第174話 諍い
ネームレス王国の広場には、前日と同じように多くの者が集まっていた。しかし、獣人たちの表情は芳しくない。
「あーっ! 王様だっ! あっちの人たちはナマリちゃんとおんなじ角と羽があるから……あれが魔人族だよね?」
インピカが周りの大人の獣人たちに尋ねるが反応はない。なぜ獣人の大人たちの表情がこんなにも重苦しいのか、インピカには理解できなかった。新しい仲間が増えるのは嬉しいことなのにと、インピカはユウたちへ視線を向ける。
広場にはユウの時空魔法によって創られた門があり、門からは続々と魔人族が出てくる。最後に現れたのは人族で、驚きながら周囲を見渡していた。
「お……おおっ!? ここがオドノ様の国かのぅ?」
「そのようですね。ババ様、見てください! 緑生い茂る森に山、こんな場所に住めるなんて」
おババの手を引きながら、魔人族の若き女性カムリは嬉しさから目に涙が浮かぶ。周りにいる魔人族たちも、今までの劣悪な環境からは考えられないほど緑豊かな大地の姿に、目には涙が見えた。
「凄いでしょっ!! おババ、あっちにはいーっぱい果物が生ってるし、山にはキノコとか山菜、湖には魚もいるんだぞっ!」
カムリは半目でえっへんとふんぞり返っているナマリを睨むと、調子に乗るなとナマリの頭を小突く。
「凄いのはあんたじゃなくて、オドノ様でしょうが! それにおババじゃないでしょうがっ! ババ様だって何回言わせるの!!」
「カ、カムリの怒りん坊っ!」
「なんですってー!」
ナマリはカムリにあっかんべーすると、そのまま走って逃げ去っていく。
「マスター、お帰りなさいませ」
騒がしい声など届いていないかのように、ラスが跪いてユウを出迎える。ラスの後ろには獣人、堕苦、魔落の長であるルバノフ、ビャルネ、マウノが同様に出迎えた。
「ただいま。ジョブと認識票は?」
「全て予定どおりに」
「なにも問題はなかったのか?」
ユウの言葉にルバノフ、マウノの肩がピクリと震える。
「些事はございましたが、マスターにお伝えするほどのことではございません」
「わかった。まあ、お前ならなにかあっても大丈夫か」
「ありがとうございます。あまりお褒めになられると自惚れてしまいそうです」
冗談を言うラスの全身からは、傍目からも喜んでいるのがわかる。逆にマリファはいつもどおりの冷めた表情であったのだが、瞳には嫉妬の炎が灯っていた。
「王よ。そちらの人族が」
マウノが睨みつけるように、ユウの後ろにいる人族たちへ視線を向ける。
「ああ、前にいってた奴らだ。こっちの家族が農業と、そっちの爺さん二人は元冒険者だけど、冒険者になる前は貴族に勉強を教えてたんだと。最後に偉そうにしてるそこの髭面のおっさんが、詐欺師だ」
「王様、農業ができる人族はともかく。元冒険者に詐欺師の人族はなんのために?」
周りの獣人たちの疑問を代表するように、ルバノフが質問する。
「なんのためって、爺さんたちは子供に勉強を教えてもらうために決まってるだろうが、詐欺師のおっさんはお前たちの先生だな」
「ほほっ、王様は子供たちを働かせずに勉強をしろと仰るのですな。しかし、詐欺師から我らが学ぶことがあるのでしょうか?」
「子供を働かしてどうすんだよ。大体お前らもほとんどが読み書きできないだろ? それにこのおっさんから学ぶことは多いと思うぞ。お前たちはすぐ騙されるからな」
ユウの返答に、ビャルネはなるほどと納得していたのだが、ルバノフとマウノはいまいち納得ができていないようであった。その様子に詐欺師の男が面白そうにニヤニヤと笑いながらユウの前に出てくる。
