? マリファって子を除いたメイドたちはどうとでもなったけど、残りはキミたちでもきついんじゃないかなー。特に魔人族の子――ナマリちゃんだっけ? あれは化け物だよ。絶対に敵対しちゃダメ。
ボクは盟主として『赤き流星』を守る責任があるんだからね」
トロピが手塩にかけて育てた五人から異論は出なかった。絶対の信頼を置く盟主が、ここまで断言して敵対するなと言ったことなどなかったからである。
そしてトロピがユウと敵対しなかった理由はもう一つあった。
翌日。
ユウが孤児院の庭で子供たちに絵本を読んでいると。
「ユウ兄ちゃーん! 会いに来たよー!!」
「なんで来るんだよ」
トロピは成人した男性より少年のほうが好きなのだ。
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