第16話 むっちり太ももシスターに祝福を!

『俺も戦う。どうすればいい?』


 声を落として彼女に問う。

 怒りが頂点に達すると、かえって冷静になってしまうことってあるよね。

 彼女の身から発されていたオーラもまた、ほどよい勢いを保ったまま安定する。


「あの女は私の手で洒落たパズルにしてあげたいけど、あんたじゃ集落の子たちを手加減して抑えるのは難しそうね。あれは譲ってあげる。私がみんなを沈静化させて無力化するから、その間に、あのあばずれを床にぶちまけちゃって」

『表現が怖い……俺が勝てるかな?』

「上手くいったら加勢するから最悪勝てなくても粘って。多分、あの女はあんたの気化と液化には対応できないとは思う。あっ、でも、モラトリアムの棺の中には入らないで。死ぬより酷い目に遭うわよ」

『えぇ……』

「魔族の流儀はいつだって丁半博打!」

『次は戦略練ってから、ボス戦やろうね!?』


 二人同時に駆け出す。

 ノイルが三人の魔族を畳んだ傘で相手取ってくれる。

 今、この間も棺の中で苦しんでいる者がいる。

 こんなクズならぶん殴ってもいいだろ。とはいえ、気弾はダメだ。あれは相手を殺してしまう。だから殴るだけで勘弁してやる。いや、殴るだけでも死にかねない。肩パンするくらいにしておこう。

 腕を大きく振りかぶって、したり顔を浮かべる相手との距離を詰める。

 そう。悪者だからって殺していいわけではない!


『死ねやぁああああああ!』

「素人ね」


 こちらの拳がシスターの肩口を捉えんとしたその時、拳が止まった。


『……クソっ』


 歯噛みする。拳は止められたのではない。こちらが止めてしまったのだ。

 どうして?

 キメセク女優どころの悪党じゃねえぞ、こいつは。


「何してるのよ? 一発くらい入れさせてあげようかなって思ったのに。あんた、随分と白けたことしてくれるねぇ」

『ぐふっ!』


 その細い脚のどこにそんな力があるのか。シスターの前蹴りを受け、鎧が軽々と蹴倒された。

 そして相手は棺の中に手を突っ込む。


「ぐしゃぐしゃにしてあげるから、大人しくしてなさぁい」


 箱の暗がりの中から、彼女が掴み取ったのは棘まみれの棍棒、スパイクド・クラブだった。

 明らかに箱の中に納まる大きさではない。あの箱、四次元ポケットかよ。もうなにが出てきても、それこそ青いタヌキが出てきても驚かないぞ。


「しっ!」

『がっ?』


 胸にクラブを受け、その衝撃の強さに視界が揺れる。痛みは思ったほどでもない。ただ、生身で受けていたらミンチになっていたと感じるほどの強さであった。そして何よりも、こちらをためらいなく殺そうとする相手の異常さに身が竦んでしまう。


『やっぱり……異世界に来てすぐにバトルとか……無理ゲー』

「何をわけの分からないことを。もしかして、頭おかしくなっちゃったぁ?」


 次々と振るわれる攻撃に、ただ亀のように身を屈めて耐えることしかできない。

 避けて反撃?

 無理だ。脚が震える。痛みはほんのわずかなのに、打ち下ろされる凶器の重みと速度に、もう気持ちが折れてしまう。

 たとえこの攻撃を凌いだとしても、俺にこいつを殴れるのか?

 じゃあ、殴る以外の方法は?

 殺さず捕らえる?

 向こうは戦いを生業としている。それに対してこちらはずぶの素人。現実的じゃない。

 じゃあ、このままノイルが来るのを待つのか?


「亀さんつまんなぁい。ずっとそうしているなら、棺の中に入れちゃおっかなぁ」


 クラブが振り下ろされなくなり、代わりに棺から放たれた鎖が俺の手足と胴体に絡みつき、こちらを引きずり出した。

 その先にはがらんどうの暗闇が口を開けて待っている。


「その鎧の中身がどんなのかは知らないけどぉ、あの魔族みたいに丸焦げにしてあげる。それとも、絶対零度で凍らせちゃおうか? 何度でも、何度でも、ね」


 気体でも液体でも、あの中に閉じ込められたら流石にまずい。

 棺から這い逃れんと石畳の床の隙間に指をかけ、必死に抵抗する。しかし、ずるずると身体が後ろへと引きずられていってしまう。


『嫌だぁああああああああ!』


 死ぬ死ぬ!

 いや、まじで待って!

 みっともなく足掻いていると、ふと、もう一つの棺の中で生きながら焼かれ続ける魔族が視界に映った。

 自分も彼らと同じ目に遭うと思い、意識が霧散しそうになった。

 いや、何を言っている。今、苦しんでいるのは彼らじゃないか。自分の心配をしてどうする?

