第32話 ノイルの過去
――どうして、私だけ醜いの?
そういうと母は悲しげに私の頭を撫でて言い聞かす。
ノイル、お前は醜くなんかないよ、と。
嘘だ。
なぜなら私の姿は胸から上と、太ももから下は人間そのものであった。醜くて野蛮な人間。優しくて、思慮深い魔族のことを馬鹿にして、嫌って、傷つけて、偉そうにしている人間が昔から大嫌いだった。
あいつらはいつも戦争ばかり。私たちにちょっかいかけるだけならまだしも、仲間同士でも争ってばかり。
生き物を殺すためだけの道具を作るために、山を掘って無害な鉱石たちを毒に変えてしまう。
食べきれない量の糧を森や海から獲り、過剰に自分たちを増やしては土地をやせ衰えさせる。身から出た錆であることも知らずに、いざ食べる物が無くなれば罵り合いながら奪い合う。
何もしなければ攻撃しないのに勝手に恐れて、勝手に弓引いて、ちょっと脅かしたら化け物だと罵り、逃げて行く。
道に迷ったり傷ついたりした人間にこちらが優しく話しかけても、悪魔が騙そうとしていると頑なに信じて耳を傾けようとしない。
あいつらはいつも自分で蒔いた種だというのに、あらゆる不条理を呪って過ごしている。
私は人間が嫌いだった。人間に似ている自分も嫌いだった。
みんなのように、誇り高い身体が欲しかった。みんなのように、あれだけ愚かな人間を温かく見守り、その蛮行も優しく受け止める寛大な心が欲しかった。
勿論、魔族の皆は私をバカにしたりしなかった。いつも優しくて、強くて、いろんなことを教えてくれた。癇癪を起こしてばかりの私を気長に面倒見てくれた。
――お父さんはどうしていないの?
あの人は人間だから海では暮らせないのよ。そう母は言った。
――でも、族長やみんなは山の先にある集落の人とお話しているじゃない。お父さんはそこに住んでないの?
何度聞いても、母は父の居場所を私に教えてくれなかった。
私は父親に会いたいという気持ちよりも、お母さんや皆と一緒にいないことを不満に思っていた。
――お母さんは隠し事ばかり! 嫌い‼
ある日、私は母にそう言い捨て、山道をずっと歩いて町へと向かった。
集落よりも遠くへは行ってはいけない約束だったけど知るものか。
町で父親は人間たちと暮らしているんだ。お母さんのことなんて忘れて。
文句の一つも言ってやりたかった。みんなは優しすぎる。
町には沢山の人がいて目が回った。人間ばかりで気持ち悪くなってしまったけど我慢する。誰もこちらをじろじろ見たりはしない。いや、少しだけそういう人もいたけど。いずれにせよ、私の見てくれが人間と一緒であることが改めて分かって、ひどくがっかりした。
お嬢さん、どうしたの?
話しかけてきたのはひげを生やした、おじさんだった。
――お父さんを探しているの。
迷子かい? とおじさんは聞いてきた。
――ううん。家の場所は分かるわ。今日はお父さんに会いに、初めてこの町に来たのだけど、どこに住んでいるのか分からなくて。
じゃあ、おじさんが一緒に探してあげよう。そう言うとおじさんは私の手を無理やり掴んで歩き出した。痛いと言うと、すまないね、と言って少しだけ力を緩めてくれる。
人通りから外れた路地に来て、おじさんは私を抱きかかえると、近くの家の扉をけ破るように無理やり開けて入った。
そこには沢山の男がいた。
みんながみんな目をギラギラさせており、私は察する。人間に良くある欲望だ。
でも集落の人が、とりわけ村の若い男が、村娘に向けるそれとは似て非なるもの。汚くて、惨めで、卑屈で、猥雑なだけの視線。
男たちは黄ばんだ歯とツンとする口臭を私に見せつけるようにしながら、床に押し倒して手足を抑える。纏った衣服が剥がされるのは一瞬だった。
先ほどまで喜色たっぷりだった男たちの顔がどんどん青ざめてゆく。私の身体を見て唇とまなじりをひくつかせ、たたらを踏む。
そして人間どもはドアに殺到するや、悲鳴を上げながら逃れ出て行った。
服はビリビリに裂けてしまい着られそうにない。
仕方なく裸で家を出る。なるべく人気の無さそうな道をこそこそと行く。
もう少しで町を出られる。そう思った矢先だった。
いたぞ!
その声と共に、一気に裏路地に槍を携えた兵士たちが押し寄せ、私は身動きが取れなくなってしまう。
腰が引けた兵士たち。槍の先は蝶が飛び立った後の草花のように揺れている。
――何もしないよ? 服もこんなになっちゃったし、もう家に帰るから。
私が優しく話すだけで、兵士たちは悲痛な呻きを発しながら、槍を突きかけてくる。
何度も何度も槍で突かれ、斧で殴られる。
すぐ死ぬことはない。でも、私は不死身でもない。
なんで死なないんだ⁉
化け物め⁉
早く、殺せ!
そんなことを言いながら、私よりも圧倒的に大きい大人たちは私をただ痛めつけ続けた。
血糊でべったりとした矛先が使い物にならなくなれば石突で小突きまわす。
斧を投げつけ、そこらにある物を手あたり次第投げつける。
――何も……しない……よ?
段々と目蓋が重くなる。
やがて痛みも苦しみも感じなくなった。
もう駄目かと思ったが少しだけ目を開けると、そこには見慣れた姿があった。
――お母……さん?
母の身体に槍が深々と刺さっていた。
やがて物陰から、屋根から、空から、次々と魔族が姿を現す。海の皆だけじゃない。空を飛ぶ者から壁をすり抜ける者まで様々な魔族がいた。
兵士たちは恐慌状態に陥り、ドミノ倒しになってゆく。
そして魔族たちは傷ついた私と母を抱える者と、私たちの周りに垣を作る者に分かれて大通りへと出た。
包丁や家の調度品を持ったまま石像のように固まった人々は、嫌悪と恐怖を顔に張り付け、消え入るような声で呪詛を吐く。
魔族たちはそんな人々を刺激しないよう、ゆっくりと町の外へと向かう。
決して町に潜み隠れるようなことはせず、あなたたちの目に留まるような形で帰ります。私たちに敵意や害意などはございません。
そう魔族の群れは行動で示していた。
魔族が一体残らず町から去るまでの間、人々が心を許すことは決して無かった。
――ごめんなさい……ごめんなさい。
無事でよかった。
泣きじゃくる私に対してお母さんはただそれだけを言うと、いつものように私の頭を撫でてくれる。
その日は夜が更けても泣き止むことができなかった。
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