「吾輩は偉大なるムーバロトン大帝国の皇帝の血筋を持つ皇族である! 本来であれば、貴様たち亜人共が吾輩と対等に接することなど許されないのであーるっ! 光栄に思うがよい」
男が一気にまくし立てると、周囲からは一斉に笑いが起こる。ムーバロトン大帝国などという国など存在しない。それに詐欺師と説明を受けた男の言葉など誰が信じるというのだろうか? こんな男が自分たちに教えられることなどないと、皆が男を蔑んだ。その嘲笑の中、詐欺師の男は動揺するどころか、満足そうに髭を撫でる。
「騙されるなよ。これがこいつのいつもの手だ。最初に誰でもわかる嘘をついて、相手を油断させる。そのあとは嘘と真実を混ぜながら相手の懐に入っていくんだ。騙されている方は、まさか自分が侮っていた相手に騙されると思ってもいないから、益々深みに入る。気づけばこの詐欺師の掌の上ってわけだ。こいつは口だけでありもしない城を貴族に四つも五つも売りつけた大詐欺師だから油断するなよ?」
詐欺師の男を笑う者はいなくなっていた。ユウの言うとおり、皆は詐欺師の男を自分より下に見ていたからだ。詐欺師の男はユウに向かって鼻をフンッ、と鳴らすと、面白くなくなったとばかりに後ろへ下がる。
「奴隷の首輪をつけているからわかっていると思うけど、こいつらは俺の奴隷だ。お前らに危害を加えることはないけど、お前らがこいつらに危害を加えることも許さない。もし、破った場合はどうなるかはわかっているよな?」
ユウが奴隷の首輪をつけさせているのは、人族から迫害を受け続けてきた獣人、堕苦、魔落族から守るためでもあった。
「もういっぺん言ってみろ!」
魔人族がいる方から怒鳴り声が聞こえてくる。ユウたちが視線を向けると、羆族(雑種)の青年と魔人族の若き族長マチュピが睨み合っていた。
「この程度の者たちならば、我々魔人族の方が役に立てると言ったのだが、なにか気に障ったのか?」
「て、てめえっ!」
前日ジョブに就いて力をつけたばかりの羆族(雑種)の青年が、マチュピに殴りかかるが、慌てるでもなくマチュピは躱す。
「逃げてんじゃねえぞ!!」
怒りで顔を真っ赤に染めた羆族(雑種)の青年が、顔目がけて拳を放つがマチュピはいとも容易く受け止める。
「これで納得したか?」
「お、お前……ジョブはいくつだ!」
羆族(雑種)の青年は前日に1stジョブに就いた。半端者とはいえ、身体能力に優れた獣人族にジョブの力が加わったのだ。相手は自分より多くのジョブを持っているから負けたのだと、羆族(雑種)の青年は判断した。
「ジョブ? 魔人族をわざわざ転職させてくれるようなところなど、あると思っているのか?」
「っ!? じゃあ、お前はジョブには就いてないって言うのか?」
ユウが連れてきた魔人族は、Bランク迷宮『腐界のエンリオ』五十六層で生き抜いてきた者たちだ。過酷な環境と屈強な魔物たちとの戦いに疲弊し、徐々に数を減らしてきたとはいえ、獣人たちとは大きな力の差があった。
「おババ様、このとおりです。この程度の者たちがオドノ様に仕えていたのですから、我ら魔人族でも必ずお力になれるでしょう」
「うんうん。儂ら魔人族でもオドノ様のお役に立てるようで、よかったわい」
「この程度だとっ!? 薄汚い魔人族が調子に乗るんじゃねえっ!!」
「そうだ! 新参がでけえ顔してんじゃねえぞ!」
この程度と言われた獣人たちが怒りに唸り声を上げる。そこかしこで魔人族相手にケンカを売り始めたのだ。
「わっ、わっ、ユウ~。みんなケンカし始めたよ~」
広場は獣人と魔人族との争いで騒然とする。その様子を見ていたニーナが慌てるのだが。
「……ニーナ、こっちも」
ニーナとレナの前に獣人や魔落の者たちが一人、二人、次々と集まってくる。
