第19話 ビバークって言葉は地球でもニッチ
雪に覆われた稜線が薄暗い空を背にしている。
新雪に足を踏み入れるのは最初こそ躊躇し、自分の足跡が美しい純白のキャンバスを台無しにしてしまうようで嫌になる。しかし一歩踏み出してしまうと、途端にどうでもよくなるのだから不思議だ。新品の物って汚したくないから最初は慎重に取り扱うけど、次第に慣れて扱いが雑になるのと一緒だね。スマホとか眼鏡とか。
そんなことを思っていたのはつい先日のこと。あの頃はよかったなぁ。
『何も見えない……』
遮る物の何もない雪山で猛吹雪に見舞われ、絶賛視界不良中。
ケモ耳娘のもとへと旅立って早二日。完全に迷子になっていた。いや、迷子とか可愛く言いすぎだろ。普通に遭難だわ。
「この程度ならおそらく明日には止むわ。適当な場所でビバークしましょう」
『こっちの世界でもビバークって言葉あるの?』
「ないわ。あなたの世界の言葉よ」
『語彙力、凄くない?』
専門用語だぞ。異世界からの留学生が覚える単語じゃない。
「人間の体は制約が多いから、登山一つとっても奥深いし、素晴らしい達成感を得られたわ」
『魔王探しのついでにやることじゃない……』
どんだけアクティブに地球を満喫していたんだよ。
実際、彼女の顔に焦りは微塵も感じられない。でも、やはり女の子を吹雪に晒しているのは心が痛む。
『もしあれだったら俺の中に入る?』
西洋甲冑は表面こそ極度に冷たくなるが、中は直接風が当たらないため、防寒すればそれなりに寒さを防げるってどこかで聞いたことがある。
しかし、その提案にノイルは口を呆けたように開き、やがて目を回し始めた。
「あっ、あなたっ! 何をそんなっ……ふしだらなこと、考えて!? もう……ばかぁっ!」
なんでだよ。
別にこっちただのガスだし。鎧の中は空洞だよ?
エールのダウンだけじゃ寒くない?
『なんだよ、せっかく好意で言ってやったのに』
「べっ……別に、嫌ってわけじゃない……けど、そういうことは……ちゃんとした時に取っておきたいというか……ってなに言わせるの!?」
『いや、知らんがな』
ノイルはこちらに背を向けた状態で、息を整えんと深呼吸を三回ほど繰り返す。
「とりあえず……気持ちだけは受け取っておくから……ありがとう」
『いや、その……はい』
平静を取り戻した彼女はトリアを呼び出した。
「棺二つと箱四つで」
そんな店で注文するように伝説の魔族を分身させる。そして、それらを彼女は山なりに積んだ。
「こんなものか。エール、スコップ」
続いてエールをスコップに変形させる。いや、お前なんでもありだな。手に収まった漆黒のスコップを見て彼女は満足そうにすると、容赦なくスコップを雪原に突き入れ、盛大にトリアにかけ始めた。
『ひでぇ使い方』
「適材適所よ。この子達の体力を配慮して、私が雪かきしているだけまだマシでしょ」
『まぁ、そうか。……そうなのか?』
俺もエールをスコップにして手伝う。
やがて2メートルほどの大きな雪山ができ、山を押し固めるとノイルは山の横っ腹を掘り始めた。そして雪に埋もれたトリアを取り出すと、二人ほど入れそうな空間が綺麗に出来上がっていた。すごい。手慣れてる。
そしてあっという間に、かなり大きめのかまくらが出来上がった。
「さて。これなら大丈夫じゃない?」
『普通に凄くて反応に困る』
かまくらの中は冷たい風が吹き込むことなく、とても快適であった。
魔族になって寒さは少ししか感じないが、やはり凍てつく風に身を晒しているだけで肉体的にも精神的にも消耗することがよく分かる。
これは快適な夜を過ごせそうだ。
しかしそう思ったのも束の間、外から轟音が響き始めた。
『は?』
ノイルと一緒に出入り口から顔を覗かすと、外には大きな雪玉の群れが現在進行形で転がっていた。
「しまった。ホワイトノモリス族の進路だったわ」
『いや、これも魔族!?』
成人男性を軽く越える大きさの雪玉が次から次へと上から転がり落ちてくる。
そして、ひとつの雪玉がかまくらへと迫ってきた。
『嘘でしょ!?』
ぶつかると思ったが、雪玉はかまくらをジャンプ台のように活用して飛び上がり、そのまま綺麗に着地。そして己の体躯を大きくしながら雪山を下っていった。
『助かった……』
「これは不味いわ。出ましょう」
『いや、外の方が危なくない?』
ノイルはさらっと外へ出たが、俺はかまくらに残ってしまう。
「早く!」
『そんなこと言われても』
そう尻込みしているうちに、彼女が外に出た理由が分かった。
雪玉たちは次第にかまくら目がけて転がってくるようになったのだ。
『ぬおおおおおおお!?』
出ようと決意するも時すでに遅し。
転がり落ちる雪玉は数倍にもなり、進路を変えきれなかった雪玉たちが出入り口の前を間断なく通過し始めた。
そして、その間も多数の雪玉がジャンプを決めていく。
『ノイルさ~ん!? 助けて~!』
「まぁ、死ぬことはないわ! 頑張って‼」
