第172話 当たり前の答え

 都市カマー西門を出てすぐの街道をユウたちが歩いていた。空は雲一つない晴天、暖かい日差しは自然と身体を動かしたくなるような気持ちになる。


「お、ひ、る、は楽しいよー、なんでかなー? なんでってー、お昼ごはんがあるからだよー」


 ユウの周りを走り回りながら、ナマリが自作の歌を口ずさむ。


「なんだその歌は」

「お昼ごはんの歌っ!」


 そのまんまなタイトルに、ユウとマリファは呆れ果てた顔で走り回るナマリを見る。ナマリの後ろを追尾するように、コロが追いかけていた。ランは興味なさそうにすました顔で歩いているが、混ざりたいのかチラチラとナマリとコロを目で追いかける。


「ナマリ、そんな走り回っていると転びますよ」

「マリ姉ちゃん、大丈夫だよー。だって俺は魔人族だ――いだっ」


 石につまずきナマリが転ぶ。コロは新しい遊びと思ったのか、ナマリの横に寝転がると、土の上でごろごろする。泥だらけになったナマリをユウの頭の上で寝そべっていたモモが、あーあという顔で見つめる。ランが堪えきれなくなったのか混ざろうとするが、マリファから発せられる怒気に気づき動きを止める。


「だから言ったでしょう。それにコロっ! そんな泥だらけになって、誰が身体を洗うと思っているのですかっ!」

「きゃんっ」


 コロは慌てて飛び起きると、マリファの傍へ駆け寄りスリスリと身体を擦りつけるが、そのせいでユウに買ってもらったマリファのメイド服が汚れてしまう。マリファを中心に気温が急激に下がったかと錯覚するほど、マリファから無言の圧力が発せられた。モモが危機を察知してユウの飛行帽の中へ素早く潜り込む。ランはいつの間にかユウの傍へ移動していた。そこが一番安全な場所と理解しているのだ。


「コロ……覚悟はできていますか? ご主人様に買っていただいた服を汚すなんて……まだまだ躾がなっていなかったみたいですね」


 全身を小刻みに震わすコロが恐怖のあまり失禁してしまう。


「わっ、お……鬼婆だ! オドノ様、助けてっ!」


 ナマリが助けを求めてユウを見るが、ユウは露骨に目を逸らした。


「誰が鬼婆ですかっ!」

「ひぇっ。コロ、逃げろー!」


 屋敷へ向かって逃げていくナマリを、コロがあっという間に追い抜いていく。


「ああっ!? コロ、待ってよ! ズルいぞ! 自分だけー!」

「ナマリ、コロ、待ちなさいっ!」


 逃げるナマリとコロを、マリファがスカートの端を両手で摘み上げながら追いかけていく。その姿をどこか楽しそうにユウは眺めていた。




「ただいまー!」

「……おかえり」


 居間で本を読んでいたレナ目がけて、パンツ一丁のナマリが飛びつく。ナマリがパンツ一丁なのは、服を泥だらけにしたためだ。同じパンツ一丁姿でも、ジョゼフとナマリではこうも違うのかとユウは思った。


「ニーナは?」

「……まだ帰ってきてない」


 テーブルの上には、これ見よがしに可愛らしいマントが拡げて置かれていた。


「ナマリ、服を着なさい。そんな姿でご主人様に恥をかかせる気ですか。

 レナ、このマントはなんですか?」

「……知りたい?」

「別に知りたくはありません。いつまでもテーブルの上に置かれたままだと、このあと食事が置けないのでどかしてください」

「……そう。そんなに知りたいなら教えてあげる」


 マリファの目がピクピクとひくつく。そんなマリファの様子を知ってか知らでか、レナは立ち上がるとマントを羽織る。ナマリがレナの姿を見て「かっこいい!」と好奇の視線を向けると、レナの旋毛のアホ毛が満足そうに左右へ揺れる。


「……これは『妖樹園の迷宮』で手に入れた」

「まさか……一人で迷宮へ潜ったんじゃないでしょうね?」

「……今の私は最強」

「レナだけズルいー! 俺も迷宮に行ってマント欲しい!」

「……レナお姉ちゃんでしょ」


 レナが杖でナマリの頭を軽く小突くが、ナマリは気にもとめずにレナのマントの触り心地に興奮する。


「迷宮には魔物だけでなく罠や同業者の妨害もあるのに、斥候職のスキルを持っていないレナが一人で潜るなんて、なにを考えているんですか! レナのような見た目が幼女な冒険者が一人で迷宮に潜るなんて、襲ってくださいと言っているようなものですよ。3rdジョブに就いたからといって、少し過信しているんじゃありませんか」


