第115話 竜種 中編

 百以上の物言わぬ躯が黒竜の眼前に晒されていた。

 黒竜の行使した、たった一つの竜魔法がこの惨状を生み出したのだ。わずかに息がある者たちもいるが、騎士の1人を黒竜の鉤爪が小石でも拾うかのように摘むと、無造作に放り投げる。ピーターリット率いる騎士団の平均体重は九十キロ、身に纏っている装備を加算すれば百四十キロは優にあるだろう。放り投げられた男は、迷宮の壁に赤い染みを造るまで勢いを落とすことはなかった。人外の膂力を見せつけられたピーターリットの率いる騎士団は死を覚悟する。 


 ピーターリットたちが倒そうとしている黒竜の体長はおよそ十八メートル。

 竜を研究している者たちの間で長年に渡って議論されていることだが、竜の角の大きさから強さや年齢を計測することができると主張する者、爪や牙の長さを基準にする者、中には眼球の大きさで何年生きたかわかると言う者もいる。そして――体長から竜の強さがわかると主張する者。

 通常の火竜や地竜の成体が十二~十五メートルであることから考えると、今相対している黒竜の体格は一つ飛び抜けていた。

 一つ一つの竜鱗は漆黒、数多の矢と魔法に曝されても傷一つすらついていなかった。逆に腐って竜鱗や皮膚がなくなり剥き出しとなっている部位には、矢が幾つも刺さっていた。


「ボニー、あの黒竜十七~十九メートルはあるぜ」

「大きさで強さがわかれば苦労はしない。それよりコニー、鐘は鳴っているのか?」

「さっきから鼓膜が破れるんじゃねえかってくらい鳴ってる。ただ……」

「ただ?」

「黒竜だけじゃなく、あのガキからも聞こえやがる」


 コニーの持っている固有スキルに『警告する鐘の音』がある。この固有スキルは、戦闘時に対象者がコニーより戦闘力が上回っている際に鐘の音が鳴り、コニーへ警告をするというものだ。

 今、コニーの頭の中では大音量の鐘の音が鳴り響いていた。


「せめてジャガットの熊野郎がいれば、勝負になるんだがな」


 コニーは、ここにはいない自分たちのパーティーリーダーである熊人のジャガットを思い浮かべる。普段はケンカばかりをしている間柄であったが、一度迷宮に潜ればこれほど頼りになる前衛職もいないと、口には出さなかったがコニーは認めていた。


「いない奴のことを言ってもな。それにしてもあのガキからも鐘の音が聞こえるだと? あれから一ヶ月も死なずに『腐界のエンリオ』を生き抜いていただけでも驚きなんだが――な……っ!? 俺からも驚くことを教えてやろうか?」

「なんだよもったいつけずにさっさと言えよ」

「あのガキ、腐れ沼を越えてきたみたいだぞ。お前の目でも見えるだろう」

「なん……だとっ!? た、確かに腐れ沼の泥がへばりついてやがる」


 コニーが目を凝らしてユウの足を見ると、膝から足元まで紫色のヘドロのような泥がへばりついていた。

 先ほどからコニーたちが言っている『腐れ沼』とは『腐界のエンリオ』四十八層から四十九層を跨って拡がる沼地だ。沼から噴出する有毒ガス、紫色に変色した泥の中には毒が含まれており、対策もせずに沼を進めばものの数十分であの世に行くほど強力な毒素を含んでいた。また沼に生息している魔物たちの多くが沼の中に潜んでおり、獲物が近づくと同時に沼から飛び出して襲いかかってくる。『腐れ沼』を迂回せずに進む者たちは、劣悪な環境と姿の見えない魔物から身を守りながら進まなくてはいけない。

 ある貴族が自慢の私兵を『腐界のエンリオ』に送り込んだ際『腐界のエンリオ』を熟知している冒険者を雇わず『腐れ沼』を迂回せずに進んだために沼の毒と魔物たちに襲われ一人残らず命を落とすことになったのは、ウードン王国に住む多くの冒険者たちの間では有名な話だ。


 黒竜が翼を羽ばたかせる。翼には至るところに穴が空いている、翼長十メートルにも及ぶ翼が引き起こす風が荒れ狂う暴風となり、ピーターリットたちに襲いかかる。


「羽ばたきだけでこの威力だとっ!? これでは黒魔法第4位階『ハリケーン』を喰らっているようなものではないか」

「モルデロン様、こ、子供がいます! し、信じられない。この暴風の中、黒竜に向っています!」

「な、何者だ……!?」


 黒竜の起こす暴風に吹き飛ばされないよう地面にしがみつくピーターリットたちは、荒れ狂う暴風の中を何事もないかのように歩いて行くユウの姿を驚愕の目で見る。


「貴様……カら、竜ノ因子を感ジる。ソの眼ヲどコで手ニ入れた?」

「はは、よく喋るトカゲだな。さっさとかかって来い」

「っ! 愚ガ者メ、アメグラマス・バグニアータ・モルヴォノグ・ラス・テーラ――」


 ピーターリットの騎士団を一発で壊滅状態にした竜魔法『竜光乱射』がユウ1人に集中して放たれる。数百の光が光線を描きながらユウのもとへ迫り来る。ピーターリットたちの誰もが死んだと思ったそのとき、ユウが左腕を横に振るう。

