第139話 投資に興味はないか?

「コレット、これどうにかならないの?」

「レベッカさん、どうにかとは?」


 都市カマー冒険者ギルド一階の受付嬢であるレベッカは、目の前の光景にうんざりしていた。


「よお、レベッカ。素材とタブレット・・・・・の買取頼むわ」

「わかったから。その顔でそれ以上近づいてこないで」


 レベッカに買取を頼んだ男性冒険者の顔は酷く腫れ上がっていた。いや、この男だけではない。目の前にいる過半数の冒険者は顔が腫れ上がった状態であった。


「酷えこと言うなよな。この顔はジョゼフの旦那にやられたんだけどよ。ポーションや魔法で回復したら許さねえって言われてんだよ。コレットちゃんも酷いと思わねえか?」

「えっ、えっと……どうしてジョゼフさんはそんなことしたんですかね?」

「それがよ。完全なとばっちりなんだよな。ほら、あのユ――」

「ちょっと、コレットにも近づかないでよね。ほら、素材の買取が金貨二枚に銀貨三枚。タブレットは六枚で銀貨一枚に半銀貨八枚ね」


 タブレット――迷宮で発見される石板である。書いてある内容は荒唐無稽で、人族が獣人族を罠に嵌めた。五大国に周辺国家は操られている。三大魔王、実は四大魔王でレーム大陸を護っている。ゴート王国の悪夢を忘れるな。人族の勇者に他の種族は嵌められたなど。誰がどのような理由で石板に文字を彫り、レーム大陸中の迷宮内に設置しているのか? はたまた迷宮で自動生成されるのか。現在でも謎は解明されてはいない。しかし、このタブレットは冒険者ギルドで買取してもらうことができるので、宝箱などから出てきた際にアイテムポーチや鞄に余裕があれば、冒険者たちは持ち帰り少しでも生活の糧になればと、冒険者ギルドに持ち込むのだ。


「おいおい~、もうちょっと色をつけてくれよ。タブレットが一枚半銀貨三枚は仕方ないけどよ。このハイコボルトちゃんの尻尾の毛並みちゃんと見てくれよ」

「あ~あ~、煩い! 私の査定に納得がいかないって言うの? このクソ忙しいときにいい度胸してるじゃない」


 レベッカが半目で睨むと、男性冒険者はお金を慌てて回収して逃げるように去って行く。


「コレット、あんな奴の相手を真面目にする必要ないんだからね」

「レベッカさん、そんなこと言っちゃダメですよ。皆さん、危険な仕事を引き受けて頑張ってくれているんですから」

「もうっ! あんたは人のことより自分のことを心配しなさい。少し痩せたんじゃないの?」

「そ、そんなことありません! 私はいつもどおりですよ」


 『妖樹園の迷宮』が発見されてから、都市カマーの冒険者ギルドには近隣の町や村だけではなく、他国からも大勢の冒険者が貴重な素材や薬草類を求めて集まっていた。その結果、受付嬢たちは連日大忙しである。ただでさえ、ユウがいなくなっていた期間は受付嬢たちの働く意欲が低下し、休みがちになっていた際の穴埋めをしていたコレットもさすがに疲労が顔に表れていた。


