第173話 国の名前はネームレス
数百年前にザンタリン魔導王国があった場所――今ではレーム大陸と地続きであった大部分が消滅し、広大な海に幾つもある名も無き島の一つである。
荒れ果てた大地が地平線の彼方まで拡がるのみであったのだが、今ではユウたちの手によって徐々にではあるが、魔改ぞ……緑豊かな大地へと変わりつつあった。
島の中央にある山の頂上には遠くからでも気づくほど巨大な樹が生えており。当初は一つしかなかった山も、今ではその山を護るように複数の山が連なり山脈を形成していた。驚くべきことに今でもこの山脈はユウ、ラス、ヒスイの手によって拡大しており、天然の要塞と化しているのだ。
ユウはこの山を中心に国創りを進めており、レーム大陸がある方向の東の海岸では、二十四時間稼働できるアンデッドを利用して港を建設中である。西に創った山森には近い内にビッグボー、一角兎、ウードン鹿に鳥系の魔物を放つ予定で、すでにヒスイの手によって緑生い茂っている。南は果樹園が拡がり、農業をするための大地もシロが楽しそうに毎日開拓中である。残る北だけがほぼ手つかずで、岩山が連なるばかりであった。
レーム大陸の国々が知らぬなか、着々と国創りが進められているのだが、今日は獣人族、堕苦族、魔落族の大人から子供まで、全ての住人が広場に集められている。
この広場は相談やなにか催し物をする際にユウが創った広場で、五平方キロメートルほどの広さで、地面にはモーベル王国に自生する芝生が植えられていた。この芝生は高温多湿に強く、非常に管理し易い芝生である。
「ラス殿、皆揃っております」
堕苦族の長ビャルネがラスへ報告する。ラスが長たちの後ろに並んでいる者たちへ視線を向ける。大人は整列しているのだが、子供たちは芝生の気持ち良さに走り回る者や芝生の上で寝転がる者まで好き放題に遊んでいた。親は止めなさいと注意するのだが、陽気な天気に気持ちの良い芝生の上、これでは子供たちに騒ぐなという方が無理な話である。無邪気な子供たちの姿に長たちの目がだらしなく垂れ下がる。数ヶ月前はその日を生きるのに精一杯で、子供たちが元気に駆け回るなどありえないことであったからだ。
長たちへ冷たい視線を向けるラスのローブが引っ張られる。
「ねーねー、今日はなにするの?」
ローブを引っ張っていたのは、犬族(雑種)のインピカであった。白いモコモコの毛が特徴的な幼女で、人見知りのしない性格である。ラスはこの幼女が大の苦手であった。アンデッドである自分を恐れるどころか、むしろ積極的に絡んでくるからである。
「ねーってば。教えてよ」
インピカはラスのローブを自分の身体に巻きつけると、クルクル回転して包まる。
「あははー、クルクル~」
「こ、これ! インピカ、止めぬかっ」
ラスが注意するが、インピカはそのままラスの身体によじ登っていく。
「わかった! 教えるから降りぬか」
ラスは手に小さな鉄のようなプレートに鎖が通された物を掲げて見せる。それは軍隊などで兵士の認識票に使われるドッグタグと瓜二つであった。
「これ、可愛くないよ?」
インピカは一言呟く。期待はずれだったのか、そのままがっかりした様子でラスの肩から降りると、親のもとまで走っていく。母親に叱られるが懲りた様子は見受けられず、すぐに子供たちに混ざって遊び始めていた。
「ぐっ……こほん。お前たちも冒険者ギルドが発行している冒険者カードの存在くらいは知っているであろう?」
インピカによって少し心にダメージを受けたラスは、気を取り直して皆に向かって喋り始める。
「これは冒険者カードと同等の――いや、上回る代物だ」
「ほお、どのようにですかな?」
皆の疑問を代表したかのように、魔落族の長であるマウノが問いかける。
「冒険者カードに血を垂らすことで、登録者の情報が詰め込まれる。これによってスキル『解析』を覚えていない者でも、冒険者カードに魔力を込めれば自身のステータスを確認することができるというのが冒険者カードの特徴だが。ただし、ステータスを確認する度に冒険者ギルドへ情報が送られているのは、長たちから聞いているだろう? この認識票には冒険者カードと同等の機能が備わっている上に、貴様らも知ってのとおり――」
ここでラスは間を置くのだが、獣人族と魔落族の者たちは理解が及ばないのか、あまり興味がなさそうに認識票を見る。装飾などを手がける堕苦族のみ、熱心な視線をラスの持つ認識票へ送っていた。
「この島は結界が覆っている。結界の外に行くには、今まではいちいち結界を解除していたが、この認識票を持っていれば素通りできるようになっている。
この認識票を持っていることが