 マリファの言葉は正論であるが、以前一人で散々迷宮へ潜っていたマリファの言葉に、レナの目は自分のことを棚に上げてと語っていた。


「なんですかその目は? 反論があるのでしたら、言いなさい」

「……ガミガミ婆」

「あははっ! マリ姉ちゃんはガミガミ婆じゃなくて、鬼婆なんだぞー!」

「だ、誰がガミガミ婆ですかっ! それにナマリ、もう一度言ってみなさいっ!! 先ほど、今度言ったら許しませんよと言ったばかりでしょうが!」


 逃げ回るレナとナマリに追いかけるマリファ、騒がしい居間から逃げるように、ユウは台所で昼食の準備をしていた。モモは味見と称してユウに向かってあ~んする。


「ここで食べ過ぎたら、昼飯食えなくなるから少しだけだぞ」


 口を大きく開けて待っているモモの口へ、ネクターと呼ばれる桃に似た果物を小さくカットして放り込む。モモは両頬をハムスターのように膨らませながら咀嚼する。ネクターから溢れ出る甘みに、モモは幸せそうに頬に手を当てながら食べるのだった。




 凝った刺繍の絨毯の上を歩くと、一歩進むごとにニーナの足が絨毯に沈み込む。聖国ジャーダルクにのみ生息するノーブルシープから取れる毛を元に作られた絨毯は、包み込むような柔らかさと暖かさを持っており、その感触を知ってしまえば、いつまでもその気持ち良さを味わっていたくなるだろう。

 今ニーナがいる場所は、都市カマーにあるニーナの秘密の隠れ家から数千キロも離れた場所、聖国ジャーダルクの宮殿内にあるオリヴィエ・ドゥラランドの一室であった。

 ニーナは品種改良されたベナントスのいる部屋を見渡し、誰もいないとわかると扉に手をかけ開けると同時に、高速で放たれたダガーが目に飛び込んできた。自分の目を抉ろうとするダガーを、ニーナは表情も変えずに黒竜・爪で弾き返す。


「どういうつもり?」


 眼帯をつけた少女は、容易く自身の攻撃を弾き返されたにもかかわらず、慌てた様子が微塵も感じられなかった。


「ありゃりゃ。ニーナさんっすか。侵入者かと思ったじゃないですか。ダメっすよ? その部屋に設置されてるベナントスは緊急時以外は使っちゃダメだって、書き置きがあったはずっす。あれ? もしかして緊急時っすか? もしそうならごめんなさいっす。危うくニーナさんを殺しちゃうところだったっす」

