第116話 竜種 後編
竜殺し――
傭兵、冒険者、騎士。いや、男なら誰しも竜を倒す英雄譚を子供の頃、親から寝物語に聞かされたことだろう。そして自身が竜殺しの英雄となった姿を想像し、木の枝を振り回しながら野山を駆け回るのは誰しも覚えがあった。
ピーターリット率いる騎士団の男たちも例外ではない。目の前で繰り広げられる激闘に自然と胸が焦げるかのように熱くなっていた。知らず知らず男たちは拳を強く握り締め、ある者は顔を覆うヘルムを外し、またある者は目を見開き、食い入るように少年と黒竜の戦いを見つめる。
目の前に子供の頃、憧れた英雄の姿があるのだ。しかも、その英雄は自分たちの半分にも満たないであろう少年である。
「ワ、我ニ近寄ルなッ!! 虫ケ、ラがッ!!」
荒ぶる黒竜が黒魔法第4位階『ラヴァ』を発動させる。通常であれば数メートルに渡って溶岩を展開する魔法なのだが、人と黒竜では保有する魔力、MP量が比べ物にならない。黒竜の前方数百メートルに渡って溶岩が拡がっていき、ユウを飲み込もうと地を侵食しながら進んでいく。立ち塞がる岩や草を飲み込みながら迫り来る溶岩に対して、ユウは足で地面を数回踏み鳴らす。一回目、腐った大地からポフッ、と軽い音が返ってくる。二回目、大地はピシッ、という音と共に白い霜が覆っていき、三回目、大地の霜から氷が大量に生成されると溶岩に向っていく。氷と溶岩が衝突すると氷に熱を奪われた溶岩が黒く固まり、その中を溶岩を進もうとするが次々押し寄せる氷とのせめぎ合いとなり、またたく間に黒い壁が形成されていく。
「し、信じられん……黒竜が放った『ラヴァ』も少年が放った『フリーズインパクト』も威力、範囲共に桁違いだっ……」
「見ろっ! 少年が仕掛けるぞ!」
氷の大地を駆け抜け、黒い壁を飛び越えたユウは魔力の糸を足場に溶岩の上を進んでいく。矮小な存在であるはずの人に恐怖を覚えた黒竜が、大きな
天に向って吼える黒竜の視界に、跳躍してスピリッツソードを振りかぶるユウの姿が映る。振り下ろされたスピリッツソードに対して黒竜は角で迎え撃つ。スピリッツソードと黒竜の角が激突した瞬間、巨大な金属を打ち合わせたかのような音が鳴り響き、火花が散ると同時にスピリッツソードの刃が半ばでへし折れる。黒竜は勝利を確信し巨大な顎を限界まで開く、ユウを噛み砕かんと顎が閉じ牙が打ち合う音は聞こえるものの、肝心の肉を、骨を、噛み砕く感触がこないことに違和感を覚える。疑問を発する間もなく黒竜の半ば腐った瞳には空中で再度跳躍するユウの姿が映った。
両の手にはゴーリアが使っていた鋼竜のハンマーを握り締め、身体を縦に回転し始めると、見る間に回転速度は上昇していく。その状態から放たれる技は――槌技LV7『暴威鋼虐圧潰』
黒竜の頭部に破壊の塊を纏った鋼竜のハンマーが振り下ろされる。咄嗟に『闘技』『結界』を纏う黒竜など歯牙にもかけずに、鋼竜のハンマーは黒竜の頭部を砕き、そのまま黒竜の巨躯を砕く。
固唾を呑んで見守る騎士団の男たちが一斉に歓声を上げた。ここが迷宮内だと忘れんばかりの歓声にユウは顔を顰めると一言。
「うるさいな」
これである。
コニーとボニファーツは困った状態になっていた。
目の前に浮かぶモモが自分たちを敵と認識しているかどうかで、対応が180度変わってくるからだ。
「このピクシー、生意気に服なんぞ着てやがる。それに腰にはベルト……じゃねぇな。ボニー、こいつ魅了の指輪をベルト代わりにしてやがる。笑っちまうな?」
「コニー、言葉に気をつけろ。ピクシーの多くは言葉を理解する。それにこのブルータリッティーピクシーは強力な幻影、魅了の黒魔法に妖精魔法まで使いこなす厄介な魔物なんだ。できれば敵対したくない。お前、俺たちの言葉は理解しているんだろう? 俺たちはお前と敵対する気はない。そこの麻袋の男たちとも知り合いでもなければ助けようとも思っていない」
