第18話 雪原のワーウルフ(なお哺乳類ではない模様)

 霧を抜けると銀世界が広がっていた。

 目印ひとつなく、水で薄めすぎたような墨色の空とまっさらな雪原が描く地平線は少しおぼろげだ。そんな光景を前にして、どこへ向かっていいのか分からなくなってしまう。


「ひとまずは森に沿って歩けばいいわ。ウォルフガンドの集落へとつながる道があるから」


 ノイルは防寒のためかダウンのようになったエールをまとっている。

 ひょうきん者二人の分身は、雪を見るなりガントレットから飛び出した。

 トリアは手のひら大のミミックになり、エールは同じく手のひら大のススワタリとなる。そして、ひとしきりスフレのような雪にダイブを繰り返すと、やがて雪合戦を始めた。


「行きましょう」

『あいつら放って置いていいの?』

「エールの本体は私に付いているし、トリアの本体はあなたの籠手の中に残っているから大丈夫よ。それに、いい大人だしね。迷子になんてならないわ。飽きたら追いかけてくるんじゃない?」


 あいつら便利な身体してるなぁ。これなら分身に仕事をさせて、本体は遊びほうけるということもできるではないか。

 雪原と森の境目に沿ってしばらく歩くと、地面が顔を出して分け目のようになった獣道が森の奥へと延びていた。

 曇り空を透かす木々の下、暗いわけではないのに明るさも感じられない隘路を進むと、それはいた。


『ウォルフガンドって、あれのこと?』


 大きく裂けた口から鋭い牙を覗かす獰猛そうな姿。そして二足で立ち、筋骨隆々の五体を厚いグレーの毛皮で覆う。それだけならファンタジーに出てくるワーウルフそのものだ。

 しかし、ここは異世界。そして、目の前にいるのは混沌を求める魔族だ。

 ひとまず服は着ている。貫頭衣のような形をしており、袖はなく、前後に垂れた部位には左右に大きなスリットが入っていた。そして、裾をすぼまらせたズボンを穿いている。雪国にしては随分と薄着だが、毛皮があるから問題ないのだろう。というか服は要るのか?

 まあ、人に近い文化を持つ獣人として納得しよう。

 問題はここからだ。

 まず頭が二つ、腕は四本という異形であった。

 手足の甲からは常緑樹の枝葉が灌木のように短く生え揃っている。これでは靴を履かないのも納得だ。その様子は美しい共生関係のようでいて尊さを覚えつつも、別の生命に寄生する冬虫夏草的な恐怖も感じる。

 魔族の影は二つ。それぞれ、双頭の片方をうなじから生やしている者と、横並びに生やしている者とその姿は異なった。

 向き合うように立った二人の足下には、毛皮で作られた鳥の巣のようなものが置かれている。中には半分に割れた卵の殻があり、湯が張られていた。

 魔族は自分の身体から生えた小枝を手折り、湯気を立てる水面に浮かべる。そして、互いの胸元に生えた毛皮の奥に手を差し入れ、へその緒のようなものを取り出した。二人は互いの紅い肉の緒を器用に結びつけると、殻に張った湯へと沈めてゆく。

 仕上げとばかりにもう半分の殻を蓋のように被せて、二人は手を合わせてその卵を温め始めた。


「あまり見ないように。合歓を偶然目にしてしまっても、気づかぬ振りをするのが礼儀よ」

『え? あれ子作りなの? 卵温めてるけど、ほ乳類じゃないの? てか、どっちが男でどっちが女よ』

「ウォルフガンドに性別はない」


 ほほぉ。

 そうだよな。俺たちは男だの、女だの、性別なんかに縛られるべきじゃないんだ。俺たちは人間なんだから。男らしくとか、女らしくとかじゃなく、自分らしく生きることが大切なんだ。

 大切なことだけど、違うそうじゃない。

 とりあえず目下の問題に、そのえぐい見た目だけじゃなく、性別無しという事実が追加された。つまりケモ耳娘にも性別がないということだ。

 つまり、男の娘か?

