第28話 勇者
「まったく。失礼じゃないの!?」
砂浜で打ち上げられた鯨の如くへばっていると、不機嫌なノイルに胴をげしげし踏まれる。あぁっ! ありがとうございます‼
じゃないよぉ……ぐすん。
『申し訳ないが、あまりにも数が多すぎる……。ウォルフガンドはまだ数も少ないし、フォルムも受け入れやすい方だったんだなぁ』
「少しは慣れたと思ったらこれか……本当に情けない」
うるうる。
「そういってやるな、ノイル。報せは受けておるぞ。魔王様はもとは人間。我々の姿を見て怖がるのも無理はない」
渋い声が海の底からしたと思ったら、波打ち際から大きな魔族が砂をかき分けて現れた。それはヤドカリのように巻き貝から上半身を出したラフワムート族だった。色合いはワインレッドに黒。とても威厳のある姿だった。てか、怖い。
「族長……。ですが、あまりにもさっきの態度は失礼です」
「よいのだ、ノイル。ゆっくりと我らのことを知ってもらえばよい。今日はこれから人里へと向かう予定だ。魔王様にも同行していただき、彼の民と我らの交流を見てもらえれば、また印象が変わるだろう」
なんだこの好々爺は。ガンド王もそうだったが、山のように高い貫禄と海のように深い慈愛に満ちている者が多くないか?
あの三賢者もとい三馬鹿とか、なんで失脚しないんだよ。
「そこまでお考えくださり、頭が下がります。ほら、あんたもいつまで寝そべってるの?」
『ありがとうございます、族長。でも、いいんですか? 人と会うだなんて』
交流って、魔族と人が仲良くするところなど想像もつかない。
「案ずることはございません。我らと彼の山の民は先祖代々、この地を協力して守り継いできた間柄。他の人間たちのように話の出来ない者たちではないのです」
『それはすばらしい』
あれ?
さらっと流せない情報が舞い降りたぞ。
つまり、あれか?
あれなのか?
魔族と交流がある人の村=魔族を怖がらない人間がいる=俺と付き合ってくれる人間の女の子がいる。
はい、見えました!
栄光のシャイニングロードが!
「行きましょう! 魔族と人間の共存と繁栄。そのフロントラインを! そのモデルケースとなる場所を是非、拝ませていただきたい‼」
「あんた絶対、邪まな気持ち抱えているでしょ」
『何を言いますかノエル嬢。私は愛と平和の使者。ラブ&ピースの申し子。邪な気持ちなどこれっぽっちもございません』
「やはり流石は魔王様として選ばれた御方だ。まさしく王の器です」
『いやぁ、そんなそんな』
「族長、こいつを調子乗らせないで」
よーし、王様としてがんばっちゃうよ。
魔族と人類の和解。その先には魔族と人類の和合だって待っているはずだ。
ラスボスに優しいギャルもそうさ! 必ず存在する‼
「申し遅れましたが、私はレガと申します。一息ついたら行きましょう」
人里まではそこそこ歩くようだった。やどかりに山道はどうかと思ったが、歩くときは後ろに開いた穴から針毛なのか触手なのか、はたまた脚なのかは分からないが、ひとまず身体の一部を出して四足歩行気味に進んでいった。わりと速い。
20分ほど歩いただろうか。中腹には木造建築の集落があった。
香る湯気や生活音も含めて、人の集落だということがすぐ分かる。魔族の集落は食事をしないから炊事の気配がない。それが決定的な人と魔族の生活感の違いだと思う。
集落の入り口では二人の兵士の間に並ぶように、短く白髪を切りそろえた老齢の男が立っていた。波をデフォルメしたような柄をあしらった紺のローブが特徴的だ。
「レガ。よく来たな。そして、おぉ……ノイルも大きくなって」
「シェンミ。今日は我らが自慢の姫君に見惚れるのもよいが、もっとすばらしい客人が来ているぞ」
族長と村長は挨拶を交わしつつ、固く手と触手で握り合う。
なんという異種族間コミュニケーション。二人の屈託のない笑顔を見ると、いや族長の方は笑顔とか分かんないけど、とりあえず戦争とかいらなくない? と思ってしまう。
集落の人々の肌は褐色で、髪は黒髪。顔は彫りが深く鼻も高い。ギラギラした目に、猛るように太く伸び上がる眉。
文明レベルはやはり他の地方と同様、中世くらいだろうか。
誰もが興味津々にこちらを見ている。というか、みんなノイルに釘付けだな。
「その鎧の御仁か? お初にお目にかかります。この集落の長を務めております、シェンミと申します」
『えっと魔王です。よろしくお願いします』
冷静に考えると、とんでもなく間抜けな挨拶だよな。
誰か名前プリーズ。
「ほぉ。御身をお隠しになっておりますが、さぞ荘厳なお姿をしておられるのでしょう。何もない村ですが、ごゆるりとお過ごしください」
『は? あぁ、はい』
いや、魔王が来たのに反応が薄い!