 地面より突如鉄の柱が幾重も飛び出し、光線よりユウを守る鉄の壁を形成していく。竜光乱射を受け止めた鉄の壁の一部が蒸発するが、すぐに次の鉄の壁が受け止める。


「あれは……黒魔法第5位階『アイアンウォール』っ! し、信じられん、あんな子供が高位の魔法をこれほどの広範囲に渡って展開するだと……っ!?」


 ピーターリットの率いる騎士の一人がユウの魔法に驚愕する。


「よし、今の内に生きている者へポーションと回復魔法をかけていくんだ」

「かしこまりました。 回復魔法の使える者は負傷者の治療をするんだ! 使えない者はポーションを使え! ポーションを切らしている者は負傷者を運べ!」


 ピーターリットの指示を受けた者が手際よく負傷者の治療を進めていく。

 怪我の治療を受ける騎士たちは、眼前で拡げられる人外の戦いに魅入ってしまう。


「おノレ! ボ・レムリウア・ザヴォルギュ・アゲー・ア・トラフェロ『ゴー・ヴェルェ・レイン』」


 黒魔法第3位階に『アシッドレイン』という魔法がある。酸の雨を対象に放つ魔法だが、黒竜がユウに向って放った竜魔法第4位階『ゴー・ヴェルェ・レイン』は、雨ではなくまるで濁流の如くユウへ襲いかかる。ユウが展開したアイアンウォールは酸の川に呑み込まれ溶け、逃げ場のない酸の川に対してユウは慌てる様子もなく、先ほどと同じように左腕を横に振るう。ユウの前方で風が集い、一瞬にして爆風が生まれる。爆風は酸の川を黒竜へと押し返す。

 爆風と酸の川をまともに喰らった黒竜が吼える。


「ガア゛オ゛オ゛アオアオアオアオアオアオォォッ!! オノレ! おのレ!! 我ハ誇り高キ竜族、貴様のよウな矮小ナ者ニッ!」


 アンデッドと化した黒竜に痛覚はないのだが、腐った部位から酸が侵入し、酸によって溶けた肉が真っ白な煙を上げる。


「でかいのに魔法ばっかりなんだな」


 我を忘れている黒竜のもとへユウは走り寄ると跳躍する。両手で握り締めたスピリットソードを黒竜の左肩から袈裟斬りに振り抜く。黒竜の強靭な竜皮、堅牢な竜鱗が音もなく斬り裂かれる。今度こそ黒竜は声にならない絶叫を上げ、黒竜は恥も外聞もなく暴れる。


 暴れ狂う黒竜の翼が起こす暴風によって、先ほどユウが放り投げた麻袋がコニーたちのもとまで飛ばされてくる。


「今なら逃げられるんだが、ここまできたらどうなるか最後まで見届けるか」


 コニーの言葉に苦笑しながらもボニファーツが頷く。


「そうだな。コニーの言うと……あの麻袋だ」

「ガキが放り投げてた麻袋か。あれから声が聞こえたんだよな?」

「ああ」


 暴風の中、コニーたちは腰を落としながら麻袋のもとまで行く。麻袋の大きさは縦八十センチ、横三十センチほどの筒状。以前ボニファーツは、この麻袋から二人分の声が聞こえてきたと言っていたが、小さな子供でも二人入るには無理のある大きさだった。


「だ、助けでぐれ……頼む……そ、そこ……に誰かいる……んだろ?」


 突如、麻袋から聞こえてきた助けを求める声に、コニーたちは身構える。斥候職のコニーが警戒しながら麻袋の口を開けると、麻袋の中の光景に絶句する。

 麻袋の中には上半身の一部と頭部のみを残し、本来眼球があるべき場所には何もないゴーリアが息も絶え絶えでコニーに顔を向けていたのだ。もう一人は聖国ジャーダルク諜報員の隊長で、ゴーリア同様の悲惨な姿ですでに正気を失っているのか「知っていることは全て話した」と、うわ言のように繰り返している。この状態でなぜ話せるのか、いや生きているのかがコニーたちには理解できなかった。


「お前……生きているのか?」

「オ、オイラをご、殺……生きでいる? 違う゛……オイラたちは、ア゛、アンデッド、だ……頼む……オ、イラ……を跡形もなぐ、消じ……てくれっ! す、少しで……も残っていれば……あのガキに……ひっひ、ひゃははははははあぁぁっ! 殺せ! オイラを跡形もなく殺してぐれっ!!」


 半狂乱となって叫ぶゴーリアの姿に、冒険者となって幾多の修羅場をくぐってきたコニーたちですら、思わず握り締めていた拳の中にじわりと汗がにじみ出てくる。


 コニーは一度目を瞑ると肚を決めたのか、愛用の火竜の牙から造りだしたダガーに手をかける。

 雰囲気から察したのか、ゴーリアが感謝の言葉を叫ぶ。


「そ、そうだっ! それでいい! 頼む殺してぐれっ! いいか? 跡形もなくだぞ? 頼んだぞ!!」


 コニーは、それ以上はゴーリアの声を聞きたくないとばかりに、逆手に握ったダガーに力を込めると振りかぶる。しかし、コニーのダガーが振り下ろされることはなかった。なぜなら――


「コニー、ゆっくりだ。いいか? ゆっくりダガーから手を放すんだ」


 最初コニーは、ボニファーツがなぜこんなにも緊張の篭った声で自分を止めるのか理解ができなかった。だが、その理由はすぐにわかった。コニーの丁度目の高さに1匹の妖精――モモが浮かんでいたのだ。

 驚きの表情でモモを見つめるコニーだったが、それも当然の話だった。斥候職としてBランク冒険者にまでなったコニーが、目の前にいるモモに全く気づけなかったのだ。斥候職に求められるのは誰よりも早く危険を察知し、対応する能力。コニーの斥候職としての自信が音を立てて崩れ去っていく。


 モモは麻袋の中からわずかに見えるゴーリアたちとコニーたちを交互に見る。四枚の羽から発生する高音の羽音がコニーたちの耳まで届く。それはまるで警戒音のように。

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