第191話 獅子身中の虫

 室内に入るなりニーナは部屋を見渡す。斥候系のジョブに就く者が持つ癖である。罠や不自然な点はないかと自然と探してしまうのだ。


「そう警戒しなくても大丈夫ですよ。なにも仕掛けていません」


 フランソワは椅子を引き「どうぞ」とニーナに座るよう促す。


「えへへ~。わかってるんだけど自然にね?」


 ニーナは椅子に座ると腰に差している黒竜・爪、黒竜・牙の二本のダガーをテーブルの上に置いた。それでもニーナのアイテムポーチの中には、今まで使ってきたダガーやナイフに、懐にはスローイングナイフを帯びているのだが、フランソワを攻撃する意思はないという表れである。フランソワもニーナが他に武器を持っているのは知っているのだが、ニーナの意思を一先ず受け取った。


「このような粗末な部屋で申し訳ございません。本来であればカマーでお会いしたかったのですが、ムッス伯爵が抱える食客の監視の目が厳しくて。知っていますか? 世間のムッス伯爵に対する評価は、だらしなく、いい加減で、好き勝手する振る舞いは貴族として相応しくないと言われていますが、実際は違います。ウードン王国でも十指に入るほど有能な貴族と言えるでしょう。でなければ、バリュー様の度重なる嫌がらせや勧誘を断りながら、都市カマーをここまで発展させることなどできませんからね」

「知ってるよ~」


 ニーナは特に興味はないようで気の抜けた返事を返す。


「でも、会う場所をここにしたのは正解かも。今じゃスラム街で密会するのも難しいからね」

「私の部下もムッス伯爵の食客に随分と殺られていますよ」

「部下? ああ、あの弱い人たちか」

「私の部下はルートのような使い捨ての諜報員などではなく、ステムですよ」

ルートグラースステム、フランソワさんみたいに花びらペタル、どれでもいいんだけど。あんまりユウの屋敷の周りをウロチョロしないでほしいな~。どうせ無駄なんだし」

「ニーナさん、言葉には気をつけてくださいね。いくら協力者とはいえ、あまり言葉が過ぎると後悔することになりますよ」


 ニーナの対面に座るフランソワは穏やかな笑みを浮かべながらも、言葉には有無を言わせない力が込められていた。


「まあ、いいでしょう。それよりも今の『災厄の種』の情報を詳しく教えていただきたいですね。以前、時知らずのアイテムポーチを教えていただいたおかげで、こちらの思惑どおりバリュー様が興味を持たれましたが『災厄の種』捕獲に向かわせた『権能のリーフ』は壊滅。事前にニーナさんから聞いていた情報より推測して向かわせたにもかかわらずですよ?」

「それは無理だよ~。前にも言ったけど、制約でフランソワさんに話せることには制限がかかっているんだから」


 羊皮紙に走らせていたフランソワの羽根ペンの動きが止まる。


「またそれですか……。よろしければ、こちらでその制約とやらを解除して差し上げますよ。幸いにも私の部下の中には、精神系統の魔法やスキルの扱いに長けた者がいます」

「それも無理だって言ったよ~。フランソワさんたち・・には見えてないでしょ? 今だって偶然・・制約の一部が緩んだから、フランソワさんと話せるんだよ」


 おどけるように、ニーナは指先をクルクルと回す。フランソワはそんなニーナの態度に苛立つ様子を少しも見せずに、羊皮紙へと羽根ペンを走らせ続ける。


「それでもニーナさんには協力していただかないと。万が一にも『災厄の種』が魔王になるようなことになれば、無辜の民にどれほどの犠牲がでるか。

 ニーナさんならよくご存知でしょうが、ウードン王国、自由国家ハーメルン、セット共和国、デリム帝国――聖国ジャーダルクを除く五大国は自国の利益を考えるばかりで、人類全体の平和など二の次です。聖国ジャーダルクだけが人類の平和を考え、人を正しく導くことができる唯一の国家なのです」


