彼女は自分に鈍感で、僕は彼女に敏感で

七四六明

彼女は自分に鈍感で、僕は彼女に敏感で

 僕は月野つきの銀杏いちょう

 ごくごく普通の高校生――なら、良かったのに。


 一人称から察するに、僕は男なんだ。心は。

 でも生物学的には女性で、いわゆるLGBTって奴で、僕はLに該当するらしい。


 小学生の頃、初めて恋した相手が学校の女性体育教師で、告白したんだけど小学生だったから流された苦い過去がある。


 そんな僕の次の恋の相手は、高校の同級生。

 今、僕の隣の席に座っている人だ。


 名前は朝丘あさおか向日葵ひまわり

 とてもキラキラして、フワフワした人形みたいな名前の可愛い女の子。

 クラスの中でも男女問わず人気で、僕なんかには眩し過ぎる存在。


 笑うと唇に手を添えて。

 いつも着ている服から香って来る柔軟剤の匂いが甘くて。

 聞こえて来る声が耳心地よく鼓膜を震わせて来て。


 本当、僕なんてとても釣り合えない。


 だからずっと黙っていたけれど、ある日偶然に話題が出来た。

 友達と話す朝丘さんの手に、ささくれが出来ていたんだ。

 僕以外の誰も気付けていない程度の些事だったけれど、だからこそ僕は今しかないと思った。

 勇気を振り絞って、僕は初めて自分から彼女へ話し掛けた。


「ささくれ……痛そうだね」

「え? うん、そうなの。つい取っちゃいたくなるけど、血が出ちゃうから、困っちゃって」

「これ、塗りなよ。ハンドクリーム。染みるなら止めた方がいいけど……ささくれって、手の水分と油分とが足りないとなり易いって言うから」

「ありがとう。月野さんは物知りだね。じゃあお言葉に甘えて、使わせて貰うね」


 それから、僕は彼女の小さな傷や変化に気付くようになった。

 何があってもいいように、色々と用意して学校に行く様になった。


 一学期末。とある朝。

 

「唇、切れてるよ。ほら、リップクリーム。乾燥すると唇切れて、嫌だよね」

「ありがとう。なんかカサカサすると思ってたんだけど、気付かなかった」


 一学期後半。家庭科の調理実習中。


「……!」

「っ、朝丘さん大丈夫? 今、火傷したんじゃないの?」

「? 大丈夫だよ?」

「ダメ! すぐに冷やして! 水ぶくれになるよ!」


 せっかく治ったばかりの唇を噛み締めて耐えようなんてするもんだから、彼女の手を引いてすぐに水道で冷やさせた。


「大袈裟だよ」

「ダメ。ちゃんと冷やして。せっかく、綺麗な肌……してるん、だから」

「……ありがと。月野さんは優しいね」


 みんなが朝丘さんを心配する中、みんなの僕に対する評価もこの日を境に変わった。

 ずっと無口で怖かったらしいのだけれど、人を心配してすぐさま動く姿が好印象だったみたいで、女子を中心に話し掛けられるようになった。


 二学期中盤。体育祭。


 チーム対抗の応援合戦。僕達はチアを披露したのだけれど、応援を終えた僕は、朝丘さんの顔色が悪いのに気付いて、そっと保健室へと連れて行った。

 どうやらチアの途中で他の人に足を踏まれたみたいで、中指の爪が割れていた。

 痛々しかったけれど、保険医がいなかったので、僕しか治療出来る人がいなくて、頑張って応急処置を施してみる。


 消毒液を使うと朝丘さんが短い悲鳴を上げて、絆創膏を巻くと歯を食いしばって耐えるから、酷い罪悪感に襲われる。

 けれど、僕はこの子のためにと心を鬼にして、一生懸命に処置をした。


「ごめんね……月野さんは、本当に優しいね」

「そんな事、ないよ」


 そう、そんな事はない。

 だってこうして処置をしている間にも、僕は朝丘さんの生足を触っている事に意識を向けない様努力していたし、朝丘さんのチア姿に劣情に似たものを感じていて、本当に最低だったと思う。


