第15話 推しが燃えた中三の夏
「混ざりものちゃんは後でゆっくり調べてあげる。まずは、その鎧の坊やを片づけなさい!」
一つの棺の蓋が開くと中の暗闇から複数の鎖分銅が出現し、矢のような速さでこちらに向かってきた。
「エール!」
視界にシルクのような紫の髪が翻り、ほのかに甘く、透き通るような香りが立つ。そして、前面が黒一色に染められると同時に、削岩機のような音が耳をつんざいた。
「私の前では指一本触れさせないわよ」
俺の前に躍り出たノイルが傘が開き、相手からの攻撃を防いでくれていた。
指一本触れさせないって……やだっ……かっこいい……。
鎖がぶつかった衝撃音は、ビル一つが倒壊したかのように錯覚するほどの大きさであった。鎖分銅は傘と化したエールによって弾かれ、勢いを減ぜられてなお、地下室の壁や天井にめり込んだ。
「へぇ。長持ちする玩具は好きよ」
「その歳になっても玩具が必要だなんて、それも若作りの一環?」
お姉さん、結構若いと思うんだけどなぁ。てか、ノイルさん相変わらずの切れ味で。
「いじめられたいの? なら、頑張ったご褒美にぃ……いいもの見せて上げるぅ」
もう一つの棺が空中で横になる。そして、その側面を魔法のように透けさせた。
『……なんだよ……それ?』
一部が透けた棺の中は燃えさかる炎に包まれていた。
そして、その中では小さな影が蠢いている。それは集落にいたウミウシのような魔族たちだった。
火葬場のように炎が渦巻き、彼らは全身を焼かれていた。
しかし、どれだけ炭化しても治癒魔術をかけられたかのように、たちまち治ってしまう。さらに次の瞬間には棺の中に霜が降り、凍結させられる。
それを何度も何度も繰り返される。
『やめろよ!』
「魔族がどの温度まで生きられるか調べるための実験よ? おもしろくなかった?」
『狂ってやがる』
その俺の言葉にシスターは呆気に取られたような顔をした。
「なに言ってるの? あなたたちのためにやっているのに」
『は?』
舌なめずりした女の唇がテラテラと光った。
「あなたたちが即死できる温度を調べてあげているのよ。それが分かれば効率よく、そしてなるべく苦しませることなく、あなたたちを駆除して回れるようになる」
天使のような笑顔からどす黒い発想が飛び出した。
『あんたの場合、即死しないギリギリの温度に調整して攻撃してきそうだな』
「あら? あなたいい考えしてるわ」
駄目だ。話し合いできるような人間じゃない。
「このクスリの実験もそう。本来は抑鬱的な状態に陥った人の気力を取り戻させるための薬なの。でも、新しいものをいきなり人間で試すわけにもいかないわよね。どれだけの量を摂取したら、どれだけの効果が得られ、どれだけの反発が起きるのか。それを知る目安として魔族に協力してもらってるの。随分と助かってるわぁ」
『それを真に受けるわけないだろ。こんな目に遭わせておいて。というか、魔族を何だと思っているんだ!』
「何って……そこらへんのマウスや蛙と一緒よ。実験に使える手ごろな生命」
『――っ!?』
糾弾するのは簡単だ。でも、それは元の世界でもごく当たり前に行われていることだった。そして、人間だった頃の自分は確かにその恩恵にあずかっていた。
「ふふっ」
愛おしそうにシスターが棺を撫でる。
「あんたたち醜くて嫌いだけど、これはマスターピースね。中に入った者はあらゆる拷問を受けて死んでも、たちまち元通り。無限に終わらない地獄を味あわせてくれるなんて素敵よ」
恍惚に歪むその顔はどこまでも麗しく、どこまでも醜い。
「このジャンキーたちは部下が最初に攫ってきた連中でね、すぐおクスリぶち込んであげたの。魔族も人と変わらず簡単に依存状態になるのね。そこで私は離脱症状が出たこいつらに言ってあげたの。『同胞をここに連れて来て、私の前で殺しなさい。そうすれば新しいのあげる』ってね。こいつらクスリが欲しくて欲しくてたまらなくなっちゃって、目の色変えて同胞を犠牲にしたわ。で、何度か繰り返すうちに色々と趣向を変えたの。連れ去って来た魔族の中で殺し合いをさせて、生き残った者をジャンキーにしてあげるってゲームはいい案だったわぁ」
