第30話 すれ違いの代償

 こっちが色々と悩んでいるというのに、この森は呑気だなぁと少し恨めしくもなる。

 木漏れ日の温かさも森を抜ける風の冷たさも、今の俺には少し遠い。人間よりも幾分鈍感になってしまったこの身体は、やはり魔族のものだ。それなのに、どうして美的感覚や倫理観などは昔のままなのだろうか。

 次にノイルに会ったとき、俺は謝れるだろうか。そして、その謝罪は彼女に届くだろうか。


『まぁ、謝るにしてもそれはそれ』


 そうだ。俺にはやらねばならぬことがある。


『これはこれ、というわけで村の女の子とお友達になるぞ~』


 魔族に友好的な人間なんて滅多にお目にかかれないだろう。

 ここで俺は彼女を作る!

 集落へと戻ればアオザイを身に纏った美人さんばかり。艶のある黒髪に郷愁の念を抱きつつ観察。うん。みんな、色々と仕事をしており大変そうだ。ナンパとか絶対に迷惑。というかナンパってどうすればいいの?

 こちらと目が合えば、客人として迎えられているため、目礼や挨拶は返してもらえる。よし、今日のところは顔を覚えてもらうことに努めるか! 顔はないんだけどな!

 話しかけるのは明日にしよう。それ、明日もできないパターンじゃん。

 いずれにせよ、集落の隅でじろじろ村人を見ているだけとか、ただの不審者でしかないため、再び村はずれの山道へと戻る。


『ねぇねぇ、女の子と仲良くなるにはどうすればいいと思う?』


 小一時間ほど悩んだ末、導き出した答え。それは他者の意見を聞くというものだ。

 ガントレットにはめ込まれ、輝く宝石たちに俺はガチトーンで悩み相談していた。

 しばらく話しかけて見たところで、反応も得られず俺は自嘲気味に笑ってしまう。

 頭の片隅にこびりついて離れないのは、村の女の子たちに話しかけられない情けなさでも、恋人が出来そうにない窮状でもない。


 ――嫌いよ……人間なんて。


 あの時のノイルの表情をかき消そうとしても消えない。


 ――あんたは、どうなのよ。魔族があんたに何かした?


 傷つかないわけないだろ。仲間を前に、逃げ出されたら。


『あー。何やってんだよ』


 うつむき、ガントレットと兜がぶつかり合った瞬間、手の甲が光った。

 黒、桜、赤の三色の光の柱が立ち、ガントレットからエール、トリア、そしてレッドが現れる。それぞれ、手のひら大のススワタリ、ミミック、そして子ギツネの姿をしていた。


『おぉ……レッド、めっちゃかわいいじゃん。でも他の奴らと一緒で目はないんだな』


 右の甲に乗っていたトリアを軽く振り落して、左甲にちょこんと乗っている赤いキツネを撫でんと手を伸ばす。ちなみに、エールはすでにレッドに蹴り落されており、地面でのたうち回っている。


『痛ぇっ!?』


 突然レッドの口が顔の倍は開き、俺の指にがっしりと嚙みついた。

 なんで気体状態なのに痛いんだよっ!?

 いや、落ち着け。こういう時は日本国民なら誰もが知っているであろう、あの国民的アニメのやり方で対応だ。


『ほら、怖くない。怖くない。ほらね怖く――いや、無理だわ! ちょいちょい、レッドやめて! マジで痛いから‼』


 どれだけ手をぶんぶん振っても、レッドは噛みついたまま離れない。

 足元ではエールとトリアがくるぶし付近を叩いて来る。そっちの方は別に痛くないけど、とりあえず蹴散らした。おー、よく飛ぶなぁ。てか、レッドはマジでやめて!

 小一時間くらい格闘しただろうか。気化状態で鎧から抜け出したり、液化したり、固体化したりしてみたが、レッドはどのような形態でも飛びかかってきて、こちらにダメージを与えていった。お前の牙、海楼石で出来てんの?


『とりあえず、怒っていらっしゃるのは理解しました』


 倒木の上でふんぞりかえっていらっしゃるレッドに……いや、レッド様に頭を垂れる。その隣でいきがっている、キツネの威を借るススワタリとミミックは後でしばくとしよう。


『ですが、その「なんで怒っているか、言わないと分からない?」みたいなイベントは、できれば彼女と付き合って二年目くらいの頃までは取っておきたいと思っておりまして……怒っている理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?』


 そう言うや否や、エールとトリアが木をバンバンと叩いて不満を露わにする。いや、お前らは引っ込んでろよ。台パン勢かよ。そう思ってたらレッドが二人を尻尾で叩き落とした。両隣で馬鹿みたいに音を立てられると嫌だよね。

 しかし、レッドさんはそう容易く答えを教えてくれそうにない。というか、言語のやり取りができないから、気持ちを汲み取れる自信もないけれど。


『僕が童貞だから、怒っていらっしゃるのでしょうか?』


 口がエイリアンのごとく、ぐわっと開いて兜を丸かじりにされた。


『女の尻ばかり追いかけているからでしょうか?』


 足首に噛みつかれ、凄まじい力で振り上げられると、地面に叩き落とされた。


『もう怒っている理由はどうでもいいので、痛めつけないでもらっていいですか?』


 ケツに頭突きを喰らった。なぜか今までで一番痛い……。

 分からん。どうして怒られているのか。

 腹ばいになった俺をレッドは冷たく見下ろしてくる。ハンズの中では良心的なまとめ役と聞いていたのにあんまりだ。ルーザもこってり叱られていたのかなぁ……ルーザ?

