第186話 使えない奴ら

 結局その日の冒険者ギルド会議では、覇王ドリム並びに二匹のゴブリンについての具体的な対応策は決まらなかった。取り敢えず決まったことと言えば、二匹のゴブリンの動きを冒険者ギルドで把握し、こちらからは決して手は出さない。グリム城外壁に火を放った者について手がかりになるような情報を入手した際は、速やかに冒険者ギルド本部に連絡することであった。


「先ほどはありがとうございました」


 モーフィスが資料を片付けていると、会議の司会進行役であったドワーフの女性が頭を下げながら礼を述べる。その横には冒険者ギルド本部のギルド長であるカールハインツ・アンガーミュラーの姿もあった。


「先ほど? ああ。ありゃ儂がムカついていたから勝手にしたまでだ。お主が気にすることではない。カール、なにをニヤニヤしておる。言いたいことがあるんなら言わんか」


 ドワーフの女性の横でモーフィスの話を聞いていたカールハインツは、モーフィスの言うとおり声にこそ出さないものの、その顔は笑っていた。


「失礼。モーフィスの優しさが相変わらず不器用で安心したのさ。そう、昔を思い出すようだ」

「ふん。どうせ昔の良からぬことでも思い出していたのであろう」

「はは。そう怒るなよ。それはそうと、ユウ・サトウの件はよかったのかい?」

「よかったとは?」

「本当はBランクではなく、Aランクだってことを公表しなかっただろう?」

「うむ、先方がまだ公表を控えてくれと言うのでな。じゃが、権利・・は行使するそうじゃ」

「今まで早くAランクの冒険者カードを寄越すよう要求する者や、予定より早く公表しろと言う者はいたが、公表するなと言われたのは初めてだよ。

 ああ。昔といえば、都市カマーで夕日と見まごうほどの火球が見つかったのはいつだったかな?」


 モーフィスの表情に変化はなかったが、カールハインツは蛇が獲物に巻きついて拘束するかのように、モーフィスの肩に手を置いた。


「いきなりなんじゃ?」

「なに、大したことじゃないさ。会議では言わなかったが、二匹のゴブリンが言っていた外壁に火を放たれた時期と、都市カマーの東の空に見えた火球の時期が重なっているんだが、モーフィスはどう思う?」

「どう思うと言われてもな。カマーからグリム城外壁までどれほど距離が離れていると思っておるんじゃ」

「ふはは。モーフィス、私はどう思うと言っただけじゃないか。なにか関連はあるかもと思っただけなんだが、普通は都市カマー東の上空に現れた火球とグリム城の外壁に放たれた火が同じモノなんて誰も思わないぞ?」


 モーフィスは正直やり難いと思った。傍にエッダがいればもう少しやりようもあるのだが、カールハインツとエッダ。この二人は犬猿の仲なので会わせるわけにはいかない。会わせようものなら言葉の応酬で日が暮れてしまうだろう。


「言葉尻を捉えて言いがかりをつけられてものぅ。なんならにでも誓おうか?」


 モーフィスは振り返ると、肩に手をかけるカールハインツに向かって不敵な笑みを浮かべるが、そこには一切の感情を感じさせない目を自分へ向けるカールハインツが立っていた。


「モーフィス、私のスキルを知っているのか?」

「スキルなど誰でも持っておるだろう」

「恍けているのかな? 私が相手に特定の言葉を混ぜて宣誓させることで、虚偽を見抜くスキルを持っているのを知っているんだろ?」

「ほお……。そんな便利なスキルを持っておったのか。初めて・・・知ったのぅ」

「なんなら契約魔法の使い手をこの場に呼んで、知っていることを洗いざらい話させることもできるんだが?」

「面白い。証拠もなく怪しいと思うだけで、支部のギルド長に契約魔法を使うじゃと? できるものならやってみるがいい。儂が大人しく受け入れると思うのならな」

「あ、ああ……あの……お、お二人共……その辺で」


 二人から発せられる圧力プレッシャーに思わずドワーフの女性が狼狽える。屈強な冒険者が放つ暴力的な圧力プレッシャーとは種類が違う。モーフィスとカールハインツから発せられる圧力プレッシャーは背筋が凍るような冷たさが込められていた。

