第190話 ゴリラとゴリラ

 都市カマー冒険者ギルド二階。

 二階ではCランク以上の冒険者のみがクエストを受注できる。二階にいる冒険者は必然的にCランク以上になるのだが、たまにDランク以下の冒険者が怖いもの見たさに二階に来ることがある。すぐに自分と二階にいる冒険者たちとの力量差や身につけている装備の差にいたたまれなくなり、一階へ尻尾を巻いて逃げ帰るのだ。


「あれ見ろよ。ノアの野郎、ずいぶん苛立ってるじゃねえか」


 冒険者ギルド二階の一角を陣取っている男たちの一人が、顎で指し示す。その視線の先には立派な一本角に赤い肌、鬼人族の男が苛立ち気に身体を揺すっていた。


「放っておけよ。あの野郎、前にジョゼフの旦那との殴り合いで負けてからずっと苛立ってんだよ」

「それが違うんだな。あいつ嫁さんとケンカして、嫁さんが子供連れて実家に帰ってんだよ。それで苛立ってんのさ。それよりお前はどう思う?」

「なにが?」

「ちっ。聞いてなかったのかよ。ラリット、お前からロンバに説明してやれよ」

「しょうがねえな。あのな? 今、王都じゃ貴族の間だけで流行っているブラジャーってのが、一般庶民の間でも流行り出してるらしいんだ」


 しょうがないと言いつつ、ラリットは説明したくて仕方がないといった顔である。


「ブラジャー? 聞いたことねえな。食いもんか?」

「ばかっ! そんなつまんねえ物なわけねえだろうがっ。下着だよ下着! それも女が胸につける下着だ」


 ラリットの横に座っていた男が、そんなことも知らないのかと怒鳴るが、ロンバは聞いたことを後悔する。しかし、ラリットを含む周りの男たちの顔は真剣そのものであった。


「まあまあ、そう怒鳴るなって。こいつが言ったようにブラジャーってのは、女が胸につける下着でな。これをつけると胸は垂れないわ、形は綺麗に整うわと良いこと尽くめなんだが、これを俺たちがニーナちゃんにプレゼントするのはおかしいと思うか?」


 ラリットの周りにいるのは、ラリットを頂点とするクラン『豊満なる愛』の者たちである。冒険者ギルド非公認のこのクランに所属する者たちは、女性のある部位に並々ならぬ関心を持っているのだ。そう、胸――おっ○いである。特に大きな○っぱいに敬意を払い。都市カマーでも最高峰のおっぱ○を持つニーナのことを、女神の胸を持つ女性と崇めている。ニーナのお○ぱいを女神のおっぱい。いわゆるメガパイと称し、勝手にニーナのメガパイを護っているのだ。そう、言うまでもないが碌でもない集団なのだ。


「そんなことどう――」


 ロンバの言葉にラリット達の眼光が鋭く光り、ロンバは言葉を寸前で飲み込んだ。魔物と命のやり取りをしているかのような圧力がロンバを襲ったのだ。ロンバは冷や汗を拭うと言葉を続ける。


「プレゼントするって言ってもよ。女の胸の大きさはそれぞれ違うだろうが、サイズが合わなけりゃもらっても困るだけだ」


 ラリットたちは鼻でロンバの言葉を笑い飛ばした。


「お前、ラリットが女の胸の大きさを数値化できるって知らないのか?」


 知るわけがない。知りたくもない。だが、ラリットの隣にいる男の顔はドヤ顔であった。


「これを見ろ」


 ラリットがアイテムポーチより取り出したのは、一枚の紙である。そこには多くの女性の名前と名前の横には数値が記入されていた。


「なんだこりゃ」


 女性の胸にそこまで興味がないロンバが紙に触れようとするが、それよりも早くラリットの横にいた男が紙を奪い取った。


「ま……まさかっ! こ、ここ、こりゃっ!!」

「ああ、そのまさかさ」


 目を瞑ってカッコつけているラリットが鼻を親指で弾くと、カッ! と目を見開いた。


「冒険者ギルドの受付嬢から女性冒険者の全おっぱ――胸を数値化したもんだ! 一番上は当然我らが女神であるニーナちゃん、それ以降も大きさの順に並べているぜ!」


「せ、聖典じゃねえかっ! こんなどえらいものがあるってバレたら大変なことになるぞ!!」


 ラリットを称えるように男たちが、ラリットを胴上げする。それを傍で見させられているロンバは「バカかこいつらは」と呟いた。


「そんな物があるんなら、まずは別の女にでもブラジャーとやらを贈って反応を確かめてみればいいんじゃねえの?」


 もうどうでもいいとばかりに『豊満なる愛』に所属していないロンバが言葉を漏らすと。


「天才かっ!?」

「よっしゃ! 早速、レベッカ辺りにでも贈ってみようぜっ」

「まずはカマーの下着屋でブラジャーを取り扱っているか調べねえとな」

「こりゃ、クエストなんか受けている場合じゃねえなっ!!」

「忙しくなってきやがったぜ!」


 ラリットを先頭に走り去っていく男たちを、他の女性冒険者が軽蔑の目で見送った。そして、彼らが聖典と言っていた紙の一番下の欄には、レナ・フォーマという名前と悲しい――控えめな数字が記載されていた。この件が後日、冒険者ギルド非公認クラン『レナちゃんファン倶楽部』の者たちに伝わると『豊満なる愛』との間で醜い抗争を繰り広げることになろうとは、このときはまだ誰も知る由もなかった。