 違います。

 体感30分ほど歩くと長い氷柱によって遮られた洞窟の前へとたどり着いた。その前にはワーウルフもといウォルフガンドが二人、門番のように立っていた。


「ノイル様!」

「おぉ! よくぞいらしてくださった」


 随分と渋い声のワーウルフたちが寄ってくる。


「二人とも元気そうでよかった。最近はどうかしら?」

「みな元気にやっております。ただ、人間どもの動きは相変わらずです。こちらの姿を見ればたちまち逃げ出すのですが、うんかの如く湧いて出てくるので対応しきれておりません。森も動物たちも随分と減ってしまいました」

「そう……」


 麻薬に人体実験。それに続いて今度は環境破壊の話か?

 なんとも異世界に来ても、元の世界にも通じる暗い話題に事欠かないな。

 異世界の人たちも、きっと自分たちと同じような悩みを抱えている、という至言があるけど、それと同じだ。世界が変わっても人間のやることなんて、さほど変わらないのかもしれない。


「ところでノイル様。恐れ入りますが、こちらの御仁はどちら様でしょうか?」

「まだ、完全にお目覚めにはなっていないけれど、この方が次期大魔王よ」

「なんとっ⁉」

「ついにお戻りになられましたか!」


 ウォルフガンドたちが目の前で跪く。その光景に多大なプレッシャーと、ほのかな優越感を覚えてしまう。

 しかし前の集落でもそうだったけど、まだ目覚めていないってすごく便利な言い回しだな。

 なんかボロが出ても「まっ、まだ完全には目覚めていないだけだし! 本気出せればすごいことになるし! くっ! いつもの力が出せれば、こんな奴らっ‼」って言えるじゃん。