 憤然とした表情のモーフィス、感情を一切感じさせない表情のカールハインツ、どちらも一歩も譲らぬといった雰囲気を醸しだしていたが、先に折れたのはカールハインツであった。


「冗談。冗談だよ。本当はこのあと食事でもどうかと思ってね。私の天使マイ・エンジェルも来ているんだろ?」

「は? まさか……。お前の言っておるのは――」

「モーフィス、決まっているだろう。私の愛娘フィーフィ以外に天使がいるものか」


 太陽万歳のように両手を掲げるカールハインツであったが、モーフィスとドワーフの女性の向ける目は冷たい。

 カールハインツが言うフィーフィとは、都市カマー冒険者ギルドの受付嬢ことフィーフィ・アンガーミュラーのことである。


「来とらんぞ」

「ハッハ。モーフィス、笑えぬ冗談だ。先ほどの仕返しか? 遠く離れた最愛の父に会える機会だぞ? フィーフィちゃんが来ないわけがない」


 カールハインツはその場で一回転すると、再び太陽万歳のポーズを取る。ことの是非はともかく、フィーフィが自分に会いに来るのが当然と言わんばかりの態度であった。


「ふん。いい加減に子離れせぬか! お前がそんなだからフィーフィの将来を心配したお前の嫁さんが、わざわざ離れたカマーにフィーフィを預けたのを忘れたのか? フィーフィも、もう二十四歳じゃぞ。人族とはいえ結婚してもおかしくない歳にもかかわらず、お前が男を一切近づけぬからいまだに独り身ではないか」

「黙れっ! まさか……フィーフィちゃんに糞虫が纏わりついているんじゃないだろうな? いや……それよりまさか……。本当にフィーフィちゃんは……」

「来とらんぞ。に誓って」


 モーフィスの言葉を聞いたカールハインツの膝が生まれたての子鹿のように震え出す。それはモーフィスが嘘をついていないことを理解したからだ。


「な、なん――男だ」

「はあ? なんじゃ? もう少し大きな声で言ってもらえんか。よく聞こえんわい」

「なんて使えない男だと言ったんだ。フィーフィちゃんを連れてこずに、お前はなにしにここへ来たんだ」

「お前は阿呆か? ギルド会議に参加するために決まっておろうが」

「うるさい。フィーフィちゃんがいないのであれば、貴様などに用はない。さっさと私の前から消え去るがいい」

「おうおう、言われんでも帰るわい。じゃーの」


 モーフィスは資料を抱えるとそのまま会議室から退出する。会議室に残るはカールハインツとドワーフの女性の二人のみである。


「あのー」


 不満気にドワーフの女性がカールハインツへ声をかける。


「安心したまえ、君の大好きなモーフィスは限りなく黒に近い灰色だが、とりあえずは今すぐどうこうするつもりはないよ。私のスキルのことを知っていた可能性は非常に高いがね。そういえば、財務大臣がユウ・サトウの情報をしつこく寄越せと言ってきているのを伝え忘れたな」

「あのー」

「モーフィスのことなら」

「違います! ギルド会議の司会進行役をすれば、モーフィスさんを誘ってお食事するって約束を忘れたんですか?」

「む、忘れていた」


 カールハインツの言葉に、ドワーフの女性は大きな溜息をつく。


「フィーフィちゃんが絡むとこれだから……。フィーフィちゃんもそりゃ――わけだわ」


 ドワーフの女性は再度カールハインツの顔を見ると大きな溜息をつき。そしてそのまま会議室から出て行く。


「待ちたまえ。フィーフィちゃんがなんだって? はっは。私の気を引こうとしているのかな? わかった。こうしよう。今から三番通りのラ・フレメンテで食事を奢らせてもらおうじゃないか。君も知っているだろう? あの店で食事はなかなか――待ちたまえ。おーい」


