第31話 勇者との戦い
こちらの挑発に対して勇者たちは嫌味ったらしい顔を浮かべるのみ。
ただ一人、御者の男だけはそろりそろりと、逃げやすい位置取り確保に努めていた。
「なに、この子?」
「魔族? その割には人間ぽいけど?」
「あっ、もしかしてこれがジジイの欲しがってるやつじゃない? 混血の……」
以前、マテ族たちの集落を襲ったシスターも私を調べたがっていたわね。
「欲しがってる、ねぇ……」
それなりに人間たちの間でハーフである私の存在が知れ渡っていることは分かっていたけど、まさか、勇者ご一行の目的が私だとは思わなかった。
「手間が省けるな。まぁ、違っても俺たちの知ったことじゃない」
勇者が剣を抜く。
「こいつを捕まえて、とっととこんな田舎からはおさらばだ」
彼がいないのが幸いした。初見殺しの短期決戦と決め込むとしよう。勇者の発言から、向こうの目的は私だというのは確定だろう。
『
手を当てた胸から熱が生じ、一気に五体が変形する。久しぶりの感覚だ。ごわついた衣服を脱ぎ捨てるような爽快感が全身を駆け巡る。
「何をするか知らないけど、させないよ!」
こちらの変形の隙を付くべく、勇者の仲間が動き出す。それは先ほど見せるべきだった動きだ。
「乱れ打ち『フランキスカ』」
「サティ・フレイム」
「マダウ・パージ」
無数の手斧に黒い炎。そして、目を焼かんばかりの赤い光が襲い掛かってきた。
その一つ一つは、それぞれのクラスが取得するスキルの中でも最高峰の攻撃であり、常人では決してたどり着けない領域の絶技であった。
全身を襲う痛みと熱。そして爆風が吹き荒れる。自分という存在が四方に向かって引きちぎられるような感覚に襲われた。
「即死っしょ?」
「呆気ない」
えぇ、そういう反応が妥当でしょう。でも、それは相手が事切れたことを確認してから述べるべきこと。
「なっ⁉」
砂煙が収まり、平然としているこちらを見て彼女たちは瞠目する。トリガーを引いた私にはもう、先ほどのような攻撃は通用しない。
「腐った天使の死骸とワームが合わさった姿……混血の堕姫って名前そのものね……」
「醜い化け物だな」
「なんて姿してるのよ……」
そう。これが人間として当然の反応。
彼の元の世界に魔族が存在しないのに対して、コスミシアの者たちは魔族を目にする機会は少なくない。それなのに勇者一行ですらこれだ。ごく一部の例外を除けば、人間が魔族の見てくれを好意的に見ることもなければ、慣れ親しむこともない。
錆浅葱色をしている、腐敗しきった天使のような五体。全身には無数の触手を持つワームがまとわりつき、ドレスを纏うような姿となっている。その顔は大きく開いた口だけしかなく、口内には螺旋を描くすり鉢状の歯。
これがトリガーを引いた後の私の本性。彼には絶対に見せられない完全体の姿だ。
「小物ばかりの相手で退屈していたんだ。ようやく歯ごたえのある奴の首を取れそうだ」
尻込みする仲間に対して勇者はただ一人、歩を前にする。
『己の力を過信しないことね。出し惜しみせずに、最初から出したら? フォースを』
「
こちらの言葉も聞かず、肉迫してきた勇者が片手で剣を振り下ろしてきた。
遅い。隙を付いたつもりか?
