第143話 ナナ
冒険者ギルドで働く受付嬢の多くが、高収入の冒険者と結婚することを夢見ている。いわゆる玉の輿である。
都市カマーの一般的な二十代男性の平均収入が月二十万マドカに対して、Cランク、いやDランク冒険者の平均収入は月百五十~二百万マドカ。危険が伴うとはいえいかに冒険者が高収入かが、うかがえるであろう。
しかし、生ある者はいずれ老いる。それは冒険者とて免れることのできぬ摂理。冒険者は四十代を超えると一気にその数が減少する。蓄えがある者は悠々自適な余生を過ごし、才能ある者はさらなる冒険へと進む。では蓄えもなく、才能もない冒険者は?
「コレット、いつまでそのニヤケ
「レベッカさん、私そんなにニヤケていました?」
「あんたね。私にそれを言わせる? 昨日ユウと一緒にピクニックへ行った話を朝から何回聞かされたと思ってるの? その度にニヤニヤしてさ。そんなに楽しかったのかい?」
「やだっ! レベッカさん、ユウさん
どこか遠くを見つめながら乙女の顔をするコレットの姿に、呆れ果てたレベッカは業務に戻る。いつも以上の笑顔で受付をしていると、一人の男がコレットの前に来る。
男の名はビヨルン。Dランク冒険者であり、これといって秀でた能力のない。年齢的にそろそろ引退をしてもおかしくない男であった。
「よお、コレット。今日はいつに増してご機嫌じゃねえか。やっと俺の女になる決心がついたのか」
周りの冒険者たちがビヨルンの発言にぎょっ、とした表情を浮かべる。十六歳のコレットとビヨルンでは親と子ほどの歳の差があった。
「こんにちは! ビヨルンさん、冗談はやめてくださいよ」
いつもと変わらぬコレットの笑顔に、周りの冒険者たちは心を癒され元気を与えられる。だが、ビヨルンはコレットの態度を好意的にとらえたのか、カウンターに肘を乗せ身体を前に寄せてくる。
「冗談じゃないぜ。絶対にお前を俺の女にするって決めてるんだ。いい加減もったいつけんじゃねえよ。今日このあとつき合えよ? いいよな?」
さすがに困った表情を浮かべるコレット。純真無垢なコレットを困らせるビヨルンに、周りの冒険者たちと受付嬢たちの苛立ちが高まる。
「いい加減にしな!」
皆がビヨルンを諌めようとするよりも早く、レベッカがコレットとビヨルンの間に割って入った。
「レベッカ、お前には関係ないだろうが!」
「冒険者ギルドの規約を忘れたんじゃないだろうね? 執拗な接触は規約違反だよ。あと馴れ馴れしく名前で呼ばないでくれるかい」
ビヨルンは憤怒の表情でレベッカに悪態をつきながらギルドをあとにした。周りで見守っていた者たちがさすがレベッカだと褒め称えるが、当のレベッカはそんなことに興味はなく。コレットを別室へと連れていく。
「レベッカさん、ありがとうございました」
「お礼はいいから、ビヨルンには気を付けるんだよ。
ああいう男はね。自分は悪くないと思ってるんだからね。
仕事で遅くなる際は絶対に人通りの多い明るい道を通って帰るんだよ。知らない奴に声をかけられても無視しな」
ぶっきらぼうな言葉遣いだったが、妹のように接してきたコレットのことを本当に心配しているのが、レベッカからは伝わってきた。
「や、やだな。こう見えても私は十六歳ですよ。そんな小さな子供みたいに心配しないでください」
「あら? そうだったかね。まだ十歳くらいだと思ってたよ」
レベッカはコレットの胸と自分の胸を触り比べておどける。
「もう! レベッカさん!」
コレットに笑顔が戻るとレベッカは安心したのか、コレットに休憩を取ってから戻るように伝えると、自分は業務へと戻った。
コレットが早番での勤務を終えると、外は夕日が沈みかけていた。レベッカの忠告どおり人通りの多い道を選び帰っていると、路地で座り込んでいる子供が視界に入った。