 会議室内をカールハインツの声が虚しく響き渡るのであった。




 暗い部屋。

 敢えてそういう風に造られた部屋なのか。窓が一切なく、光苔の僅かな光量でなんとか転ばずに進めるといった程度であった。この部屋の重苦しい空気と吐き気を催すほどの血の匂いに、ピーターリット・モルデロン・パスレは尋ねられずにはいられなかった。


「どうしてこのような場所で? 私だって貴族の端くれ、言ってくれればいくらでも君と会うに相応しい場所を設けようじゃないか」


 暗闇のなか、わずかに見える輪郭が動いているのがピーターリットにはわかった。


「これからはお前と会う際はこの部屋だ」


 有無も言わせぬ言葉である。だが自分より一回り以上も年下の、それも貴族でもない少年の言葉に、ピーターリットは逆らうことができなかった。


「それより俺とお前が繋がっているのはバレていないだろうな?」

「ああ、それはもちろんだよ! 君から貰ったこのミラージュの指輪のおかげで、私が魅了状態・・・・であることは誰も気づいていない。それどころか君から渡された品々をバリュー様に献上することで、黒竜討伐の失敗で失った信頼を取り戻し、派閥内での私の発言力は増しているくらいだよ」


 魅了状態、ユウの耳には■■状態としか聞こえていないのだが、モモにピーターリットを操るよう頼んだのは自分なので、認識できない状態でもなにを言っているのかはおおよそ理解できていた。


「調査のほうはどこまで進んでいるんだ?」

「今で半分と言ったところだ。しかしバリュー様の派閥に加わる者は日に日に増えているので、これではいつ終わるか……」

「もう一つのほうは?」

「そ、それは前にも言ったじゃないか。とっくに死んで――ひっ! お、怒らないでくれ」


 ユウがなにか言ったわけではないのだが、ピーターリットにはユウから漂ってくる気配に怒気が混ざっているのを感じ取る。


「落ち着いて聞いてほしい。バリュー様や取り巻きの貴族たちは、手に入れた奴隷を半年から長くても一年で使い潰す。君から頼まれて調べたときには、すでにあの村のダークエ――わ、私は関与していない! ほっ、ほほ、本当だ! 神に誓ってもいい! 確かに私もバリュー様のために多くの亜人の村を襲ったが、君の言っていた村を襲った中に私はいなかったっ!! し、信じてくれ!!」


 ピーターリットはなにも言われていないのに、椅子から立ち上がるとその場で土下座して許しを請う。石畳に額を擦りつけて謝るピーターリットの耳に、なにかを引き摺る音が聞こえてくる。

 嫌な予感がした。

 見てはいけないと。

 このまま音が遠ざかるのを待つべきだと、ピーターリットの全身が訴えかけていた。

 しかし、ピーターリットは振り返ってしまう。

 闇の中から滲み出るように、絶世の美少女の顔が浮かんでいた。ズズ……。徐々になにかを引き摺りながら、美少女――トーチャーの姿が露わになる。光り輝く天輪、黄金の糸と見間違うかのような美しい金色の髪、純白の羽、そこまでは良かった。トーチャーの右手に握る手鉤の先には、生きた・・・人が引っかけられていた。まるで肉を扱うかのようにトーチャーは男を引き摺る。トーチャーの天輪に照らされて引き摺られている者の顔が浮かび上がる。その顔にピーターリットは見覚えがあった。同じバリュー・ヴォルィ・ノクスの派閥で、先月から行方がわからなくなっていた男爵の爵位を持つ貴族であった。


「知り合いか?」

「い、いや……。あ、ああ……。顔見知り程度だ」

「こいつは財務大臣派閥の男爵なんだが、それなりに鼻がきくみたいで、自分だけ他国に逃げ出そうとしてたから捕まえておいた」


 ピーターリットの声が届いたのであろう。引き摺られていた男が叫び出す。


「そ、その声はっ!? モルデロンっ! モルデロン殿であろう? わ、私だ! 私の顔を覚えているな! キャメロンだっ! た……助けてくだされ!! 頼む!! わ、私を……ひぎゃあ゛あ゛ああああ」