 ふと、別れ際の一言を思い出した。


 ――魔王様。私以上にあなた様のことを想っていらっしゃる方がいることに、そろそろお気づきになってはいかがでしょうか?


 俺を想ってくれている人。

 本当は分かっていた。でも、もしも違ったら……。そう思うと怖くて、違うと決めつけ、その可能性から全力で目を背けてきた。


『そんなこと言われたって、もしも違ったら二度と立ち直れない気がする……』


 両肩にエールとトリアが乗ってきた。なぜか、励まそうとしてくれていると分かった。レッドも心なしか怒気を和らげてくれたように感じる。


『やっぱり、謝らないとな』


 片膝を付いて立ち上がる。ノイルのもとへ行こう。

 そう思った矢先、遠くの山で爆発音が轟いた。


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 あなたはそういう人。

 独りぼっちの子を見つけると仲間の輪に戻してしまう。

 初めて会った日もそうだ。

 友達のために自らの恥を語るように促し、道化を演じ、周囲から馬鹿にされてもケロリとして、満足そうに輪に入れた者を眺めるのだ。


「馬鹿……いい加減、慣れてくれてもいいじゃない。どうしてコヨマツ族はよくて、私たちは駄目なのよ…………私じゃ……」


 分かっている。しょうがないのだ。

 彼の中身はただの人間。ラフワムート族をはじめ、多くの魔族はおぞましく気持ちの悪いものとして人間に認識されてしまう。こっちの世界でも、彼がいた世界でも、それは変わらない。

 私の怒りは勝手だ。

 勘違いして、ただの人間を魔王に仕立て上げた癖に自分たちを認めず、人間の尻を追いかけてばかりの彼に筋違いの不満を抱いている。


「はぁ……」


 何度目のため息か。彼に気付かれそうになって森の奥へと逃げ、一人で歩きまわってどれくらい経つだろう。

 おもむろに肩口をエールがこりこりし始める。


「えぇ、えぇ、そうです。私が悪いんですよーだ」


 ふてくされたくもなる。

 こっちだって、どうしていいか分からない。もう少し、自分は大人だと思っていた。でも、胸の内ではふつふつと嫌な感情ばかりが湧いて出て仕方ない。


「なんか、今日はあなたしつこいわね」


 エールは一向にこちらへと何かを伝えようとしている。

 私を諫めたかったわけではないことに気付くのに時間がかかった。それは警戒しろという合図だった。


「――っ⁉ この魔力量……。もう勇者が来たの?」


 エールが感じ取った気配を辿って、そちらの方向へと駆ける。

 森を抜けると崖に出る。こちらのように青々とした場所とは打って変わり、深い谷の向こう側は、岩肌が露出してやせ衰えた崖道が続いていた。


「あいつら……」


 その崖道には予想通り勇者一向がいた。

 ただ、彼らの今行っている所業は目に余るものだった。


「たく、お前ら島国の馬はどうしてこうも間抜けなんだ。鈍間で、惰弱で、あまつさえ崖から落ちるなんて」

「ここらの道は険しいですから、よく足場が崩れるんですよ。でも、ほめてください。手綱を斬らなければ、今頃、馬車ごと真っ逆さまですよ?」

「そもそも御者であるお前の責任だろうが」


 勇者たちが見下ろす先には、崖から今にも落ちそうになっている馬が一頭。

 遥か眼下に見える、糸のように細い激流へと落ちないように、懸命に脚で踏ん張っている。しかし五体は命の危機に瀕してか震え、か弱い声を発している。もう一頭の馬も崖の上から心配そうに見下ろしていた。しかし、助けに行くことはできそうにない。


「ははっ! がんばってぇ、お馬さん」

「情けなっ。とっとと落ちればいいのに」

「いやよ。これ以上、馬車の旅が長引くのは。あの馬が落ちたら、お猿さん。あんたも車を引きなさいよ」

「それはどうかご勘弁を……」


 勇者パーティーは報告通りシーフ、白魔術師、黒魔術師、そして戦士たる勇者の四人。もう一人、肩身の狭そうにしている御者はコルマハラの剣士のようだった。


「あの情けない声を聞いているとうんざりしてくる。落とすぞ」

「さんせ~」


 勇者たちは手ごろな石を拾い、崖を昇らんとしている馬に向かって遊戯のように放り始めた。

 馬はあられのように降り注ぐ石に悲鳴を上げ、足を忙しなく動かす。


「おらっ、とっとと落ちろよ駄馬!」


 勇者の放った石が額に当たり、馬がバランスを崩して奈落へと落ちていく。


「エール!」


 死なせはしない。

 黒い影が落ち行く馬を包み、大鷲のような翼を形作る。落下してゆく速度が緩やかになり、そのまま谷底の川のそばにある、わずかな岩地にふわりと着地した。


「なんだ、あれは?」

「あそこに魔族がおりますよ。勇者様」


 御者がこちらにいち早く気付いた。

 まったく。不意打ちして楽に片づけたかったのだが仕方ない。

 馬を救う際、思った以上に魔力を消耗してしまった。飛翔するのも飛翔させるのも、エネルギーを食うものだ。ただ、そこまで悪い状況でもないだろう。

 崖から飛び上がると、先ほどと同じようにエールが私の背に羽根を生やす。そのまま谷を越え、勇者の下へと降り立つ。

 こちらが無防備に空を散歩していたというに魔法の一つも放たない。その傲りはどれだけ代替わりしても相変わらずではある。


「初めまして。当代の勇者様」


 宙に手をかざすとエールが集い、漆黒の鎌となる。


「その子供じみた嗜虐心を少しは強者に向けてみたらどう?」 

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