「くっそうるせえバカ共が! やっとどっか行きやがったか」


 走り去っていくラリットたちの背へ、鬼人族の男が罵倒するように言葉をはき捨てる。男の名はノア・パズズ――『狂人』の二つ名を持つBランク冒険者である。

 数ヶ月前、些細なことでジョゼフとノアは揉める。そのときのジョゼフは、ユウが大した説明もなくカマーから姿を消したことや、ユウの力になれない自分に苛立っていた。そんな事情を知らないノアがジョゼフに絡んでしまったのだ。剣呑な雰囲気を纏うジョゼフを、どうせくだらないことで落ち込んでいるのだろうとからかうノア。いつもなら言い返してくるはずのジョゼフが、なにも言い返さずに目も合わせない。「おうおう。カマー最強とも名高い『豪腕』のジョゼフがどうした? 女にでも逃げられたか?」、そのセリフをはいた瞬間、ノアの身体は吹き飛んでいた。ジョゼフがノアの鳩尾に蹴りを叩き込んだのである。理由はどうあれ、肉弾戦ならノアも望むところ。都市カマー最強の冒険者として、いつもジョゼフの後塵を拝しているノアはこの機会にジョゼフに勝つつもりであったのだ――だが、返り討ちに遭ったのだ。鬼人族のノアが人族のジョゼフに、しかも武器を要さない殴り合いで。武器やスキル、魔法などを駆使しての勝負ならいざ知らず。己の肉体を使っての単純な殴り合いで負けたことに、ノアは大きなショックを受ける。失意のまま家に戻ったノアは妻に理不尽に当たってしまい、怒った妻は子供を連れて実家に帰ってしまったのだ。男尊女卑が当たり前の世界であるが、鬼人族ではさらにその傾向が強い。鬼人族の男が自分から非を認めて女に謝るなど、他の鬼人に知られればいい笑いものである。

 自分が悪いとわかっているものの、ノアは妻のもとへ謝罪することもできずにいた。妻はまだ怒っているのだろうか。今が一番可愛い盛りの娘は元気にしているのだろうか。様々な感情がノアの頭の中を駆け巡り、苛立ちを募らせていた。


「わっ、ゴリラだ」

「あ゛っ!?」


 不意に聞こえた声にノアが目を向けると。テーブルの端から二本の巻角と飛行帽の上に女の子座りして、こちらを窺うピクシーの姿が見えた。


「隠れてないで出てこい! 俺様を誰だと思ってやがる!!」


 ノアから発せられる圧力は並の者であれば後退りしそうなものであるが。


「ゴリラっ!」


 椅子によじ登り「うんしょ」と座ったナマリが、頬杖をつきながら嬉しそうにノアを見つめる。モモは大きな身体に真っ赤な肌のノアの姿を珍しそうに目を見開いて眺めていた。


「だ、誰がゴリラだっ! この立派な角に真っ赤な肌が見えねえのか!」


 純真な瞳を向けてくるナマリとモモに、ノアがたじろぐ。なにより、目の前にいるモモから溢れ出る魔力は尋常ではない。もし、戦えば命懸けの戦いになる。ノアに生死を覚悟させるほど、モモが発する魔力は尋常ではなかったのだ。


「う~んと、真っ赤なゴリラっ!!」

「ゴリラじゃねえって言ってんだろうがっ! 大体ゴリラってなんなんだよ。それより、お前らは俺が怖くねえのか?」


 ノアの見た目はスラム街にいるゴロツキなど比べ物にならないほど凶悪である。道を歩けば人は避け。子供はノアの顔を見るなり泣き出す。普段悪ぶっている者たちは通りの影へと隠れるほどである。


「なんで? 変なのー」


 ナマリがテーブルに座るモモと向かい合いながら、お互いに顔を傾げる。


「お、おい。ありゃ、ユウのとこのナマリって魔人族のガキじゃねえか」


 ノアとナマリのやり取りを遠巻きに見ていた冒険者のグループが、放っておいて大丈夫なのかと心配する。一方ノアとナマリは楽しそうに話しており、モモはノアの角に跨って得意げであった。


