第193話 ぽろりんちょ

「え~……発足当初は赤字を垂れ流していましたが、今では徐々にスラム街にある商店から一般層が住んでいる商店まで契約の申込みが拡がり、え~あ~その~赤字の方はですね。わかりやすく言えば、あれですよ」


 スラム街にある建物の三階の一室で、警備会社を任されているエイナルは報告書を読み上げていた。


「お前、報告ヘッタクソだな。うちのマリファのほうがよっぽどマシな報告するぞ」


 ユウの後ろで「それほどでも」と澄ました顔で会釈するマリファであったが、ランは見ていた。マリファの耳がピコピコ動いていることに。ちなみにこの部屋にコロはいない。なぜなら日に日に大きくなるコロは、今では全長三百四十七センチ、体重は三百二十九キロにまで成長していた。そのため老朽化が進んでいるこの建物ではコロの体重を受け止めきれないかもしれないと、建物の外でお留守番であった。さらにいつもならユウのあとをついてくるナマリはレナと一緒に本を買いに出かけているので、ユウの飛行帽の中にモモがいるとは言え、今日はほぼユウを独占できているマリファの気分は非常に良かった。


「ボス、そりゃそうですよ。スラム街生まれでマフィアなんかやってる俺が報告なんてしたことあると思いますか?」

「お前か? どいつもこいつも人のことボスって呼びやがって。このアルコム警備会社の責任者はお前なんだぞ」

「いやいや、ボスはボスでしょう? このスラム街にいるマフィアに、いや住民にここのボスは誰かって聞けば全員が全員ボスの名前を挙げますよ?」


 エイナルはそう言うと顎を撫でる。顎髭があったときの癖である。

 スラム街出身でただでさえ信用がないのだから、他の誰よりも身だしなみをしっかりするようユウに言われて、ボサボサに生やしていた髪は短く切り、顎髭も剃り上げていた。


「俺はあくまで資金を援助してるだけだからな。それはそうとよそからカマーに人が流れているって聞いたけど、どんな感じだ?」


 エイナルから奪い取った報告書に目を通しながらユウが尋ねる。

 アルコム警備会社の需要が増えたとはいえ、まだまだ慣れぬ警備業には無駄な部分が多く、今までユウがつぎこんだ資金や赤字分を解消するまでには至ってはいなかった。


「どうもこうもないですね。人や亜人は――おっと、獣人はまだいいんですが、問題はよそから来る貴族ですよ」


 エイナルがちらりとマリファの様子を窺い、亜人という差別用語を慌てて獣人と言い直す。しかしマリファは亜人と言われることには慣れているので別段気にはしていないのだが、ユウの奴隷であるマリファを怒らせるような発言は拙いと言い直したのだ。


「あいつら自分たちを特別と思ってるもんだから、こっちが注意したりなんかしようもんなら無礼者つって、首を刎ねようとするんすからね」


 エイナルが首を手でトントンと叩く。民を支配し国を運営しているという自負がある貴族が、自分たちの素行の悪さを一般市民に注意されて素直に受け入れるわけもなく。それどころか税を納めないスラム街の住人など人として認めていない者が大半である。スラム街の住人に注意されるということ自体が貴族にとっては無礼であり、屈辱なのだ。事実、エイナルの部下数名が貴族に対して口答えをしたという理由で殺されている。そして貴族がスラム街の住人を殺しても憲兵が動くことはないのだ。たとえ正当な理由なく殺害したとしてもだ。


「なんでやり返さないんだ?」

「やり返す? 相手は貴族ですよ? ボスでも冗談を言うんですね」

「ボスじゃねえって言ってんだろ。それより仕事はあるんだ。スラム街にはあぶれている連中はまだまだいるんだから、どんどん採用しろよ。あと、王都の方はどうなってる?」

「あぶれているって言ってもどうしようもない連中ばっかりなんで、そこはこっちで見極めさせてもらいますよ。王都の物件の方も順調に押さえていってます」

「物件の確保は焦らなくていいからな。人員もバレないように送れよ」

「わかってます。人員も数人ずつにわけて送り込んでいるんでバレることはありません。ローレンスの奴らにうちの者だとバレると、面倒なことになりますからね。あいつら財務大臣が後ろ盾にいるからって無茶しや――」

