第27話 里帰り

「勇者様ー!」

\勇者様万歳!/


 魔族の侵攻に日々晒され、コスミシアの人々は眠れぬ夜を過ごし、鬱屈とした朝を迎え続けている。

 それでも今日この時だけは、多くの人々が期待と羨望によって目を輝かせている。

 城下の娘たちが懸命に作った紙吹雪が花びらと共に舞い、親に肩車された子供たちはまばたきすることすら惜しみ、その瞬間を待ちわびている。

 王城の跳ね橋が降り、白馬に乗った勇者様ご一行が姿を現した。

 勇者様を補佐する美しきシーフ、白魔術師、黒魔術師を目にして、男たちが雄叫びを上げる。

 そして、トリを飾る秩序の勇者がその姿を白日の下にした瞬間、歓声は一気にピークとなって城下町全体が揺れた。


「勇者様ー!」

「平和をこの世にー‼」


 その声に応じるように、勇者様は涼しげなまなじりを人垣へと向ける。黄色い歓声が沸き立つ。娘たちの中には目を眩ませて倒れる者まで現れ出した。

 その金色に輝く髪と瞳が日の光の下で強い輝きを放つ。それは黄昏を穿ち、人類の夜明けを賛美するかのような輝きだった。

 おぉ、勇者様よ。どうか残忍で冷酷な魔族をこの世から殲滅してください。

 秩序のご加護があらんことを。


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『おぉ~』


 潮の香りだ。

 霧が開けた先は断崖絶壁。見慣れた青い大海が広がり、岩を砕く波頭と吹きすさぶ海風が鼓膜を震わす。

 温暖な気候のため、ノイルはベアトップワンピースだけとなっている。少女の鎖骨回りや肩口が惜しげもなく晒されており、お父さん心配になっちゃう。

 そして妖艶な紫色の髪はポニーテールにされており、翻るたびに目線がつられてしまう。その白いうなじは、もはや陽の光と同等なくらいに眩しかった。

 ちなみにジャケットとブーツはミスト内の適当な集落に置いてきていた。今、彼女の足元は厚底のレザーサンダルに変わっている。隙間から覗く白い足首やつま先に目が吸い寄せられる。その爪は瞳の色に合わせるようにアイスグリーンに塗られていた。

 それを見留めて、一気に気分が沈静化してゆく。


「なに? 見惚れちゃった?」

『いや、爪は塗らなくていいんじゃね? と思って』

「……お前のためのお洒落じゃない」


 その目つきと声音に怖気が走った。

 一瞬で肝が冷える。


『あっ……あー、空に浮かぶ惑星が普通だったら、異世界だなんて思わないだろうなー』


 殺気の含んだ視線に耐えきれず、無難な話題に素早く切り替える。

 すいません。女心が分かってなくて、どうもすいません。

 雲一つない空には三つの超巨大惑星が相変わらず間近に浮いている。とはいえ、その大きさが異常なだけで、遙か遠くにあるのだろうが。


「私たちにとってはこれが普通の光景よ」

『確かにそれはそう』


 宇宙人。向こうから見たらこちらが、宇宙人。


『で、ここがコルマハラ?』

「いいえ、コルマハラにはここから数日歩いた先にある港町から船で行くわ。ただ、その前にこっちで用を済ませないといけないの。それに、あんたにはコスミシアの人々の暮らしも見てもらいたいしね」

『なるほど。で、用ってなに?』

「勇者がこの地方に来ている」


 ノイルの説明に思わず息が漏れた。


「だから、ここらで排除しておきましょう」

『いや展開早くない⁉ 今の俺たちで勝てるの?』

「まぁ、10回やれば4回くらいは勝てると思うわ。大丈夫よ」

『意外と勝率高いね! でも、普通に負け越してるじゃん‼』

「まぁ、その話はおいおいで、とりあえずは魔族と合流しましょう」

『丁半博打は魔族の悪い癖だよ……』


 一旦、水平線にお別れをして山間の道を分け入ってゆく。魔王が徒歩で山登り。シュールだ。

 しばらくすると小さな入り江にたどり着く。その先には洞窟があった。


『魔族、洞窟好きすぎない?』

「違うわよ。あそこも利用しなくはないけど集落はこっち」


 ノイルが指さす先はエメラルドグリーンの入り江。入り組んだ場所にあるため、穏やかな波がかすかに海面を揺らすのみで、薄い泡すら滅多に生じない。

 こんな場所で水着の女の子と戯れたいなぁ。

 ふとノイルを見やる。水着になった途端、露わになる本性を思うと身震いがしてしまう。あの日のトラウマが……スク水なら……いや、趣味じゃないな。ワンピース型の水着なら全然いけそうだ。うん。