それに型も良くない。力任せの一撃だ。
ならばと、エールを左方向へと振りかぶり、その斬撃に合わせて横一線にした。
勇者の剣とこちらの鎌が噛み合ったとき、その軽さに驚いてしまう。まったくもって押し負ける気がしない。
「がはっ!」
剣は砕かれ、高く浮き上がった勇者の身体が地面に叩きつけられる。
情けない。
流石に素質は十分なようで受け身は取れずとも、すぐに起き上がったが。
「てめぇっ!?」
『ごめんなさい。あなたたち勇者ご一行でいいのよね? もし、違うのだったら用は無いの。私は当代セブンスとして、フォースと話したいだけだから』
「舐めてんじゃねぇ!」
折れた剣をだらりとさせて凄まれても、どう反応しろと言う。
膝は震え、目は焦点が合っていない。
「ワーム。食みなさい」
ドレスのように纏わりつくワームたちが裾の方から浮き上がり、勇者へを襲い掛かる。その目に痛い白銀の鎧を穿ち、赤々とした血肉を貪ってゆく。
「ぐあああああああああ!」
『もういいわ。崖下にいる置き去りの子の手当もしないとだし、早く終わらせましょう』
「ぐっ! ――
勇者の声に応じて一筋の光柱が立つ。瞬間、ワームたちの先端がその光に焼かれていった。
勇者の手に山吹色に輝く一本の槍が顕現する。そして身体はおろか穴だらけになった鎧までもが、みるみるうちに回復していった。
四つ目の大罪武君にして最も長い間、人類と共にある存在。代々、勇者のもとに姿を表す伝説の槍、セイント・ネバー・サレンダー。
人の領域に接する魔族にとって、この方を勇者の手から引き剥がすということが、自分たちの平和を確保する上で最優先なことだ。
『ご無沙汰しております。セイント様』
頭を垂れると勇者の手にした槍から信号が伝わってくる。以前に会ったのは随分と前だが、どうやら覚えていてくれたようだ。
「なに武器に挨拶してんだ? まだ勝負は終わってねえぞ!」
勿論、私たちのやり取りが人間に分かるはずがない。まったく、このお方をただの便利な武器としてしか見ていないとは不敬な。
いずれにせよ、この槍を持った勇者こそが魔族にとっての真なる大敵。
『今日こそ我らがもとにお戻りください』
黒い刃と金色の矛先が嚙み合った。
先ほどのなまくらとはわけが違う圧に、両足で地面に轍を作りながら、こちらの身体が大きく後方へと押し飛ばされる。
『ちっ!』
「どうした⁉ さっきよりも随分と軽いじゃねぇか‼」
先ほどまでの幼稚な立ち回りではない。
フォースの力により、身体能力と反射神経に限らず、技量さえも底上げされている。何より、その威圧感にこちらが臆しているのが大きい。
彼の力の意図。それは魔族と人間の間にある如何ともしがたい力の差を埋めることにある。
持ち主の身体を自動で回復する能力はおまけのようなもの。その真骨頂は、ずばりジャイアントキリングを実現させることにある。
セブンハンズの四番目。セイント・ネバー・サレンダーはその持ち主の力と相手の力の差を判断し、持ち主が弱いと見れば、その身体能力や技能を大幅に向上させる。それこそ、圧倒的強者を前にしても、それに比肩するほどの力を持ち主に与えてしまう。
その矛から生じる衝撃に身を晒し、切っ先で体の表面を裂かれてゆくだけで気力も体力も削られてゆく。
セブンハンズにおける最強の矛と最強の盾。
彼にエールの力を預けていることに加え、先ほどの魔力消費が尾を引き、分はこちらが悪い。そんな言い訳をしていたいけれど、勝ち筋のない戦いでもない。こうなることは想定済みだ。
ワームたちを身体から放って勇者の足止めをする。その都度、切り捨てられてゆくが、彼らは分かたれた体であるため心を痛めないで済むのは大きい。ただその分、動きには期待できないが。
『エール! 散開‼』
防御に回す分を最低限にする。
エールを複数個の玉に分け、宙を走らせると、その黒い影たちは瞬く間に勇者の周囲を覆った。
『結べ!』
影同士が毛細血管のように細かく結ばれ、その中にいる勇者の体が霧散する。
「失せろ!」
『――っ⁉』
そうなるはずだった。
エールが勇者の身体を貫かんとした瞬間、凄まじい剣風が吹き荒れ、影たちが一瞬で切り捨てられた。
フォースの槍の精密かつ目にも映らない速度の攻撃にはエールも為す術がない。やはり防御に専念した方が対等には渡り合える。
ただ、守ってどうなる?