「集落へと向かっていいかしら?」

「勿論です。皆、歓迎するでしょう」


 その丸太のような腕が洞窟の方へと差し出される。


「お怪我をなさらないよう、頭上にご注意しながら入ってください。このように入ると良いですよ。痛っ!」


 ウォルフガンドがその巨体を大きく屈めて、氷柱にぶつからないように洞窟への入り方を実演する。いや、ぶつかってるけど……。


「大丈夫か⁉」

「あぁ、氷柱は折れていない。無事だ」


 お前が無事じゃねえんだよなぁ。

 氷柱を折って通りやすくすればいいというのに、どんだけ万物に優しいんだよ。


「ウォルフガンドはその見た目通り、とても思いやり深い魔族よ」

『見た目は単騎で町一つ、一瞬で滅ぼしかねない化け物だろ……』


 明かり一つない洞窟を歩いてゆく。

 松明一つ持っていないが、どうするのか。指先が光る魔法でもあるのだろうか。

 やがて入り口の明かりが届かなくなると、代わりに天井からスポットライトのように青い光が下りた。


『~~~~~⁉』


 それは、なんと言えばいいのか。

 ホルモンだ。

 天井にはフジツボのようにびっしりと、一口大にカットされたホルモンみたいな物体がへばりついていた。青い光はそれらから発されている。


『見なきゃ良かった……』

「かわいいじゃない。私は好きよ、この子達」

『えぇ……』


 洞窟の奥へと進んでゆくと、ついにウォルフガンドの集落へとたどり着く。


『あのー、ノイルさん? ケモ耳娘は……どこ見てもワーウルフと両面宿儺を足して二で割ったような、屈強なクリー……魔族ばかりなのですが』

「本当に、あなたはそればかりね」


 洞窟の中に住む異形の化け物たち。その群れを見て身が竦む。

 こっちの世界の人間はここまで恐ろしい魔族たちに喧嘩売ってるのか。肝が据わりすぎているだろ。


「彼らも他の魔族と同様に争いを好まないわ。安心しなさい」

『軽口が過ぎた。了解』


 ノイルの姿を見ると魔族たちは門番の言う通り歓迎してくれた。彼女は随分といろんな魔族から慕われているようだ。

 次から次へと挨拶されるため、自然と歩みは遅くなる。

 そして、やや小ぶりな姿の魔族たちがノイルを取り囲んだ。


「ノイル様~、遊んで~」

「ずるいー。俺とも遊んでー」


 小さい子たち相手に、しっかりと腰を屈めて同じ目線で話してあげるノイルを見て、キュンとしてしまう。いや、美少女が子供たちと戯れているのはてぇてぇなぁ。


「ごめんね、皆。まずはルーザと大事な話をしてからでいい?」

\はーい!/


 ウォルフガンドの子供たちは素直でかわいい。いや、普通に大人と遜色ない二面四臂っぷりなんだけど、小さいだけでちょっと安心する。

 俺もラスボスみたいな見てくれのままでも、これくらい小さくなれれば女子に合法的に抱き着いても許されるのだろうか。

 うん。煩悩よ、去れ。

 でも、子供化の練習はしておこう。綺麗なお姉さんとお知り合いになれた時のために。


「あっ! そういえばルーザは今ここにはいないんだった」

「そうなの?」

「なんか、修行するって言ってどこか行っちゃったの」

「……なるほど。とりあえずガンド王に挨拶してくるわね」


 一通り挨拶を済ませ、集落の最奥にある地底湖のような場所にたどり着いた。

 そこには五階建てほどの大きさはある狼の頭蓋骨が岩壁から飛び出ていた。首から先は埋まっているのか、あるいは存在しないのかは影になっていて分からない。

 大きく開かれたままの口には鋭い牙が生きているかのように生え揃うが、がらんどうの口の中にはコウモリやキノコ、その他見知らぬ動植物たちが蠢いている。そこだけで濃密な生態系が作られていた。


「はぁ……」

『ツッコまないからな。そんなバレンタインデーが近づいてきて、憧れのバスケ部の先輩にチョコ渡そうか迷っている少女みたいなため息ついても、ツッコまないからな!』

「それ、もう十分ツッコんでるじゃない」


 ほんとだ。

 うっとりしたノイルは軽く咳払いをして、巨大怪獣ばりに大きな狼のしゃれこうべに向き直ると膝を折った。


「ご無沙汰しております。ガンド様」

『久しいですね、セブンス。そしてはじめまして、カオスの胞胚を授かりし方。歓迎いたします』


 厳かな声が洞窟中に響いた。

 ドクロの目玉の奥から、なにかが擦れ合う音がする。それが厚みを増したと思ったら、空の両目から触手の群れがあふれ出てきた。あろうことか、ご丁寧に触手の一つ一つに目玉が拵えられている。

 あー、はいはい気絶しますね。気絶すればいいんでしょ? まったくもう、ワンパターンなんだから。はい、意識をシャットアウトー。


「気絶したら、ルーザに会わせてあげないから」

『ねっ、寝てないよっ!』


 なんて恐ろしい交換条件を突きつけてくるんだ、この子は。悪魔か?

 触手がこちらに近づき、埼玉のヤンキーばりに睨みつけてくる。


『おもしろい。ごくありふれた人間が魔王への道筋をたどりますか』


 俺が魔王の生まれ変わりじゃないのばれてるじゃん。

 というか、この見てくれと声音で丁寧口調なのはなんか違和感あるな。


「大丈夫よ。ガンド様はあの三馬鹿とは比べものにならないほど、カオスの道理を理解し、実践していらっしゃる方だから」

『じゃあ、胞胚取り出せとか言われない?』

「言われないわよ」


 よかった。てか、この人が三賢でいいじゃん。あのイワシの大群顔、失脚させようぜ。

 しかし、このガンド様とやらを直視して、まだそう時間は経っていないのだが、気持ちの上ではすでに三回ほど漏らしてる。

 控えめに言って超怖い。


『ルーザのことなのですが、あの者は今サードとの間に不和が生じてしまい悩んでおります。ここ数日、山に籠もって対話を試みているのですが、帰ってこないということは状況が芳しくないのでしょう』

「私たちが行ってもいいかしら?」

『えぇ。我々では助けにはなれそうにありません。未来の魔王と同じ止まり木であるセブンスと交流することで、事態が好転するやもしれません。今、居所を探って教えましょう』

「ありがとうございます」


 しばらくしてケモ耳娘の所在が伝えられ、すぐ出立することになった。


『ねぇねぇ、その子ってどんな子なの? 趣味は? てか、やばい。緊張してきた。何を話せばいいんだろ?』

「……あんた、楽しそうね」


 あらやだ、奥さん。だってケモ耳ですよ?

 めっちゃ楽しみ!

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