第107話 それぞれの思惑
都市カマーからユウが姿を消してから――ちょうどゴーリアを倒した際まで時を遡る。
ユウとゴーリアの戦いを。いや、ニーナたちが戦闘を開始する前から観察している集団がいた。
道沿いの草原から離れた森の中、全身を黒装束で統一し、顔も黒い布で覆われていた。
「恐るべき少年ですね」
「確かに……あの亜人が死徒を名乗ったのにも驚いたが、ユウ・サトウの戦闘力には驚愕せざるを得ない」
「あの亜人が死徒っていうのは嘘かもしれんぞ。
俺は以前任務でデリム帝国に潜っていた際に、セブンソードのガース・ドーと第七死徒『戦鎚の翁』の戦っているところを見たが、こんなもんじゃなかった。あのときは包囲していたデリム帝国の兵五百名が、ガース・ドーと第七死徒との戦闘の余波でほとんどが死んでいたからな」
「とにかく死徒のことも含め、早急にタモス様に報告せねば。教国大司教がどのような意図があって、あのユウ・サトウに拘っているのかも、まったくわかっていないのだからな」
男の言葉に周囲の黒装束の者たちが無言で頷く。
ここで得るべきものはすでにないと判断した男たちは撤収しようとするが、自分たちの身体に起こった異変に気づく。
「か、身体が……動かない……だとっ!?」
周囲を見れば他の男たちも同様の状態異常が起こっていた。
1人の男がなんとか動く目で辺りを確認すると、小さな少女がそこには立っていた。
「どうも~初めましてっ! プリリです」
突然の自己紹介に驚く男たちだったがそれもそのはず、聖国ジャーダルクの諜報員として鍛えに鍛えぬかれた自分たちが、こんな状態になるまで存在に気づけなかったことに少女の異質さが表れていた。
「挨拶できないのは人としてダメですよ!」
プリプリ怒っているプリリの後ろから、巨大な岩と見間違わんばかりの巨人族の男がプリリのもとへと歩み寄って来る。巨人族の男の傍には男に匹敵する体格の巨人族の女が腕を組んで仁王立ちしていた。
「プリリ、お前は馬鹿か? お前の毒で身体の自由を奪われとるのに話せるわけがないじゃろうに」
「あんた、プリリちゃんになんて口のきき方だい! 謝りな」
「や~い、怒られた」
巨人族の男は「ぐぬぬ」と唸りながらもプリリへ渋々謝る。この巨人族の男、間違いなく尻に敷かれていた。
「ど……毒だとっ!? 俺……たちに毒が効くわけ……が、それに無色無臭の毒……お、お前たちは何者……だ」
「えへへ。私自慢の毒ですからね! この周囲は私の
「あははっ! プリリちゃん、なに言ってんだい」
巨人族の女がプリリの背中を叩くと乾いた音が鳴り響き、プリリが地面の上を転がっていく。そんなプリリの姿に巨人族の男は嬉しそうに笑みを浮かべ。巨人族の女はやっちまったよと、慌ててプリリを抱き起こす。
「もう! ちょっとは手加減してくださいよ! 私はか弱い小人族なんですからね! それに持ち場を離れていいんですか?」
「あはは、悪い悪い。どうもあたしゃ、力の加減がよくわからなくってね。あたしたちの担当ならもう
「まぁ、姫さん相手に逃げれる奴なんていな――ジョゼフくらいか」
プリリという名の小人族の少女に、巨人族の夫婦、姫、ジョゼフ。この言葉から男たちはすぐに一つの結論を出す。
「お、お前……たち、ムッスの食客か」
「おやまぁ。プリリちゃんの毒喰らってそんだけ喋れるなんて、あんたは他の連中に比べて、そこそこ毒に対して抵抗する力を持っているんだね」
「ふんっ! 小娘の毒なんてそがいな大したもんじゃない」
巨人族の男の言葉にプリリが鼻からムフーっと息を出すと、膝の辺りをポカポカ殴りだす。悲しいことにプリリの身長では頭を殴りたくても膝の辺りが限界だったのだ。
「なん……でお前たちがここにいる……。ムッスと一緒に……王都へ向かっているはず……だ」
「やっぱり大臣とジャーダルクは裏で繋がっとったか。
お前らの考えることなんて、ムッス殿はお見通しだ」
巨人族の男は男たちを蔑んだ目で見る。ちなみにプリリは頭を押さえられて、膝を殴っていたパンチは空を切っている。
「ジ、ジャーダルク? なんのことだ。俺たちはデリム帝国の――」
「やかましいっ! 観念せいや。大の男がみっともない」
巨人族の女の恫喝に森の木々が震える。プリリも耳を押さえているが少しふらついていた。黒装束の男たちは恫喝にも怯まず無言を貫く。