島の結界は世界樹の根本に座っている巨人が張っているのだが、その結界を第三者であるラスが創ったアイテムを持つことで通り抜けることができるというのは、今の魔導具を創る技術では考えられないほど高度な技術なのだが、獣人族、堕苦族、魔落族の誰もその凄さが理解できなかった。
「そりゃ便利ですな。それよりもネームレス王国? それがこの国の名前ですかのぅ?」
全く凄さを理解していない獣人族の長であるルバノフの言葉に、ラスは苛立ちを隠さずに答える。
「そうだ。ニーナ殿たちが創ったクランの名前が『ネームレス』というのだが、マスターが国の名前もそれでいいだろうとのことだ」
皆が国の名前を聞いて騒ぎ出すが、様々な種族が暮らすこの国にはピッタリな名前だと納得する。
「あのー、ラスさん。冒険者カードを作る際は血が一滴必要らしいんですが、子供たちもやっぱり血を――」
子を持つ堕苦族の親から声が上がるが。
「その必要はない。マスターからの命により唾液で登録できるようにしている」
ユウから血ではなく唾液によって登録できるようにしてほしいと頼まれたラスは、二つ返事で引き受けたのだが、これがなかなかに難しい依頼であった。認識票の改良に時間を取られ、ラスの楽しみの一つであるユウとの錬金術談義をする時間が削られてしまったのだ。もし血の一滴を採取するのが嫌だとユウに喚いた者が島の住人にいるのなら、ラスはその者を数時間に渡って説教し説き伏せたい気持ちになっていただろう。しかし、この認識票のことを知っている者は住人にはいない。つまりユウが子供たちのことを考えてラスに依頼したものだったのだ。
「もう質問はないな? では順番に配っていくから唾液を垂らすなり、認識票を咥えるなり好きにするがいい。ただし、この認識票は身分証明証の代わりでもある。失くせばネームレス王国の国民であることが証明できないのと同義であると心得よ」
ラスが認識票を配り始めると、受け取った者たちは早速唾液を垂らす者や、獣人などはパクリと咥えて登録していく。大半の者が今まで自分のステータスを見たことがなかったので、目に見える形で数値やスキルがわかると喜び隣の者と比べ始め、騒ぎ始める。
「ええーい! 皆の者、静まらんかっ!
登録が終わった者はそのまま整列するがよい。今度は順番にジョブに就いてもらう」
ステータスの数値を見せ合い、勝って喜ぶ者や負けて悔しがる者などで広場は喧々囂々とするが、ルバノフが大声で叫ぶとピタリと騒ぎが静まる。長たちから事前に聞いていたとはいえ、皆がどのジョブに就けるのか楽しみにしていたのだ。
「むぅ? ビャルネ殿、子供たちはどうした?」
ルバノフは堕苦族の列に子供たちの姿がないことに気づく。
「ルバノフ殿、王様から言われたことを忘れたんか? 『ジョブは本人に選ばせろ』、王様はこう言っておったじゃろうがぁ。子供たちではなにが良いかの判断がつかんから、堕苦族では十二になるまではジョブに就かせんことにしとる。まさか、獣人族はルバノフ殿が就くジョブを決めるなんてことはないじゃろうの?」
「そ、そんなことは儂だってわかっとる! これは……そうっ! ジョブにどのように就くか子供たちに見せるためじゃ!!」
ルバノフの言葉に獣人族の子供たちから抗議の悲鳴が上がる。
「えーっ! 俺たちもジョブに就けるって言ってたのにー!」
「お爺ちゃんのうそつき~」
「ぼく……ダメなの? なんでぇ……うっ、うえ~ん」
あっという間にルバノフを獣人族の子供たちが取り囲み、なんでなんでと服を引っ張る。幼いインピカなどはよくわかってないようで、なにかの遊びと勘違いしてルバノフの服や髭を引っ張る。
「これっ、やめぬか! ああっ!? インピカ、髭を引っ張るでない!」
「ガハハッ! ルバノフ殿も大変じゃな」
魔落族の長であるマウノが、他人事のようにニヤニヤしながら話しかけるが。
「マウノ、女はどうした?」
ラスが男しか並んでいない魔落族の列を見ながら、マウノに問いかける。
「んん? 女がジョブに就く必要はないだろう?」
男尊女卑の魔落族では女が力を持つことなど、あってはならないという考えが大半であった。このような考えを持つのは魔落族に限ったことではない。
「死にたいのか?」
ラスの全身から魔力が殺意と共に溢れだす。膨大な魔力を叩きつけられ、マウノのみならず周りの者たちも腰が抜けて、地面へ座り込む。
「マスターの予想どおりだな。魔落の女がジョブに就きたくないと言ったのならまだしも、お前ら魔落の男共の考えを女に押しつけるな」
「し、しかし昔から魔落族では……」
「そ、そうだ! 長の言うとおりだっ!! 昔から女たちが力を持つことなど許されない」