「昨日の騒動聞いたか?」

「カマー所属の冒険者で知らない奴はいねえよ。知らないのはよそから来た連中だな。見ろよ、事情を知らない奴らが顔を腫らした連中を不思議そうに見てやがる」

「へっ、それだけじゃねえぞ。いつもでかい顔してる『赤き流星』の連中がいやがらねえ」

「そらそうだろ。あんだけ大恥かいてどのツラして来れるんだよ」


 日頃からクラン『赤き流星』の態度に鬱憤が溜まっていた冒険者たちは、いい気味だと言わんばかりに『赤き流星』の話題で盛り上がっていた。


「でもよ百五十人もいるクランが、たった四人のクランに負けるなんて聞いたことあるか?」

「ぶはっ、あるわけねえだろ。お、おいっ、あれ見ろ! 『ネームレス』だ」


 男の言葉は水面に起こった水紋が拡がるように伝染し、ざわついていたロビーが鎮まりかえった。一方、一部の女性冒険者と受付嬢たちの表情は喜色満面であった。

 ユウが受付に向かうと混雑していたカウンター前が、まるで海を割ったかのように道ができる。その様子にマリファは誇らしげにナマリはユウを守るように周りを威嚇した。

 列に並ぼうとしたユウであったが騒ぎを聞きつけたのか、受付嬢であるフィーフィが休憩中であるにもかかわらず飛び出してきた。


「ユウちゃん! まあまあ、いつ帰ってきたの?」

「フィーフィさん、お久しぶりです。私がいない間にご迷惑をおかけしていたみたいですね」


 フィーフィはさり気なくユウへボディタッチしながら、受付嬢たちの休憩室へ連れて行く。それを見ていたコレットは慌てる。


「レ、レベッカさんっ! 私、まだ休憩取っていなかったので、いただきますね!」

「えっ!? ちょっ、いま超忙しいんだけど」


 コレットはレベッカの返事も待たずにユウを追いかけていく。残されたレベッカの前には、買取を待つ顔を腫らしたいかつい男たちの群れであった。


「最悪……」




「俺はナマリだ! 強いんだぞ!」


 休憩室ではナマリが受付嬢たちに向かって胸を張りながら自己紹介をしていた。魔人族は人族からは恐れられている種族であるが、それは大人が対象である。人懐っこい笑顔に背中には小さな蝙蝠羽、頭から生えている巻角も受付嬢たちには可愛い印象しか与えなかった。


「か、か、かっわいい~!!」

「いや~ん、なにこの子? ユウくん、この子抱っこしてもいい?」

「放せよ! 俺は強いんだぞ!」


 フィーフィを筆頭に受付嬢たちのおもちゃにされるナマリであった。モモはこうなることを予想していたのか、自分はさっさとユウの帽子の中へと避難していた。


「はぁはぁ、ユウさんっ、お久しぶりです!」

「コレットさん、お久しぶりです。こちらよかったら皆さんで食べてください」


 息を切らせたコレットの前に、ユウはアイテムポーチから籠を取り出し置いた。

 コレットのみならず受付嬢たちの間に緊張感が走り、籠を凝視する。


「こ、これは?」

「中身はクッキーとドーナツです。クッキーは一週間ほど大丈夫ですが、ドーナツは生クリームなどを使っているので今日中に召し上がってください」


 ユウが籠の蓋を開けると、クッキーやドーナツがぎっしり詰まっていた。ドーナツにはクリームがたっぷり使われており、ルビーストロベリーを混ぜて苺味にしたクリーム、蟻蜜やジャイアントビーの巣から採れる蜂蜜をかけた物など、高カロリー必至の食べ物ばかりであった。

 ごくりっ、誰かが、いや、この場にいる女性陣から唾を飲み込む音が聞こえたのは、ユウの聞き間違いではないだろう。皆が籠の中身から目を逸らすことができずにいた。


「オドノ様のお菓子はうまいんだぞー! コレット姉ちゃん、良かったな」

「えっ、ナマリちゃん、私のこと知ってるの?」

「うん! 知ってるよ。こっちがフィーフィ姉ちゃんであっちがアデーレ姉ちゃんでしょ」


 ナマリに名前を呼ばれた者たちは、黄色い声を上げながらナマリに抱き着くと頭を撫でた。


「コレットさん、休憩中に申し訳ないんですが、ギルド長より私がBランクに昇格した件は聞いているでしょうか?」

「は、はい! 昇格の件は聞いています。ですが冒険者カードの作成がまだできていないので、もう少しお時間をいただけないでしょうか」

「冒険者カードはいつでもいいですよ。Bランクの特権の一つに、転職部屋を個人で使うことができると聞いています。早速ですが部屋を使わせていただいてもよろしいでしょうか」

「今は誰も転職部屋を使っていないので大丈夫ですが、つき添わなくても?」

「休憩中のコレットさんを働かせるわけにはいきません。部屋の場所はわかっているので、皆さんとお菓子でも食べててください」


 コレットはユウとお菓子を交互に見る。ユウについて行きたいコレットであったが、目の前のお菓子は何物にも代えがたいほど魅力的であった。しかも目の前には、涎を垂らした肉食獣たちがいまかいまかと獲物を狙っているのだ。


