第141話 ようちゅうい

 誰が見ても胡散臭い男であった。

 このビクトルという男と出会った者の第一印象は、皆が口を揃えて同じ言葉をはく。しかし、気づけば知人から友人のように、ときには兄のように、弟のように、恋人のように、長年連れ添った夫のように、信頼の置ける失うことを恐れるほどにまで心を許してしまう魅力を持っていた。


 まるで親しい友人と久しぶりに会ったと言わんばかりに、ユウへ抱き着こうとしたビクトルであったが、直前に動きを停止する。


「おや? ナマリちゃんにモモちゃん、これはどういったことですかな? それにそちらは虫使い・・・のマリちゃんですな?」


 ビクトルの行く手を塞ぐようにナマリはファイティングポーズをとり、モモは空に浮かびながら、突き出された右腕には妖精魔法の力が集っていた。

 マリファは誰にも気づかれずに虫を使役、行使しようとしたことに気づいたビクトルへの警戒度をさらに強める。


「お前! オドノ様に近づくなって前に言っただろ!」

「ハッハ、ナマリちゃん。私はお前ではなくビクトル、もしくは気軽にビクちゃんとお呼びくだされ」


 笑みを崩さないビクトルに対して、強力、凶悪な魔物と対峙するかのごとく、ナマリとモモは少しも警戒を解くことはなかった。ナマリたちの警戒の仕方は、一介の商人に対して過剰とも言えるものであった。


「う~ん、いつになればナマリちゃんたちは私に心を開いてくれるのでしょうか。おお、これはこれは私としたことが自己紹介もせずに申し訳ございません。

 マゴ・ピエット殿、初めまして私はビクトル・ルスティグという名のつまらぬ商人でございます。どうぞ、お気軽にビクトルと呼び捨てにしてください」


 ビクトルは大仰な素振りでマゴに抱き着くが、マゴは少しも心を乱した様子もなく、ビクトルの一挙一動を観察する。都市カマーで長年山千海千の商人たちを相手にしてきたマゴだからこそ、ビクトルの表面に騙されることなく本質を見抜いたのだ。心を少しでも許せば骨の髄までしゃぶられると。


「『渇求のビクトル』……ホッホ、『ハーメルン八銭』ベンジャミン・ゴチェスターの右腕と呼ばれるあなたがどのような……いえ、愚問でしたな。ユウ様に会いに来たのですな」

「おほっ! 私などの名前を知っているとは恐悦至極」

「商人であなたの名前を知らない者などいないでしょうに」


 ビクトルは大袈裟に驚く仕草でマゴの傍まで近寄ると、頬に手を当てながら囁く。


「それにしてもユウ・・様ですか……私如きではサトウ様と呼ぶのが精一杯なのに、いやはや羨ましいですな。早く私もサトウ様とそのような関係になりたいものです。

 ところでマゴ殿、ベンジャミン様は八銭と呼ばれるのを非常に嫌っております。先ほどの言葉は私の胸の内に仕舞っておきますので、ご安心くだされ」


 マゴがなにを言っているのだという表情を浮かべるが、ビクトルはみなまで言うなとばかりにニカッ、と笑顔を浮かべ、そのままユウの方へ振り向く。


「サトウ様~、私に黙っていなくなるなんて酷いじゃありませんか?」

「なんで俺がどこか行くのに、一々お前に断らないといけないんだよ」

「またそんなつれないことを言う。このビクトル、慌てて探しましたぞ!

 それに先ほどのマゴ殿との話、聞かせて・・・・いただきました」


 ビクトルの言葉に顔にこそ出さなかったものの、マゴは内心で馬鹿なっ、と呟く。商人にとって情報は命、それ故に応接室には防音、魔導具対策などが設置されており、今いるこの応接室は特に厳重な対策をしている部屋であったからだ。

 マゴはユウと目が合うと、そのようなことはあり得ないと無言で首を横に振った。


「サトウ様はお急ぎのご様子、マゴ殿は準備にひと月かかると仰っている。そこで私に任せていただければ二週間で用意してご覧に入れましょう」


 ビクトルの言葉に、室内での会話が聞かれていたことが確定したことを悟ったマゴは、苦々しい顔を浮かべるのを必死に堪える。


「ビクトル殿、あまり大きな口をきかないほうがいいのでは? ここはウードン王国、ハーメルンから遠く離れています。ユウ様が要望されている品々を用意するのは、いかにビクトル殿と言えども無理があるでしょう」

