第171話 甘い二人
都市カマーの貴族や商人として成功を収めた者のみが、住むことができる通称貴族街。一つ一つの建物が庶民が住む家とは比べようがないほど大きく、門構えだけで庶民が手にする給料何ヶ月分かというほどの造りである。庭に植えられた花や木々は庭師によって整えられ、いつ見られても恥ずかしくない状態を維持しているのだろう。そんな豪邸が並ぶ中に、マゴ・ピエットの住む屋敷があった。ユウと取引するようになってから、マゴの抱える店は急激に成長しており、出店は都市カマーのみならず都市サマンサや要塞都市モリーグールにまで拡がっていた。
各都市に治める貴族がいるように、都市ごとに貴族お抱えの商人がいるものである。貴族と商人はお互いが利用し合い、そこから生まれる莫大な利益によって強く繋がっている。
小さな店が出店するならともかく、マゴクラスの商人が出店するとなると地元の商人達が黙っているわけがない。所謂、妨害が入るのである。商人達が自分と繋がりのある貴族に頼み込んで、正規の手続きで取得した土地や借地であろうと、営業許可書をなんだかんだ言って発行しないなど序の口である。よくあるのが、その都市で長年商売をしてきた商人たちが、徒党を組んで嫌がらせをするのだ。店に覆いかぶさるような看板の設置、店の前を人が通れないように障害物を置く。過激なものになると深夜につけ火や店の破壊などである。しかし犯人が捕まることはない。裏で商人が手を回し、貴族が遠回しに兵士たちへ伝えるのだ。
マゴが王都に出店した際は酷かった。財務大臣から到底支払うことのできない裏金を求められ、断るとその日の内に従業員の一人が何者かに殺されたのだ。犯人が捕まることは当然なかった。こんなことで王都出店を諦めてなるものかと、気合を入れるマゴを嘲笑うかのように、次の日にまた従業員が殺される。そうなると次は自分の番かと従業員たちが逃げ出す。人がいなければ店を開くこともできず、赤字だけが積み重なっていく。増え続ける赤字の額が、都市カマーにある店の運営資金にまで手をつけなくてはいけなくなったとき、マゴは都市カマーへ逃げ帰った。その際は惨めなものである。どこから聞きつけたのか、財務大臣お抱えのベルーン商会の者たちがマゴの店の前まで来て、罵ったのだ。「田舎者が身の程をわきまえろ」「ヴォルィ様に逆らえばどうなるかわかったか?」「二度と来るんじゃないぞ! ははははっ!!」「くく。こんな奴のために死んだ従業員が可哀想だな」、言い返すこともできずに都市カマーへ逃げ帰ったマゴのプライドはズタボロであった。
だが、それで終わりではなかったのだ。財務大臣の嫌がらせは蛇のようにしつこく都市カマーにまで及ぶ。ベルーン商会が都市カマーにまで出店してきたのだ。マゴはなんとかベルーン商会の店を出店させないようムッス伯爵へ働きかけたのだが、ウードン王国の三分の一を牛耳る財務大臣の力に敵うわけもなく。ベルーン商会の店は狙ったかのように次々とマゴの店の近くに出店し始める。
ユウから資金援助を受け、都市サマンサや要塞都市モリーグールに出店するよう言われた際も、王都での妨害ほどではないが近いものがあるのだろうと腹をくくって出店したマゴであったが、驚くべきことになにも起こらなかったのだ。むしろ都市サマンサを治めるシプリアノ子爵などは協力的ですらあった。マゴがお礼を兼ねてシプリアノ子爵を食事に招待した際、終始好意的なシプリアノ子爵であったがマゴは気づいていた。シプリアノ子爵が一瞬浮かべた笑顔に隠れた恐怖の色に。
ユウとシプリアノ子爵との間でなにがあり、どういう取引があったのかはマゴのあずかり知らぬことであるが、通常ではありえぬほど協力的なシプリアノ子爵の態度を見れば容易に想像ができた。
「ホッホ、甘いですな」
マゴはそう言うと、紅茶を飲む。マゴの前にはソファーに腰かけるユウがさして気にした様子もなく、茶菓子のクッキーを一つ手に取るとモモへ渡す。モモが小さな口でクッキーに齧りつくと、壁際に立っているナマリが羨ましそうに口から涎を垂らしながらモモを見つめる。
普段であればモモと一緒にお菓子にありつけているのだが、ユウとの約束を破ったナマリは罰として立たされていた。ナマリの横ではマリファが控えているのだが、涎を垂らしたナマリの口を持っていたハンカチで拭き取り、もう少し我慢しなさいと叱っていた。