「マリファ、ナマリの面倒を見ていてくれ」

「えー、俺もオドノ様と一緒に行きたい」


 駄々をこねるナマリであったが、フィーフィが膝の上に抱えてクッキーを差し出すと嬉しそうに頬張った。マリファはユウの言葉に異論があるはずもなく。黙して一礼すると部屋の隅に立って待つのであった。




 転職部屋に入るなり、ユウは天網恢恢で隅々まで調べ上げ、部屋の中を結界で覆った。何も仕掛けがないことを確認すると、水晶に手をかざす。

 直ぐ様、水晶にユウが就くことのできるジョブが表示されていく。

『守護騎士』『暗黒騎士』『聖騎士』『精霊騎士』『剣豪』『賢者』『號槌士』『大召喚士』『カーディナル』『高位付与士』『重拳士』『轟拳士』『シールダー』『魔眼使い』『人形使い』『ドールマスター』『轟重士』『隠者』『忍者』『魔闘家』『アークサモナー』『兇重士』『無法魔導士』『クルセイダー』『テンプルナイト』『エレメントマスター』『剣聖』『隠滅士』『双剣士』『アークウィザード』――戦闘職から一般職まで百以上の職が表示されるが。


「ちっ」


 目当てのジョブがなかったのか、思わずユウは舌打ちを鳴らす。ユウはすぐに頭を切り替えると、時空魔法で屋敷と転職部屋を繋げる。

 空間にヒビが入り割れると、向こう側では青い顔をして座り込んでいるニーナとラスの姿が見えた。


「ユ……ユウっ? ユウ~!」


 ニーナが飛びつこうとするが、ユウが繋げた空間の大きさは縦横三十センチほど、無理矢理こちら側へ来ようとするニーナを押し戻す。


「マスター、それが例の水晶ですか? その様子だと『英雄』『勇者』『天地創造』のジョブは表示されなかったようですね」

「ああ、ある意味予想どおりだ。ラス、お前の『真理追究』でこの水晶と同じ物を創れるか?」


 ラスは固有スキル『真理追究』で水晶の材質、使われた技術、性能などを調べ上げていく。


「マスター、同じ物は創れますが、そのままだと情報が大賢者のもとへ送られるでしょう」

やっぱり・・・・情報が送られているか」


 ユウの異界の魔眼を以てしても看破できないほど、強固な隠蔽魔法が水晶には使われていた。


「ええ、なにしろ冒険者ギルドを創ったのは大賢者ですから。水晶の作成には少々お時間をください」


 ユウとラスはその後数分ほど話すと空間を閉じ、転職部屋から出てきたユウを待っていたのは。


「オドノ様、終わった?」


 頬にこれでもかとクッキーを詰め込んで両手にはドーナツを持っているナマリと、一糸乱れぬ姿勢で立っているマリファであった。


「俺は待っていろって言ったよな?」

「うん! だからここで待ってた!」

「はい、ナマリの面倒を見ていました」


 笑顔のナマリとどこか申し訳なさそうにするマリファであったが、ユウのことを思ってなのは理解しているだけに、強くは叱ることができないユウであった。

 そして休憩室に戻ったユウたちが見たのは、男性にはとてもお見せできない女性たちの争いであった。


「フィーフィさん、ずるい! それ三個目ですよ!!」

「お黙りなさい! 年長者に譲るという気持ちはないのですか」

「一階受付の分際で私のドーナツを奪おうとはっ!」

「モフコのくせに生意気なのよ!」

「コレットっ、私が盾になるからその間に確保してっ!」

「で、でもそれだとアデーレさんがっ!?」

「私はいいの……あの鬼婆に一泡吹かせれれば」

「だ、誰が鬼婆ですか! ってユウちゃん、いつの間に帰ってきたの。おほほ」


 一階と二階の受付嬢たちの醜い争いにナマリは思わずユウの後ろに隠れ、モモは怖いもの見たさにユウの帽子から顔だけを覗かせている。


「すみません。みっともないところを見せてしまって」


 口の端にドーナツの欠片をつけたコレットが恥ずかしそうに俯く。その姿が可笑しかったのか、ナマリがユウの後ろから飛び出してからかうと、コレットはさらに顔を真っ赤に染めた。