どこまで外道なんだ。行為もそうだが、ひけらかすようにこちらに語りかけてくる相手の気が知れなかった。
「でも残念なことに、私からおクスリもらうために素面で同胞を殺すようなやつはいなかったのよぉ。あぁ! つまらないっ!」
シスターが壁に縫い付けた遺体に小瓶を投げつけた。
砕け散った瓶と液体が飛び散り、橙の光をにわかに閉じ込めた。
「私、これでも慈悲深いのよぉ? だってそうじゃない? あんたら魔族は混沌を願う者。おクスリ漬けになって自分がなんなのか分からず、グチャグチャになっちゃう感覚。自分と他者の間も、自分と世界との間も、善悪の基準も、全部溶けて無くなってしまう。最高の陶酔の中、一つになる感覚を味合わせてあげてるじゃない。ウィンウィンでしょ?」
「
ノイルが叫んだ。今まで見たこともないほど、その表情は怒りに満ちていた。
「お前がっ……お前のような者が陶酔を語るかっ?」
「なに怒ってるのぉ? 私ってぇ、教会のガチガチの感じ好きじゃないの。だから、ほら」
シスターが袖をまくると、その腕には針で刺したような痕が点々としていた。
「私も自分でやってるの。お上にバレたら破門だから、こうしてミストまで来て功徳を積みながら影でこそこそとね……」
「貴様の幼稚な遊びなど、どうでもいい。そのような即席のまがい物と、私たちが追い求める混沌を一緒くたにするなっ!」
ノイルが気炎を発して牙を剥く。本気で怒っている。己の矜持と同胞を貶められたからか。
ただ、臓物が煮えたぎりそうになっているのは彼女だけじゃない。
俺もまた本気で怒っていた。
記憶が中学二年生の夏に戻る。
好きなドラマがあった。膵臓を患い、余命宣告をされ、それでもミュージシャンとしての夢を諦めない少女を描いた作品だ。主演の女優はかわいいというよりも美人。とがった鼻と顎はクールな印象を抱かせ、でも、時折はにかむとそこには少女のあどけなさと小悪魔的な妖艶さが同時に含まれており、俺は夢中になった。
毎週ドラマの続きが気になって仕方なくなったし、その子がプロモーションのために出るバラエティ番組も欠かさず見た。ネット上の記事を集めまくり、胃が喉から飛び出そうな思いをしながら、浮いた話が無いことを毎時間確認した。
ドラマは最高の出来で、俺はエンドロールで泣いた。最後、彼女の灰はイケメン男優の手によってウルルから空へと撒かれた。俺も撒きたかった。とりあえず部屋の窓から庭に向かって適当な土を撒いたら水やりしてた母親の頭にかかり、ブチギレられたのは良い思い出じゃない。それ以来、彼女の遺灰を撒いたイケメン男優のアンチスレに常駐することが俺のルーティーンに加わった。
とりあえず、俺には青春を捧げた女がいた。
だが一年後、中三の夏。彼女は外資系企業に勤めるセレブ男性との地中海旅行をすっぱ抜かれ、帰国してからは年下イケメン男優との二股も発覚。しかも、その男優とは薬物を用いてのキメセクをしていたというスキャンダルを旗頭にして、あらゆるインモラルかつイリーガルな情報が真偽不確かな状態でネット中を駆けまわった。
その報せを受け、俺は原因不明の熱を出しまう。二週間経っても治らず、長い長い闘病生活に嫌気が差した俺は何を思ったのか、茹だった脳みそと5セット買ったドラマの円盤を抱え、深夜に家を飛び出した。そして河原にあるエロ本とエロビデオの山に円盤を捨てた。
翌日の朝には病が癒えており、流石に人体の神秘を感じざるをえなかった。
一連の出来事を級友たちに語り聞かせたところ「流石、童貞」と乾いた笑いを向けられてしまったのは今でも納得がいかない。
それは、ほろ苦いどころかクソのように苦い青春の1ページとして、今も俺の胸に刻まれている。
ちなみにその女優は後日、手記を出版してぼろ儲けしていた。
生きづらい世の中だぜ、まったく。
そんな昔語りを頭の中で回していないと、煮詰まった憤りでどうにかなってしまいそうだった。
なんの話だよ。
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