 勝手に喋っちゃ駄目と、トーチャーが引き抜いた手鉤を男の眼窩に突き刺す。男が絶叫を上げるが、ユウもトーチャーも取り乱すことはない。

 トーチャーがピーターリットを指差す。ピーターリットは激しく顔を横に振った。自分はその男となんの関係もないと。


「駄目だぞ? こいつはまだ・・駄目だ」


 トーチャーが残念そうに男を引き摺っていく。ピーターリットは安堵と共に息をはくが、トーチャーが部屋の扉を開けた際に想像を絶する光景を目にする。

 扉の先はピーターリットがいる部屋とは違い十分な明かりが用意されていた。天井からは大小様々なフックが吊り下げられており、鉄製のフックはピーターリットも精肉を扱う店で何度か見たことがある。牛や豚などの切り分けた肉を吊り下げるのだ。だが、この部屋は違う。吊り下げられていたのは人であった。それも生きたままの人が牛や豚の肉を扱うかのように、無造作にフックに吊り下げられていたのだ。背中一面に小さなフックを引っかけられて吊るされている者、大きなフックに両肩を貫かれている者、中には背中から胸にかけて貫通して吊るされている者までいた。


「や、やめてぐれっ! も……もう十分じゃないかっ。私は十分に罪を償った!! だ、だずげ……ぎゃあ゛あ゛あああぁぁぁっ……」


 キャメロンと名乗った男が、トーチャーによってフックに吊り下げられる。成人男性を難なく担ぎあげるトーチャーの姿に、改めて人ではなく天魔だとピーターリットは思い知らされる。


「罪を償った? ふざけろ」


 キャメロンの言葉に、ユウが怒りを隠さず呟いた。

 吊るされている者たちがピーターリットの姿を視界に捉えると、一斉に騒ぎ出した。


「あんたっ! たす、助けてっ! 頼む!!」

「あが……たひゅ、け、て。ひゃねはいくらでも、は、はひゃう」

「あ゛あ゛あ゛あああああっ!! もう治ざないでぐれ!! ごのまま死なぜでっ!!」

「いつまでこの地獄は続くんだ!! た……たしかに俺は悪いことをやってきたっ、だからってこんなのってあんまりだっ!! 神様、神様、神様、神様、神様、今までやってきたことを謝ります!! ですから助けでぎゃっ!?」

「あびゃあびゃびゃああああ!! あびゃ? な、なんで治すんだよ! やっと心が壊れたのに、もう治さないでくぎゃあ゛あ゛あっ……」


 トーチャーが騒ぐおもちゃを手鉤で殴って黙らせていく。傷が酷い者や心が壊れた者は、神聖魔法で治していく。

 どれほどの拷問を受け続けてきたのか、目や耳がない者は序の口で四肢がない者や全身の皮膚が剥がされた者、鉄串でハリネズミのようになっている者までいた。石畳の上には歯や爪、眼球のようなモノからなにかの肉片や性器のようなモノまで散らばっている。部屋の中央には様々な拷問器具が並べられており、ピーターリットが知っている物から知らない物まで、ありとあらゆる物が揃っていた。器具はどれ一つ綺麗な物がなく、血が染み込んでドス黒く変色している。

 恐怖からピーターリットは全身の震えを抑えることができなかった。トーチャーが楽しそうに手を振るう度に、拷問を受ける者たち苦悶の表情が目に焼きつき、苦痛の悲鳴がピーターリットの耳にこびりつく。

 ピーターリットは心の底から思う。どんなことをしても自分だけはあの部屋の住人にはなりたくない。たとえ血を分けた肉親を売ることになろうとも。


「お前も」


(嫌だ嫌だ嫌だ。私だけは絶対に助かってみせるぞ)


「あの部屋に送ってやろうか?」

「まっままま、待ってくれ! 私は君の味方じゃないか!! そう! 私は絶対に君を裏切ることはない! い、一年っ! いや、半年で残りの者たちや証拠を全て調べてみせる!! だからっ、私だけはあの部屋に送らないでくれっ!!」

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