フォースの恩恵でその身体は多少の傷ならすぐ治ってしまう。疲労の回復スピードも常人のそれではない。
経験と思考で私は勇者を上回る。リスクを負ってでも、こちらも攻め手を欠いてはいけない。
攻防のさなか、隙を伺いつつまずは守りに徹する。この勇者のことだ。必ず横柄な一撃を繰り出すはずだ。
そして、その予想は当たる。
フォースの意思に反した大ぶりな一撃。それを受け流し、低い姿勢で相手の懐へ。そのまま鎌を下段から、おとがい目掛けて振り上げた。
「――っ⁉」
『取った』
顎を貫いて弧を描く黒刃は、その整いすぎて気色が悪い顔の額から切っ先を覗かせた。勇者は瞬きすることのない人形のように、目をかっと見開いて硬直した。
「勇者様⁉」
『未熟なまま、お陀仏しちゃったわね』
いくら勇者といえど、頭を貫かれてはひとたまりもないはず。
そう思った刹那、事切れたと思った勇者の目がガラス玉のようにぐるりと回り、こちらを睨みつけた。
「がぁっ‼」
鈍い気勢を発しながら、勇者の拳が振るわれる。
エールを手放して大きく飛び退き回避したが、その勢いには寒気が走った。
『やはり勇者。化け物ね?』
「黙れよ、てめえこそ化け物だろうが……。冥界に送り返してやる」
エールは私から離れても鎌の形を保ってくれている。ダメージの蓄積を期待してのことだろう。でも、それは望み薄かもしれない。
『私たちはなにも冥界の住人ではないわ。確かに魔族は死を厭わない。でも、与えられた一生もまた愛しているの。そして、生を全うした先にある混沌の螺旋の中で、すべてのものたちと一つになることを夢見る。それが私たち魔族。可能性も運命も私たちにとっては等価なの。共感してくれると嬉しいのだけど』
「わけの分からないことを抜かすなぁっ!」
勇者は下から頭部へと刺さったエールを引き抜き、放り捨てる。
そして槍を再び構え直す。その手にされた者の名に恥じぬ不屈の闘志を宿して。
まったく。どうしてこの方は、こんな愚物さえも英雄に仕立て上げてしまうのだろうか。
こんな下賤な勇者ですらこうなのだ。彼がフォースを手にしたら一体どうなってしまうのだろう。
『――っ⁉』
この死地において私は何を考えているのか。
きっと血と魔力を消費し過ぎたせいだ。頭が重い。消しても消しても、彼のことばかり思い浮かぶ。
舞い戻ってきたエールの鎌を手にしても、動悸は奇妙なままだ。
落ち着け。戦闘中よ。あんな人のことなんて、もう放っておけばいい。
『……っ』
「何だよ。随分と苦しそうじゃねえか。おい、お前ら! 援護しろ‼」
先ほどまで腰が引けていた勇者パーティーの面々から、次々と投擲と魔法が繰り出される。
『面倒ね……』
刃を交わしている方がまだ楽だ。それしか考えなくて済むから。
大丈夫。まだ、こちらの魔力はある。相手の損傷は激しい。他の者たちの攻撃は、ややこちらの集中力を削いでくるが大した威力じゃない。セイント様の回復能力も無尽蔵ではないはずだ。
勇者が刺突を放つ。
ゆとりを持たせず、腰をひねらせて間一髪で避けてみせよう。こちらに余裕がないと思い込ませろ。
そうすれば、また相手は隙を見せるはず。
『ぐっ⁉』
強い衝撃が走った。
ノーモーションで勇者は刺突から横薙ぎにつなげていた。先ほどまでの動きとは段違いの速度であった。こちらの脇に深々と槍の柄が食い込む。
『がはっ!』
山肌に叩きつけられ視界が朧になる。それでも金色の光が迫るのが分かった。
「死ねやぁ! ディスオォオオオダリィイイイイイ‼」
山肌ごと穿つような刺突に身体が重力を忘れる。
そして槍が胸元を貫いているのを認識した後、遅れて痛みと熱が私を駆け巡った。
『――こほっ』
手指から一気に力が抜ける。
自分が立っているのか、座っているのかも分からない。
『おら! もう終わりかっ⁉』
槍を引き抜かれ、地面に横たわった私に勇者は何度も石突きを見舞う。
この執拗さはまさに人間だ。
あの日の記憶にある、人間の執拗さだ。
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