「放してよっ!!」


 エイナルの会話に割り込むように、少女の叫び声が三階のユウたちがいる部屋にまで届く。ユウは席を立つと窓を開け外を見下ろす。そこにはスラム街にいるのには場違いな出で立ちの中年の男と従者が、少女と言い争っていた。三人の周囲には野次馬が集まり人垣を形成していた。貧しいスラム街の住人にとって、揉め事はいい暇つぶしで娯楽の一つであるのだ。やがて野次馬を押しのけながら、アルコム警備会社の制服を着た男が仲裁にはいる。


「へっへ。貴族様、こちらの女がなにか気に障ることでもしましたか? もしそうならこいつは見てのとおりスラム街に生きる住人なんで、礼儀作法なんてものは知らないんで勘弁してやってもらえませんかね?」

「ち、違うよ! こいつら、私に身体を売れって言ってきたんだ! 私は売りなんてやってないって断ってんのにさっ!! あんたからも言ってやってよ! このスケベ親父に――きゃっ!」


 威勢よく啖呵を切っていた少女を従者の男が平手打ちする。力任せに叩かれた少女の頬がたちまち赤く腫れ上がっていく。それでも少女は暴力に屈することなく、自分を打った男を睨みつけた。

「口のきき方に気をつけろ! こちらはダニ男爵の弟君であられるシラミー様であられるぞ! お前のような下民が口答えしていいお方ではない!!」

「ちょっと旦那、待ってくださいよ。なにも殴るこたぁないでしょうが。女が欲しけりゃ俺が娼館に案内しやすから」

「スラムの住人のくせに、シラミー様の従者である俺に口答えする気か?」

「いやいや、口答えなんかしてないでしょうが」

「黙れ! 儂の従者に口答えするということは、儂に逆らうと同義であるぞ! そもそも薄汚いスラムの住人が儂の許可なく話しかけることがすでに――誰だお前は?」


 シラミーの視線の先、地面に膝をつく少女を見下ろすようにユウが立っていた。


「げっ、ボス」


 周りを囲んでいた野次馬がざわつく。これから起こることに期待する者、さすがに貴族相手に無茶はしないだろうと言う者、皆がユウの一挙一動に注目した。


「お前、身体を売ってるのか?」

「売ってないっ!! 私は身体なんて売ってないよっ!!」


 少女は勢いよく立ち上がり、大声で否定する。ユウはしばらく少女と目を合わせていたが、次にシラミーの方へ向かうと。


「売りはやってないそうだぞ?」

「なんだ貴様は、いきなり現れてなにを言うかと思えば。いいか? 貴様らスラムの住人なんぞ、本来であれば儂と口をきくことすらおこがましいことなのだぞ。それを金を払って抱いてやると言っておるのに、塵の分際で儂を拒絶しおって。薄汚いスラムの女に高貴な儂の種をくれてやると言っておるのだ! 跪いて儂に感謝するべきだろうがっ!! この雌豚がっ!!」


 シラミーが腰の剣を抜き放ち少女を斬りつけようと振りかぶる。地にぼとりと鈍い音とともに頭部が落ち、一度跳ね上がるとそのまま転がっていった。


「ひっ! シ、シラミー様……!?」


 従者の足下にシラミーの頭部が当たって止まる。


「塵はお前の方だろうが」


 シラミーが少女を斬りつけるよりも速く、ユウの剣がシラミーの首を刎ねる。

 周囲の野次馬から声が消え去った。常日頃から荒事に慣れているスラム街の住人たちであったが、相手が貴族とわかっているのに躊躇なく首を斬り落としたユウの行いに放心したのだ。


「持ってけ。俺は西門から進んだ先にある屋敷に住んでる。文句があるならいつでも来い」


 ユウはそう言うと、シラミーの頭部を従者の男へ投げ渡した。


「ひ……ひひ……ひゃっ!? うわあああああっ!!」


 従者の男はシラミーの頭部を放り投げると、そのまま逃げ出した。男のとった行動は当然である。このままシラミーの首を持ち帰れば、男はシラミー家の者に殺されるだろう。


「おい、首忘れてるぞ」


 ユウは走り去る従者から少女へと目を向けるが、そこに少女の姿はすでになかった。スラムで生きるのだから、これくらい逞しくないとなっ、とユウは笑みを浮かべる。

 その後の光景は異様であった。血溜まりのなか、黒髪の少年に叱られるアルコム警備会社の男、傍にはメイド服姿のダークエルフの少女。それをいまだ放心したまま眺める野次馬の群れ。

