第90話 金月花のアニタ
『妖樹園の迷宮』三十七層。出て来る魔物は全てランク5、周囲を亜熱帯を思わせる密林が覆い身体に纏わりつく空気を煩わしく思いながら進む一組の冒険者パーティーがいた。
「アニタ~もう帰ろうよ。暑いのと汗がべとべとして気持ち悪いよ」
「ベル、我儘言うんじゃないよ。
妖樹園の迷宮は見つかってまだ4日目、階層情報も22層まででまだ誰も攻略していないんだ。
この迷宮を最初に攻略するのは私たち『金月花』だよ!」
「ぶ~そんなこと言っても26層にボスはいなかったし、きっと他の冒険者か大手クランが攻略してるよ」
「ベルさん、それはありえませんよ。現に『権能のリーフ』ですら10~16層で攻略が止まっているんですから。
私の予想では13層毎にボス部屋ではなくランダムだと思いますね」
拗ねるベルの頭をアプリが撫でて諫めると、ベルは子供扱いするなと言いながらも手を払いのけることもせずに撫でられ続ける。
「あたしもボスがいないことは気にしてたさ。
確かアプリたちとCランク試験を受けた冒険者の中に迷宮発見後、そのまま迷宮に潜った奴らがいるんだよね?」
「そうだよ! ユウは剣の腕が凄くてさ、22層までの地図もユウがギルドに売ったんだぜ!」
「ユウじゃなくてユウたちでしょ。確かにユウたちなら26層を攻略してそうなんだよね」
「男嫌いのモーランが珍しいじゃないか。そんなに良い男だったのかい?」
「ち、違うっ! そんなんじゃないですよ」
「良い男ってより良い男の子かな」
「へぇ~、モーランにそんな趣味があったなんて」
「ベルさんまでっ! 違うって言ってるじゃないですか!」
アニタとベルの冷やかしに顔を真っ赤にしてモーランは反論するが、アニタたちは珍しい物が見れたと笑みが溢れる。
『金月花』が妖樹園の迷宮に潜り始めて3日が経過していた。
冒険者ギルドが妖樹園の迷宮発見の発表と22層までの情報を売出した同日に、アニタたち『金月花』のメンバーは都市カマーに着いていた。本来であればアプリたちがCランク昇格試験の結果を王都にいるアニタたちに伝えるはずだったのだが、面倒見のいいアニタと心配性のベルがいても立ってもいられずに、王都にいる『金月花』のメンバーほとんどを連れてきてしまったのが真相だ。
「『権能のリーフ』といえば嫌な連中でしたね」
アプリが露骨に嫌そうな表情を浮かべると、横にいたモーランとメメットも同様の表情を浮かべる。
「俺たちの女にしてやるだっけ? あたしたちを舐めてんのさ。妖樹園の迷宮を攻略するのもそういった連中を見返すためなんだからね」
「アニタ、あっちから5来る。多分、魂吸樹に取り巻きのマーダービートル」
「はいよ。皆、準備はいいね」
ランク5の魂吸樹にマーダービートルが接近しているにもかかわらず、アニタは慌てた様子もなく指示を出していく。周りのメンバーもそんなアニタに安心感を持っている。
アプリ、モーラン、メメットだけでは37層での狩りは死と隣り合わせだが、盾職のアニタと斥候職のベルや金月花のメンバーがいることで強力な魔物の攻撃や不意打ちを防ぐことができ、大した傷を負うこともなく37層まで来ることができていた。
「来ました! ベルさんの予想どおり魂吸樹とマーダービートルです!」
アプリの声と同時にアニタが前に飛び出ると、魂吸樹の横薙ぎの攻撃を受け止める。
魂吸樹は紫色の毒々しい幹に青色の葉、魂を喰った数だけ身体に顔が浮かび上がる醜悪な魔物で全長3メートルほど、トレントに比べれば若干小さいがそれでも人間を大きく上回る膂力を誇る。
並みの盾職なら受け止めると同時に吹き飛ばされるのが落ちだが、アニタは微動だにせず受け止めていることからも盾職としていかに優秀かが窺えた。後ろにいるアプリは目指すべきアニタに対して羨望の眼差しを送っている。
「アプリっ、なにを見とれてんだい。さっさとマーダービートルに『挑発』!」
「は、はいっ」
数十分後には魂吸樹とマーダービートルの死体が地面に横たわっていた。
「モーラン、あたしが受けているからって気を抜きすぎだ。魂吸樹のソウルイーターを喰らってたら今頃、そこで転がっていたのはあんただよ」
「あたしがそんなヘマするわけ――痛い。殴らないでくださいよ。アホになったらどうするんですか」
「ぷぷ。モーランはこれ以上アホにはならないよ」
「ベルさんっ!」
アニタたちがいつものやり取りをしている間に、金月花のメンバーは苦笑しつつも魂吸樹とマーダービートルから魔玉と素材を剥ぎ取っていく。
「冗談はこのくらいにしておいて、そろそろワーシャンたちと合流するよ」
妖樹園の迷宮を攻略するにあたって金月花はパーティーを2つに分けて探索し、一定時間または次の層への道を見つける度に合流し新しい層に着くと、再びパーティー分割を繰り返していた。
「あれ……」
「ベル、なにかあったかい?」
「あそこなんだけど」
ベルが指差した場所は岩壁に亀裂が入って洞窟のようになっている場所だった。
「あはは。ベルさん、あそこはこの層に来たとき、最初に調べた場所ですよ。中に入っても吹き抜けになっている空間があるだけでなにもありませんでしたよ」
メメットの言葉にベルはそんなこと知っていると言わんばかりのジト目を送る。メメットもですよね~っとアプリの背に隠れる。
「気配がある。それも複数。あまり動かないからもしかしたら他の冒険者がいるのかも」
