第20話 ケモ耳娘

 昨日の悪天候が嘘のように空は晴れ渡っている。太陽の日差しを照り返す雪の白さは目を潰さんばかりだ。

 昨日の遅れを取り戻さんと俺たちは歩を速めた。そして、ようやく目的の場所へとたどり着いた。


「いたわ。あの子がルーザよ」


 南に位置する太陽へと向かうように、切り立った崖の先で華奢な影がぽつねんとしている。

 その特徴的な耳がぴくんと動いたのが遠くからでも分かった。

 いよいよだ。心臓がせり上がる。

 いや、美少女と会うからといって何をうろたえる必要がある。童貞でもあるまいし。いや、童貞なのだが。

 しかし、一々可愛い子を見ただけで平静を保てなくなるようでは、この先どうするのだ? なにも一目見ただけで恋に落ちるわけでもあるまい。自然体で挨拶をすればいいじゃないか。


「その香り……ノイルお姉さま!?」

『――っ!?』


 振り返ったその灰銀の影は素早く駆け、ノイルへと抱き着いた。

 ……お姉さま呼び……だと?

 種族が違うので実の姉妹というわけではないだろう。慕っているがゆえの愛称か。むしろ尊い。スールの契りを交わした仲。ええやん。

 グレーの髪からつんと立つ尖った耳。クールかつほのかな野性味を感じさせるウルフカット。

 勝気な髪型に対してギャップのある少し垂れ目がちな奥二重。白一色の雪原に杭を打ち込むかのようなクリムゾンレッドの瞳。

 ウォルフガンドの民族衣装の先から伸びる手は、髪の毛と同じく灰銀の毛で覆われているが、その指先が細く清らかな輪郭をしていることはよく分かる。

 首は……一つだけ。よぉ~し。

 腕は……二ほ~ん。

 おいおい。ウォルフガンドではなく、別の種族ではないのかい?

 そう思ってしまうくらいに順調だぞ。

 そして最後の仕上げ。

 その美しい顔は全身を毛で覆われていることもなければ、狼の口のように前に突き出ていたりもしなかった。頭の両端に勾玉型の耳が無く、代わりに頭頂部に獣の耳があることを除けば、純然たる人間の美少女であった。


「よしよし。久しぶりね、ルーザ」

「お姉さま……うぅ……」


 ノイルの胸に顔を埋める美少女は、その喜びを表現するように尻尾をブンブンと振っている。

 あぁ、美少女同士のハグ。間に挟まらなくていいです! 特等席で堪能させていただきます!


『異世界転生……万歳』

「転生じゃなくて転移よ」


 こつんとノイルの指先が肘を突いた。

 ノイルに抱き着いたまま、ルーザというウォルフガンドの少女はこちらを見て、少し怯えたような顔をした。エールのコートをぎゅっと握りしめ、ノイルへとすがるように身体をより密着させる。

 そういう奥手な感じ、大好きです! 美少女同士、もっとくっついてください‼


「ほら、そろそろ離れなさい」

「あぅ……」


 引き剥がされた少女は十本の指同士をくっつけた両手をお腹あたりに浮かせ、少しおどおどしている。


「姉さま。その……隣のお方は?」

「魔王候補よ。まだ、確定してないけど」


 あれ?

 ノイルさん。どうして紹介の仕方が雑かつ暫定的な意味合いになっているのでしょうか?


「そうなのですね。お初にお目にかかります……ウォルフガンドの、ルーザと申します」

『あっ……その、はじっ……め……』


 よし、挨拶はちゃんとできたな。

 って、んなわけないだろ!

 最後の「まして」が朝霜よりも小さく、音にすらなってないぞ。

 いや、だって可愛すぎでしょうが。

 やや途切れ途切れな話し方に、引っ込み思案な佇まい。そして雪の精のように儚げな姿。

 あーもう、好きになってしまった。恋に落ちる音がしてしまった。

 出会って数秒で即落ちである。


「凍えていらっしゃいますね。申し訳ございません。このような雪しかない場所まで足を運ばせてしまい」

「ルーザ、いいのよ。こいつは寒さのせいで、ぜんまい仕掛けの人形みたいになっているわけじゃないから」

「あの……姉さま、未来の魔王様に対していささかご無礼では……?」


 かくかくしかじか。


「そうですか。魔王様の生まれ変わりではなく、関わりのない人間の方でしたか」

『面目ない』

「いえ、連れてこられてしまったのですから仕方ありません。それに、姉さまも非常に困難な務めに従事していたのですから」


 この子、本当に魔族ですか?