「へへ。俺たち昨日ジョブに就いたんですが、少し相手してくれませんかねえ?」
「まさか俺たちみたいな半端者相手に、逃げたりしませんよね?」
明らかな挑発にマリファが割って入ろうとするが、そのマリファの前にも。
「どこ行くつもりだい? あんたはこっちだよ耳長っ!」
「この前は随分と調子に乗ってくれたけど、ジョブに就けばあんたなんか相手になんないんだよ!」
「た~っぷり借りを返させてもらうからねっ!」
先日マリファにお仕置きされた若い獣人の娘たちであった。マリファは澄ました顔で、なにをですか? と挑発し返す。
「マスター、よろしいので?」
「よろしいもなにも言っても聞かないんだから、好きなだけやり合えばいいだろ。騒ぎが治まったら魔人族にジョブと認識票の登録を頼む」
「かしこまりました」
「ナマリはあとで魔人族に島の案内してやれ」
「わかった! 俺に任せて!!」
広場のあちこちで繰り広げられる争いに、ユウは溜息をつく。そんなユウのズボンを引っ張る者がいた。白い毛玉である。いや、よく見れば犬族(雑種)のインピカであった。
「王様ー。お話が終わったんなら、そっちの子と遊んでもいい?」
インピカは可愛らしく首を傾けながら尋ねる。
「ん? ああ、いいぞ」
「やった! ねね、私インピカっていうの。一緒にあそぼー」
インピカは人族の少年の手を引いて連れていこうとするが、少年は不安そうに親の顔を見る。
「行ってきなさい」
主であるユウがいいと言っているのだから、奴隷に拒否権はなかった。親に許可をもらった少年は、インピカに手を引かれて子供たちのもとへと向かう。
「イザヤにローリエ」
「「ご、ご主人様なんでしょうか?」」
少年の父と母であるイザヤとローリエが慌てて返事する。家族ごと奴隷として買ってもらったことには感謝しているのだが、主が少年でしかもいきなり見たこともない魔法で亜人が暮らす島に連れてこられて、イザヤとローリエの頭の中は混乱しっぱなしであった。その上、いきなりの大乱闘である。
「この騒ぎはどうせしばらくは治まらないから、今のうちに農業をする土地を見てほしいんだ」
「わかりました! 私もローリエも一通りの農業はできますので、必ずお役に立ってみせます!!」
「ま、任せてください!」
「あー、そんなに気合を入れなくても、俺も含めてウチの奴らは農業の知識がほとんどないから、お前たちに頼りきりになると思うよ」
イザヤとローリエは、目の前に拡がる見事な果樹園に目を奪われる。
「こ、これは……またなんとも見事な果樹園ですね」
「本当ね。どの樹も立派だわ」
「ですが、ご主人様。少々樹と樹が近すぎますね。もう少し離して植えた方が、実の大きさも数も増えるでしょう」
イザヤは植えられた樹と樹の距離が近すぎることが気にかかったので進言するのだが、ユウは難しい顔をする。
「それは俺も思ってるんだけど、無理なんだ」
「はっ!? む、無理なんですか?」
「離し過ぎると、その……あれだ。樹が寂しがるから駄目って言われてる」
「誰がそんなデタラメを?」
「あそこで、こそこそこっちを見てるあいつだよ」
ユウが指差した樹の後ろから、チラチラとヒスイがこちらを窺っていた。本人は隠れているつもりなのだが、陽の光を受けて輝く緑色の髪はこの上なく目立つ。さらにヒスイの周りには多くのピクシーが飛び回っており、せっかくのヒスイの努力は無駄だと言えた。
「なにしてるの?」
「しー、だめだよ。これでもヒスイは隠れてるつもりなんだから」
「あわわ。ユウさんに見つかっちゃうから、静かにしてね」
コントのようであったが、本人は大真面目なのだ。人前に姿を現すことなどまずないドライアードの姿に、イザヤとローリエの目がこれでもかと見開かれる。