 この出来事はアルコム警備会社で働くマフィアたちに、ユウが相手が貴族であっても屑は殺せと言っていたのが、冗談ではないとわからせるのには十分であった。これ以降アルコム警備会社の者たちは、より一層業務に励み、相手が貴族であっても自分たちに非がなければ引かなくなる。




「ハァハァッ。たす、助けてくれ。誰かっ、ハァハァ」


 都市カマー北門から繋がる街道を、シラミーの従者をしていた男が走っていた。男が後ろを振り返ると、はるか後方を魔狼と雲豹、コロとランが追いかけている。最初は街中だからか距離を置いてついてきていたのだが、街道に出て人気がなくなるなり駆け出したのだ。


「い、嫌だっ! ハァハァッ、こん、なところで……ハァハァハァ、死にたくないっ! だ、誰ぁかだ――」


 どれほど男が全力で走ろうが、コロとランの走る速度に敵うはずもなく。男が再び後ろを振り返ると、先ほどまではるか後方にいたはずのコロとランが、自分に飛びかかる姿が確認できた。


「嫌だーっ!!」


 次の瞬間、男の姿が消えた。コロが鼻をひくつかせ、匂いを辿るが男の消えた場所から匂いも途絶えていた。ランが慌てて固有スキル『雲海』を発動。ランの尻尾より溢れ出る雲が瞬く間に広範囲へと拡がっていくが、雲の届く範囲には男の姿形もなかった。ランが苛立つように尻尾を地面へと叩きつけた。


「ハァハァ……。た、助かった。あんたが助けてくれたんだろ? 協力者がいるって聞いてたが、あんたのことなんだろ?」


 コロとランがいる街道を見下ろせる丘の上、そこに従者の男の姿はあった。走り疲れたのか地面へ座り込む男を、ニーナは見下ろす。


「早く逃げた方がいいよ~。ここも安全とは言えないからね」

「わ、わかってる。俺だってこんなところで死にたくないからな。へ、へへ。それにしても狡猾って聞いてたが、簡単にこっちの仕掛けた罠にかかりやがって、思わず笑っちまいそうになったぜ。これであいつは貴族殺しだ。狡猾が聞いて呆れるぜ。あとは王都に戻って金を受け取れば、へへ、俺も勝ち組ってやつだ! やったぞ! もう誰にも俺をバカになんてさせねえぞ!! 村の奴らも見返せるっ!!」

「良かったね」


 ユウにシラミーを殺させることに成功した男は、成功報酬の大金が手に入ることもあってか興奮していた。


「へへ。ざまーみろ! 俺は勝ったんだ!」


 男は額の汗を拭いながら立ち上がる。


「あんたには感謝してるよ。あのガキがいる場所や時間まで教えてくれたおかげで、あそこで騒ぎを起こすのも楽だったぜ」

「早く行きなよ」

「ああ、それもそうだな。それにしても本当に気持ちの悪い髪の色だったぜ。真っ黒だもんな。あんな気持ち悪いガキ初めて見たぜ」


 男がニーナの横を通り過ぎる。その際、男の頬をなにかが伝う感触があり、頬を撫でると手には血がついていた。


「ひっ、血っ!? なにしやがる!!」


 男の頬に一筋の赤い線が、ニーナの右手には黒竜・爪が握られていた。


「おいっ! どういうつも――がふっ!? い、息が、で、き……な……」


 黒竜・爪に備わるスキルに猛毒がある。一定確率で様々な毒を発動させるのだが、今回発動したのは神経毒であった。男の全身の筋肉がたちまち麻痺し、呼吸困難となる。男は呼吸しようとするが、口をパクパクと魚のようにさせるのみであった。


「気持ち悪い? ユウが? 冗談でも笑えないよ」


 窒息死した男をその場に残し、ニーナはカマーへと足を進めた。

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