 いや、魔族のみんなも今のところ優しい人ばかりなのですが。見てくれと相まって天使やん。


「まぁ、これの話はいいとして」


 よくないよ。もうちょっと、ルーザちゃんに労われたい。あと、良いところをアピールして。

 ふと、ノイルが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「あんた、ルーザともっと話したいって思ったでしょ?」

『いっ、いや、そんなことは……』

「そうですよ、姉さま。このような素敵な方が醜い私なんかと――」

『めっちゃあります! ルーザちゃんとずっと話していたいです‼』


 あー、なんてことを。でも、ここは前に進むしかなかった。

 もしかして、ノイルはこうなることを見越してあんなパスを出したのだろうか?

 いや、キラーパスすぎるでしょ。

 てか、いきなり「ちゃん付け」て気持ち悪すぎるだろ、俺。

 お調子者の空回りなど、犬も食わない。


「……お気遣い、いただき」

『いやっ……本当だよ。それに、ルーザちゃんはノイルにも負けないくらい、そのっ……かわいいよ。だからってわけじゃないけど、仲良くしてくれると嬉しいんだけど……』

「――っ!? ……はい。私でよければ」


 驚いたように顔を上げた彼女だが、そう返しつつも顔は徐々にうつむいていった。その優しげな眼差しには光が入った方が断然綺麗なのに、もったいない。

 開幕一発目から「ちゃん付け」してしまったし、今から「さん付け」や呼び捨てには戻しづらいなぁ。

 でも、久しく口から発されることのなかった「ちゃん」という言葉に、気恥ずかしさ以上に達成感がやばい。女子と仲良くなれた感がすごい。


「ふ~ん。随分とあんたは素直というか、がんばるじゃない。そんなにルーザが気に入った?」

『いや、これは人同士の円滑なコミュニケーションのためにだね?』

「そうですよ。意地悪言わないでください、姉さま。それに、お言葉ですが魔王様。私なんかよりもノイルお姉さまの方が断然美人です。トリガーを引いた時の姉さまのお姿と言ったら、もう――」

「ルーザ⁉ ちょっと、こっち来なさい‼」


 突然ノイルが割って入り、ルーザの口を塞いで抱え上げると雪原の向こう側へと駆けていった。こちらから遠く離れ、何かしらノイルが言い聞かせている。一体、何を話しているというのか。


「と、に、か、く! 本題に入るわよ‼」


 息を荒くしたノイルがルーザを連れて戻ってくる。

 あぁ……眉尻を下げた困り顔のケモ耳娘とか最高か?


「で、レッドとは上手くいってないの?」

「……はい」


 しゅんと垂れ下がった耳がとても愛くるしい。思わず、そのサラサラな灰銀の髪を撫でてしまいそうになってしまう。うなじを隠す外はね気味な襟足の跳ね返る感触も味わいたい。


「まぁ、こればかりはあなただけでコントロールしなさいというのも酷な話よね。みんなで対策を考えましょう」

「でも……一昨年も、その前の年も皆に協力してもらったのに結局暴走しちゃって……」


 白鳥の羽根のような眉とまつ毛はそれ自体が雪の結晶のようだ。触れるなんて言語道断。野暮な者が顔を近づけただけで、その無遠慮な体温で溶けて消えてしまいそうなほど繊細で、それがゆえに目を引いてやまない。


「さっきもレッドと言い合いになってしまって。それに、段々と私も自分で戦うのが怖くなってしまって……」

「無理もないわ。あなたの心根とレッドのあり方は対極に位置しているし」


 装束から覗く肩と二の腕は他のウォルフガンドと異なり、毛皮に覆われていない。それでもこの寒さの中においてなお赤らむこともなければ、鳥肌を立てることもない。濃厚なミルクの水面のように張りがあり、瑞々しい。

 あぁ、その肌に触れて波紋を立てたい。そして、膝がぁっ!?