「ナマリちゃん、こんなところでなにをしてるの?」
「ん? あっ! コレット姉ちゃんだ」
ナマリは棒を使って地面に一生懸命絵を書いて遊んでおり、声をかけられるまでコレットが傍にいたことにすら気づかなかった。
「もう暗くなるよ。早く帰らないと」
「へへ、いいんだよ! ここでこうしてるとね」
ナマリとコレットが話していると足元に影が差す。
「ナマリ、暗くなる前に帰ってこいって言っただろうが」
影の主は背に夕日があるために姿形はよくわからなかったが、声でコレットにはすぐに誰かわかった。
「オドノ様ー」
ナマリは棒を放り投げるとそのままユウの足に抱き着く。モモはユウの頭の上から飛び立つとそのままナマリの頭の上に着地し、ペシペシとダメな弟を叱るように叩いた。
ナマリはユウの足にしがみついたまま、コレットへ振り返ると「ね? いいでしょ」と言わんばかりの顔をした。
「いいなぁ……」
思わずコレットの口から本音が漏れた。
「コレットさんは仕事帰りですか?」
「は、はい! 今日は早く終わったんですよ」
ユウと手を繋いでいるナマリを羨ましそうに見るコレット。なにか察したのかナマリがニンマリと笑みを浮かべる。
「オドノ様、コレット姉ちゃんも一緒に帰っていいよね?」
「ん? そうだな。コレットさん、よろしければ一緒に帰りま――」
「はい! 帰ります!」
ユウの言葉が終わる前にコレットは元気よく返事する。ナマリはへへっ、と笑いながらコレットと手を繋ぐ。モモはコレットの声の大きさに耳を塞いでいた。
「いつもこのくらいの時間に帰っているんですか?」
「いえ、今日は早く業務が終わったんで普段はもう少し遅くなります」
冒険者ギルドの勤務体系は三勤交代制である。コレットはまだ若いということもあり早番が多いのだが、それでもウードン王国内でも屈指の冒険者ギルドである。多忙を極める業務に追われて、日が暮れてから帰ることも珍しくはなかった。
「ナマリ、お前ヒマなんだからコレットさんが遅くなるときは一緒に帰れ」
「えー、オドノ様を守らないといけないのにー」
生意気なことを言いながらナマリは繋いだ手をブンブン振る。ナマリの可愛らしい姿にコレットはクスッ、と笑みを零す。
「なんだ。俺はナマリになら任せても大丈夫だと思ったんだけどな、無理だったか」
わかりやすい挑発であったが、ナマリには効果は抜群であった。
「できる! 俺、できるよ! オドノ様、まかせて。コレット姉ちゃんも俺が守る!」
少し前のナマリであれば頑なにユウから離れるようなことはなかったのだが、最近はユウ離れが進んだのか、四六時中ユウにべったりということも少なくなっていた。
「じゃあ、ナマリちゃんに頼ろうかな?」
「うん! まかせてよ!」
翌日、他の受付嬢の業務を手伝ったために、コレットがやっと帰れる頃には日が暮れ外は闇に包まれていた。魔道具の街灯がコレットを照らすがどこか頼りなく感じる。いつものように大通りから自宅へ帰っていると、路地裏から突然声をかけられる。
「すみません。そこのお嬢さん、少し助けてくれないか?」
突然声をかけられて身構えるコレットであったが、人から助けてほしいと言われて断るコレットではなかった。
声をかけてきた男が言うには、男の友人が突然倒れて意識がないので運ぶのを手伝ってほしいとのことであった。
大通りとはいえ路地裏の中へ入ればそこは暗闇のなか、なにがあってもおかしくはない。男がなぜ非力な自分に声をかけたのか、大人の男性を呼べばいいのではという考えがコレットの頭が過るが、もし万が一男の友人が手遅れになってしまえば……。