「ド、ドドッ、ドライアードっ!?」
「ご、ご主人様っ。あのドライアードは、ほ、本物でしょうか?」
「ドライアードの偽者がいるのか? おーい、ヒスイ。ドライアードって偽者とかいるのか?」
バレていないつもりのヒスイが「あわわ」と慌てて樹から飛び出てくる。
「はわっ。ユウさん、気づいてたんですね」
「え? あれで隠れてるつもりだったのか?」
「しつれいね! あれでもヒスイは隠れてるつもりだったのよ!」
「あー、いまのでヒスイは傷ついたわ! これはあれね。あり蜜をあびるほどもらわないと、ゆるせないわ」
「蟻蜜が欲しいのはお前らだろうが」
「えっと、ドライアードに偽者はいないと思いますよー」
「だよな? こいつらがもっと樹を離した方がいいって言ってるんだけど」
「ダメですよー! そんなことしたら皆寂しくて泣いちゃいます」
珍しく怒りながら力説するヒスイであったが、全く迫力はなかった。
「な? ヒスイが駄目って言うから果樹園はこのままで頼む。次は農業用の土地に案内するよ」
「わっ、わかりました」
「ウチの旦那が、ド、ドライアード様にた、大変失礼いたしました」
「はわっ!? そんなに謝られると困ります。こちらこそごめんなさい。私なんてただのドライアードなんで、気にしないでください」
イザヤとローリエに謝られたヒスイは、驚いて逆に何度も謝る。その後も続くのだが、もういいだろとユウに言われて、やっとお互いの謝り合いは終了した。農業用地に案内するユウに、当然のように笑顔のヒスイやピクシーたちもついて来る。途中ユウの帽子の中で寝ていたモモが目を覚まして、ユウの肩や頭に座っているピクシーたちに驚き、地面に落ちそうになってヒスイが慌てて手で受け止めた。
「どうだ? 農地として使えそうか?」
「こりゃ驚いた。ご主人様、使えるなんてもんじゃないですよ! ここの土はかなりいいですよ!! お前もそう思うだろ?」
「ええ! それに普通じゃ考えられないくらい土の精霊の力を感じるわ!」
イザヤとローリエは土を掬って匂いを嗅ぐ。ジョブに
「ご主人様っ。これほど広大な土地をどうやって耕したのですか!?」
「何百人……いえ、何千人の使用人がいればこれほどの大地を耕せるか……」
地平線の彼方まで耕された豊かな大地を、今後自分たちの手で作物を育てられる喜びに、イザヤとローリエの胸は自然と熱くなる。
「何千人って……」
「シロが耕したのよー」
「そうそう。あの子ったらずーっと土を食べてるんだから」
「シロ? 牛か馬の名前でしょうか? しかし、たった一頭でこの広大な土地を耕したとは……」
ほんとよーっと、イザヤとローリエの周りを飛び回るピクシーであったが、到底納得できない二人にユウはわかったと伝える。
「シロ、聞こえたらこっちまで来い」
突如、遠くの方で大地が盛り上がる。そのまま盛り上がった大地は凄まじい勢いでユウたちの方へ向かってくる。驚くイザヤとローリエに、いつものことなのかピクシーたちは「元気ねー」とのほほんとしていた。
ユウたちの数メートル手前で大地を突き破りシロが飛び出す。大量の土砂が降り注ぐが、ユウの結界が土砂を弾く。
シロの触手が嬉しそうにユウの身体に絡むと、モモがペシペシと触手を叩く。モモがやきもちを焼いただけなのだが、シロには自分もかまえと受け取ったようで、モモやヒスイ、ピクシーたちに触手を絡ませて嬉しそうにピィピィ鳴く。宙に持ち上げられたユウが、腰を抜かしたイザヤとローリエを見下ろし。
「こいつがシロだ」
二人はそのまま気を失うのであった。
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