「お前ら、ジャーダルクの諜報員――華って組織名やったかの? そん中の一番下っ端、
巨人族の男は一方的に言い放つと、巨大な斧を肩に担ぐ。その姿にふらついていたプリリが慌てて巨人族の男の前に回り込む、
「待ってくださいよ。要らないんなら私にください。ちょうど試したいお薬があるんですよね。これだけの数がいれば私の実験も捗りますので」
満面の笑みで人体実験をしますと宣言するプリリに、巨人族の夫婦は苦笑する。
都市カマー冒険者ギルド3F、ギルド長室ではエッダがモーフィスに愚痴をこぼしていた。
「ジョゼフったら私に厄介な門の後始末を押しつけて、自分だけどっか行ったんですよ。
さっき帰って来たから文句を言ったら無視です。どう思います?」
先ほどから終始エッダが一方的に愚痴をモーフィスに言い続けていた。モーフィスの額には汗がびっしりとついている。モーフィスの本音を言えばどうでもいいだったが、それを言えばどうなるかはエッダとの長年のつき合いでわかっているだけに黙っていた。
「う、うむ。そういえば内通者は見つかったのか?」
露骨なモーフィスの話題変更にエッダが軽く睨むとモーフィスの目が泳ぐ。その慌てぶりにエッダの溜飲が下がったのか、コホンっと咳払いをすると真面目な顔をしてモーフィスに向き合う。
「結論から申しますとギルド内に内通者はいませんわ」
「そんなはずはなかろう。現に情報が漏れておる」
「私の能力を上回る相手ならありえますが」
「エッダを上回る相手か……化物じゃな」
ぼそりと呟いたモーフィスの言葉を地獄耳のエッダは聞き逃さなかった。モーフィスの額にピシリと平手打ちをし、手をどける際に数本の髪の毛が抜かれる。頭部に感じた痛みとエッダの指と指の間にある数本の毛を見たモーフィスの絶叫がギルド内に響き渡る。
「騒がしいお爺ちゃんですわね」
「う、煩いっ! 儂の貴重な頭髪を毟り取りおって!」
「貴重? おほほっ、貴重の意味を調べてから述べてください。
それよりギルド職員より詳しい人たちがいるじゃありませんか。『権能のリーフ』の盟主カロンでした? 彼は迷宮だけではなくユウちゃんのこともご執心だったそうじゃないですか」
「まさか……ギルド職員ではなく」
モーフィスは自分の予想がハズレていればいいと思いながら、エッダの入れた紅茶を啜る。
聖国ジャーダルクの宮殿内の一室に1人の男が読書をしていた。部屋の広さは数十人が住んでいてもおかしくないほど広く、室内は所狭しと本棚が置かれ、それでもなお入りきらない書物が床に重ねて置かれて山のようになっていた。
部屋の重厚な扉がノックされる。しばらく待っても男から返事はなく、再度ノックの音が鳴り響く。それでも男の反応はない。ノックした女性は諦めたのか無言で室内へと入ると、真っ直ぐに男のもとへ向かう。
「教国大司教様」
呼びかけられた男の視線は本から離れることはなく。室内は男の本をめくる音のみが響く。
「教国大司教様、教国大司教、ドゥラランド様、おいっ、ドゥラランド」
「チンツィア、仮にも教国大司教に向ってそれはないんじゃない」
「失礼いたしました。教国大司教様が大変読書に夢中になられているようでしたので」
「ドゥラランドでいいよ」
「ドゥラランド様が大変読書に夢中になられている――」
「あ~、わかったよ。チンツィア、私が悪かったよ」
ドゥラランドの謝罪に満足したのか、チンツィアと呼ばれた女性はさようでございますかと返事をすると報告を始める。
「悪い報告と悪い報告、どちらから聞きたいですか」
「どっちも悪い報告じゃないか」
ドゥラランドは苦笑しながら本のページをめくる。
「では最初の報告ですが、ユウ・サトウの確保に向っていた
「恐らく?」
「
聖国ジャーダルクの諜報員たちが全滅したかもしれないにもかかわらず、チンツィアは無表情のまま淡々と報告を続ける。
「ユウ・サトウに返り討ちに遭った可能性が1番高いですが」
「いや、ユウと死徒だね。生き残っている隊長はユウ・サトウに連れて行かれたみたいだよ」
「そういえばユウ・サトウには
「いや、改めて別の視点から報告を聞くのは大事なことだよ。もう一つの悪い報告を聞こうか」
「ドゥラランド様とは別で
「ふ~ん。どうせバタイユかベシエールあたりだろう」
「誰かまではまだわかっていませんが、そちらも全滅したみたいです」
