第211話 魔眼屋

「ユウ~。ねえ、ユウったら~」


 屋敷の居間にあるソファーで寝そべっているニーナが、ベナントスの革を裁縫しているユウに猫撫で声でちょっかいを出す。


「ニーナ、邪魔するなよ」

「暇だよ~」

「『ゴブリン大森林』から帰ってきたときは、疲れたって言ってたのはどこのどいつだよ」

「だって~。もう一週間も冒険してないんだよ? フラビアちゃんたちには、もう迷宮に潜る許可だしてるんでしょ?」


「ああ、アガフォンたちは頑張ってるからな。

 コレットさんも、アガフォンたちが採集してきた薬草やキノコの状態が良いって褒めてたぞ」

「そうだ! 迷宮がダメなら、王都のオークションに行こうよ! そろそろ月一じゃなくて、年に一回しかないおっきなオークションがあるって、この前マゴさんが言ってたよ?」

「そのオークションには参加・・するよ。でも、ニーナがどこか行きたいのは、ナマリに勉強を教えたくないからだろ」


 ユウの指摘に、ニーナはあからさまに動揺する。ユウの横で大人しく絵本を読んでいたナマリも思わず身体をビクッ、と震わし、ナマリの頭の上で一緒に絵本を読んでいたモモが、次のページをめくるようペシペシとナマリの頭を叩いて催促する。


「…………そ、そんなことないよ~」

「なんだよその間は」

「ニーナ殿、あまりマスターを困らせてはいけませんよ」


 ラスがやんわりとニーナを諌めるのだが。


「あなたこそ、ご主人様に国を頼まれているにもかかわらず、なぜここにいるのですか?」


 マリファの背筋も凍るような感情の篭っていない言葉に対して、ラスは鼻で笑って応戦する。


「貴様のような羽虫ではわからぬだろうが、私とマスターの繋がりは切っても切れないのだ。それに貴様と違って、私はマスターからの指示を全てこなしたうえでここにいる」


 マリファとラスの火花が散るような睨み合いも、すでに見慣れたものなのか。周囲のティンやメラニーたちはとばっちりを受けないように距離を保っていた。ただ一人、ヴァナモだけはマリファと一緒になってラスを睨みつけていた。


「……ケンカなら外でやって。本に集中できない」


 本を読んでいたレナの頭部にある旋毛のアホ毛が、苛立つように左右に揺れる。


「レナの言うとおりだぞ」


 ユウも作業に集中できないのか、針と糸をテーブルに置いてマリファたちを注意する。さすがのラスやマリファもユウに叱られると、素直にユウ・・に謝罪する。


「ご主人様、申し訳ございませんが町へ行く許可をいただきたいのですが」

「わざわざ俺に許可を取らなくていいから好きにしろよ。お前たちもだぞ」


 ユウはマリファやティンたちに向かって伝えるのだが、返事をしたのはティンだけであった。


「こちらをどうぞ」


 言葉少なく奴隷メイド見習いの一人である狼人の女性が、なぜか当然のように居間に居座っているジョゼフの前に、銀のお盆に載せたワインとグラスを置いていく。


「おう。悪いな」


 グラスを持つジョゼフへ、狼人の女性がワインを注いでいく。一本五十万マドカはくだらぬ高級なワインを、ジョゼフは湯水のごとく飲み干していく。


「このワインはまあまあだな」


 この男、バカみたいに大量に酒を飲むくせに、酒の味にうるさいのである。そのおかげでユウの屋敷にある地下室には、ジョゼフのためだけに大量の酒が保管されていた。


「ただ……ワインだけってのも寂しいな」

「これは失礼を。すぐになにか――」


 狼人の女性が台所へ向かおうとするのだが。


「グラフィーラ、あんまりジョゼフを甘やかすなよ」

「ご主人様……ですが」


 グラフィーラと呼ばれた狼人の女性はどうしたものかと、マリファに指示を仰ぐように目を向けるが、当のマリファはジョゼフを射殺さんばかりの目で睨んでいた。

 マリファが怒るのも無理はない。なぜならジョゼフたった一人のせいで、ユウ家のエンゲル係数は天井知らずである。ユウと共に家計を預かるマリファからすれば、昼夜問わず居間でパンツ一丁で寝転がっているジョゼフなど、穀潰し以外の何者でもない。