 そうだ。時間はかけていられない。どうした? 人間やめたんだろ? なら、こんな女一人くらい、どうにかしてみせろよ!

 力いっぱい、殴り倒してやれよ。いや、やっぱりできない。

 そう思った瞬間、一つの妙案が浮かんだ。


『――はっ?』

「――っ?」


 そうだ。俺はもう人間じゃなかったわ。でも、それはあくまでフィジカルだけ。メンタルはいまだに人間のままなんだよ。

 徴兵制もない、平和な島国生まれの凡人。なら、やることは拳を振るうことでも、武器を手にすることでもないよな?

 よし、いくぞ!


「……あんた、何なの?」


 シスターがこちらを見上げている。中身が失せ、抵抗を失った鎧は分解されて棺の中に引きずり込まれた。鎧の中にはなにも無いことを相手は見て取ったことだろう。

 代わりに地下室は今、エバーグリーンの濃い霧で満ちている。

 冷静に考えたら気化すれば鎖に縛られることなんてないよな。うっかり。これで掃除機みたいに吸引とかできるならやばいけど。

 とりあえず、拘束からは解き放たれた。

 そしてフォルムチェンジ。パターンBリクイド!

 名前がしっくり来ないな。

 視点が落ちる。目の前が彼女のブーツのつま先でいっぱいになる。水たまり状態から、俺は人の身体をイメージしてせり上がってゆく。

 はっ!? スリットの先で何かが見え――目がぁっ!?

 まったく、別の物がせり上がってしまうところだったぜ。

 少々、刺激の強いものを見てしまい、恥じらいのあまり意識が遠のきそうになってしまったが、どうにか堪えたぞ。


「ばけ……もの……?」

『化け物ではない』


 彼女の前に起つ……ではなく立つ俺は2メートル以上の大きな身体をしていることだろう。

 ただし、その姿は吐しゃ物が人の形を取ったような見るもおぞましいものだ。相手が恐れ慄くのも当然だ。


『俺は、童貞大魔王だ』


 彼女を見下ろすと、驚愕に見開かれるその琥珀色の瞳と目が合い、ちょっと恥ずかしい。目をそらしてしまうが、もう一度向き直る。

 今度は首元あたりを見る。そうすると恥ずかしくない。面接のコツだよ! 人と目を合わせるのが、ちょっと苦手なシャイな子は覚えておいてね☆

 まぁ、相手が女性だった場合、勢いあまって首元ではなく胸元に視線が吸い込まれてしまうこともあるけどね。そこは、経験を積めばどうにかなるさ。俺のようにね。 

 ほら、この視線はしっかりと胸元の豊かな膨らみに向いているだろう? 

 はっ! しまった、妖術かっ?

 煩悩よ去れ!

 粘性があり、淡く黄色に淀む液体で作り上げられた人型が一瞬揺らいでしまう。そこをどうにか踏みとどまった。ここで崩れたらノイルにも魔族たちにも顔向けできない。顔は無いけど。


『油断できないな』


 しかし、この姿で念話みたいな感じで話すのはちょっと違うな。もっとこう、似つかわしい声を出したい。

 声帯とかって作れるかな?

 よく分からんが、体内と喉に空洞を作り、口内も広げる。


「ばっ……ほがぁっ!」


 どうにか声が出せそうだ。

 シスターの顔にめっちゃ唾飛ばしちゃった。やべ。怒られる。


「モ……モラトリアム……なんとか、しろ」


 しかし、二つの棺はなぜかその蓋を開け閉めして、まるで笑いのツボに入ったかのように悶えている。


「貴様ら! 何をしている‼」


 一向に言うことを聞かない魔具に痺れを切らし、シスターが自らスパイクド・クラブを振るってくるが、水面を叩く程度の手応えしか得られないだろう。

 現に俺の身体にダメージはなく、いくら叩かれようが飛沫にされようが、瞬時に元通り。歩みが止まることもない。


「ぼっ……ぼべべざんっ!」

(訳;おっ……お姉さんっ!)

「ひぃっ? ……やっ……やめろ…………私に、何をするつもり……」


 そんな怖がらなくていいのに。平和的な解決方法をこちらは思いついたんだ。あんたみたいな残忍で卑しい方法じゃない、ラブ&ピースな方法をなっ!


「ぼぐどいっじょに……ぶびーばぐじじょぉおおおおおお‼」

(訳:僕と一緒に……フリーハグしよぉおおおおおお‼)

「いやぁあああああああああああああああああああああああああ!?」


 人の形をしたゲロの塊がシスターを抱きしめる。

 夏休みに子供がプールへと飛び込んだような音がした。

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