第192話 そういうことにしておきましょうか

 甘味を求める女性の怖さ、貪欲さの一端を垣間見たユウは冒険者ギルドをあとにし、スラム街へと向かっていた。

 都市カマーの大通りを抜け東に向かって歩いていくと、次第に商店は減っていき寂れた民家が目立ってくる。道行く人の質も変わっていき、ボロをまとった者や痩せ細っている者、道端で遊んでいる子供たちの足下を見てみれば素足である。そんな中を鎧や剣を身にまとったユウやメイド服姿のマリファが歩いているのだ。目立たないわけがないのだが、悪さを働こうと考える者は誰もいない。なぜなら貴族には貴族の、商人には商人の情報網があるように、スラム街に住む者にも独自の情報網があるのだ。スラム街の住人は確たる証拠はないが知っていた。スラム街に蔓延るマフィアの中でも特に質が悪かったダニエル一家を一夜にして潰したのは、他でもないユウであると。現にスラム街の利権を巡って日夜争っていた各マフィアは、ダニエル一家が潰されてからは争いをピタリと止めていた。先日までは顔を合わせると殺し合いにまで発展することも珍しくなかった者たちがである。さらには警備会社なるものまで設立し、そこでは敵対組織であった者同士が一緒に働いているのだ。今までであれば、マフィアのシノギと言えば自分たちの縄張りにある店の用心棒、いわゆるみかじめ料や娼館経営。これらはまだマシな方で、構成員の下の方になればゆすりたかりに強盗、人身売買なども朝飯前の悪党ばかりであった。そんな連中が真っ当な職について、目を光らせているのだ。マフィアに所属していないゴロツキ共の犯罪率が急激に低下し、都市カマーはウードン王国内でも一二を争うほど治安のいい都市へと変貌しつつあった。


「オドノ様ー、ひろった!」


 先ほどまで一緒に歩いていたナマリがどこに姿を消したかと思えば、その手には死骸と見間違うほど痩せ細った子供を引きずっていた。


 特段、珍しいことではない。どこのスラム街でも少し歩けば、そこら中に死骸が放置されている。そして死骸のほとんどが子供や老人である。弱い者から死んでいく。これは至極当然であり、仕方のないことであった。皆が飢えず、幸せに暮らせる都合のいい世界などあり得ないのだから、そんなことをのたまうのは宗教家か詐欺師くらいのものである。


「ナマリ、またあなたは勝手に拾ってきて。捨ててきなさい」


 マリファがナマリを窘めるが、ナマリはどこ吹く風である。そんなナマリの態度にマリファが怒るかと思いきや、マリファ自身も以前に十七匹ものブラックウルフを連れ帰ったことがあるだけに、あまり強く出ることができないようであった。


「オドノ様、ほら」


 ナマリが右腕を掲げると手首を掴まれている子供がつられて持ち上げられる。子供の目には生気がなく、ナマリに振り回されても抵抗することもなかった。


「このまま死にたいか? それとも生きたいか?」


 ユウの問いかけに子供は答えることもできないのか、口をわずかに動かすのみであった。それでもユウは子供の反応を待っていると。


「ぉ……なか…………すいたぁ……」


 もはや涙だけでなく声すら枯れ果てたかと思われた子供が、やっとの思いで声を絞り出した。その言葉にナマリがにかっ、と笑みを浮かべユウを見ると、満足に声のでない子供の代わりとばかりに、通りに響き渡る大声で返事した。


「生きたいって!!」

「連れてこい」


 主であるユウが許可を出したのだ、マリファがそれ以上ナマリに言うことはなにもない。コロはマリファに命令されるでもなくナマリの前に伏せると、ナマリは子供をコロの背に載せた。