 フランソワの熱を帯びた言葉には、聖国ジャーダルクのみが正しく、聖国ジャーダルクのすることに間違いはないと信じ疑っていない狂信者の姿が感じ取れた。


「あはは。笑かさないでよ~」


 自分の言葉に酔っていたフランソワを馬鹿にするように、ニーナが言葉を挟む。


「ニーナさん、どういう意味ですか?」

「自分たちで召喚しておいて、平和がどうこうって笑っちゃうよね。ああ、前回・・ので味をしめたのかな? だいぶ信者が増えたみたいだし。自分たちで用意した魔――」


 ニーナの首に一筋の朱線が浮かぶ。朱線から血が滲み出て、ゆっくりと首から胸元へと血が流れ落ちていく。


「言葉には気をつけてくださいと注意したはずです。私がその気になれば、ニーナさんを殺すことなど容易いのですよ?」


 フランソワの右手は相変わらず羽根ペンを走らせている。しかしなにも持っていない左腕は水平に伸びていた。フランソワは手刀でニーナの首の皮一枚だけを切り裂いたのだ。フランソワの放った手刀は、手練の者でも切り裂かれたあとにやっと気づくことができるほどの早業であった。


「本当のことなのにな~」


 首から流れ出る血を気にも留めずに、ニーナはフランソワを咎めるような視線を向ける。


「『災厄の種』には『異界の魔眼』が備わっているのはわかっています。それ以外にも、普通では考えられないような固有スキルは持っていますか?」

「言えな~い」

「はいかいいえで答えることは? もしくは首を振るなどでも構いません」

「う~ん……。できないみたい」

「『災厄の種』がこちらに顕現する際に、数万人の亜人や罪人が消失したと聞いています。それだけ大量のモノを消費し、固有スキルが一つ、それも『解析』と『鑑定』の能力を宿した魔眼だけというのは些か弱いと私は考えています」

「消失? 自分たちで捧げたのに? 罪人もイリガミット教に入信しなかった人がほとんどじゃないのかな~?」


 フランソワの問いかけに答えず、ニーナは聖国ジャーダルクが他国に隠している情報を、友達と談笑するかのように話す。


「質問を変えましょう。ステラは『災厄の種』に『転写』はしていましたか?」

「『転写』?」


「ええ。ステラは別名『邪眼の魔女』と呼ばれていましてね。その二つ名に相応しい穢れた力をその身に宿していました。その一つに自分の知識を他者へ写すことができたのです。『災厄の種』は『聖技』を使うことができますか?」

「えっと『聖技』って『双聖の聖者』が使う技だよね? あっ、あれかな? ユウが『聖技』を使っているところは見たことないけど、魔力を糸状にして索敵とか魔法を使ったりはしてたよ」


 羊皮紙に羽根ペンを走らせていたフランソワの手が止まる。


「魔力を糸状にですか……。『聖技』と見て間違いないでしょうね」

「そうなんだ~。そういえば、ステラさんの遺体がなくなったみたいなんだけど、フランソワさんの仕業?」

「ステラの遺体ですか……。私の上司からもなにか情報があれば報告するよう指示がありましたが、私には正直理解できませんね。なぜステラ如きの遺体をそこまでして探す必要があるのか」

「ステラさんは『双聖の聖者』の血を引いてるんでしょ? そんな凄い人の血を引いているのに、探さなくていいのかな?」

「そのとおりです。ですが『双聖の聖者』が一人、ドール・フォッド様の血を引き、光の女神イリガミットに仕える身でありながらイリガミット教の教義に反するような数々の行動、さらには忌まわしき邪眼の力。ステラの存在はまさにドール・フォッド様の恥部そのものではありませんか。そのようなごみを今さら見つけたところで、なんの役に立つと言うのですか?」

「ステラさんは塵なんだ。そっかそっか。

 神様って言っても皆に優しいわけじゃないんだね。少し教えと違うことをしただけで、塵扱いだもんね」


 ニーナの首に二つ目の朱線が走る。先ほどより線は濃く、深く、刻まれた傷口より血が溢れ出る。


「三度目ですよ。次はありません」

「フランソワさんは神様を見たことがあるの?」


 フランソワの二度に渡る警告も、ニーナには効果がないようであった。


「神はみだりに姿を見せることはありません」

「見たこともないのに神様がいるって信じてるんだ~」


 二度に渡る手刀による警告の際にも殺気を発することのなかったフランソワから、初めて殺気が漏れ出る。ほんの一瞬であったが、フランソワはニーナを殺そうとしたのだ。しかし、ニーナはフランソワの殺気に反応することもなく、一人納得するように数度頷いた。

