第124話 三大勢力
風に乗って運ばれてくるのは腐臭、周囲を見渡せば灰色の大地が拡がるなか、五十七層と五十八層の中間地点で一夜を過ごしたケネット率いる『緑の守護者』の団員たちは早めの朝食を摂っていた。朝を迎えるまでに二度ほど魔物の襲撃があったものの、夜番をしていた者たちによって難なく撃退していた。
ラリットがパンをスープに浸して柔らかくしてから食べていると、隣にケネットが座る。周囲にいる男の団員の何名かが敵意の篭った目でラリットを見ていたが、この数日でラリットは『緑の守護者』の団員の多くと軽く挨拶をする程度には仲良くなっていた。それでも何名かの男はラリットのどこかすかした態度に苛立っていた。
「ケネットさん、うっす」
「おはよう。ラリット、昨日の話は考えてくれた?」
「クランに入る件ですか?」
「そう、悪くない話よ。自分で言うのもなんだけど、『緑の守護者』は王都でも名の知れたクラン、所属している団員も前衛から後衛までバランスよく揃っている。だけど斥候職が少し弱いのよね」
「それなら王都の冒険者ギルドで募集したらどうですか? 俺なんかつい最近Cランクに昇格したばかりですよ」
「謙遜しているの? それとも自己評価が低いのかな。あなたが束縛されるのが嫌いで今まで多くのクランからの誘いを断っているのは知っているわ。長い間Dランクだったのも昇格に興味がなかったそうじゃない」
ケネットは、今回の『腐界のエンリオ』探索のために斥候職を募集した際に、集まった冒険者の身元や能力を団員に調べさせていた。その中でもラリットの実績や経験は頭ひとつ飛び抜けており、なぜ今までCランクに昇格できなかったのかケネットは不思議に思ったのだが、すぐにその理由は判明する。
ラリットにとって冒険者ランクなど、どうでも良かったのだ。冒険者ギルドの掲示板に貼られているクエストの中から好きなクエストを選び、単独で、ときには仲の良い冒険者たちとこなしていく。高ランク冒険者のステータス、大手クランに所属する優越感、どれもラリットにとっては魅力を感じるものではないということが調べによって明らかになっていた。逆にケネットはこの数日間でラリットの損をする生き方に好感を持ち、是が非でも自分のクランに入ってもらいたいと思うようになっていた。
「チッ、なにもったいつけてんだ! 黙って頷いておけばいいんだよ」
「ジムゴ、少し黙って」
茶々を入れるジムゴにケネットが注意すると苛立ちながらもジムゴは黙り込む。そんなジムゴの態度に周りにいるケミーやドロゴスは苦笑いする。
「ケネットさん、せっかくの誘いですがやっぱり俺は気ままな一人の方が楽なんで」
「そう、でも私は諦めないわよ。きっと後悔させないわ」
ケネットは勧誘を断られたが全く諦めていないのは表情を見れば明らかである。ケネットはそのままラリットの傍で朝食を食べ終えると、幹部の団員たちとこれからの進行を話し合うために一際大きなテントに向かった。
「ラリット……てめぇ、団長が直々に勧誘しているにもかかわらず断りやがって、恥かかせやがったなっ!」
「ジムゴ、止めなさいよ。さっきケネットさんに注意されたばかりでしょうが、ドロゴスからも言ってやってよ」
「ケミーの肩を持つわけじゃないが、お前がそうやってラリットに絡めば絡むほど団長のお前に対する評価が下がるだけだぞ」
ジムゴは二人に諌められても興奮が収まらず、ラリットの胸ぐらを掴んで持ち上げようとするが――ジムゴの首元にはいつの間にかラリットのダマスカスダガーが押し当てられていた。このままラリットがダマスカスダガーを軽く横に振れば、ジムゴの首からは夥しい量の血が噴き出すだろう。
「なっ! て、てめぇいつの間に……」
「っと……悪いな、勝手に身体が動いちまった」
ラリットがダマスカスダガーを引っ込めるとジムゴも掴んでいた胸ぐらから手を放した。一触即発の事態だったが事なきを得たからか、見守っていたドロゴスとケミーからは溜息が漏れる。
