第140話 自由国家ハーメルンの商人

 自由国家ハーメルン。

 この国には驚くべきことに、王族、貴族は一人も存在しない。では国家の運営は誰が行っているのか? その答えは商人である。正確にはたった八人の商人によって国家の方針は決められているのだ。八人の商人はそれぞれが超弩級の資産を持つ商人であり、一人一人が一国に匹敵するほどの財力を所有する。この八人には特別な名称などはついていないのだが、国民の間では金に対する執着から『ハーメルン八銭』などと呼ばれていた。しかし、国民感情よりも利益を優先する体質もあって、自由国家ハーメルンは数十ある国の中でも、もっとも栄えている国の一つであった。

 『ハーメルン八銭』の中で特に有名なのはベンジャミン・ゴチェスターであろう。八銭唯一の女性なのも有名な理由の一つであったが、それ以上に彼女の祖母エリザベート・ゴチェスターが有名であった。

 一介の冒険者ギルド受付嬢であったエリザベートは、数多の有力な冒険者を口説き落とし、冒険者ギルドへ莫大なお金を預入させることに成功する。それ以外にも高価な品々を貢がせていた。いや『ハーメルン八銭』の一人と愛人関係であった。実は他国の王族であった。等々、多くの噂がひとり歩きする人物であったのだが、その中でも有力な説としてエリザベートは固有スキルに強力な誘惑を持っていたのではと、著書『誘惑の魔女』にてジャネル・エムスは書き記している。

 事実、エリザベートの口説き落とした冒険者の中に女性は一人もいない。エリザベートは冒険者ギルドに莫大な金額を預入させた報酬を受け取ると、直ぐ様冒険者ギルドを辞めて商人へと転職する。一介の受付嬢がなんの後ろ盾もないにもかかわらず、店は見る間に大きくなり。気づけば自由国家ハーメルンで名を知らぬものはいないほどに成長していた。

 エリザベートの一人息子は受け継いだ資産と人脈を駆使し、八銭の一人ピーター・ブレブの右腕になる。

 そしてエリザベートの孫娘ベンジャミン・ゴチェスターはわずか三十にして八銭の座に就くことになる。




 コンコンっ、と重厚な扉をノックする音が響き渡る。


「どうぞ」


 長い髪は邪魔だとばかりにショートカットに揃えられた金髪、品の良い銀縁眼鏡をした女性が応える。


「ベンジャミン様、お呼びでしょうか? 儂のような爺になんの用があるのか。ああ……考えるだけで恐ろしい」


 大袈裟な動きをしながら老人が部屋に入ってくるなり、ベンジャミンをからかうような仕草をする。ベンジャミンに対してこのような態度ができるのは、自由国家ハーメルン広しといえどこの老人だけであろう。


「ビクトルの報告書はあなたも目は通しましたね」

「ビクトルっ! あの男はダメですぞ! ベンジャミン様の身体を狙っているのは儂の目にはお見通しですじゃ!!」

「報告書には目を通しましたね」

「ふはははっ! あの報告書には笑わせてもらいましたぞ! ユウ・サトウは龍に接するよりもなお、細心の注意を払うべしでしたか? あの男も耄碌しましたな? ベンジャミン様の右腕と呼ばれていい気になっているからですぞ!」

「ルフィノ、報告書に目は通しましたねと私は言っているのです」


 このルフィノと呼ばれた老人こそ、ベンジャミンの幼き頃の世話係にして師でもあったのだが、ベンジャミンのことが好き過ぎるためかいつもこの調子であった。


「おおっ! なんたること!! 昔のベンジャミン様であれば爺の戯れにも笑顔で応えてくれたというのに、今ではこれこのとおり氷の眼差しで見つめるのみ……儂のような爺にはもう興味はないと見える。ああっ……儂はこのまま老いさらばえて死ぬんじゃ~!」

「ルフィノ」

「はい。しかと目は通しておりますぞ」


 さすがのルフィノも、これ以上の悪ふざけはベンジャミンの怒りを買うことは理解している。どこまで踏み込んでも大丈夫なのか、その境界線を探るのが楽しいとルフィノは多くの部下の前で語るのだが、ベンジャミンのことを知っている者からすれば正気の沙汰ではない。

 事実、ベンジャミンの怒りを買って消えていった商人の数は両の指の数では足りない。


「ビクトルは見事ユウ・サトウと縁を結ぶことに成功したようです」

「そのようですな。たかが少年一人と縁を結ぶだけで大事にし過ぎなような気もしますが」

「ビクトルの他にユウ・サトウと接触し、縁を結ぶことができた者は限られています」

「モーベル王国の第三王子、デリム帝国とセット共和国の商人など数名ほどですな。あとは全て失敗。

 そういえば……ふはははっ! ウォーレンにジョージの手の者たちは追い返されたそうですな? どうせ金に物を言わせればどうとでもなると、馬鹿な考えで甘く見ていたのでしょう。相手が以上に厄介な存在だと調べもせずに」

「そこまで言うからにはユウ・サトウのことは調べているようですね」

「ふははっ! ベンジャミン様、老いてもこのルフィノ、相手が赤子であろうと舐めるような馬鹿な真似はしませんぞ!