「だったらユウがなにか作ってくれよ」

「俺は忙しい」

「そんなこと言わずになにか作ってくれよ」


 ユウはしばし悩んでいる様子であったが「しょうがないな」と呟きながら立ち上がる。


「おっ。できれば魚介類がいいな」


 厚かましいにもほどがあるジョゼフの言葉に、マリファの目がつり上がっていく。普段の冷静な姿はどこへやら。


「焼き牡蠣でいいか?」

「アワビってやつも欲しいな。あとバターを忘れるなよ。それと、あれだ。あの醤油ってやつも垂らしておいてくれ」

「注文の多い奴だな」


 文句を言いつつも、ユウは台所へ向かっていく。そのあとをいつもどおりマリファが追いかけた。




「ゴガア゛ア゛アアアアッ!!」


 オーガが咆哮とともに、アガフォンの顔を殴りつける。一般人なら首の骨がへし折れ、EやFランククラスの冒険者であっても昏倒は免れない一撃である。しかし、その力任せの一撃を食らったアガフォンは――


「お~、いてて」


 アガフォンは口から流れる血を拭う。その様子を呆れた顔でモニクは見ていた。一方の殴りつけたオーガは、全力で殴ったにもかかわらずピンピンしているアガフォンの姿に唖然とする。


「ゴ……ゴオ゛オオオッ!!」


 再度、アガフォンへ襲いかかるオーガであるが、そこに割って入ったのはモニクである。自身の身長ほどもある黒曜鉄のタワーシールドでオーガの攻撃を受け止める。モニクの身長は百五十センチほど、オーガからすれば矮小と言っても過言ではない存在が、自身の攻撃を容易く受け止めたのだ。

 自らの攻撃が通用せず動揺するオーガの首を、背後からヤームが左右に持つ黒曜鉄のショートソードで斬り裂いた。


「アガフォンっ、どういうつもりよ?」


 倒したオーガから皮を剥ぎ取るフラビアたちをよそに、怒りが治まらないモニクがアガフォンに詰め寄る。


「なにが?」

「なにが? じゃないでしょうが! なんでわざとオーガの攻撃を受けたのよ」

「相手の強さを知るには、あれが一番手っ取り早いんだ。

 この『ゴルゴの迷宮』で、オーガは上位の魔物だって言ったのはモニクじゃないか」


 プルプル身体を震わせるモニクから、ハイピクシーのアカネはさらに距離を取って耳を塞いだ。


「ばか~っ!」

「モニク、大きな声を出すなよ。ここがどこかわかってんのか? 迷宮内で不必要に危険を晒す行為はやめろって、盟主も言ってただろうが」

「うるさい、うるさいっ! 私の役目はなによ?」

「なによって、モニクは盾職だから仲間を守るのが仕事だろ」

「そう。盾職は仲間を守るのが仕事よ。な、の、に! あんたは私の前で攻撃をわざと受けたのよ!」

「モニク、アガフォンはバカだから、もっとハッキリ言わないとわからないにゃん」


 オーガの皮を剥ぎながら、フラビアがモニクに加勢する。


「そんなことで怒ってたのかよ。モニクや仲間がいないところじゃやらねえよ」


 アガフォンはやれやれと言いたげに、身体を竦めてオーガの皮剥ぎ取りに参加しようとするのだが、そのアガフォンの頭をモニクは黒曜鉄の鎚で叩いた。


「いっでぇ!? なにすんだよ! オーガの攻撃より痛かったぞ!!」

「うるさい!」

「ハハハ。アガフォンはフラビアだけじゃなく、モニクとも仲が良いのだな」


 魔人族のオトペが、どこかアガフォンを羨ましそうに見つめる。魔人族は戦闘が得意ではあるが、あまり仲間のことを気にかけることはない。というか興味が湧かないのだが、アガフォンは自然と仲間とコミュニケーションを取って和ませるのである。初めて探索する『ゴルゴの迷宮』でも、アガフォンがいるだけでフラビアたちの緊張はだいぶほぐされていた。