 そんな事を知らない朝丘さんはまた、フワフワとした笑顔で微笑んでくれるから、僕は罪悪感で圧し潰されそうだった。


「出来たけど……午後の競技、休んだ方がいいよ?」

「うん……でも、みんなに迷惑掛けちゃうし――」

「ダメ! これ以上無理して、また怪我したら大変、だから……」

「……ありがとう。月野さんは優しいね」

「そんな事、ないよ……そんな事……」


 三学期前半。

 その日は僕が学校に忘れ物をして取りに戻ると、教室で朝丘さんが眠っていた。


「ぅ、ぅぅん……あれ? 月野さん?」

「な、なにやってるの。こんなところで寝てたら、風邪引いちゃうよ」

「いやぁ……ヒーターの温もりがまだ残ってたから、つい……月野さんはどうしたの?」

「いや、僕は忘れ物取りに来ただけで――って、指。またささくれ出来てる」

「うぅん? あぁ、本当だぁ……」

「全く……この時期乾燥しやすいんだから、気を付けないと。ほら、ハンドクリーム」

「ありがとう。フフッ、最初に月野さんと話したのも、私のささくれがきっかけだったね。その後もたくさん、たくさん……助けてくれてありがとうね、月野さん。月野さんは――」

「優しくなんてない、よ……!」


 入学から今日まで、半年足らずの期間で、僕の気持ちは膨れる一方だった。


 声も仕草も性格も、何もかもフワフワしてて可愛い朝丘さん。

 高校で初めて友達になってくれた朝丘さん。

 出来る事なら、これからも――


「だって僕……僕、朝丘さんが好きなだけだもん! ささくれ一つだって、付けたくないくらい好きなだけだもん! 僕、普通じゃないから! この好きも普通じゃないんだ! 僕は……僕は、朝丘さんと、ずっと一緒にいたいくらい好きなんだ!」


 やってしまった。

 モヤモヤしてた感情を、勢いだけでぶつけてしまった。

 この後の展開なんて、容易に想像が付く。気持ち悪いという感情と共に突き放される。

 それは、それだけが怖くて、ずっと今まで隠して来たのに――


「……そっかぁ。やっぱりそうだったんだぁ。おかしいと思った」

「……へ?」

「だってね? 月野さん、男子と同じ目で私の事見てるから……ずっと不思議に思ってたの。でもそっか。好きならしょうがないね。うん、いいよ。月野さんなら、私の事、好きになってもいいよ」


 思わぬ返答に戸惑い、固まり、動けない。

 貸していたハンドクリームを返してくれた彼女のしっとりとした手が、僕の手を包み込んで、フワフワしたまん丸な目が、僕の心の奥底を見つめて来る。


「私が気付かない事に気付いてくれる月野さん。私が痛いと思ってると、気付いてくれる月野さん。私が我慢してるのに気付いて、助けてくれる月野さん。私も、好きだよ。だからこれからも、仲良くしてね」

「……いいの? 僕、変だよ?」

「いいよ? 月野さんだもの」

「僕、女の子が好きなんだ。レズビアンなんだよ? なのに、いいの?」

「いいよ? 月野さんだから、いいって思えるんだよ?」


 あぁ、僕はやっぱり気持ち悪い。


 こんな時でも、嬉しさと同時に劣情を抱いてる。

 目の前の可愛い女の子を、僕のモノにしたくて仕方がない。

 だから、だから――


「あぁ、そろそろ帰ろうか。せっかくだから、手、繋いで帰る? ……月野さん?」

「朝丘さん、また唇切れてる」

「え? 本当? ヤだ、また気付かなかった――」


 帰ろうとして立ち上がった彼女を壁際に追いやり、左右は両腕で阻んで逃がさない。

 そして、切れてると嘘をついた彼女の唇に、僕は勢いで吸い付いた。


 もう、朝丘さんは僕のモノだ。

 そう、周囲に主張するかのようなマーキング。


 嫌われても仕方ない。

 けれど我慢出来なかった僕が後悔しながら身を引くと、朝丘さんはゆっくりと、退こうとする僕の腰を抱いた。


「もう……急だから、ビックリしちゃったよ……だから、ね、もう一回。シて?」


 朝丘さんって、こんな子だったんだ。

 こんなに可愛くて、フワフワしてて、甘くて、いい匂いで、ちっちゃな小悪魔だったんだ。


 僕は夢中で、朝丘さんの唇に吸い付いた。

 僕がどんなに唇に吸い付いて、食んで、舌先に舌先を絡ませても何も言わず、されるがままの朝丘さんも段々と蕩けて来て。


「好き……銀杏ちゃん好き……」

「僕も、僕も向日葵の事が好き、大好き……」


 僕達は、互いの情愛を確かめ合った。

 互いの好きを確かめ合って、高揚し合って、達しそうになった僕らは、一度、深呼吸を挟んで。


「今日から私達、恋人だね……銀杏ちゃん」

「うん……ねぇ、向日葵……いつから僕の事、好きだった?」

「うん? ……内緒っ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女は自分に鈍感で、僕は彼女に敏感で 七四六明 @mumei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画