なにその慣れてますって感じ。
「ときにシェンミ。勇者一行の動向とコスミシアの近況はどうだ?」
「どちらも思わしくない。勇者一行はいくつかの町を素通りして、予定よりも早くこちらに来そうなのだ。早ければ数日と経たずに着きかねない」
待って。本当に早いな。
「ずいぶんと、我々の結束が疎ましいようだな。あるいは、鉱山を新たに欲しているか」
「どちらもだろう。至る所で山が開発され、森が狭まり、海は汚れてゆく。人間たちの豊かさと武力のためだけにだ。しかし、お二方が間に合って良かった」
「必ずや、勇者を撃退してみせます」
『話し合いじゃ駄目なの?』
「それが望ましいけど無理よ。相手は勇者だから」
『勇者って善い人そうじゃない?』
プルプル。僕、悪い魔族じゃないよ、って言えば見逃してくれないかな。主人公ってそういうもんでしょ? 今回は特別に、イケメンでも怒らないから仲良くしよう?
言葉の通じぬ獣でもあるまいし。いや、そこそこ対話できない子たちがこの世界は多いけどさ。
「見て判断すればいいわ」
ノイルは遠くを見つめた。
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乾いた風により、逆巻く炎が舌なめずりしながら町を覆ってゆく。広がる黒煙は逃げ惑う者たちの肺を焦がし、夜空が決して真なる黒ではないことを告げる。
「けが人はこちらに集めろー!」
「崩れるぞっ! 離れろー‼」
「ママーっ! どこー!?」
夕暮れ時、街道沿いで起きた原因不明の爆発により山火事が起こった。
町の西方が焼かれ続け、新月の晩を迎えてなお、赤々とその火炎は勢いを増してゆく。
「アデル! そっちはどうだ!?」
「駄目だカリム! 水も人手も足りない‼」
「きついな。だが、ある程度は家屋を壊せたから、どうにかこれ以上の延焼は免れそうだ」
「そうか。だが初動がまずかったな。消火よりも、先に周りの家屋を崩しておくべきだった」
「まったくだ。おまえが長老連中を言いくるめてくれたから、どうにか人員配置を変えられた。ありがとう」
「あいつらの指示通りやってたら俺たちは丸焦げだったな」
「違いない。ん? おい、西の方から誰か来るぞ!?」
こんなときに向こう側から人が来るだと?
