第25話 伝説の再現

 リシュア様は傷を負いはしたが命に別状はなく、それからも変わることなく過ごした。

 それに比べて私はどれだけの年月を経ても変われないままだ。変わらずにいるのと、変われずにいるのは雲泥の差がある。

 むしろ悪化していると言ってもよかった。


「ルーザ、よせ!」

「人を殺めてはならん」


 あの日以来、人間に慈悲をかけられなくなっていた。

 誰よりも多い魔力量を持つ者としてサードの止まり木に選ばれてからも、私はこみ上げる殺人衝動を抑えられず、そのたびにみんなに迷惑をかけた。

 レッドからもお叱りを受ける日々だ。

 そうして月日は巡り、私は新たな魔王様と出会う。

 素敵な殿方であった。性別という概念のないウォルフガンドではあるが、その佇まいと有様から、その方を慕うのに時間は必要なかった。それは恋か崇拝かは分からなかったけれど。

 そして、私にかけてくれた優しい言葉はまさに王の証たるものだった。

 忘れていた台詞を思い出す。


 ――諸君! 私はな! 誰かを虐げるくらいなら、誰かに虐げられた方がマシなのだよ!


 そう王は磔にされて嘯いたのだ。なお、彼の場合は他人に虐げられたのではなく、自分からそうしていたのだが。

 彼もまた同じようなことを言っていた。ノイルお姉さまはあの方を魔王候補として紹介したが、私はもう確信している。あの方こそ、やはり新たな魔王様なのだと。


「なに見てんだよ。化け物」


 目の前の光景を見ても冷静でいられるのは、これまでのことを思い出していたからだ。じゃなければ、今すぐ目の前のこの愚物の首を捻り切ってしまったことだろう。

 顔が真っ二つに割れ、事切れたホワイトマシェラ。その亡骸を踏みにじる下卑た眼差し。泣きわめくマシェラの子供。それを弄ぶように蹴り転がす毛皮を着た人間たち。


『その子から離れろ、人間。母親を殺した罪は見逃してやる。おとなしく帰ることだ』

「楽しいハンティングに水差してくれるじゃねぇか。俺を誰だと思っていやがる? 北方連合の筆頭、グスタフだぞ! てめぇも首を差し出すか!? あぁっ!?」


 息巻く男はマシェラから飛び降り、右手に剣を、左手にバトルアックスを構える。


『カラ・ド・レッド』


 術が発動すると、他の兵士たちも子供から離れてこちらへと向かってくる。これでひとまずは安心だ。


「魔族を見たらビビるとでも思ったか? 悪いが俺は魔族なら10体は殺してるんだぜ」

『それ以上、臭い口を開くな。加減ができなくなる』


 男のこめかみに青筋が立つ。私も似たようなものだろう。


「死ねや。犬コロ――――っ!?」


 鉄の砕ける音が雪原に立つ。

 速度はあるが芸のない一撃だった。捕らえるのは容易い。

 男の持つバトルアックスはこちらの左顎によって噛み砕いた。


「てめえっ」

『尻尾を巻いて逃げ帰れ。猿もどき』


 レッドの効果で身体能力が向上しているとはいえ、所詮は人間。容易く屠れる。

 計6名の人間が地面に横たわるのに数分とかからなかった。


「お前ら、いつか殺してやる……」


 駄目だ。どうしてこんな奴らを生かしておかなくてはいけないのだろう?

 こいつらを逃しても、また来るだけ。反省も、学習もせず、ただ欲望を満たすためだけに生き、増殖してゆく彼ら。その手段は次第に狡猾となり、こちらの隙をつくように弱者を嬲ることにばかり長けてゆく。

 こいつらに配慮することで他の命が踏みにじられるというのに、どうして殺してはいけないのだ。生きる分だけを取らず、過剰に他者を蹂躙し、共感の欠片もない人間どもなんて――。