「フフ、あなたが私に勝てるわけないでしょう」

「ふへへ。昔のニーナさんならともかく。今のニーナさんはジョブもスキルも消されちゃってるじゃないっすか」

「今の私はレベル40で3rdジョブまで就いてるよ」

「うへっ!? いつの間に……そ、それでもまだ自分の方が強いっす!」

「そんなことどうでもいいから、オリヴィエ様はいる?」

「そんなことっ!? ニーナさん、酷いっす」


 フフは泣き真似をしながら、ニーナをオリヴィエのいる部屋まで案内する。二人に共通していたのは、どちらも感情が希薄であることであった。


「さて、どうして来たのか教えてもらえるかな?」


 いつもの椅子に座りながら読書するオリヴィエは、ニーナに視線を向けずに問いかけた。その後ろではメイド服姿のチンツィアがニーナとフフを見詰めている。


「はい。今回3rdジョブに就きましたので、オリヴィエ様の力で消していただきたい箇所がございます」


 ニーナはそう言うと、解析LV3まで防ぐことのできるシスハのペンダントを外す。


「へぇ、これは驚いたな。もうそこまでレベルが上がっていたなんて」


 オリヴィエは本を閉じると『解析』でニーナのステータスを確認する。ニーナのステータスを確認しながら、あるスキルの欄でオリヴィエの目が止まる。


 『影転移』――対象者、対象物の影を登録することで、影を通じて転移できる。登録できる数は二つ・・まで。


「なるほど。『影転移』の登録数を一つに見えるようにしてほしいわけか」

「はい。一つはユウ・サトウの影、残りの一つはオリヴィエ様の影を登録しようかと――」

「オリヴィエ様の影を登録する? そのようなこと許すとでも思っているのですか?」


 今まで一言も発しなかったチンツィアが口を挟む。無表情を装ってはいるが、こちらは内に秘めた感情が全身から漏れ出ていた。


「はは。チンツィアの言うとおり、私の影を登録させるわけにはいかないな。これでも聖国ジャーダルクで教国大司教の役職に就いている身だからね。聖務中に二百十七番が出てきでもすれば、大変なことになるよ。

 そうだな。どこがいいかな」


 オリヴィエは視線を漂わせ、丁度いい物がないか探す。


「オリヴィエ様、この部屋ではなくあちらの部屋の物を登録させてはいかがでしょうか? あちらの部屋でしたら普段は私が結界を張っていますので、他の者と二百十七番が出会すこともないでしょう」


 チンツィアはニーナと聖国ジャーダルクの者が出会す危険を防ぐためと言うが、本音はオリヴィエに直接接触できる場所に、ニーナの『影転移』を登録させないためであった。


「私はこの部屋の物でもいいんだが、二百十七番はそれでいいかな?」

「私はどこでも構いません」


 自分の部下であるニーナに確認する必要などないのだが、オリヴィエはニーナにわざわざ確認する。


「それではユウ・サトウについて報告してもらおうか」

「はい。ユウ・サトウですが――」


 ニーナはユウの身辺にいる協力者。ムッス伯爵、ジョゼフ、冒険者ギルド、都市カマーの商人マゴ、モーベル王国の第三王子、自由国家ハーメルンのビクトル、下僕の情報を伝えていく。さらに現在無人島に獣人族の雑種、堕苦族、魔落族を集めて国を創っていることまで報告する。


「あんな場所に国を……いや、あそこだから逆にいいのか。まさか魔導王国があった場所に国を創っているとはね」

「オリヴィエ様、魔導王国ってなんっすか? 初めて聞く名前っす」

「フフ、オリヴィエ様がいつあなたに喋っていいといいましたか?」


 フフが許可もなくオリヴィエに話しかけたことに、チンツィアが静かに怒る。


「うぇっ、いいじゃないっすか。ちょっと聞くくらい」

「ははは。いつものやり取りだな。フフが初めて聞くのも当然だ。今はない国だからね。正式な名は確か――ザンタリン魔導王国。数百年前に滅んだ。いや、消滅した国だよ」

「滅んだんじゃなくて消滅っすか? どうちが……いひゃい。チンツィアひゃん、ひゃめてほしいっす」


 チンツィアに頬を抓られたフフが抗議するが、頬を抓るチンツィアの手が力を緩めることはなかった。


「ユウ・サトウが国を創っている島は、昔はレーム大陸の一部だったんだ。だけど大賢者とガジンが戦った結果、大陸の一部が吹き飛び、その余波で魔導王国も消滅したのさ。

 となると、ラスってアンデッドは魔導王国の生き残りってのも変だが、秘術でアンデッドに転生した者の可能性が高いな。二百十七番、ナナと出会わなかったか?」

「ナナは現在ユウ・サトウの死霊魔法により、アンデッドとなり魔人族の子供ナマリに従属しています」

「やはりな。魔導王国の者であれば、通信系の魔導具を傍受する技術を知っていてもおかしくはない。予想は当たっていたわけか……。

 二百十七番、お前から見てユウ・サトウの印象を教えてほしい」

「はい。ユウ・サトウは狡猾・・残忍・・な性格をしています。元々そういう者を召喚したと聞いていましたが、敵対する者には容赦なく。自分の利になる者にはありとあらゆる手を使い取り込みます。例えば冒険者ギルドのギルド長や受付嬢などには、賄賂を送り見返りに職員しか知らない情報や待遇面で優遇されています。マゴという商人には錬金術で創った高性能なポーションを卸す見返りに、かなりの金額を受け取っているようです。最近ではハーメルンのビクトルという商人との間で、莫大な金額がやり取りされているようです」

