第13話 魔族の住処

 もうもうと霧の立ち込める山道が血管のように張り巡らされている。中には天へと昇るように空中に伸びる石畳の道さえあった。

 どの道を選んでも同じ場所に通じているような気もするし、まったく異なる方向へと進む道があるようにも感じられる。首都高を10倍は複雑にしたような光景だ。


「はい」


 隣に立つノイルが手を差し出す。

 ん?

 一体、何をすればいいのだろう?


「迷子になっちゃうでしょ? 向こうに着くまで、手をつないであげる」

 あー、なるほどなるほど。すべてを理解した。

 俺がこちらに来て日が浅いからミストにおける移動が危険ということか。だからノイルが手をつないで、はぐれないようにしてくれると。

 なるほど。それではお言葉に甘えて――。

 って、えぇっ⁉

 手をつなぐの⁉

 美少女と⁉

 いや、ちょっと待って。まだ心の準備というか、何これ? 人生のクライマックスみたいなイベントが、こんな序盤に出てきていいのでしょうか⁉

 マサラタウンから出たら、いきなり茂みからチャンピオンが出てきて勝負を仕掛けてきたようなもんだよ! 最早それはカツアゲだよ‼


「なに、ぼさっとしてるの」


 ノイルはしびれを切らしたように俺の手を取った。

 やわらかい。細い。小さい。

 籠手越しにも分かる、彼女の触れたら容易く手折られてしまいそうな指先、その繊細な手のひら、そしてカーテンの隙間から差し込む光のようにまっさらな――。


『あっ……があっ……あぁぁぁっ…………』


 気付いたら俺は膝が抜けて地面にへたり込んでいた。


「ちょっと、どうしちゃったの⁉」 


 全身が言うことを聞かない。いまだに右手は彼女とつないだまま。

 あぁっ⁉


『これは……ピュアの民には刺激が強すぎるっ!』

「ただ手をつないだだけでしょうが⁉ 言っておくけど、あんたの世界のことはちゃんと実地で学んだんだからね! 今のあんたの反応は私たちから見ても、地球の人たちから見ても、異常であることくらい分かるわっ‼」


 自分……童貞ピュアですから。


「もう行くわよ!」

『のわぁあああ⁉ 引きずらないでぇっ‼』


 ノイルは腰砕けになった俺を引きずりながら歩き始める。どこにそんな力があるのだ。

 人生初の手つなぎデートは身も心も彼女にリードされることになってしまった。

 ぷいぴゅあ、がんばえー。

 しかし、ノイルは俺のことを軽蔑しているのにも関わらず、しっかりと任務と割り切り、俺をサポートしてくれる。偉い子だなぁ。

 ミストの道は遥か遠くまで続いているようで、実際には見えたまま実在しているのかどうかは曖昧らしい。陽炎や蜃気楼みたいなものだろうか。

 だから、こうして道を歩いているように認識していても、体感時間や移動した距離の認識は現実のものとはズレているらしい。よく分からん。

 ひとまず30分ほど引き摺られただろうか。


「状況が変わったわ」

『え?』

「救援要請よ」


 俺の腕を掴んだままノイルが急旋回すると関節部分が嫌な音を立てる。もうちょっと丁重に扱ってくれ。


「少し体力使うけど走るわよ。時空の省略も行う」

『なにそれ、かっこいい』


 ガシャンコ、ガシャンコ、地面をバウンドしながら引き摺られて行くと、数分も経たずに霧が晴れた。

 視界一面に緑が広がり、ここが深い森の中だと気付く。見たこともない巨大な木々がそびえ、空の淡い青は遠い。長い倒木が折り重なって立体的に道を通している。


「みんな、いる⁉」


 ノイルの声を聞きつけて茂みや木の穴、そして根の隙間から様々な影が蠢くように出てきた。

 気をしっかり持て、ぷいぴゅあ。


「ノイル様。こんなに早く駆けつけてくださるなんて」

「ご足労いただき、感謝しかございません」

『キャーッ! キシャ―‼』


 最後のお方はなんて?

 姿を現したのは三種族だろうか。

 オロチよりも人っぽいイボガエルをベースとしたようなトードマン。でも、腹の穴に宝石をはめているのは一緒だな。

 次に両手に巨大な輪っかを作り、全身が蔓で覆われた細身で長身な者。ウッドマンとでも呼べばいいのか? 目には鮮やかな宝石が埋め込まれている。歩く姿がカクカクしていて、ちょっと怖い。

 そして……あっ、これ知ってるわ。アオミノウミウシだ。かわいいんだよなぁ。それを中型犬くらいの大きさにした――いや、でけぇ。えっぐ。藍と白のストライプ柄でトカゲを平べったくしたような胴体。天狗のうちわのように広がった鰭のような前足は棘のように鋭い。そして、それよりも一回り小さい後ろ足がある。小さいと可愛いのに、そこそこデカいと藍と白の色使いが目にどぎつい。あと、棘が怖い。


「ここはしばらく戦地になっていないけど、人間が来たの? 拉致? それとも乱伐?」

「それが……あのお方が……セカンド様が来たのです。人間どもを従えて」

「あいつかぁ」


 ノイルは憔悴しきったトードマンを宥めながら、盛大にため息をついた。

 永眠の枕元に立つ地獄モラトリアム。セブンハンズの二番目。

 元は人間が作った拷問器具であったそれは、ひょんなことから意思を持ち始め、魔族になったという。どういうこと?