「あたしたち以外に37層に辿り着ける冒険者がいるかね? まぁ怪我して動けない可能性もあるから念のため見に行くか」
「なんだかんだ言ってお人好しなんですから」
「アプリっ、うるさいよ!」
アニタたちが岩壁の亀裂まで近づくと人影が見える。さらに近づくとそれが人ではなくゴブリンだと判ると、金月花のメンバーは各々が武器に手をかける。
ゴブリンの姿は全身が黒色で通常のゴブリンでは考えられないほど身体も大きかった。右手に戦斧、左手には盾、鎧を着込んで重装備と全てが常識外れのゴブリンだった。
「あっ、あれって確か……」
「なんだい。モーラン、あの異様なゴブリンを知ってるのかい?」
「お~い、君ってクロちゃんだよね」
「ば、ばかっ! メメット、気はたしかかい!」
メメットがゴブリンに向かって走り寄って行くので、アニタたちは慌てて止めようとするが間に合わずメメットはゴブリンに――クロに駆け寄って呑気に話しかけている。
アニタたちがメメットに追いつきクロに対して警戒心をむき出しにするが、クロに話しかけ続けるメメットのアホさ加減に毒気を抜かれる。
「クロちゃんであってるよね? この先にはユウたちがいるの――痛い……ベルさん、なにするんですか?」
頭に拳骨を落とされたメメットが涙目でベルを睨むが、ベルのジト目に本気で怒っているのを理解しアプリの後ろへ隠れる。
「人間共、我になにかようか?」
クロの言葉に金月花のメンバー全員が驚愕の表情を浮かべる。アニタたちが驚くのも無理はない。高ランクの魔物であれば言葉を話せることは稀にあるのだが、ゴブリンのような低ランクの魔物が喋ることなど通常ではありえないからだ。
「クロちゃん、ユウたちも一緒?」
「あんたがいるってことはこの先にユウがいるのか?」
モーランはアプリたちからクロが話せることは聞いていたので、アニタたちほど驚きはなかったのだが、それでもゴブリンが話せることに戸惑いは隠せないようであった。
「主に用か? しばし待て」
「こんなに流暢に言葉を話す魔物なんて初めて見たよ」
アニタは警戒心を解いたかのように話すが、いつでも盾を動かせるように左手は盾を握り締めていた。
「主から許可が出た。通るがいい」
アニタたちはクロを警戒しつつ、岩壁の亀裂の中へと進んでいく。亀裂の中を少し進むと、やがて開けた場所が見えてくる。
吹き抜けになった天井からは光が注ぎ込み、ここが迷宮内だと忘れさせるような神秘的な光景だが、アニタたちを絶句させたのは椅子に座ってティーカップを啜っているユウと、傍に立ってなぜか幸せそうに佇んでいるマリファに足元で座り込んでいるスッケとコロ、敷物に寝転がって本を読んでいるレナ、さらに最初に来たときにはなかった
「は、はは。まさか迷宮内でこんな光景に出会すなんてね。
あんたたち念のために聞くけど、ここでなにをしてるんだい?」
こめかみに青筋を浮かべながらアニタはユウたちに質問する。レナは一瞬、アニタたちを一瞥するが――すぐに興味がなくなったのか読書を再開する。
「見てわからないんですか? ご主人様は休憩をしています。
まさか用件とはそんなくだらないことを聞くためだったのですか?」
「あたしはクラン『金月花』盟主のアニタだ。
冒険者が怪我でもしてるのかと思って来たんだけど、勘違いだったみたいだね!」
「なんだ用件ってそんなことか。お人好しなんだな」
アニタは顔を真赤にしてユウへと近づいて行く。しかしアニタの前にマリファが立ち塞がる。
「それ以上、ご主人様に近づかないでください」
アニタとマリファが睨み合う中、メメットはレナの横に寝転がり本を盗み見するが、レナが鬱陶しそうに横に転がっていくとメメットも追随して転がる。ベルはレナとメメットのやり取りのなにが可笑しいのか楽しそうに座り込んで眺める。アプリはアニタとマリファの一触即発の状態をなんとかしようと慌てふためく。モーランはマリファがアニタに気を取られている隙にユウに話しかけていた。他の団員たちはスッケとコロに手招きしている。
「こんな所で会うなんて奇遇だな。せっかくだし一緒に探索するか? うん、それがいい」
「いつの間にっ! ご主人様に近づかないでください」
マリファがモーランの腕を引っ張るが前衛職のモーランに膂力で敵うはずもない。
「ユウ~」
「大丈夫だからちゃんと浸かってから出て来い」
「は~い」
衝立代わりの土壁からニーナが顔を出すが、ユウの返事に安心したのかお風呂を再開する。
「まさか……風呂に入ってるんじゃないだろうね。ここがどこかわかってるんだろうね?」
「迷宮に決まってるだろう。モーラン、こいつ大丈夫か?」
「へへ、アニタさんはちょっと脳筋入ってるん――痛っ……アニタさん、なんで殴るんですか」
ユウが名前を覚えていたことに喜びを隠せないモーランだったが、アニタに拳骨を落とされ涙目になる。
「うるさ~いっ! あたしは怒ったよ! 皆もそうだよね?」
アニタが振り返るとおろおろするアプリはいいとして、転がって逃げるのを諦めたレナと一緒に読書するメメットに、そんな二人を見ながらニヤニヤしているベル、さらに残りの団員たちはスッケとコロを撫でて満面の笑みを浮かべていた。
「……った。本当にあたしは怒ったからね!」
妖樹園の迷宮37層でアニタの怒声が響き渡った。
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