炎に包まれた通りの先には青白く発光するくらげのような膜が見え、炎を遮っていた。
その中には豪奢な馬車があり、こちらにゆっくりと向かってくる。消火作業する者たちも気づいたようだった。
「あれは」
「もしかして勇者様ご一行か⁉」
「本当だ!」
蛇を断つ剣に王冠を戴く孔雀。
勇者のシンボルと王家の紋章を合わせた、そのエンブレムを掲げる馬車はまぎれもなく、勇者一行を示すものだった。
人々の顔に活気が戻る。勇者様のお仲間には世界でも数えるほどしかいない魔術師様が二人もいる。
きっとあの魔法は炎から身を守るためのものだろう。ならば、この火を消す魔法もあるかもしれない。
「勇者様とお見受けしまう! 突然で申し訳ないのですが、町がこのような有様でして、どうにか助けていただけないでしょうか?」
カリムが真っ先に駆けつけた。
こういう時、怖じ気付くことなく脚を前に出せるのがこの男の良いところだ。頭で考えて口を回すだけの俺とは大違いだ。
でも、あいつは話が上手くない。俺も口添えしてやらなくては。
「――っ」
「え?」
馬車の側へと寄ったカリムの動きが止まったと思った瞬間、その首が落ちた。血潮が呑気に一筋吹き上がると、首から下も後を追うように崩れる。
「うわあああああああ!?」
「騒がしいなぁ。しくじったのか? コジロー」
「いえ、もう一人の方が叫んでるだけですよぉ」
御者の男はここから東方にある島、コルマハラの民族衣装を着ていた。そしてその手には流線型の片刃剣を携えている。その刃先にはつうっとカリムの血糊が流れている。なぜか御者の後頭部や肩口にはつぶれたトマトがたくさん張り付いている。
「猿君~。二人同時に斬れないのぉ?」
「すいやせん……なにぶん、距離があったので」
「使えない奴ぅ」
馬車の中から御者の背に向かってトマトが投げつけられる。何個も何個も自分の背や頭にトマトがこびりついても、御者は卑屈に笑うのみ。
「えへへ……役立たずで、どうもすいやせん」
「本当だよ、お前」
荷台から人影が現れる。
金髪金眼に鏡のように磨き上げられた白銀の鎧をまとう青年。その佇まいから、たとえ知らなくても分かった。本物の勇者だ。
さらに後ろからは三人の少女が付き従う。
「ラームのせいでこの町で補給できなくなったじゃん。どうするの?」
「私の魔法のせいじゃないし。そもそも、町のほとんどが木の家とか、どんだけ遅れてるのよ」
「あーあー。お肌乾燥しちゃう」
この大火事を前にしても、何のことはないように四人はこちらを見下ろしてくる。
悟ってしまった。確実に、この者たちは自分たちを人として見ていない。
「勇者様……この者は確かに馬車の前に立ち、不敬にも話しかけました。大変見苦しく、大層邪魔だったことでしょう。ですが、それもこの惨状を思っての蛮勇。どうか、この者の命に免じて、我らをお助けいただけないでしょうか?」
半月のように顔半分に影を強く帯びる勇者は、感情の色を見せることがない。
ひときわ冷たい眼差しを浮かべつつ、自分の肌に魔法をかけていく白いローブの少女。興味が失せたように荷台の中へと戻る黒いローブの少女。そして盗賊然とした少女は一人荷台から降り、町中へと姿を消した。
「お前は何? 何で俺に話しかけてるの?」
「――っ⁉ ……申し訳ございません」
「なに謝ってるの? 俺に謝れるほど、お前は偉いの? そのくすんだ肌。黒い髪。黄ばんだ歯。濃い瞳」
思わず頭を垂れると唾が吐きかけられた。
「なにをお願いしてんだよ? 猿にお願いされるのなんて、飯の懇願だけで十分なんだけど。そもそも何でお前は俺たちと同じ言葉を使ってんだよ」
「もう、そいつも轢いちゃいなよ」
「何を勘違いしているのですかね」
「駄目だ。この町やっぱしけてるわ~」
シーフの少女が戻って来ると馬車が再び動き出した。
「勇者が来るっていうのに、ろくに蓄えもないのか。そのくせ自分たちの要求だけは押し通そうとするとはな。その傲慢さと無知さは驚嘆に値するな。命だけは取らないでおいてやる」
「それは酷ですぜ、旦那。ここらは去年不作だったのに、中央にはしっぽり税を納めさせられたんですから。消えた村より残った村を数える方が早いってくらいなんですよ、ここら一帯は」
「黙ってろ、コジロー」
「……へい」
お待ちください。
そう言える勇気はどこにもなかった。
自分の言葉は絶対に届かない。
ただ、真昼とは比べるべくもない粗暴な明るさに肌をじりじりと焼かれながら、その馬車を見送るしかなかった。
「火を消すにはね、より大きな火炎で空気を焼き尽くすといいんだよ」
どうしてだろう。
こんなにも遠いのに、その言葉だけは明瞭にあの馬車から聞こえた。
光が走る。
太陽が落ちてきたかのような眩しさだった。それに続いて、大地がひっくり返されたような轟音に全身が包まれた――。
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