「う゛、う゛まいっ! う゛まいよーっ!!」


 先ほどまで死骸と見間違うほどにボロボロだった子供と同一人物とは思えないほど、素早い動きで目の前にあるパンやスープをかきこんでいく。

 泣きながら食事する子供は孤児院に着くと、ユウから簡単な回復魔法を受けシスターが用意したパンや温かいスープを目の前にすると食事に飛びついたのだ。


 現在ユウたちがいるのはスラム街の孤児院。孤児院と言ってもスラム街にある孤児院だ。国から運営費が貰えるわけでも貴族や商人から寄付金があるわけでもなく、たった一人で孤児院を運営していたシスターは餓えでガリガリに痩せ細った子供たちを、どうにか餓死させないようにと日々奮闘していた。しかしシスターがどれほど頑張ろうと、寄付金が増えることはなかった。そもそもスラム街にいる者たちが他者へ施すほど金を持っているわけがない。皆が日々を生き抜くのに精一杯なのである。寄付を求めるシスターが暴漢に襲われそうになったことも一度や二度ではない。スラム街から一般層がいる街中へと寄付を募るシスターであったが、手に入ったのは数枚の銅貨である。手に入ったお金で食べ物を購入するも、わずかな食べ物では子供たちの腹が満たされるはずもなく、またスラム街の孤児院に蓄えなどあろうはずもなく、子供たちと共に死を覚悟したシスターは毎日祈りを捧げていた神への祈りも忘れ、心の中は絶望で満たされていた。


 少し前までは――


 突然。そう、突然に事態が好転したのだ。シスターの前に黒い髪の少年が現れたのだ。さらに少年の後ろには痩せ細った子供たちが並んでいた。自分たちが今にも餓えで死にかけているのに、子供を受け入れることはできないとシスターは断ろうとしたのだが、少年は子供を受け入れれば定期的に寄付金を納めると申し出たのだ。シスターが喉から手がでるほど欲していた寄付金。

 少年の申し出を疑いつつもシスターは受け入れた。ここで断ってもシスターが頼れる人も場所もないのだ。それならばと受け入れたのだ。そこからは驚きの連続であった。少年は袋――恐らくアイテムポーチから大量の食料を出すと、皆に食事を振る舞った。次に少年はシスターに金貨や銀貨を無造作に渡すと、どこかへ姿を消す。突如、大金を手にしたシスターは気が気でない。ここはスラム街なのだ。なんの力もない孤児院に大金があると知られればどうなるかなど、世間に疎いシスターですら容易く想像できた。扉を叩く音にシスターは心の臓を握られたかのように驚き、子供たちを奥の部屋に集め、お金を隠してから恐る恐る扉を開けると。そこには上半身裸の男たちが、手には木槌や木材を持って立っていたのだ。ああ、もう終わりだわとシスターが嘆くのをよそに、男たちは「金は貰ってるんで勝手に始めさせてもらうぜっ」と言うやいなや、孤児院の修繕を始めたのだ。連日押し寄せる上半身裸の男たちの正体は大工であった。雨風を満足に防ぐことのできなかったボロ屋が、一端の孤児院に早変わりしたのだ。さらには孤児院周辺をうろつく同じ衣服に身を包んだ男たち。とてもではないが、真っ当な職に就いているとは思えない顔つきである。だが、信じられないことにこの者たちは孤児院を警護しているようなのである。この男たちが孤児院をうろつくようになってから、シスターに悪さしようとしていた暴漢も、子供たちを拐おうとするならず者も見なくなったのだ。ここでシスターはやっと気づく。あの黒い髪の少年が手を回したのだと、少年は約束どおり決まった日に寄付金を納めにくる。少年の傍には決まって魔人族の子供と、メイド服姿のダークエルフの少女が付き添っていた。