「フハッ。マゴ殿、心配無用。ハーメルンの人脈を以てすれば十分用意することができますな。ここでサトウ様の国創り・・・に関われるのは、どれほどハーメルンに富をもたらすかはマゴ殿とて承知でしょうに。

 それにご安心くだされ。私とマゴ殿の仲ではないですか? 私一人で利益を独占するつもりは毛頭ございません。私とマゴ殿で仲良く分け合おうではないですか。サトウ様も助かり、私たちも儲かる! いいごとずくめではないですか」


 一気にまくしたてるビクトルとは裏腹に、マゴはビクトルの言った国創りという言葉を頭の中で反芻していた。

 依頼されていた品々の量から、ユウと交友のあるムッスから領地を借り上げ、なにか事業を起こそうとしているのではとマゴは予想していた。国創りなど周辺国家がまず許すはずがない。現にここ数十年で国を立ち上げた例は数度あったが、吸収または属国になるか潰されている。


「おや? おやおや~、まさかマゴ殿ほどの大商人・・・がお気づきになっておられなかったとか? これは私の方が一歩、いえ二歩は有利かもしれませんな」


 マゴの額から暑くもないのにもかかわらず、汗が一筋流れ落ちる。平静を装いつつも、焦りからくる汗まではコントロールすることができなかったのだ。見てはいけないとわかりつつも、マゴはユウの顔を窺ってしまう。


「さすがだな。俺が国創りをしているのに気づいた商人はお前くらいのもんだ」


 ビクトルを称賛するユウの顔は嘘偽りなしであった。思わずマゴは歯軋りをしてしまう。まだ未熟であった駆け出しの頃に交渉で負けたり、嫉妬する際に出てしまう悪癖であった。最近では財務大臣と交渉した際にしか出たことのないほどだ。


「フハハッ、これくらい予想できて当然です。物資の件、私に任せてもらえますな?」

「お、お待ちください! ユウ様っ」


 その後、感情を剥き出しにしたマゴと余裕のあるビクトルが、ユウを挟んでの交渉が数時間に渡って行われた。




「ガッハッハッ! そりゃ、ツイてなかったよな?」

「おっちゃん、笑いごとじゃないよ。マゴとビクトルのせいで、ここに来るのが遅くなったんだからな」


 ウッズの工房でユウから事の詳細を聞いたウッズは、堪えきれずに大声で笑う。

 工房内は鎚や刃物などがあるので、ナマリは走り回らないようにユウの膝の上で抱えられていた。モモはナマリの頭の上でクッキーをかじっているのだが、小さな口から零れたクッキーの欠片が、ナマリの頭の上にぽろぽろと落ちている。


「だがよかったじゃねえか。二人の商人が張り合ったおかげで、一週間で用意してみせると豪語したんだろう?」

「まあ、そうだけど。それよりこの間の話だけど」

「おお、俺は構わないぜ。どっから聞きつけたのか知らんが、ユウから預かっている素材や鉱石を盗もうとしたバカが何人かいたしな」

「ふ~ん、大丈夫だったの?」

「こっちに被害はない。お前の置いてったあいつらがいたからな」


 工房の奥には素材や貴重な鉱石などを仕舞っている部屋があるのだが、扉の前には二体のアンデッドが立ち塞がっていた。一体は金色の骨格に重厚な鎧を纏った姿は騎士を思わせた。もう一体は銀色の骨格に見るからに高位のスキルが付与されているだろうと思わせる杖にローブを纏っていた。


「キンとギンはそのまま置いていくから、好きに使ってよ」

「オドノ様ー、まだお話続くの?」

「だからついてくるなって言っただろう」

「ガハハッ! 子供には面白くもなんともねえ話だからな」

「俺は子供じゃないぞ! オドノ様を守るき、えっと……」

「騎士か?」

「そうだ! 騎士なんだぞ!」


 勢いよく立ち上がったナマリのせいで、頭の上に乗っていたモモが落ちるがマリファが手のひらで優しく受け止める。頬を膨らませたモモはマリファの手の平から飛び上がると、ナマリの頭の上をペシペシと叩く。