 そして膝がっ⁉


「なにか失礼なこと思ったでしょ?」

『また心を読む……。てか、ノイルの膝かっくん、えぐいんだけど。最近、ちょっと怒りっぽくない?』

「この程度で済ませているだけ、ありがたいと思いなさい」


 そんな無益なやり取りをしていると、透き通った浅瀬の白砂が隆起し始める。その先から赤い物体が現れ、海から飛び出るほど大きくなると、海水とともに砂を洗い落としていった。


「お帰りなさい、ノイル」


 それはセイウチを一回り大きくしたような体をして、されどそのフォルムのまま毛虫にしたような姿であった。毛虫と異なる点は針が太く、そして長い。そのワインレッドとウォーターメロンピンクの縦しまは毒々しく、触れるのは御免被りたいほどの禍々しさだ。


「ちょっと⁉ なんでママが迎えに来るのっ⁉」

「何を恥ずかしがっているの。親というのは娘の帰りをいち早く出迎えるものよ」

「もうっ!」


 あ、お母さんですか。どうも、いつも娘さんにはお世話になっております。魔王です……って感じでいっていいのかな?

 というかノイルは何で思春期の子みたいに恥ずかしがっているのか?

 大丈夫だよ。全然、目の前の魔族さんにお母さん感とかビジュアル的には微塵も感じ取れないから。


「あなたが魔王様ですか。お初にお目にかかります。ノイルの母です」

『あっ、ご丁寧にどうも。魔王です』


 やっぱり自分で魔王って言うの恥ずかしいな。


「まだ候補でしょうがっ! てか、あんたの方が冷静なの腹立つ」

『だから膝かっくんしないでぇええええええ!』


 これ、びっくりするんだよぉ……。

 まったく、よくいるよね。親の前だと妙に暴力的になる子。


「ノイル、魔王様になんてことするの。申し訳ございません、魔王様。後で言って聞かせます」

『いえいえお気になさらず』


 それ以上に気になることがどうせ増えるだろうし。

 なるほど。これがラフワムート族か。

 どうやら集落は海溝の真ん中あたりにあるらしい。ノイルは水中でも呼吸が可能らしく、俺も呼吸は最小限でいいらしいので、レッツダイビングといくことになった……のだが。


『すごすぎる』


 貝殻をパッチワークのようにつなぎ合わせた集落が、海中の断崖絶壁に出来上がっていた。その段だら町のような光景はなんとも幻想的である。ディズニーとかジブリとかの世界観だろ、これ。

 たこの寿命が人間並にあったら、人間と同レベルの文明を海底に築けるという説があるらしいが、まさにそれが実現したかのような世界だった。


「懐かしい?」

「まぁ……そうね」

『やっぱり、ちょっとばつが悪いんだ』


 親戚の兄ちゃんも、一人暮らしすると年一で帰る実家が急によそよそしく感じるって言ってたしなぁ。

 先導するお母さんに括られた紐を掴み、優雅な海底散歩を経験できたので、俺は満足だ。


「ゆっくりしていってくださいね」

『ありがとうございます!』

「遊びに来たわけじゃないからすぐ出るわよ。いつ勇者が来るのかも分からないのだし」

『えー』


 こんな珍しい風景そう拝めるものじゃないのだし、少しくらい観光したいのだが。

 そう漠然と思いながら家屋になっているとおぼしき穴を見つめていると、その暗がりから水泡が生じた。

 そして、するすると魔族が数匹出てきたと思った矢先、風船が割れたかのような勢いで次々と影が四方八方から現れだした。

 それらはすべてがノイルのお母さんと似た姿形をしており、ジュゴンと毛虫を足しで二で割ったような化け物だった。

 そんなのが数百、いや数千!?

 それらが一気にあふれ出した。気づけば集落中が魔族によって黒々と染まってしまった。


\ノイルー!/

\魔王様ー!/


 やけにかわいらしい声と野太い声が折り重なり、俺たちは迎え入れられた。

 ノイルは彼らに向かってアリーナ公演中のアイドルよろしく、全方位を見上げながら手を振り返す。


「しょうがない。少し滞在するか」

『すぐ出発しよう! 勇者がいつ来るか分からない‼』

「え?」


 いや、これ無理や。

 多過ぎでしょ?

 一体や二体なら頑張れた。正直お母さんだけで割とギリギリだった。でも、こんな数のグロテスクな生き物に海底で囲まれるのは、流石に無理だ。


『お世話になりましたー!』

「ちょっと⁉」


 ノイルを置いて一目散に海面へと向かって泳いでゆく。早く、早く。魔族がいないところまで!

 俺も魔族だけど!

 なんなら魔王だけど!

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