「う゛まいよっ、ひぐっ、う……う゛わーん」

「慌てなくても誰もあなたから奪わないからゆっくり食べていいのよ」


 シスターが泣きながら食事する子供の頭を優しく撫でる。


「すっごいおなかへってたんだな。おれもおなかすくときゅーっていたくなるもんな」

「ばかねっ! おなかがいたくてないてるわけじゃないでしょ!」

「じゃあ、なんでないてんだよ!」

「えっと……それは、あれよ。ナマリちゃんからおしえてあげて」

「ええっ!? 俺もわかんないぞ?」

「ほらみろ~。ナマリだってわかんないじゃないかっ!」


 孤児院の子供たちが、泣きながら食事する子供を囲んで騒ぎ始める。少し前までは自分たちも同じような状況だったことも忘れたかのように。


「シスター、そいつの面倒を見てほしい。ナマリ・・・が勝手に拾ってきたんだけどな」

「任せてください。ちゃんと私が責任を持って育てます」


 ユウから定期的な寄付金が入るようになり、やっとまともな運営ができるようになったからか、シスターはやる気に満ちていた。


「俺が見つけたんだぞ!」


 えっへんと胸を張るナマリの頭の上では、モモが「褒めてないわよ」と言わんばかりにペシペシと頭を叩いていた。

 最初は新しくきた子供を物珍しそうに眺めていた子供たちであったが、しばらくすると飽きたのか、コロやランに群がる。コロの毛に手や顔を突っ込んで楽しむ子や、ランの艶のある毛を撫でてその感触にうっとりする子など様々であった。


「ユウ兄ちゃん、ちょっといい?」


 一人の少年がユウのもとへ来る。以前はガリガリに痩せ細っていたのだが、孤児院の食事事情が改善されてからは肉がつきはじめて、血色も良くなっていた。


「なんだ?」

「俺さ、働こうと思ってるんだ。ずっとシスターのお世話になってたからさ、役に立ちたいんだ」


 少し離れて話を聞いていたシスターが思わず涙ぐむと、周りの子供たちがどうしたの? と心配そうに話しかける。


「お前、いくつだっけ?」

「多分……十二歳くらいだと思う」

「わかった」


 ユウはアイテムポーチから通信の魔導具を取り出す。


「俺だ。孤児院にいるから来い。あ? いいから来い」


 一方的に用件を伝えるとユウは通信の魔導具を切る。この通信の魔導具は、以前ネームレス王国を侵略しにきたマリンマ王国の魔導船にあった物を、ユウとラスが分解、解析し、量産した物である。

 三十分ほどすると、孤児院に強面の男が三人やって来た。顔に残るいくつもの傷跡は強面も相まって、子供たちに恐怖を与えるのに十分である。


「シスター、こわいよ~」

「こわい……」

「うわ~ん」

「大丈夫よ。ほら、抱っこしてあげるから来なさい」


 大丈夫と言いつつ、シスターも内心怯えていた。三人の強面の一人は、裏社会に疎いシスターですら知っているスラム街の顔役の一人であったからだ。


「おい、お前らの顔が怖いから子供が泣いてるだろうが」

「ええっ!? 無茶言わんでくださいよ。こっちは普通にしてるだけなんですから」

「ほんとだぜ。それよりボス一体なんの用――げふっ、かしらなにするんですか?」


 三人の内、一番小柄な男が肘打ちをしたのだ。肘打ちを受けた男は抗議しようとするが、ユウが睨んでいることに気づくと黙り込む。


「何回も言ってるが、俺のことをボスって呼ぶな」

「へい。そりゃわかってるんですが、こいつら頭がちっとばかし良くねえんで許してやってください。で、今日はどういった用件で?」

「ワムル、こっち来い」


 名前を呼ばれると、仕事をしたいと言っていた少年がユウの傍に来る。


「こいつはワムルっていうんだが仕事を探してる。お前らのところで雇ってくれ」

「そいつぁ構いませんが……」


 頭と呼ばれていた男がワムルを値踏みするように睨めつける。ワムルは孤児院の中では年長者である。不安がっている年少組を安心させようと、自分は怯えていないぞっ、と胸を張る。