「そだ。コレット姉ちゃん、明日ね。オドノ様とピクニックに行くんだ。良かったら皆も行こうよ。オドノ様、いいでしょ?」


 ナマリのお願いに受付嬢全員が頷くが、現在冒険者ギルドは連日大忙し、誰もが休日を満足に取ることなどできていなかった。


「いいけど、コレットさんたちの都合もあるだろう。急に言われても仕事がある「行きます!」だろうし」


 ユウの言葉に割って入ったのはコレットであった。普段のコレットからは想像もできないほど、強い意思表示にフィーフィたちも驚く。


「コ、コレット? 今はね? ほら、ギルドも忙しいからね? わかるでしょ?」


 フィーフィが後輩のコレットに恐る恐る諭すように言葉をかけるが。


「私……皆さんが休んでいた間もずっと働いていました! 今まで溜まっていた分の休暇を使わせていただきます」


 コレットの言葉にフィーフィたちがぐっ、と言葉を詰まらせる。確かにコレットの言うとおり、ユウが都市カマーからいなくなった間、仕事の意欲が低下したフィーフィたちは休みがちになっていた。その間、冒険者ギルドが問題なく運営できたのは紛れもなくコレットの頑張りのおかげであったのだ。


「では明日迎えに行きます。明朝に西門で待ち合わせますか?」

「ま、待ち合わせ。はい、待ってます。ユウさんを待ってます!」


 頬を赤く染め、ユウさんと待ち合わせとコレットは呟きながら室内をふらふらと歩く。まさに心ここにあらずであった。コレットの後ろではフィーフィがハンカチを噛み締めながら、羨ましいと叫んでいた。




 冒険者ギルドでの業務が終わると、コレットはモーフィスに呼び出しを受ける。

 最近は叱られるような失敗はしていないと思いながらも、コレットは恐る恐るギルド長室の扉をノックした。


「入りなさい」

「し、失礼いたします」


 部屋に入ると不気味なほど笑みを浮かべたモーフィスが座っていた。


「コレット、冒険者がギルドにお金を預けた際に、担当した受付嬢に預入の一%が報酬として支払われるのは知っておるな?」

「はい、知っています」


 モーフィスの言葉にコレットはピンッ、とくる。今日ユウが来た際に、恐らくいくらかのお金をギルドに預入したのだと。Bランクに昇格したユウが預入したとすれば、コレットに支払われる金額も相当な額になるであろう。コレットに数ヶ月前――――ユウが預入した際にギルドから支払われた報酬は三十万マドカ。

 今回はいくらになるだろうと、緊張した面持ちでモーフィスを見つめる。


「うむ、大方予想はついていると思うのじゃが、今日ユウが来た際に今までギルドが預かっていた買取金を渡しておる。その一部をユウはギルドに預入してくれたからの。ほれ、これがコレットに支払われる報酬じゃ」


 モーフィスから受け渡された布袋は異様に重かった。あまりの重さにコレットはバランスを崩しそうになるが、慌てて体勢を戻した。


「ほれ、どうしたんじゃ? 報酬を確認せんのか?」

「ここでですか? それは失礼じゃありませんか?」


 モーフィスは笑顔で顔を横に振る。コレットが部屋に入ってからずっとこの調子である。不審に思いながらもコレットが布袋を覗き込むと、きゃっ! という悲鳴を出して布袋を落としてしまう。床に落ちた布袋からは大量の白金貨・・が散らばる。


「な、な、ななな、なんですかこれはっ!?」

「なんですかってコレットの報酬じゃよ」


 正確な枚数は数えたわけではないのでコレットにはわからなかったが、大まかに予想しても白金貨が百枚以上はある。自分の人生で一生手に入れることができないほどのお金が渡されたのだ。コレットが挙動不審になるのも無理はなかった。


「ところでコレットよ。投資に興味はないか?」

「ふえ? と、投資ですか?」

「そう! 投資よ」


 出番を待っていましたとばかりに、エッダがギルド長室の隣にある仮眠室から飛び出してきた。手には大量の資料と契約書まで用意していた。


「こんな大金を家に置いていたら不安でしょ? その点ギルドなら安心安全の鉄壁防御! さらに預けている間に利子もつくのよ!」

「き、急にそんなこと、い、言われても私、私、お母さんに相談しないと。それにお父さんにも相談……ふぇ」


 泣き出しそうになっているコレットを逃さないとばかりに、気持ち悪い笑みを浮かべたモーフィスとエッダはコレットの両側をがっちりと固めるのであった。

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