ジムゴに限った話ではないが、前衛職の多くは斥候職を便利屋のように思っている者が多い。しかし実際は対人戦で斥候職ほど厄介な相手はいないであろう。毒、麻痺を伴った攻撃はもちろん、罠を仕掛け背後からの奇襲、罠に毒や麻痺を起こす薬を塗るのは序の口。冒険者同士のいざこざで鋼糸を使った罠によって四肢を切断するなど、斥候職同士の間ではよくある話だ。
格下と思っていたラリットから思わぬ反撃を喰らったジムゴは、バツが悪くなったのかそのまま唾をはき捨てると違うグループのもとへと向かった。
「ラリット、ごめんね。ジムゴは団長のことを尊敬してるからさ、団長が気に入っているあんたに嫉妬してんだよ」
「うっす。気にしてませんよ」
都市カマーの冒険者ギルド長室ではモーフィスがうんざりした顔をしていた。
「じゃから儂に言われても知らんと言っておるだろうが」
「そんなわけないでしょう。どうして『赤き流星』から推薦した者たちだけがCランクになれなかったのか、教えていただきましょうか」
モーフィスの向かいに座っている男の肌は褐色、特徴的な長耳に銀髪――ダークエルフであった。ダークエルフの男は眼鏡を中指でクイッと上げるとモーフィスを睨むように見つめる。この眼鏡は王都のオークションで落札して手に入れた物で、一見只の眼鏡に見えるが『解析』のスキルが付与された魔導具であった。モーフィスは知ってか知らずか、眼鏡越しからの視線から逃れるように顔を横に背けた。
「そんなに詳細が知りたければジョゼフに直接聞けばいいじゃろうが」
「本気で言っているんですか? 『
わかりました。それならユウ・サトウの居場所についてならどうですか」
「んん? なんでお前がユウの居場所を知りたがるんじゃ」
「私が遠征している間に有望なルーキーが一人は脱退、二人は恐らく死亡しているんですよ。ゴブリンキングが相手では仕方がないと思っていましたが、その際パーティーを組んでいた少女がユウ・サトウの仲間と聞いています。
今回のCランク昇格試験でも大層暴れた上にジョゼフとも仲が良い。なにかあると思うのが普通じゃありませんか?」
「デリッド、お前の考え過ぎじゃ」
「どこにも所属していないルーキーならともかく、最近クランを作ったそうじゃないですか。『
「どうしてもか?」
「どうしてもです」
モーフィスの射抜くような眼光を真正面から受け止めるデリッドとの間に、まるで空気が重くなったのかと錯覚するほどの重圧が拡がっていく。今の二人の間に入っていける者など、余程の者でなければ無理かと思われたが……。
「二人共、怖い顔をしてどうしたんですか? はい、紅茶のお代わりですよ」
モーフィスとデリッドの間に、何事もなかったかのように割って入ったのはエッダであった。エッダは片手で器用に紅茶を注いでいく。
「なんじゃ、片手で行儀の悪い」
「煩いお爺ちゃんですね」
「エッダさん、今ギルド長と大事な話をしているんです。席を外していただけませんか」
常人であれば拒否できない威圧感を放つデリッドの言葉に、エッダは笑顔を向けると。
「嫌です。あぁ……オークに追いかけられて泣きべそをかいていた子が、どうしたらこんなに怖い顔に育つのかしら」
デリッドが冒険者に成り立ての頃から知っているエッダに、昔の恥部を暴露されたデリッドは顔だけではなく耳まで真っ赤に染まる。
「い、いつの話をしているんですか! 今では私もAランク冒険者です。エッダさんも言葉には気をつけてください」
「まぁまぁ、怖いわ」
エッダはわざとらしく怖がる振りをするが、本性を知っているモーフィスは冷たい視線を送るのみであった。
「デリッドちゃん、私もギルド長に話があるんだけど」
「なにを勝手な! それにちゃんつけは止めてください」
「そうじゃぞ。エッダ、話があるにしてもデリッドとの話が終わ……んんっ?」