「そっか。ノアはとうちゃんなのかー。俺のとうちゃんはオドノ様なんだぞー! 強いんだぞっ!!」


 自分にナマリと同じくらいの子供がいると話したノアに、ナマリが対抗するようにユウのことを話す。


「げっ。ノアの奴、泣き出したぞ」

「あれだな。ナマリに父ちゃんって呼ばれて、カミさんが連れ帰った娘の姿を重ねてるんだな」


 わんわん泣くノアに、ナマリが「とうちゃんが泣いちゃダメなんだぞ」と戸惑い、モモが頭を撫でる。その行為が余計にノアの涙腺を刺激する。


「みっともないところ見せて悪かったな」


 目を真っ赤にしたノアの顔はさらに凶悪さを増していたのだが、ナマリは「にしし」と笑う。


「ノアは強いのか」

「ああ、俺はつええぞ!」

「俺のしってるゴリラとどっちが強いのかな」

「ゴリラってのがなんだかわからねえが、俺が負けることはないな。なんなら今から勝負してやってもいいぞ」

「ほんとにっ!」

「ああ。俺の手にかかれば、ゴリラなんて一捻りよ!」


 テーブルに身を乗り出すナマリと、止めときなさいとノアの頭を叩くモモ。そのとき、不意に声をかけられる。


「ナマリ、まさかお前の言ってるゴリラってのは俺のことじゃないだろうな?」


 引きつった笑みを浮かべるジョゼフが、ナマリの後ろに立っていた。


「ゴリラっ!」

「誰がゴリラだ!」

「ジョ、ジョゼフ……っ!?」

「あん? ノアか。なんでお前とナマリが一緒にいるんだ」


 モモが私もいるんだからね。とジョゼフの頭の上に着地してペシペシ頭を叩く。


「ノアはとうちゃんでゴリラより強いんだぞ!」

「おうっ! ナマリ、俺はこんなゴリラ野郎なんかに負けねえぞ!!」

「ほ、ほう……。この前、俺にボッコボコにされたのを忘れたのか?」


 コメカミに青筋を浮かべるジョゼフ。周囲の冒険者はすでに距離を取りつつ、どっちが勝つかで賭けをし始めていた。


「あんときゃー、調子が悪かったんだよ。じゃなきゃ俺様がゴリラ如きに負けるわけねえ!!」

「死にてえらしいな」


 ジョゼフの全身から溢れ出る闘気がノアに叩きつけられるが。


「がんばれー!」

「おうよ!」


 ナマリに応援されたノアがジョゼフの顔をぶん殴る。人族の身体能力を遥か凌駕する鬼人族の拳撃である。常人であれば即死の一撃であったが、ノアは拳を振り抜けず、ジョゼフの顔で受け止められていた。驚くノアと対象的に、口から血を流しながらジョゼフは嗤っていた。


「上等だ。この赤ゴリラがっ!」


 ジョゼフがお返しとばかりにノアの顔に拳を叩き込む。ぷしゅっ、とノアの鼻から真っ赤な鮮血が噴き出す。それでもノアは痛そうな顔を浮かべず、ジョゼフと同じように嗤っていた。ナマリが見ているのだ。負けるわけにはいかない。激しい二匹の――否、二人のゴリ――男の意地の張り合いである。ジョゼフとノアは申し合わせたかのように交互に殴り合う。一撃放つ度に周囲の冒険者からは歓声が上がる。Bランク冒険者同士の、それも都市カマーで最強と呼ばれる者同士の殴り合いである。誰しもが金を払ってでもみたい。そんなケンカをタダで見れるのだから、この場にいた者たちは幸運であるといえよう。騒ぎに気づいた二階受付嬢バルバラが制止するも、その声は歓声に掻き消される。


「わあ。モモ、どっちが勝つと思う?」


 ナマリの頭の上で寝そべっているモモは、歓声が煩いのか耳を手でふさいでいた。


「ナマリ、行くぞ」

「あ、オドノ様。あれ見て! ゴリラとゴリラが戦ってるんだ。どっちが勝つと思う?」


 用事を済ませたユウがナマリを迎えに来たのだが、熱気溢れる歓声に辺りを見渡す。ナマリの頭の上に寝そべっていたモモはユウの姿を見るなり、ユウの飛行帽の中へと潜り込んだ。


「ナマリ、あっちの赤い肌の男は鬼人族だ。だから正確には鬼人族とゴリラの戦いだな」


 ユウの説明にナマリが「そっかー」と呟く。ユウの傍に控えていたマリファが、子供がこんなものを見てはいけませんと注意する。ユウたちが一階へ降りて行く背後からは「誰がゴリラだ! 待て、どこ行くんだ? 今から俺がこのクソ赤ゴリラを倒すから待っとけよ!」と叫ぶジョゼフの叫び声がするが、ユウたちは振り返りもせず去っていった。


「くっそ! こら、赤ゴリラ! さっさと――あん? ノアの野郎どこ行きやがった?」


 ジョゼフと殴り合いをしていたノアは、ナマリが去ると同時に消えていた。ナマリが見ている前でなければ、ジョゼフに勝っても意味がないのである。残されたのは哀れなゴリ――ジョゼフと、賭けをしていた冒険者たち。そしてそんなバカ共を逃さないとばかりに、騒ぎを聞きつけたエッダが笑みを浮かべて階段の前に陣取っていた。




 都市カマーから北へ約三十キロの山間部にある村。その村にあるお世辞にも立派とはいえない宿屋の一室にフランソワ・アルナルディの姿があった。普段の文官の装いから見た目は一般人のような装いに身なりは変わっているが、紛れもなくバリューに仕えるフランソワである。


「待っていましたよ」


 部屋の扉が開き、入ってきたのはニーナであった。

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