ボニファーツの言葉にアンデッドと化したゴーリアが喚き散らすが、ボニファーツにとってそんなことはどうでもいいことだった。大事なことは目の前にいるブルータリッティーピクシーを、万が一にでも敵に回せば、黒竜を圧倒しているユウが敵になる可能性が高い。そうなれば自分たちの生存率が大幅に減少してしまう。
モモは何度かゴーリアたちが入っている麻袋とコニーたちを見る。その表情は無表情で羽から発する音だけが警戒音のようにコニーたちの耳にこびりつく。
コニーはゴーリアの望みを叶えてやることと、自分たちの命を天秤にかける。当然、自分たちの命の方が重いのでダガーからゆっくりと手を離すと、両手を挙げた。
「少年、助力に感謝する私は――」
恐る恐るだが、ユウへ声をかけるピーターリットであったが。
「シロ、食べていいぞ」
ピーターリットなどに興味はないとばかりに、ユウは地面に向って声をかける。そのユウの合図を待っていたとばかりに大地が地割れを起こすと、裂け目から白い巨大な物体が飛び出してくる。
「腐肉芋虫だとっ!? こ、このような巨大な腐肉芋虫みたことがない……」
突如現れた巨大な腐肉芋虫にピーターリットが地面にへたり込む。
ピーターリットの後ろでは騎士団が同じように騒いでいた。剣を抜きピーターリットを助けようとする者たちもいたが、ピーターリットが手で制すると自粛する。ピーターリット自身もこの腐肉芋虫が敵でないと言い切れる自信はなかったのだが、少なくとも傍にユウがいれば死ぬことはないと計算をしてのことであった。ここで腐肉芋虫を傷つけ、ユウを敵に回すことがどれだけ愚かであるのかは、ピーターリットも十二分に理解していたのだ。
「で、でけぇ……普通の腐肉芋虫は十メートルもあればいい方なのに、こいつは二十メートルは超えているぞ」
「それだけじゃねぇ。白色だ……変異種の腐肉芋虫。こんな奴が襲いかかって来たら、ひとたまりもないぞっ」
騒ぐ騎士団をよそに、腐肉芋虫は巨躯を震わすと身体に纏わりついていた土が雨のように降ってくる。巨躯を震わす姿はまるで喜んでいるかのようだった。
腐肉芋虫は丸い口をこれでもかと拡げると、一気に黒竜を呑み込んでしまう。口内に黒竜の巨体をすっぽり納めると、腹が満たされたのか地面に横たわる。その際の地響きで騎士団の何人かが尻餅をつく。
「で、俺になにかようか?」
目の前の出来事に、呆気に取られていたピーターリットが慌てて立ち上がる。
「わ、私はピーターリット・モルデロン・パスレ、ウードン王国に仕える貴族だ。君のおかげで我が騎士団の全滅を免れることができた。感謝する」
ピーターリットの姿はとても感謝を示す態度ではなかった。しかもあわよくば黒竜の遺体を交渉し、手に入れようとすら考えていたのだが、突如現れた腐肉芋虫に掻っ攫われた形になってしまった。
「別にあんたらを助けるためじゃないから、感謝する必要はない。用件はそれだけか?」
「いや、君は誰かに仕えているのか? もし、誰にも仕えていないのなら私がバリュー・ヴォルィ・ノクス財務大臣へ紹介してもいいぞ。これは君にとってまたとない機会だ。どうだね?」
「バリュー・ヴォルィ・ノクス財務大臣? へぇ……あんた知り合いなんだ」
「あぁ、私の主がバリュー・ヴォルィ・ノクス財務大臣だ。ウードン王国内で最も力のある貴族だぞ」
バリュー・ヴォルィ・ノクス財務大臣の名前に反応したユウに対して、ピーターリットは気を良くするが、大きな勘違いをしていた。
「モモ、こっちに来れるか」