「ねぇ、聞いてる?」


 膝カックン。異世界にもあるのか……。

 跪いた俺のことをノイルが世にも恐ろしい笑顔で見つめている。怖い。


『ルーザちゃんのかわいい声を聞き逃すはずないじゃないか』

「あなたは一線越えるまではどこまでも臆病なのに、越えた途端に好き放題、恥ずかしいことを口にし出すわよね。あと、好意をむき出しにもなる」

『ナードは人との距離感が極端に遠いか、極端に近いかしかないからね』

「好意……」


 ルーザの顔が真っ赤になる。あぁ、恥じらう雪の精よ。そんなに頬を赤らめてはいけない。君の身体が溶けてしまうよ。

 いや、これは流石に言葉にできないわ。


「まぁ、あんたの恋人候補にルーザはどうかと紹介したのは私だから、あんたが『ほ』の字で良かったのだけどね」

「こっ……恋人?」


 雪の精の頭が噴火した。これはまずい。


「そうよ。この暫定魔王様は残念ながら人間の美的感覚を持ったままなの。だから……その、悪く捉えないでと言っても無理だろうけど、人間の感覚だと間違いなく美人であるあなたが適任だったのよ」

「そうだったのですね。私でよければ……魔王様のお夜伽としてお側に使えさせていただきます」

『いや、そんな簡単に決めちゃだめでしょ! てか、お夜伽って!?』

「何よ。肝心なところで尻込みするなんて情けないわね。いわゆる据え膳ってやつよ」

『なんで、そういう言葉ばかり覚えて帰ってきちゃうかな!?』


 まぁ俺も海外に行ったはいいが、ろくに言語を学べず、ただ下ネタを二言三言覚えて帰ったことあるけど。

 てか、尻込みするわ!

 こんな可愛い子と……夜、月明りの差し込む青白い部屋で二人きり。寝台の上に座り、潤んだ瞳でこちらを見つめてくる彼女がその帯を解き――って妄想が過ぎるぞ。


「随分な百面相ね」

『いやいや、俺はもっとこう甘酸っぱいのがいいんだけど……。てか、魔族に序列はないんじゃないの? そんな封建的な……』

「ちっ、覚えてたか。でも、魔王だけは例外よ。それに序列というものは下から上の者を祭り上げる分にはいいのよ。上から下の者に強要する場合はクソだけど」

『祭り上げるのもダメだろ……上に立ちたくない人もいるんだから。なぁ、エール?』


 モコモコのダウンになっているエールに話しかけるが返事はない。ただの屍のようだ。


『いや、エールって寝るの?』

「この子はちょっとレッドと相性よくないから、少しおとなしくしてるわね。ついでにトリアも」

「この愉快な二人組が?」


 ひょうきん者な二人と相性が悪いとは、随分と気難しい奴なのかもしれない。もしかして、かなり猟奇的でバイオレンスな感じなのだろうか。いや、トリアも結構バイオレンスだけどさ。


 ――結局暴走しちゃって……。


 虫すら殺せなさそうな彼女ですら戦地に赴かなくてはならないとは。それも暴走状態になるハンドの止まり木としてだ。因果なことではないか。それは、戦うのが余計怖くもなるだろう。


『俺に任せなさい』

「え?」


 ノイルが心配そうにこちらを見上げてくるが、問題ない。


『大丈夫。俺も一緒に戦う。そして、たとえ暴走したとしても俺が止めてみせるから』

「ほっ、本当ですか?」

「あんた、ちゃんと考えはあるの!?」

『気合でなんとかする! 君に人間を傷つけさせるようなことはしないさ』

「前回、私にはあれほど計画立ててからボス戦しようって言っておきながら……」

『なぁに。いざとなれば、まつろわぬ魂にも平和への第一歩、フリーハグをお見舞いしてやる!』


 ハンドにハグは効くのだろうか。まぁ、なんとかなるだろう。


「私も、力を制御できるようになりたいです……魔王様」

『俺が抑えるから、心おきなく自分のことに専念してくれ。無駄にこの身体は、力だけは強いからな』

「もう好きにしなさいよ。いずれにせよ、こちらから打って出ることはないのだから、人間たちが来るまではせいぜい交流を深めておきなさい」


 よし、ルーザと仲良くなるぞー!

 そしてかわいいケモ耳娘を悩ます人類ども、待ってろよ!

 お前らにもフリーハグしちゃうぞ。できれば侵略者は女性がいいなぁ。

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