「甘いってなにがだよ?」
「ユウ様が購入された奴隷ですよ」
ユウは冒険者ギルドを出たあと、マゴの運営する奴隷商館へ向かった。そこで数人の奴隷を購入したのだが、マゴが話したいことがあるとわざわざ屋敷まで移動した。話なら奴隷商館でもできるのだが、マゴは屋敷にまでユウたちを案内したのには理由があるというので、ユウも深くは聞かずにいた。
「農夫の妻まではわかりますが、子まで買う必要はなかったでしょう」
「うるせえな。使い道があるんだよ」
「ホホゥ……どのような?」
ユウの後ろでは、ナマリが「家族は一緒にいるもんなんだぞー!」と叫んでマリファに静かにしなさいと叱られている。
「それより話があるんだろ? 早く話せよ」
「おお、そうでした。ですが」
マゴはマリファとナマリに視線を向ける。
「マリファ、ナマリ。あとモモも部屋の外で待ってろ」
「ええー!? なんでー? なんでー?」
「ナマリ、ご主人様の言うとおりにしなさい」
駄々をこねるナマリと「私も?」と自分を指差すモモをユウはマリファへ押しつけると、部屋の外へ追いやる。マゴはマリファたちが部屋の外へ出ていくのを見届けると、手を叩く。マリファたちが出ていった扉とは別の扉から、マゴを護衛している元Cランクの護衛たちと共にフードとスカーフで顔を隠した女が入ってくる。
「ヤルミラ、座りなさい」
「は……ぃ」
声から察するにヤルミラの年齢は恐らく十代のものと思われる。だが喉か口でも怪我をしているのか、喋りにくそうであった。
「さて、ユウ様。わざわざ私の屋敷にまで足を運んでいただいたのは、財務大臣について私が集めた情報をお伝えしたかったからです。
財務大臣バリュー・ヴォルィ・ノクス、ウードン王国の三分の一……いえ、いまや半分近くの貴族が派閥に入っています。莫大な財力に物を言わせ、金に目の眩んだ愚かな貴族たちがね。派閥の貴族も厄介ですが、私兵に子飼いの冒険者……以前ユウ様が揉めた『権能のリーフ』もその一つです。これはご存知でしたな」
ユウと『権能のリーフ』の争いについてはごく一部の者しか知らぬことであった。その情報を知っているマゴに驚いてもよさそうなものだが、ユウに動揺は見受けられなかった。
「中でも犯罪組織ローレンスが一番厄介でしてな。財務大臣への上納金、裏金を断ると決まって出てくるのがこいつらです。元は王都のスラム街に巣食うチンピラの集団でしたが、そこに財務大臣の息子と取り巻きたちが入ることで凶悪な集団になっていきました。なにしろ……
マゴの話を聞いていたヤルミラの手は強く握り締められていた。
「ローレンスのやり口を知っていますか? 財務大臣や自分たちの言うことを聞かない者がどうなるか? 見せしめを作るのですよ。女――それも若いほどいい。逆らえばどうなるかを皆に理解させるのです。ヤルミラ、顔をユウ様へお見せしなさい」
「っ!? マ……ゴさ、ま……それだ……けは」
「私の言うことが聞けないのですか?」
ヤルミラはしばらく黙っていたが、顔を隠していたフードとスカーフをゆっくりと取り去る。そこには顔が溶けた女の顔があった。頭髪もほとんどなく、皮膚は爛れ、右目の瞼も塞がっていた。溶けた唇が癒着しているためにヤルミラは上手く話すことができないのだ。
「ユウ様、ヤルミラはまだ十五です。普通なら恋の一つでもして人生を謳歌している最中でしょう。ヤルミラの父チェスラフは私と同じ商人であり、私のライバルであり、そして親友でもありました。チェスラフは……ローレンスから金を強請られていましたが、正義感の強いチェスラフは当然のように金の支払いを拒否しました。ローレンスが金を強請ってきたのが、競合店であるベルーン商会からの仕業であると見抜いていたのです。一週間もしない内に次々と従業員は殺されました。ローレンスの奴らは捕まらないんですよ。訴えたところで門前払いされるか逆に不敬罪で牢獄行きです。チェスラフの遺体はそれはもう無残な状態で見つかりました。チェスラフの妻も同じ場所で見つかりましたが、死んだ時間はかなりずれていました」
マゴはグラスにワインを注ぐと一気に飲み干した。ヤルミラは黙ってマゴの話を聞いていたが、塞がった瞼と残った左目からは涙が零れ落ちていた。