ユウの声にモモが素早く反応し、コニーたちなどもう興味はないとばかりに飛び去っていく。
目の前のピクシーの美しさと可愛さを内包した姿にピーターリットが目を奪われる。ユウはモモの耳元で囁くとモモは何度も頷く。
「その可憐なピクシーは君の
モモが笑みを浮かべながらピーターリットの周りを飛び回る。ピーターリットは頬を染め、飛び回るモモの姿を自然と目で追いかけ続ける。いつの間にかピーターリットの瞳は光を失い呆然と立ち竦んでいた。
「
ユウはそう言うとピーターリットへ迷宮で手に入れた通信の魔導具を渡す。ピーターリットは虚ろな目で何度も頷くと、騎士団が待っている方へ身体を左右に揺らしながら進んでいく。
この異様な反応からわかるとおり、ピーターリットにはモモが強力な魅了魔法をかけていた。今後定期的にピーターリットは、財務大臣の情報をユウへ知らず知らずのうちに漏洩することになるだろう。
モモは一仕事を終えたとばかりに額を拭うと、ユウに向って頬を突き出す。その姿にユウが嫌そうな表情を浮かべる。
「えぇ……もういいだろう。毎回毎回、飽きただろ?」
ユウの言葉にモモが目を見開き激しく抗議する。最初の頃はなにが嬉しいのか理解できないユウだったが、頬にキスをすれば機嫌の良くなるモモにユウもつき合っていたのだが、今では正直めんどくさくなっているユウであった。だが、モモがそれを許さない。ユウの頬をペチペチ叩き、それでもユウがキスをしないと涙目になってユウの頭の上で手足をバタつかせる。時々、ユウの反応を見るのを忘れないので本当に怒っているわけではなかった。短く溜息をつくと、ユウは「わかったよ」と言い、モモの頬へ軽くキスをする。ユウから頬にキスをしてもらったモモは途端に機嫌が良くなり、ユウの周りを飛び回る。
ユウたちのイチャコラを尻目にピーターリット率いる騎士団はその後ピーターリットの指示の下、撤収する。残されたのは親族へ渡すために髪の一部を切り取られた騎士団の遺体と、ユウたちにコニーたちだった。
「よう、俺たちのこと覚えているか?」
「誰だ?」
「一ヶ月前に入り口で会ったんだがな」
「覚えてないな」
ユウの素っ気ない返答にコニーは苦笑を浮かべる。
「これでも俺もこっちのボニーも、Bランク冒険者でちったぁ名が売れているんだが」
「お前らがBランク冒険者? Bランク冒険者でもピンキリなんだな」
ユウはジョゼフと目の前のコニーたちを比べて、あまりの実力差に一人納得する。
「どういう意味――」
「コニー、もういいだろう。お前がどういった意図があったのかは知らんが、俺たちが助かったのは事実だ感謝するよ。なにか手伝えることがあれば、王都の冒険者ギルドに言付けを頼めば連絡がつく」
ボニーの言葉にも興味がないのか、ユウは返事もしないまま腐肉芋虫のもとへ歩いて行く。その姿を見送りながらコニーとボニーは思わず呟く。
「とんでもねぇガキだな」
「シロ、腐った部分以外はちゃんと残しているか?」
ユウが地面に横たわっているシロの頭部をポンポンッと叩くと、シロの口の周りから触手が伸びてきてユウに巻きつく。
「こらっ、シロは甘えん坊だな」
言葉とは裏腹に全く怒っていないユウがシロの頭を撫でると、モモは頬を膨らませてシロの触手をペシペシ叩く。シロは遊んでくれていると勘違いしたのか、モモにまで触手を伸ばして絡ませる。怒っていたモモも毒気が抜かれたのか、そのまま身体に巻きつく触手に身を委ねる。
しばらくして満足したのか、シロは触手を引っ込めると口から黒竜の残骸を吐き出す。牙、爪、角、骨、皮、鱗など腐っていない部位が次々と吐出される。竜の素材に満足したユウは再度シロを褒めながら撫でると、シロは巨体を震わすことで喜びを表現するのであった。