「黙って後ろから男を支えるのが魔落の女の役割だ!」
マウノと共に抗議する魔落の男たちであったが。
「ここはネームレス王国だ。嫌なら出て行くがよい」
ラスは一蹴する。改めて魔落族の列に並んだ女たちの表情は、最初はいいのだろうかと不安がっていたが、ラスよりユウの命だと言われると素直に喜んだ。
「おおっ!? ビャルネ殿、さっきは子供がどうたら言っておったが、そこにいるのはどう見ても十二に満たない子供ではないか。それにその子は確か口がきけなかったはず。偉そうなことを言っておったが、ビャルネ殿も儂と変わらんではないか」
ルバノフは堕苦族の列に並んでいた少年を見つけると、勝ち誇ったかのようにビャルネに絡んだのだが、当のビャルネは動揺もせずに。
「それがどうかしたかのぅ?」
「ど、どうかしたかだと? 先ほど自分が言った言葉を忘れたのか! 判断のつかぬ子供はどうたら言っておったではないかっ!」
「そのとおりじゃ。このカンタンは確かに口はきけぬが、ちゃんと自分で判断できるでの、特例というやつじゃ。なにしろ王様からも頼まれておる」
「なっ! 王様からじゃと!? なにを頼まれておるんじゃ?」
「儂も気になるの。王はなんて言っておった?」
話を聞きつけたマウノも興味津々にビャルネを見つめる。
「ふむ。カンタンはなんでも『測量』という固有スキルを持っとるそうで、これがとんでもない能力を秘めているそうじゃ。じゃから、カンタンにはそれを活かせるジョブに就かせてほしいとな。無論、カンタンも納得しておる」
「『測量』じゃと? なにができるんじゃ?」
初めて聞くスキルにルバノフが顔を捻る。
「そうじゃな。ここからあそこにある木までの距離が正確にわかる」
ビャルネは広場から見える森の木を指差す。
「はぁ? それだけか?」
とんでもない能力と聞いて、どれほどのものかと想像を膨らませていたマウノは、想像を遥かに下回る能力に興味が失せたのか、転職をしている者たちのもとへと去っていった。このとき、カンタンの固有スキル『測量』の価値に気づいていたのは、ユウとラスのみであった。
「……もう一回」
「いいよ~」
レナのお願いに、ニーナは満面の笑みを浮かべて頷く。
「とうっ!」
ニーナがその場で跳びはねる。そのまま地面に着地するかとおもいきや、ニーナは自身の影に吸い込まれるように、沈み込む。そして――。
「ユウ~、捕まえた~」
ユウの影から飛び出したニーナがユウに抱きつく。これがニーナの覚えたスキル『影転移』の能力である。登録した対象の影へ、自分の影から一瞬にして移動することができるのだ。
「……ニーナ、すごい」
「えっへん!」
「……ニーナ、かっこいい」
「そうかな? えへへ」
「ニーナ姉ちゃん、すっげぇ! いいなー! 俺もそれできるかな?」
「凄いでしょ? ナマリちゃんには難しいかな~」
「うう……俺もとうっ! てしたい!!」
ナマリが尊敬の目をニーナに向けると、若干恥ずかしそうにしながらもニーナは胸を張る。その際にニーナの大きな胸が弾み、レナがショックを受けたかのように自分の胸を
ユウの屋敷の庭では、先ほどからこのやり取りが延々と繰り返されていた。
「ニーナ、暑苦しい。いい加減離れろよ」
「そうです。ご主人様に少々ベタベタし過ぎではないでしょうか」
「え~、そんなことないよ~」
ニーナはユウに抱きつきながら、どさくさに紛れて頬をスリスリと擦りつける。いつもなら騒ぐモモも、今はお昼寝中であった。
「ぐっ……ニーナさん、ご主人様にスリスリするのをやめていただけませんかっ」
「やだよ~。ユウにスリスリすると気持ちいいよ? マリちゃんも一緒にやろうよ?」
「えっ……い、一緒に? わた、私がご主人様に……スリスリを……!?」
あらぬ妄想に浸ってしまったマリファを放置して、ニーナはユウの感触を満喫するのだが。
「……ニーナ、もう一回」
「ふふふ。任せてっ!」
ニーナがユウから離れると、解放されたユウは木陰に移動する。
「いくよ~。とうっ! あれ? とうっ! とうっ!! とう? なんで?」
ニーナが何度影に潜り込もうとしても『影転移』は発動しなかった。
「……ユウが木の影にいるから?」
「あ~っ! ユウ、それはズルいよ!」
騒ぐニーナを無視して、ユウは座り込む。背には当たり前のように移動してきたコロが座り込んでいた。ユウはそのままコロに体重を預けて読書をする。偶にコロの頭や身体を撫でると、コロは嬉しそうに頭をユウの身体へと擦りつけた。木の上ではそれを面白くなさそうに、ランが見つめているのであった。
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