「あいつらは……チェスラフの目の前でチェスラフの妻を……イジンカを……っ! ホホッ、少し興奮してしまいましたな。ローレンスはあえてヤルミラを殺しませんでした。見せしめに酸で顔を溶かし晒し者にしたあと、ヤルミラを解放しました」
その後もマゴは自分の知る財務大臣の情報を全てユウへ伝えた。
「話は終わりか?」
「ええ、私の知っている情報はこれで全てです。
ホッホ。ユウ様、情報の対価をいただけませんか?」
「いくらだ?」
「ヤルミラの顔を治してください」
マゴの言葉に反応を示したのはヤルミラのみであった。マゴの護衛たちは、こうなることを事前に知っていたかのように冷静であった。
ユウは返事もせずにソファーから立ち上がると、ヤルミラのもとまで近づきヤルミラの顔を包み込むように手の平を押し当てる。
「い……やぁっ!」
思わずヤルミラは手を払ってしまう。自分と同じ年頃の少年に、醜く爛れた顔を見られたくなかったのである。
「ヤルミラ、おとなしくしなさい」
マゴの言葉に覚悟を決めたのか、ヤルミラは今度はユウの手を払わずに受け入れた。自分の顔を見るユウの目には怯えや蔑みもなく。かといって好奇な目をしているわけでもなかった。自分とそう変わらない年齢の少年の目に吸い込まれるように、ヤルミラは見惚れてしまう。ユウの手の平が温かくなり、次にヤルミラの頬が温かくなり、それが顔全体に拡がっていく。
「おお……っ!」
「ヤルミラさんの顔がっ!」
ユウはもう役目は終わったとばかりに、ヤルミラから離れると席に戻ってソファーに腰かけた。護衛の一人が慌てて手鏡をヤルミラへ渡す。酸をかけられて焼け爛れた自分の顔を見た日から、ヤルミラは鏡を見ていない。恐る恐る鏡を覗き込むと、そこには酸をかけられる前と変わらぬ自分の顔があった。塞がっていた右瞼も、融解してひっついていた唇も、むき出しになっていた頭皮は髪が生い茂っていた。
「あ……ああっ。こ、こんなことって……右目が開くわ! 唇も! 髪もある! 顔も元通りになってるわ!!」
ヤルミラの目からは止めどもなく涙が溢れてくる。ヤルミラは涙を拭いもせずに鏡に映る自分の顔を見つめ続けた。
「髪はサービスだ」
ユウは茶菓子のクッキーを口に放り込んで咀嚼し、紅茶で流し込む。もういいだろとマゴに目を向けた。
「ヤルミラ、もういいでしょう」
「はっ!? も、申し訳ございません。あまりにも嬉しくて」
「ホッホ、気持ちはわかりますよ。ですが、もう用はありません。すぐに屋敷を出ていきなさい」
「マ、マゴ様……いま……なんて? 屋敷を出ていけと?」
「ちゃんと聞こえているじゃありませんか」
「なぜですかっ!? あんなに……あんなにっ! 親身になってくれたではありませんかっ! それなのになぜですか!」
ヤルミラはまだ信じられないのか、マゴを見つめ続ける。一方のマゴは、もう用はないとばかりにヤルミラと視線を合わそうともしなかった。
「私がなぜ落ちぶれて隠れ住んでいたお前を探しあて、危険を冒してまでカマーで匿ったと思っているのですか? まさか親友だったお前の父のためだとでも? 違いますよ。私は商売に私情は挟みません。
前々から私はこちらのユウ様が、神官それも一部の者しか使えない上位の神聖魔法を使えるんじゃないかと睨んでいましてね。それを探っていたのですが、これが想像以上にユウ様のガードが固くて困り果てていたんですよ。そこで思いついたのが、情に訴えかけるです。それを思いついたときに、都合よくお前が見つかっただけのこと」
「ひ、酷い……私は……私はマゴ様のことをっ!」
「なんです? まさか父のように慕っていたなどと言うつもりではないでしょうね? よしてくださいよ。そうそう」
マゴは懐から小さな布袋を取り出すと、ヤルミラへ投げつけた。
「端金ですが、お前にはその程度で十分でしょう。早く出ていきなさい」
ヤルミラの顔は涙でクシャクシャになっていた。さっきまでは嬉し涙であったが、今は悔し涙であった。
「こ、こんなモノいるものですか!」
ヤルミラは布袋をマゴに投げ返すと、部屋を飛び出していく。扉の先では、飛び出してきたヤルミラに驚いたナマリとモモが、部屋の様子を窺っていた。耳のいいマリファは部屋の中でどんなやり取りがあったのか、全て把握していた。
「マゴさん、必ず無事に送り届けます」
護衛の一人が、マゴの足元に落ちている布袋を拾いながらウインクする。
「余計なことは言わずに早く行きなさい」
護衛は皆が笑みを浮かべていた。