コレットは男を見捨てることができなかった。男に案内され路地裏を進んでいくと一軒のボロ家が見えてくる。
「この中で倒れてるんでさ。ささ、中に入りましょう」
コレットが男と一緒に家の中へ入ると同時に、後ろから羽交い締めにされる。
「きゃっ! な、なにをするんですか?」
「ひひ、馬鹿な嬢ちゃんだ。こんな簡単な手に引っかかって。大通りで安心したのかな?」
羽交い締めから抜け出そうとするコレットであったが、非力なコレットでは男の拘束から抜け出すことは叶わなかった。
なおも諦めずに身体を動かすコレットであったが、部屋の中に明かりが灯されると動きが止まった。
「ビ、ビヨルンさん!?」
「よう、コレット。会いたかったぜ。フヒヒ」
部屋の中にはコレットを案内した男以外にビヨルンともう一人男がいた。男は素早くロープでコレットを縛り上げる。男たちの下品な笑い声が部屋の中に響く。
「旦那、報酬の件忘れずに」
「わかってる。ほら、早く出て行けよ。今から俺はお楽しみなんだよ」
「ひひっ。旦那、あっしらにもおこぼれを」
二人の男が舐め回すようにコレットを見つめる。その姿にコレットは恐怖した。
「ダメに決まってるだろうが! この女は俺のもんだ。これからしっかり俺の色に染めてやるんだ。そのあとは俺のために稼いでもらわねえとな」
「じゃあ、見とくくらいはいいですよね?」
「あん? それは……待てよ。そっちの方が楽しめるな」
男たちはお互いに卑しい笑みを浮かべ、ビヨルンがコレットに手を伸ばそうとしたとき――
「チ・ョ・コ・レ・イ・ト、じゃんけんぽん! パ・イ・ナ・ツ・プ・ル。あっ、いたいた! もうー、コレット姉ちゃん。一人で先に帰っちゃうんだもんな。探したんだからね」
家の出入り口にナマリが立っていた。頬を膨らませ、腕を組んで怒ってますとアピールしながらコレットに近づいていく。
「だ、だめ! ナマリちゃん、逃げて!」
「逃がすわけにはいかねえな!」
男の一人がナマリを殴ると、ナマリは扉まで吹き飛ばされた。
「ナマリちゃん!」
自分の身よりナマリの身を心配する。コレットはそんな少女であった。
「お前、ガキ相手に本気で殴るか?」
「よく見ろよ。あのガキ魔人族だ」
「おお、気持ちの悪い角と羽が生えて――お、お前! 手、手っ、手がっ!?」
「ああん? なんだよ。俺の手が……ぎゃあああああっ!!」
ビヨルンも男の叫び声に驚き手を凝視する。ナマリを殴った男の拳は、鋼鉄の塊を力の限り殴ったかのように、骨が折れ、皮膚を突き破り飛び出していたのだ。
「コウゲキカクニン。マスターヨリ、ハンゲキノキョカガデマシタ」
なにが起こったのか理解できぬまま、混乱する男たちの耳に声が届く。その声からは一切の感情を感じることができなかった。声の発生源はナマリ、正確にはナマリの角から溢れだす黒い粘体であった。黒い粘体の数は合計七体。
ナマリの角から溢れ出した黒い粘体には人の口のようなものがあり、口内には歯まで生えていた。
「ナナ、勝手に出てくるなよ!」
「マスターヨリ、ハンゲキノキョカガデマシタ。ダイニコタイマデノ、シヨウキョカアリ」
「うるさーい! 俺は一人でできるから戻れよ!」
ナナと呼ばれた黒いスライムは、ナマリの声を無視する。ナナの思念を受けた二匹の黒いスライムがナマリの全身を覆っていく。スライムはナマリの全身を覆うと強固な外骨格へと性質を変えていく。
突如異形の姿となったナマリに誰もが声を失った。
「ナナはほんと言うこときかないんだから! えいっ!」
ナナへの文句を言いながら、ナマリは無造作に蹴りを男に放つ。Dランク冒険者であるビヨルンの目を以てしても、その蹴速は見ることは叶わなかった。