モーフィスはエッダの不自然に後ろに回された左腕を見ると、何やら鉢植えを持っているのが見えた。
「がっ! そ、それはもしかして!? わ、儂の命の……ハッ! デリッド、悪いが話はまた今度にしてくれんか。儂は今からエッダと大事な、そう超大事な話があるのを忘れておった!」
「そんなバカなっ!?」
モーフィスは追いやるようにデリッドをギルド長室から退出させると扉の鍵を閉める。
「んんっ。エッダ、話を聞こうじゃないか」
「今日こそユウちゃんの居場所を教えてください」
モーフィスはユウの名前が出ると途端に目が泳ぎ明後日の方向を見るが、エッダの追及は止まらない。机の上に鉢植えを勢いよく置き、モーフィスに迫る。
「冒険者ギルドの業務に支障が出ているんです。このままだと真面目な子に負担がいって辞める子も出てくるかもしれません」
「し、知らん。儂は知らんぞ!」
「この鉢植え、私の家にあと百鉢ありますがどうしますか?」
モーフィスが口でエッダに勝てたことなど一度としてないことを、モーフィスは思い出すのであった。
都市カマー冒険者ギルド一階、Dランク以下の冒険者たちが掲示板の前で今日受けるクエストを吟味していた。
「おい、知ってるか? ニーナちゃんたちが『妖樹園の迷宮』で狩りをしてたそうだぞ」
「遅せぇよ、そんな情報み~んな知ってるぜ。保護者にジョゼフの旦那と、くっそ真面目なジョズのチビスケがついてんだぜ。あ~あ、ニーナちゃん、俺に言ってくれれば喜んでついて行ってあげたのにな~」
「ば~か! お前はDランクだろうが、ニーナちゃんはCランクだぞ。んじゃ、これは知ってるか? 王都のクラン『白銀の月』『太陽の恵み』と合同でウルミー鉱山に現れた氷爆竜退治に遠征していた『赤き流星』の連中が、無事討伐に成功して戻って来たそうだぜ」
「『赤き流星』の連中なんか興味ねぇよ。ちっ。あいつら、氷爆竜の討伐に成功しやがったのか」
「ああ、しかも氷爆竜は名前持ちだったそうだぜ」
「へぇ~、そいつは凄い凄いって……デリッドの野郎戻って来やがったのか?」
「そりゃ当然戻って……っ!? おい、拙くねぇか?」
「拙いに決まってんだろうが、この前のCランク昇格試験で『赤き流星』の奴らだけ落ちてんだぞ。それにレナちゃんが倒したゴブリンキングのときに、確か『赤き流星』所属のルーキーが二人死んでたよな?」
掲示板の前で話していた二人の男の会話を周囲にいた冒険者たちも真剣な顔をして盗み聴きしていた。男たちは流れるように三つのグループにわかれると、それぞれが興奮した様子で話しだした。
「お前ら、聞いたな? もし『赤き流星』の奴らがレナちゃんにちょっかいかける気ならわかってるよな?」
「そんなことしてみろ、絶対に許さねぇぞ! よし、俺は会長にこのことを知らせに行くから、他のメンバーにはお前が伝えてくれ!」
「任された!」
レナを人知れず愛で……護っている『幼●愛好家』の会員たちが素早く散開する。
「あ、『赤き流星』の連中……マリファさんに指の一本でも触れてみろ……ぶっ殺してやるっ!」
「マリファお姉様に薄汚い男が触れるっ!? 死、あるのみね」
「秘密クラン『氷の瞳』全団員を集めろ!」
マリファの冷たい瞳で蔑まれることに快感を覚えるグループには、なぜか女性の冒険者も混ざっていたのだが、男たちとは違った意味でマリファを慕っていた。もちろん、女性冒険者たちの方が年齢は上である。
最後のグループは当然のことながら、ニーナ派『豊満なる愛』であった。
「こんな大事なときにラリ……リーダーはなにをしてんだ」
「いないもんは仕方がねぇ。俺たちでニーナちゃんを護るんだ!」
その頃、ラリットは――
「ラリット、今日中に六十層まで行くんだから急げ!」
「うっす、うっす、う~す」
若干、『緑の守護者』との迷宮攻略が面倒臭くなっていた。
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