腐界のエンリオは日が落ちると、迷宮内で日が落ちるというのも変な話だが、一気に気温が-10度まで下がる。吐く息は白くなり冷えた身体の動きは鈍くなる。辺りを暗闇が覆う中、小さな光を発する場所があった。
小さな光の周囲を光苔の発する柔らかな明かりが包み込むが、それでもなお闇は深かった。小さな明かりの正体は焚き火で、ユウは追加の薪を炎の中へ放り込む。炎の熱がユウの身体を暖める。ユウは焚き火にかけていた鍋を持ち上げると、鍋で温めた牛乳をコップへ注ぐ。アイテムポーチから蜂蜜の瓶を取り出すと匙でひとすくいし、牛乳と混ぜる。温められた牛乳から湯気が立ち上り、甘い香りが鼻孔をくすぐる。
ユウの膝の上に座っていたモモがズボンを控え目に引っ張る。可愛らしい催促にユウは匙に牛乳を掬うと、何度か息を吹きかけてからモモの口元へ持っていく。小さな白い息を吐きながらモモが蜂蜜入の牛乳をコクコクと飲んでいく。途中小さく息継ぎをするとモモの口の周りは牛乳塗れになっていた。
ユウはそんなモモの姿に苦笑しつつ、牛乳で喉を潤す。ユウが『腐界のエンリオ』に潜ってからすでに三十日以上が経過し、探索は五十四層まで進んでいた。これまでに手に入れた素材や魔導具は何回かにわけてウッズに渡しており、次にウッズと会うのは依頼した装備を受け取るときであろう。
ユウが考えごとをしていると、お腹が一杯になり眠くなったのかモモがうつらうつらし始める。
「ほら、もう寝ろ」
ユウの言葉にモモは頷くと、ふらふら飛びながらユウの飛行帽の中に潜り込む。
辺りを静寂が包み込み、ここがBランク迷宮ということを忘れそうになる。ユウたちがいる地面の下ではシロが待機しており、この階層の魔物は余程の馬鹿でない限り近寄ってもこないだろう。ユウは目を閉じると意識は覚醒させたまま、わずかな休息を取るのであった。
都市カマーの裏通りにある1軒の寂れた鍛冶屋、店は二十日ほど前から閉まっていた。店内を奥へ進むと、店舗の外見からは想像できないほど立派な工房が見えてくる。工房の真ん中ではウッズが椅子に座りながら何時間も目の前を凝視していた。
ウッズの眼には隈ができており、ここ数日、いや、あの日から寝食を忘れるほど鍛冶に没頭していたのが窺えた。
ウッズの周りには幾つもの武器や防具が並べられている。これらはユウより素材を受け取ってから連日連夜製作に励んだ成果だ。そして目の前には一本の折れた剣と漆黒の剣、さらに竜の牙、角、竜鱗、竜皮、竜骨が山のように積まれていた。
折れた剣のことは十二分に知っていた。なにしろウッズ自身がユウのために造りあげた剣だからだ。折れたスピリッツソードは何年も使い込まれたかのように刃こぼれや柄は磨り減っていた。漆黒の剣はユウが『腐界のエンリオ』で階層主を倒した際に手に入れた魔剣である。
ウッズは折れたスピリッツソードと魔剣、黒竜の素材を受け取る際に、ユウから自分の剣を造ってほしいと頼まれていた。その際になぜ手に入れた魔剣を使わないのかとウッズは尋ねた。ユウの返答は「おっちゃんの造った剣が好きだから」だった。このようなセリフを言われて燃えない鍛冶士などいようか? ウッズの心は薪をくべられた炎のように燃え上がっていた。
ユウから渡された黒竜の素材は、普通の鍛冶士ではまずお目にかかることさえできないような貴重な素材だ。もちろんウッズ自身も扱ったことのない素材であったが、そんなことは関係ないとばかりにウッズの全身からはやる気が漲っている。
都市カマーに数多いる鍛冶士、鍛冶師の中で自分を選んだユウの期待を上回る逸品を必ず造り上げてみせると、ウッズは炉に火を入れるのであった。
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