蹴りを脛に受けた男は、曲がっては行けない方向に足が曲がる。悲鳴を上げる間もなく次の男も同じように足をへし折られる。
剣を抜こうとしたビヨルンはみぞおちに拳撃を叩き込まれる。黒曜鉄の鎧の上からにもかかわらず、拳の形に鎧は貫通しビヨルンは床に胃液を撒き散らす。
「なーんだ。弱っちいの」
「ナマリノチカラデハナク、マスターノオカゲトシンゲンシマス」
「ナナ、うるさーい」
ナマリはビヨルンたちが動けないことを確認すると、コレットを拘束するロープを引き千切る。
「ナ、ナマリちゃん、ありがとう」
「へへ、コレット姉ちゃんは俺が守るって言ったでしょ? じゃあ、帰ろうー」
あっという間にナマリは異形の姿からもとの姿へと戻り、黒いスライムたちは角の中へと戻っていく。
「でもあの人たち……」
「いいのいいの。オドノ様があとはやっとくって」
ナマリに手を引っ張られながら、コレットは家から連れ出される。
「い、いでぇ! グゥゥゥゥ……な、なんだあのガキ……化け物じゃねえか。だ、旦那こんな話聞いてませんよ?」
「おえっ、う、うるせぇ……俺は諦めねえぞ! ふひっ、あの女は……コレットは俺の物だ!」
「お前たちに次があると思ってるのか?」
「誰だ……お前! い、いや、知ってるぞ。ユウって冒険者だな」
蹲るビヨルンの前には、いつの間にかユウが立っていた。ユウのことを知っているビヨルンは瞬く間に青い顔になり、残り二人の男は噂を知っている程度なのか口々に恫喝する。
「こんな真似してどうなるかわかってるのかっ! 俺たちがダニエル一家の者だって知ってんだろうな!」
「そ、そのとおりだ! こりゃ、大変なことになるぞ! ひひ、お前の家族も女も友人も全員後悔するハメになるぞ!」
激痛を怒りに変えて吠える男たちとは違い、ビヨルンだけが全身を震わせていた。
「ダニエル一家の奴らか……」
口汚く罵る男たちを無視してユウは時空魔法を発動。ビヨルンたちの前に別の空間が繋がる。その空間から一人の女性が姿を現す。
ビヨルンたちは突如目の前に現れた絶世の美女の姿に痛みも忘れて見惚れる。美女には美しい翼が生えており、その姿から天魔族と推測できた。天魔族の女はビヨルンたちを愛おしそうに見つめ、次にユウに視線を向けた。
「トーチャー、こいつらを好きにしていい。できるだけ長く遊んでやれ」
ユウの言葉に、トーチャーと呼ばれた天魔族の女は頬が裂けんばかりの笑みを浮かべる。トーチャーに見惚れていたビヨルンたちは、トーチャーの背後にある器具に気づくと全身が凍りつく。
トーチャーの背後にある器具、それはビヨルンたちが見たことのある物からない物まで全て拷問器具であった。
「本当なら俺がやるんだが、これでも忙しい身でな。今はトーチャーに任せている。
ああ、安心しろ。こいつは拷問が好きなくせに、得意なのは神聖魔法なんだ。どんな傷だって治してくれるさ」
「ま、待ってく……ぎゃあっ!?」
ユウは一方的に言い放つとそのまま帰ろうとする。ビヨルンが待ってくれと叫ぼうとするが、トーチャーは先が鉤のついた鉄の棒をビヨルンの肩に突き刺すと、まるで肉でも運ぶかのように引っ張る。激痛に叫ぶビヨルンの姿に、残る二人の男は這って逃げようとするが、あと一歩で外に出れるというところでトーチャーはビヨルンにしたように鉤を引っかけて連れ戻す。二人の男がトーチャーを見ると、その先には天井から吊るされたフックにぶら下がるビヨルンの姿が見えた。
「ひっ、誰か……誰か! 助けてくれー!!」
男たちの助けを求める声は誰にも届くことはなかった。
この日、都市カマーのスラム街を支配するマフィアの一つが姿を消すのであった。
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