 その後、制約に触れない範囲で伝えられる情報をフランソワに話し終えると、ニーナは席を立つ。


「フランソワさん、そろそろ帰るね。私との約束、忘れないでよ?」

「ええ。あなたの記憶については調べさせています。近い内に本当の名前もわかるでしょう。ですから私との約束を違えないようにお願いします」


 「わかってるよ~」と言いながらニーナは部屋を出ていく。部屋に残るはフランソワのみかと思われたが、天井の梁より二人、部屋の隅から三人、合計五名の男が姿を現す。驚くべきことにニーナが部屋に入る前より男たちは部屋にいたのだ。『気殺けさつ』――『潜伏』『隠密』などの斥候職が覚える気配を消すことのできるスキルの上位の技である。視界に入っていても認識することのできないこの技を極めれば、相手に気づかれずに殺めることも容易いだろう。


「あの女、ありもしない制約などとぬけぬけと。よろしいので?」

「こちらの引っかけには乗ってきませんでしたな」

「フランソワ様、許可をいただければあの程度の者いかようにでもできますが? イリガミット教を侮辱する発言の数々は許せませぬ」


 諜報員として幼き頃より心身共に厳しい訓練を受けてきた男たちは感情こそあらわにしなかったが、自分たちの崇拝する神を貶めるようなニーナの発言に死をもって償わせるべきだと、暗に訴えていた。


「今はその時ではありません。あの女は教国大司教の正体を突き止める糸口になるかもしれないのです。我々、ブロソムが素性どころか手掛かりすら掴めなかったオリヴィエ・ドゥラランドのね。

 あなたたちはこの羊皮紙をタモス様のもとまで運んでください。くれぐれも他国の間者に私との関係を気取られぬように」

「心得ております」


 フランソワから羊皮紙を受け取ると、男たちは音もなく姿を消し去った。一人部屋に残るフランソワは、ニーナの言葉を思い出していた。


 フランソワさんたち・・には見えてないでしょ?


「まさか……部屋に配置していた部下の存在に気づいていたのでしょうか?」


 そんなことはあり得ないと、フランソワは自らの考えを否定するかのように笑う。部屋にいた五名の部下はステムの中でも手練の者たちである。その手練がさらに『気殺』を使用して気配を消していたのだ。フランソワでも予め知っていなければ認識することすら叶わないのに、オリヴィエ・ドゥラランドの人形ごときが気づけるはずがないと。

 フランソワはカップの紅茶を口に含みながら、ニーナのやり取りを思い返す。フランソワは声、身振り、気配から相手の感情や考えを推測するスキルを持っており、その結果を羊皮紙に自動書記することができるのだが。ニーナに関しては考えどころか、喜怒哀楽の感情があるのかすらわからずにいた。

 『災厄の種』に近づくために接触した少女は、教国大司教オリヴィエ・ドゥラランドの手駒の一人であった。自ら制約が綻び感情が戻ったと言っていた少女。オリヴィエ・ドゥラランドによって記憶と感情を消されており、失った記憶に関する情報を提供することを条件に協力者となったのだが。


「私が考えているよりも厄介なことになりそうですね」




 太陽の光が、ニーナを頭上から照らす。鬱蒼と草木が生える山道を都市カマーに向かって歩くその足取りはどこか軽かった。


ブロソムもステラさんの遺体の場所は知らないんだ。あとは誰だろう? それにしてもフランソワさんは面白い人だな~。見たこともないのに神様がいるだなんて。神様がいるかどうかなんて簡単にわかるのにね」


 ニーナは思い出したかのように自分の胸元に拡がる血の跡を撫でる。次に血は止まってはいるが、首に残る二本の朱線を同じように。


「うん、これでよし。このまま帰ってたらユウが心配しちゃうからね」

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