本来マゴを護るべき護衛たちがいなくなり、部屋にはユウたちとマゴのみとなる。
「ホッホ、やはりユウ様は甘いですな。あのような演技で簡単に秘密をバラしてしまう。あの程度の情報、ユウ様ならすでにご存知だったのではないですか?」
「俺が甘いって? どっちがだよ。マゴ、お前が王都に出店したのも、どうせチェスラフって奴か、あのヤルミラって女のためだろ?」
マゴは空になったグラスにワインを注ぐと、ユウたちに背中を向けて一気に飲み干した。
「ユウさん、このあと昼食でもどうですかな? 旨い店があるんですよ」
「自分の家で食うからいい。大体、自分の
不思議に思ったナマリとモモが、マゴの前に回り込む。
「わっ! おジジなんで泣いてるの? どっか痛いの?」
そこにはみっともないくらい涙と鼻水を垂れ流して、顔をクシャクシャにしたマゴの姿があった。
都市カマーから東の王道へ繋がる街道を一台の馬車が走っていた。馬車の中ではいまだ泣き止まないヤルミラの姿があった。
「ヤルミラさん、いい加減泣き止んでくださいよ」
「ほ……ひっく、放っておいて! あな……ひっく、あなたに今の私の気持ちなんてわからないわっ!」
「今から向かうアルトネムレ国は、小国ですが平和でのどかなところですよ」
「そうそう! 酒がまた旨いんですよね! ヤルミラさんも十五なんだし、お酒を飲んでも大丈夫でしょ? どうですか、着いたらまずは酒場に行きませんか? 楽しみだな~」
「なにが楽しみよ! 私のことは放っておいてって言ってるでしょ!!」
ヤルミラの頭の中はなぜで埋め尽くされていた。人の目を避けるように隠れ住んでいた自分を見つけ、爛れた自分の顔を治そうと走り回ってくれたマゴ。高位の神聖魔法を使える神官に大金を積んで治療を願うも、財務大臣の手が回っており断られる。それでも諦めずに高価なポーションや白魔法の使い手などを見つけては、なんとかヤルミラの顔をもとの美しい姿に戻そうとしてくれていたマゴ。絶望していた。毎日死のうと思う日々であったが、マゴの励ましで思い留まっていた。やがて父のようにマゴを慕うようになっていた。それなのに――。
マゴの屋敷を飛び出したヤルミラは、あとから追いかけてきたマゴの護衛たちに捕まると、そのまま馬車へ放り込まれたのである。馬車の荷台にはヤルミラの荷物一式が載せられており、それを見たヤルミラが最初からマゴは自分を捨てるつもりであったと思うのは無理はなかった。
「そうは言ってもなぁ……本当に良いところなんですよ? なんといっても
「えっ……それはどういう」
ヤルミラの疑問に答えず、別の護衛が喋り出す。
「それにヤルミラさんがお世話になる店の主は、マゴさんと懇意にしている方でヤルミラさんのお父上ともお知り合いだとか」
「読み書きできる商人の娘なんて、喉から手が出るほど欲しいってあちらも大喜びだったそうですよ! そうだ。ヤルミラさん、これ忘れてましたよ」
護衛から渡されたのは、マゴへ投げ返した布袋であった。中身を確認した方がいいという護衛の言葉に、動揺しながらもヤルミラは中身を確認する。
「あ……ああ……そんな…………嘘っ……こんな……あああ゛あ゛っ」
今日だけでヤルミラはどれほどの涙を流しただろう。小さな布袋の中身は白金貨で埋め尽くされていた。ヤルミラが普通に暮らす分には、一生をかけても使い切れぬ額であった。
「これは俺の勝手な独り言なんで聞き流してください。せっかくもとの美しい顔を取り戻しても、それをあの財務大臣が知れば、必ずまた同じことをしようとするでしょう。それを防ぐためにもマゴさんとは縁を切り、誰も知らない新天地で幸せを掴んでほしいそうですよ。俺たちはヤルミラさんが落ち着くまで帰ってくるなって言われています」
男の独り言を聞きながら、ヤルミラは膝を抱えてうずくまってしまった。
「あああ゛あ゛あ゛あ゛っ! マ、マゴさ……様っ……マゴ様っ!! う……う゛えええんっ……」
馬車の中から漏れ聞こえる泣き声に、悲しみは一切含まれていなかった。ヤルミラは、父のように慕っていた不器用な男に力の限り抱きついて、ただただ感謝を伝えたかった。
晴天の中、これから幸せになるであろう少女を乗せて、馬車は進んでいく。
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