「わかってると思うが」

「はぁ……。週休二日で日に休憩は一時間、日が暮れる前には帰らせばいいんでしょ?」

「そうだ。あと昼飯とおやつも忘れるなよ」

「はああぁぁぁぁ。たまんねえな……」

「ご主人様に対して、なにかご不満でも?」


 頭の態度にマリファの目が鋭くなる。子供たちを庇うように立っていたコロとランの全身の毛が逆立っていく。


「いやいやっ! 文句なんてありゃしませんって! 勘弁してくださいよ」


 頭は知っていた。目の前のダークエルフの少女が見た目とは裏腹に、主であるユウを侮辱する者に対しては貴族であろうが平気で殺すということを。


「あと道端にまた子供が落ちてたぞ。ちゃんと巡回してんのか?」

「そりゃもちろん! 人が増えてんですよ。ほら、俺らがボ――サトウさんのお陰で真っ当な仕事をするようになって、スラム街も治安が良くなったんで、それを聞きつけた連中がよその町から食い扶持を求めてどんどんカマーに集まってきてんっすよ。一般の奴らからカマー進出を狙ってるマフィアに亜人まで、お陰でこっちは大変ですわ」


 頭が言うとおり都市カマーの人口が増えているのは事実であった。人が増えればそれだけ金が動く、金が動けば商人が集まる。商人が増えれば雇用が増える。あとは繰り返しである。二十万人は超えていると言われていた都市カマーの人口は、現在ではスラム街の住人も合わせれば二十五万人に達していた。


「あっそ。仕事があるのはいいことじゃないか」

「ぐぅっ……。そりゃそうですが、はぁ……」


 ユウの立ち上げた警備会社は、当初はスラム街に巣食うマフィアが従業員とあって商人や一般市民から敬遠されていたのだが、元々は裏社会で悪さをしていた者たちだけに犯罪の手口は熟知しており、抑止力は凄まじいものであった。今や需要が増大し、寝る間も惜しんで仕事に励んでいる。特に役職を任されている者たちの心労は計り知れなく。この頭もその一人である。


「そんなに忙しいなら近況を聞きたいな。明日エイナルに会いに行くから時間を空けとくように伝えておいてくれ」

「へいっ、かしこまりやした」

「俺の用件は終わったが、なんかあるか?」

「そうですね。前から聞きたかったんですがぁ、こんな孤児院に金かけてなんか得でもあるんですかい?」


 頭の言葉は左右にいる部下も同じ思いであった。孤児院、しかもスラム街にあるようなオンボロ孤児院を、金に物を言わせて立て直すのは警備会社で働く誰もが理解できないでいた。おまけにユウはただでさえ忙しいのに、人員を割いて孤児院の周りを巡回させているのだ。


「なんだ。そんなこともわからないのか? 俺には敵がいっぱいいるって前に話しただろ? 俺が孤児院に援助してるって知ると、どいつもこいつも勘違いして孤児院に手を出してくるんだ。こっちが罠を張ってるとも知らずにな?

 ここまで言えばわかるだろう。孤児院に援助してるのはバカな連中を罠に嵌めるためなんだよ」

「「「へぇ~。そっすか」」」


 頭を含む三人の男たちは感情の篭っていない目でユウを見た。ユウの後ろではシスターが微笑みながらユウを見つめ、子供たちは「わなだぞ~っ」と騒いでいた。マリファは誇らしげに胸を張っている。


「お前ら、俺が嘘ついてると思ってるだろ」

「「「ぷっ、思ってないっす」」」

「俺のこと舐めてんだろ?」

「ちょっ、ボス止めてくださいよ」

「待て、逃げるな。戻ってこい」


 これ以上は笑いを堪えきれないと、男たちは孤児院の外へ逃げ出していった。残る者に向けてユウは再度――。


「本当だぞ?」


 皆が笑みを浮かべた。 

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