 ユウ・サトウ、調べれば調べるほど化け物ですな。都市カマー冒険者ギルドとムッス伯爵が懸命に情報を隠していたようですが、私の手にかかればほれこのとおり」


 ルフィノは自慢気に束に纏めた報告書をベンジャミンの机に置き、ベンジャミンに褒めてと言わんばかりに視線を送るが、当のベンジャミンは無視して報告書に目を通す。

 ベンジャミンはルフィノの普段のふざけた態度は別として、指示を出さなくても自分の欲しい情報を事細かに収集し、分析して報告する能力を高く評価していた。


「ビクトルの報告書でもありましたが、死霊魔法が使えるというのは本当なのでしょうか?」

「ふんっ! ビクトルと一緒の内容なのが気に食わないですが、間違いありません。それだけではありませんぞ? 付与魔法、黒魔法、白魔法、精霊魔法、つい最近では見たこともない系統の魔法、さらには竜魔法を使用したとの報告も受けています」


 ルフィノの報告書に目を通していたベンジャミンの眉がわずかに動く。普段、感情を出すことのないベンジャミンにしては珍しいことだが、あり得ない内容だけに思わず反応してしまったのだ。

 ベンジャミンの反応にルフィノは嬉しそうに笑みを浮かべる。


「ベンジャミン様、その程度で驚いていてはいけませんぞ。ユウ・サトウにはあの・・槍天のジョゼフが気にかけているそうです。これはまだ真偽のほどは定かではありませんが、ジョゼフと互角に斬り合ったとの噂もあるとか」

「ルフィノ、ユウ・サトウの強さなど、どうでもよいのです。私が知りたいのは財務大臣バリュー・ヴォルィ・ノクスに追い詰められていたマゴ・ピエットの商店が、今では数倍の規模にまで成長している理由を知りたいのです。それもこれもユウ・サトウと取引を始めてからだと言うではありませんか」

「ふははっ、ベンジャミン様、そのとおりです。儂ら商人にとって強さなどなんの意味もありませぬ。いや意味はありますな、使う側として。

 マゴ商店――当初はアイテムショップが主軸でしたが、なぜか途中で方針を変更し、奴隷商館を主軸にします。今では最初のアイテムショップに移っているようですな。このまま成長すれば数年で他国にまで商いの手を伸ばすでしょう。そうなればベンジャミン様も他人事ではありませんな」

「そうならぬようにビクトルを派遣したのです」

「さすがです。さすがはベンジャミン様です。まだ不確定な情報しかない状況で、自分の右腕を十三歳の少年のもとへ向かわす。他の者ではできぬ芸当ですな。その慧眼、吉とでるでしょう」




「ユウ様、連絡をいただければこちらから伺ったのに」

「冒険者ギルドに寄った帰りだ。このあと行くところもあるしな」


 冒険者ギルドをあとにしたユウたちはそのままマゴの店へと向かったのだ。今いる応接室は、以前マリファを購入する時に使用した応接室ではなく、マゴが貴族や大商人を相手にする時に使用する応接室であった。


「ホッホ、このあとどこに向かわれるのか興味があるところですが、今は依頼されていた件の方が先でしょうな」

「用意はできているのか?」

「量が量だけに簡単にはいきませんな」

「なんのために店舗を増やさせたと思っているんだ? 店の資金は十分に出資しているはずだぞ」

「ユウ様のおかげで資金は潤沢にありますが、人の育成は金だけではどうにもなりません。時をかけて育てねば店を増やしても数年と持たないでしょう。

 それにユウ様の依頼された品々は大量でして……なにしろ、衣服、家畜、家具が数百人分、中には植物の種や針、一流の鍛冶屋が使う道具に貴族が使うような布、絹。私の人脈を使って駆け回っている最中でして、もう少し時間をいただきたいですな」


 ユウがマゴに依頼した品々は、小さな村であれば数ヶ月は生活できるほどの量であった。いかにマゴが都市カマーで大商人と呼ばれていても、おいそれと用意できるものではなかったのだ。


「どれくらいかかる?」

「そうですな……あとひと月はほしいですな」

「ダメだ。そんなに待てない」


 マゴとしても、これだけの品々を即金で支払ってくれるユウの期待に応えたい気持ちであった。財務大臣バリュー・ヴォルィ・ノクスから執拗な嫌がらせを受け、劣勢であったマゴ商店が息を吹き返し、数倍にまで成長しているのも全てユウの資金援助があったからだ。今ではマゴの各店には、ユウの死霊魔法で創られたアンデッドが二十四時間体勢で警備をしている。

 数日前にも財務大臣の息のかかった者たちが闇に紛れて火を放とうとしたことがあったのだが、アンデッドの反撃によって死んでいる。マゴが部下に調べさせた情報によると、裏通りにある寂れた鍛冶屋にはさらに強力なアンデッドが配置されていると報告を受けていた。


 ユウとマゴが無言のまま見つめ合い。ナマリはつまらなさそうにお菓子を頬張る。マリファはユウの後ろで無表情のまま待機し、モモはユウの帽子の隙間から何事かと覗いていた。


「お、お待ちください! そちらに行ってはダメです!」

「安心しなさい。私はサトウ様と面識があります」

「ダ、ダメですって! いかにあなた様といえど、マゴ様より誰が来てもお断りするように言われているのです!」


 応接室の外から陽気な声と慌てふためく声が聞こえてくる。扉へとマゴが視線を向けると同時に勢いよく扉が開かれる。


「サトウ様、お会いしたかったですよ!」

「ユウ様、こちらの御仁は?」

「ビクトル、なんの用だ?」


 突如現れたビクトルと呼ばれる男は、胡散臭い笑顔を崩すことなくユウへと抱き着こうとした。

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