 それとも、その醜さすらも受け入れるのが混沌だと言うのだろうか。


『やはり、死ねばいい』


 腕を振りかざす。本気で振り下ろせば人間の頭蓋など、噛まずとも叩くだけで粉みじんにできる。

 そうだ、きれいにしよう。こいつらに対話などできないのだから。


 ――誰かを傷つけるくらいなら、誰かに傷つけられた方がマシだ。


『――っ!?』

「隙あり!」


 倒れ伏していた人間の刺突に反応が遅れた。

 胸元に剣が刺さった。


「へへっ。今日は身体の調子がいいぜ。これなら、あのいけすかねえ勇者様にだって勝てそうだ」


 倒れていた者どもが起きあがってくる。レッドの効果で、こいつらはある程度は痛みや疲労からも解放されている。


「おらっ!」

『っ!』


 次から次へと突き立てられる刃。ここで立ち上がり、抵抗したら今度こそ殺してしまう。

 耐えよう。

 今、この苦痛と屈辱こそが混沌への導きだと信じて無抵抗を貫く。


「さっきの威勢はどうしたよっ!」


 ねえ、レッド。

 今の私ならノイル姉さまにも、リシュア様にも、村のみんなにも、そして新たな魔王様にも顔向けできるかな。

 マシェラの子供が人間の足にしがみついている。

 駄目だよ。逃げて。

 こちらの気持ちは届いているはずなのに、その子は何度も何度も私から人間たちを引き離そうとしてくれている。

 これは気を失えないな。レッドの力が無くなったら、次はこの子に人間たちは刃を立てるだろう。

 どうすればこの人間たちを殺さずに追い払える?

 そういえば、レッドの能力は単独では使用してはいけないって言われていたっけ。こういうことになるからか。

 本当に私は馬鹿だなぁ。


「グスタフ様……あれ」

「なんだよ――は?」


 攻撃が止んだ。

 雪原の先から雪煙が立つ。ものすごい速さでそれは駆けてくる。

 人間たちが揃って震え出した。私もその気持ちは良く分かる。

 なんてこと。

 神代の情景が目の前に現れた。

 それは王たる者の姿。

 ウォルフガンドの引くそりの上、その完全無欠な五体は十字の磔台に縛り上げられている。その神聖な御身体を縛るのはノイルお姉さまの眷属たるワームたちなので、それはせめてもの救いだと思う。とてもきれい。

 あぁ、でもお労しい。あまりの屈辱によって魔王様は泡を吹いて気絶していらっしゃいます。


「ルーザ! ちゃんと生きてるわね⁉」

「……姉さま」


 そりはこちらの周りを旋回しながら、徐々に速度を落としつつ近づいてくる。


「……なんだよ、あの化け物!?」

「しかも、縛り上げられてやがる⁉ あの、そりに乗っている女が仕留めたのか?」

「ありえねぇ……」


 そりが止まり、改めてそばに控えるお美しいノイルお姉さまと、十字架に架けられた魔王様の御尊顔を拝見する。

 言葉に言い表せない。

 私のためだけに献身してくださったようだなんて、不遜なことを考えてしまう。


「ひっ……ひゃあっ!?」


 魔王様の姿を目にして、人間たちはレッドの術すら及ばないほどの恐怖に駆られ、逃げ去っていった。


「ガァアア‼」


 マシェラの子は両腕を振り上げ、人間の後ろ姿に向かって吠える。そして振り返ると魔王様に向かって深々と頭を垂れた。なんて、できた子なのだろう。


『魔王様。ノイルお姉さま。私のために……』

「ごめんなさいね。あなたを見くびっていたわ。自力で衝動を押さえ込めるようになったのね」

『そんな、私なんか……』

「立派よ、ルーザ」

『うわぁぁぁん!』


 そうだ。トリガーを引いた状態で初めて殺人衝動に打ち勝てた。

 でも、ノイルお姉さまに頭を撫でられると涙が止まらなくなってしまう。まだまだ私は子供だ。


『…………』


 気絶したまま、こちらを優しげに見下ろしてくださっている魔王様は、なんと慈悲深いのか。まるで日月のように神秘的で大きな存在だ。

 魔王様のお姿に見惚れていた姉さまがどこか気恥ずかしげに頬をかく。


「あのね……その……こいつも頑張ったのよ。あの子たちに絡め取られて、磔にされたときはまだ気絶してなかったの。でも、結局まだ人間気分が抜けてないから、しょうがないの。スピード上げた途端に……割と序盤でコロリと気を失っちゃって。あ、そうそう。こいつの元いた世界には絶叫マシーンっていうのがあってね。それよりも、こっちのそりの方が速いから、無理はないかなぁ~って思わなくもないわ」

『そんな、気を遣わないでください。理解しております。私のために受けた屈辱で魔王様が気を失ったとなったら、こちらが傷つくとお思いなのでしょう。でも大丈夫です。魔王様に屈辱を受けさせてしまった罪を背負い、これからより一層励みたいと思います!』

「あー、うん。もうそれでいいわ」 


 改めて魔王様に向き直る。


『ありがとうございます、魔王様。私はこれからも強くなります』

『………………………』


 そして、人との対話をいつか実現させてみせます。

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