「モモー、なにするんだよっ! オドノ様~モモがー」


 いつものやり取りにユウは疲れたように溜息をつき、ウッズは孫でも見るかのように笑みを浮かべるのであった。




「それでねー、ラスがオドノ様を殴ろうとしたから俺がバーンってやっつけたの」

「え~、ナマリちゃん、強いんだね~」

「そうだよ。俺は強いんだ! オドノ様を守る騎士だから!」


 ナマリが湯船の中で急に立ち上がったために、跳ねた湯がニーナの顔にかかる。

 ウッズの店をあとにしたユウたちは屋敷に戻り、いつもどおり夕食を食べる。ジョゼフは屋敷に戻ると、すでに帰っていたようで姿はなかった。

 いつもならこのあとは風呂の時間で、ユウと一緒に入ろうとするニーナ、レナと、そうはさせないとするマリファの争いがあるのだが、この日は珍しいことにニーナがナマリと入りたいと言い出したのだ。ナマリは仕方がないなーっと言いつつも嬉しそうに返事し、浴室へ向かったのだった。


「それでもっとユウのこと教えて」

「うん、いいよ。ラスのあとにトーチャーをオドノ様が拾ってきてね。トーチャーっはね天魔族なんだって、キレイなつばさが背中に生えてるんだよー。

 それでね。いーっぱい、魔物を倒してたんだ。ある日オドノ様が少しだけいなくなったんだけど、帰ってきたらすっごい怒ってたんだ」

「ユウはどうして怒ってたの?」

「わかんないー。でもお家がなくなったんだって、その日からオドノ様は変わったんだ」

「どう変わったの?」

「うーん、うまく言えないけど、ガマンしてたのをガマンしなくなったんだよ。だってその日からオドノ様はどんどん強くなったからね。でもそのせいできっと病気になったんだ」

「ユウは病気なの?」

「うん、内緒だけどね」

「ナマリちゃん、私にも内緒なの?」

「うん、これは内緒! オドノ様のことは俺が一番・・わかってるんだ!」


 思わず。無意識の内に後ろから抱きかかえていたニーナの腕に力が入る。


「ニーナ姉ちゃん?」

「あっ、ごめんなさい。それでユウはどんな・・・病気なの?」


 このことは誰にも話さないと心に決めていたナマリであったが。


「えっとね。おめめの病気なんだ」


 絶対に誰にも話さないと決めていたことを、話していることにナマリは気づかない。


「目が悪いの?」

「たまにね。おめめが真っ赤になってるんだ。いつもはうでとか足が取れても平気なオドノ様が、そのときだけは痛そうにしてるもん。オドノ様はかくしてるつもりだけど、俺にはわかるんだ」

「ユウが我慢できないほど痛そうだったの?」

「うん。オドノ様が来るなって言ったけど、一度かくれてついてったんだ。

 いつもだったら俺がついていってもすぐに気づくのに、そのときはオドノ様は気づかなかったんだ。それでね。オドノ様はおめめが痛くて……痛く……て……」


 なにかに抗うかのようにナマリは抵抗するが、それも長くは続かなかった。


「痛くてどうしたの?」

「オ……ドノ……様は……お、めめ…………を取っちゃったの」




「レナは小さいのにお姉ちゃんぶるー」


 ユウの部屋で風呂から上がったナマリは日記を書いていた。まだまだ字は汚いが、ユウから教わった文字をナマリなりに一生懸命書いており微笑ましかった。


「マリ姉ちゃんは怖そうだけど、本当は優しい姉ちゃんだ」

「ナマリ、うるさい」

「ああー! オドノ様、のぞいちゃダメ!」

「覗いてねえよ。聞かれたくなかったら自分の部屋で書けよ」

「もうー! これだからオドノ様はー」


 その日の日記の最後はこう締めくくられていた。


『ニーナ姉ちゃんはようちゅうい』

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