『なんでもありかよ』

「それもまた混沌じゃない? ちなみに、セブンハンズになってからは、自らの意思で罰を受けたい者にだけその扉を開き、望む拷問を与え続ける由緒正しき自戒器具になったのよ。人間の作る自白を強要するような野蛮な代物でも、娯楽性を持たせるようなものでもないわ」

『価値観が追い付かないよ……』


 この世界のスピードに付いていけない。


「でも、あいつは好戦的なタイプではあるけれど、戦う意思のない者を嬲る趣味はなかったはず……」


 ふと魔族たちの指先が震えていることに気付いた。

 よく見てみると、辺りにいる魔族たちは皆がうつむきがちで、疲労感で溢れている。俺にとってはモンスターにしか見えない彼らだが、よく見ると災害や紛争に遭い、途方に暮れている人間のようにしか見えなかった。


「皆、安心して。今日で片が付くわ。なぜなら、ここに魔王様がお越しになってくださったのだから!」

『え?』


 ノイルが宣言した途端、魔族たちの震えは収まり、曲がった背筋が伸びた。

 誰もがその五体に活力を取り戻してゆく。


「魔王様が……」

「ついに、お戻りになられましたか……」

『ギョエッ! プギャルラルポッ! ギャラッツピー‼』


 だから最後の方はなんて?


「えぇ。まだ完全にはお目覚めになられていないけれど、もう大丈夫だから」


 魔族たちは再び恭しく頭を垂れる。

 いや待ってくれ。俺なんかに頭を下げないで。ちょっといい気分になっちゃうから。


「魔王様。民にお言葉を頂けますか?」


 ノイルもまた片膝を付いて、こちらを見上げている。

 ねぇ君、さっきまで俺のこと引き摺り回してたよね?

 まぁ、いいけど。


『えっと……諸君。傷ついていることでしょう。んんっ』


 なんか変な言い回しになってしまった。普通に偉そうにしていいんだよな?


『傷ついていることだろう。だが、私も君たちが抱えている問題を解決できるように努力しよう。よろしく頼む』


 静まり返る。滑ったか?


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」


 しかしブラックホールに飲み込まれる物体のように、その静寂の隙間めがけて魔族たちのどよめきと歓声が響き渡った。

 うわー。慣れない。

 まぁ、みんなが少しでも元気になればそれでいいのか?


「無理に思い出さなくてもいいの。ゆっくりと分かっていることを教えて」


 魔族たちの歓声が止み、落ち着いたタイミングでノイルが族長らしきトードマンに話しかける。


「大丈夫です。モラトリアム様がお越しになったのは最初だけでした。今思えば、それは宣戦布告だったのでしょう。その時は何もなかったのですが、それから数日後、集落から同胞が少しずつ消えていくようになったのです」


 話としてはこうだ。

 最初に消えたのはトードマン二人と蔓人間一人だった。それから数日すると、さらに数人、そしてまた数日経つと数人、集落から行方不明者が出るようになった。ついでに、ウミウシ型の魔族も数体消えているらしい。

 しかし集落には人間の痕跡もなければ、何かしらトラブルがあったような形跡も見当たらなかったという。

 先日、村で捜索隊を出したところ、離れた場所の廃村で人間が陣を張っているのを見つけたそうだ。

 そして、そこには――。


「村の中央にある屋敷の地下室で気が狂ったように笑い続け、透明な液体をすする同

胞たちがおりました。おまけに、捜索隊を見るや襲い掛かって来たのです。捜索隊は半分を残して壊滅。命からがら逃げて来た者たちの報告を聞いて、こうして救援を要請しました」


 話がいまいち見えてこない。

 人間たちに操られているのだろうか。

 ノイルは顎に手をやりながら思考を巡らせている様子だ。


「魔族は争いを好まない。同胞同士なんてもってのほか。それでも危害を加えてきたと?」

「はい」

「そう……いずれにせよ、乗り込むしかないわね」


 立ち上がったノイルの手の甲には太く血管が浮いていた。


「今日中にケリを付ける。そして、みんなを連れ戻す」


 彼女の決意に周囲からは嗚咽がこぼれる。

 誰もが不安と安堵、そして絶望と期待を同時に抱いているようだった。


「みんなは周囲を警戒してなるべく3人以上でまとまって動くこと」

\はい!/

『はいっ!』 


 そうだな。ここは皆で一致団結して村を守らないといけない。えっと、すいません! 僕を入れてくれる班はありますか?


「……あんたは私と来るのよ」


 あれー?

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