ドゥラランドは読んでいた本を閉じ、手を重ねて背筋ごと伸ばす。
「そっちは知らなかったな。誰が殺ったかの予想はつくよ。ムッス伯爵が動いたんだろう。あの昼行灯は少し厄介だからね。もう1人くらい送り込んだほうがよさそうだね。
8番をカマーに送っておいてよ」
「ドゥラランド様、8番は別件で任務を担当していますよ。あと8番ではなく名前で呼んであげてください」
「名前なんてどうでもいいじゃないか。3番の名前なんてレミだよ? 番号と変わらないじゃないか。それにしても補充したばかりなのに、もう消えるなんて上手くいかないもんだね」
ドゥラランドは話は終わりとばかりに、新しい本を手にすると読書を再開する。
乾いた風が吹き、見渡す限りの荒野が広がっている。ここにはBランク迷宮『腐界のエンリオ』の入口がある。熟練の結界師たちにより厳重に結界が張られているにもかかわらず、迷宮から溢れる瘴気によって一帯が荒野と化していた。
「いつまであの野郎は小便に時間かけてんだよ」
「俺に文句を言うな。文句ならあの熊野郎に言え」
迷宮の入口に一組の冒険者たちが屯っていた。文句を言っていた男がダガーの手入れをしながらブツクサと呟く。返事をしたエルフの男は弓の弦の調子を確かめていた。残りの三名はいつものやり取りなので、かかわらずに各々が装備のチェックに余念がなかった。この者たちはそれぞれがBランク冒険者。現在『腐界のエンリオ』を攻略中であった。
「おい」
「なんだよ。文句なら……」
「違う。そっちじゃなくてあの件どうすんだよ?」
「あの件って財務大臣からの指名依頼か?」
「めんどくせぇな……断りゃもっと面倒なことになるしなぁ」
「ふんっ。金さえ積めばなんでも通ると思ってるのがムカつくが、案内するだけでいいなら悪い稼ぎじゃないぞ」
「あの金満豚野郎の言うことを聞くのが嫌なんだよ」
「コニー、お前の言いたいことは――む?」
「どうした?」
エルフの男の反応に直ぐ様周りの者たちも反応する。エルフの視線の先には1人の少年がこちらに向って歩いてきていた。少年は背中に麻袋を背負い、剣と鎧を装備していることから冒険者とコニーたちは判断するが、この『腐界のエンリオ』をたった1人で、しかも少年が探索できるような場所ではない。上層であればCランク冒険者のパーティーでも探索は可能であったが、中層以降はBランク冒険者のパーティーでも命を落とす危険な場所であった。
「おい、坊主。ここがどこかわかってんのか?」
少年に声をかけたのは鬼人族の男で、仲間からはキースの愛称で呼ばれていた。強面の見た目とは裏腹に子供好きな男は、心配になって声をかけたのだ。
「『腐界のエンリオ』だろ。どけよ」
「いや、わかってない。ここはお前みたいな坊主が――」
「邪魔するなら殺すぞ」
決して大きな声ではなかったが、少年の発した言葉はBランク冒険者の猛者たちに劇的な変化をもたらした。恐れ知らずの猛者が小さな少年から放たれた殺気に反応し、思わず武器に手をかけていたのだ。男たちの額には汗が浮き上がり、高ランクの魔物と応対したとき以上の圧力が全身に突き刺さるように少年から向けられていた。
「キース、行かせてやれ」
エルフの男の言葉に鬼人族の男は「あぁ」と短く返事をすると、少年の前から横にズレた。
少年はそのまま『腐界のエンリオ』の中へ入って行く。男たちはその様子を少年の姿が消えるまで見続けていた。
「な、なんだったんだ。あのガキ、とんでもねぇ殺気放ちやがって」
「さぁな。ただ、ああいう眼をした奴は何人か見たことがあるが、全員早死にしたよ。あのガキがどんだけ強いのかは知らんが『腐界のエンリオ』を1人で探索するなんて自殺以外の何物でもない」
「おい、だったらなんで止めたんだよ。今からでも遅くないから連れ戻しに行くぞ」
「キース、放っておけよ。ガキでも冒険者なんだ。全部自己責任だろうが」
「コニーの言うとおりだ。冒険者なら自己責任だ。それに1人じゃない。少なくともあの少年の布袋からは2人の息遣いが聞こえてきた。あと小さな息遣いもな……」
「はぁ? あの布袋のどこに2人も入れるっていうんだ」
キースは納得がいかず、パーティーのリーダーである熊人の男が戻って来ても機嫌が直ることはなかった。
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