「ハーメルンか。こちらの話に乗ってこないと思っていたら、ユウ・サトウと接触していたとは、あの国は本当に油断ならない国だよ。だが結果的に良かった」

「なにがいいんすか? あいだっ!?」


 懲りないフフの尻をチンツィアが思い切り抓ると、フフが跳び上がる。フフはそのままニーナの後ろに隠れて尻を擦る。


「あははっ。チンツィア、あまりフフをイジメないでくれよ。予定どおりにいかなくて、結果的に良くなったんだよ。ユウ・サトウにはこのままを蓄えてもらおうじゃないか。最後には私に助けを求めることになる。ユウ・サトウ、彼を救えるのは私だけだからね」

「ではユウ・サトウには今後は手は出さないということで?」


 チンツィアの問いかけに、フフが「チンツィアさんだって勝手に話しかけてるじゃないっすか!」と抗議するが、チンツィアに睨まれるとフフは慌ててニーナの後ろへ隠れる。


「いいや。これからも手は出していく。その方がユウ・サトウも力を手に入れやすいだろう。

 二百十七番、他に気になることは?」

「はい。ステラ・フォッドの遺体が何者かによって持ち去られたと、ユウ・サトウが気にかけていましたが、こちらの件は――」

「私じゃないよ。残念だが遺体を回収しに行ったときには、すでにステラの遺体は持ち去られていた。墓は掘り返され、家には火を放ったようだ。どうせバタイユかベシエール派閥の仕業だろう。見つければ取り戻して、こちらで活用させてもらおうじゃないか。彼女には聖国ジャーダルクを裏切った代償を支払ってもらわないとね」


 ニーナの報告が終わりオリヴィエが読書を再開するが、部屋を出ようとするニーナをオリヴィエが呼び止める。


「そうだ。島にいる獣人たちはユウ・サトウを心の底から慕っているのかい?」


 呼び止められたニーナは振り返りもせずに。


「いいえ。彼らはユウ・サトウを利用しているだけです。許可をいただければすぐにでも殺したいくらいです」


 その態度にチンツィアは少し怪訝な表情を浮かべるが、オリヴィエの笑い声にすぐにいつもの無表情へと戻る。


「はは。そうか。今回の二百十七番の設定・・はそうなっていたね。私もユウ・サトウを利用するつもりなんだが、それはどう思う?」

「どういう意味でしょうか?」

「いや、いい。行っていいよ」


 ニーナが消えていった扉をオリヴィエはしばらく見つめていた。


「チンツィア」

「どうなされましたか?」

「君の魅了だが、かけた対象が魅了中かわかるかな?」

「普通ならわかりますが、二百十七番やフフはオリヴィエ様の力で見えなくなっているので、魅了した私でもわかりません。よろしければ、もう一度魅了しましょうか?」

「いや、前にそれを試した人形は壊れたからね。今二百十七番を失うわけにはいかない」

「二百十七番が裏切っている可能性があるとお考えですか?」

「う~ん、どうだろうね。私のスキルは消すことはできるが、戻すことはできない。二百十七番と話していても、おかしな様子はなかったんだけどね。念のためにもう一本くらい鎖をつけるかな」


 オリヴィエとチンツィアの視線の先には、フフがいた。


「じ、自分っすか」




 ニーナは秘密の隠れ家に戻ると、背伸びする。


「あ~、久しぶりに会ったから緊張しちゃった。あっ、忘れない内に」


 ニーナは左右に黒竜・爪と黒竜・牙を逆手に握ると、短剣技『逆手二刀旋回・剛』をベナントスに放つ。左右から放たれる斬撃の嵐が、一太刀ごとにベナントスの身体に剣閃を刻みつけ、一瞬にしてベナントスを肉塊へと変える。オリヴィエが品種改良し、いまだ量産に至っていない貴重なベナントスが、見るも無残な姿と化す。


「こんなの増やされたら困るんだよね~」


 ニーナはベナントスが死んでいるのを確認すると、部屋の外に出て仕かけを作動させる。天井が崩れ、落ちてくる瓦礫によって隠れ家は二度と使用できなくなる。地下道を鼻歌交じりに歩くニーナの姿は、なにごともなかったかのようであった。不意にニーナは思い出したかのように立ち止まる。


「そういえば、なんでオリヴィエ様はあんな当たり前のことを聞いたんだろう? あっ! もうこんな時間だ~。早く戻らないと、ユウに怒られちゃう~」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る