「オトペ、いい加減なことをいうにゃ!」

「ぼ、ぼくもそう思うよ」

「アガフォン、今日はこのままもっと下の階層まで行くんだろ?」


 堕苦族のヤームが、ショートソードについたオーガの血を拭いながら問いかける。


「当たり前だろ。このままじっくり数日はかけて、最下層まで行くぞ」


 『ゴルゴの迷宮』地下十一階で、アガフォンたちは探索を楽しんでいた。




 都市カマーの大通り、その一角に魔導具、魔道具を専門に販売する店舗が並ぶ通りがあるのだが、店舗と店舗の間にある、気にかけなければ気づかないような路地に入って進んでいくと、怪しげな店が立ち並ぶ。

 その中の一つに『魔眼屋』と呼ばれる店がある。『魔眼』を使うジョブに『魔眼士』『魔眼使い』と呼ばれるものがある。

 その名のとおり魔眼の持つ能力を使用し、対象に毒、麻痺、混乱、石化、誘惑、洗脳などの、いわゆるバッドステータスを与えるのだが、中には『魔眼』を持っている種族や魔物の『魔眼』を他者に移植することを仕事にしている者がいる。

 この『魔眼屋』の店主もそういった合法、非合法問わず、手に入れた『魔眼』を失明や怪我などで失った眼窩に移植する店なのだが、本日来店した者は少々変わっていた。


「こりゃまたべっぴんなダークエルフのお嬢ちゃんじゃないか」


 濁った灰色の瞳で、老人はマリファを品定めするように見つめる。


「こちらの店では『魔眼』を移植していただけると聞いてきました」

「そうだよぉ……。この店では『魔眼』の売買ができる。お嬢ちゃんは売りのほうかい?」

「両方です」


 マリファはそう言うと、瓶に詰められた『魔眼』をカウンターの上に置いた。


「お……おぉ……これは…………。またとんでもない魔力を秘めた『魔眼』じゃないか。こんな物騒なモノをどこで? いやいや……聞くのは野暮ってもんだね」


 老人はマリファが持ち込んだ『魔眼』の入手ルートを知りたがったのだが、コロとランが唸ると慌てて口を噤んだ。


「『ゴブリン大森林』です。そこにいた階層主であるゴブリンクイーンの眼球を抉り取ってきました」

「ゴブリンクイーン……。それも階層主ときたか。それならただのゴブリンクイーンじゃないな。さぞかし名のあるゴブリンクイーンだったんだろうね」

「無駄話は結構。すぐに移植を始めてください」

「売りのほうじゃないのかい?」


 半分落ちていた老人の目蓋が見開かれる。


「両方と言ったはずですが?」


 老人は久々の上客に心を躍らせ、店の扉の看板をクローズにすると早速移植の準備を始める。


「ほ……本当にいいのかい?」

「ええ。麻酔なしでお願いします」

「痛いなんてものじゃないんだよ? 麻酔したからと言って、私がお嬢ちゃんに変なことはしないよ。そんなことをすれば、そこの二匹に私の喉笛を噛み千切られてしまうからね」


 診察台に寝ているマリファの傍には、心配そうに見守るコロとランの姿があった。少しでもこの老人がおかしなことをすれば、二匹とも黙ってはいないのであろう。


「麻酔をすれば、数日は身体が鈍ります。それでは私の・・ご主人様へ、満足にお仕えすることができなくなるじゃありませんか」


 長年『魔眼』の移植をしている老人であったが、自らが仕える主への奉仕に不備があってはならないという理由で、麻酔を拒絶する者など初めてであった。


「怖いお嬢ちゃんだね。それじゃあ再確認だけど『魔眼』を移植するのは――」

「右目です。左目にはわずかな傷一つつけることすら許しません」

「わかっているよぉ。私だって自分の命は惜しいからねぇ」


 マリファは『魔眼士』の老人へ大金と自分の右目を差し出すことで、ゴブリンクイーンの『魔眼』を右目に移植するのだった。

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