『一応、君は魔王の従者でしょ!?』
そして、ついにその時は訪れた。
幾度も踏み台にされたかまくらの強度はすでに限界を迎え、そんなタイミングでこれまで見たこともないような巨大な雪玉が転がってきた。
『のわあああああああああああああああああ!?』
俺はかまくらごと、その雪玉の下敷きとなった。
安らかに……。
「ようやく、群れが通り過ぎたわね」
『……起こしてください』
ノイルの手によって掘り起こされたが途方に暮れてしまう。
吹雪はさらに勢いを増し、もう陽も落ちてしまっている。
「ここら一帯が進路となると、また深夜ごろに数回は群れが来るわね」
『じゃあ、かまくら作っても駄目ということ?』
「そうね。しょうがないからトリアの棺で我慢しましょう」
『縁起でもないなぁ。トリア、出てきてもらっていい?』
ガントレットにはめ込んだ桜色の石に話しかけるが返事がない。というか、いつもは淡く光っているというのに、今は完全にその輝きが消失している。
『え? なに、寝てるの?』
「そんなことは……っ!? あいつ……逃げたわね!?」
ノイルが周囲を見回すが、猛吹雪で分からない。
「あの、鬼畜拷問器具め~~~」
『かまくら作るのに埋めたから怒ったんじゃないの?』
「いや、あいつはそういうタイプじゃないわ。こういう場合は何か面白いことを考えついたんだと思う」
ノイルが思考を巡らせる間も吹雪は強くなる。俺も結構寒い。魔王を凍えさせるブリザードとか凄いな。でも、ノイルの方が辛そうだ。
『ノイル。やっぱり、俺の中に入ったら? 直接風が当たらないだけでも違うと思うし』
その申し出に対して、彼女は赤らんだ顔に逡巡の色を加える。
「そうね……申し訳ないけど、お言葉に甘えさせてください」
いつになくしおらしいノイルは、エールをダウンからタイトな全身スーツへと変化させる。一気にスパイみたいな見た目になり、ノイルはスーツに入った髪をかき上げた。
その仕草にドキッとしてしまう。
落ち着け。これは、吊り橋効果だ。胸の鼓動を恋のときめきと感じるだなんて幼稚すぎるぞ。
「じゃあ……失礼します」
『おっ、おう……』
ノイルは雪原に掘った深い穴に横たわった俺の兜を取ると、その細い身体を甲冑の中へと滑り込ませる。
なんだろう。凄く変な気分だ。
兜が内側から付けられ、完全に俺とノイルが一体となる。なんか、中に人がいるだけで温かみを感じるぞ。
「ん~~~~~!」
『大丈夫? もしかして、臭い?』
「匂いは別に気にならないわよ。もぅ……まだ嫁入り前なのに、こんな……」
『そういうこと言われると、なんだか俺もいかがわしい気分になってくる……』
「ばかばかばかばか、もうっ! ばかぁ‼」
裏から叩かないでくれ。
しかし、やはり魔族のツボは分からない。
横たわり、空を見上げるも視界はほとんど黒一色。凍てつく風と、氷の粒が身体にぶち当たる感覚を淡々と耐え忍ぶだけ。
『……ノイルって何年地球にいたの?』
「……唐突ね。覚えてないわ。少なくとも数年はいたわね。あなたの国以外にもたくさんの場所を回ったし」
『そりゃ、すごい』
それからも、ノイルは魔王探しのことを話してくれた。俺もその都度、質問をした。
話題が尽きないのはありがたい。無言になると、先ほど感じた変な気分が再燃してしまうかもしれなかったから。
「マテ族とラカリー族の三人の気持ちを前に向かせたのは、素直に凄いと思ったわ。ちょっと、見直した」
『そうかい。あの時は、必死に会話を着地させることだけで必死だったけどな』
「……見直して損した」
『おい』
「嘘よ。ばーか」
『ぐぬぬ』
二人とも特殊な状況に陥ったからか、睡魔が訪れる気配は微塵もない。
他愛のない話は段々と途切れ途切れになる。でも沈黙が怖くて結局、何かを話さんとしてしまう。
「私にも質問させなさいよ」
『彼女は生まれてから一度もできたことがありません』
「そんなことはもう分かり切っているから聞かないわよ」
それもそうだ。泣いていい?
ノイルが口をつぐむ。質問することに躊躇しているのか、あるいは言葉がまとまらないのか。
「私たちが出会った日…………やっぱいい」
『おい』
「もう、眠いから寝るわ」
そう言うとノイルはこちらが何を言っても返してくれなくなった。
『いや、そんな中途半端なところで話を切らないでよ……』
それから、しばらくして俺は身体の内側から彼女の寝息にくすぐられることとなる。
『出会った日……か』
ボウリングの罰ゲームでジュース買ってて、クレアさんに連れられ、ノイルが現れて……。
今更、あの日に関して何か質問があるというのか?
彼女が何を問いたかったのかは分からない。ただ、問いつめても仕方がないだろう。
雪玉の群れは三回ほど来たが、もうどうしようもないので踏まれるがままに夜を越した。
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