第9話 恋するユニバーサル横メルカトル

「あぁ……この輝き。実に素晴らしい……」


 宮殿にある一室。書斎らしき部屋で擬人化したような巨大蛙が、角帽にローブという出で立ちで宝石を眺めている。

 カウチにだらっと腰かけ、腹を見せている姿はどうにもおっさん臭い。


「何をさぼっているのかしら」

「んっ? ノイルか、失礼な。生物の集中力は長くて90分しか持続しないのだ。効率を考えれば適度な息抜きは必須なのじゃよ」


 蛙は慌てて手にしていた宝石を自分の左目に埋め込み、さらに机に散らばった宝石たちも次々と腹のくぼみにはめ込んでいく。いくつも宝石が埋め込まれた白い腹を見ると怖気が走った。


「ほぉ、貴方様が新たな魔王様であられますか」

「いいえ、違ったわ」

「はっ?」


 かくかくしかじか。


「ないわー」

「うるさいわね。仕方ないでしょ」


 先ほどの恭しさはどこへやら、蛙はふてぶてしくもパイプをふかし始めている。


『あの~どちら様ですか?』

「儂の名はオロチ」


 いや、蛙だろ。

 なに捕食者である蛇の名前付けられてんだよ。親の感性バグってるのか?


『蛙なのにオロチって蛇じゃないんだから』

「どこが蛙じゃ。儂は誇り高き魔族。見よ! この玉石混合の腹を!」


 グロイ。やめて。ぶつぶつ恐怖症なのぉっ‼


「背中の方はこれの比じゃないぞ。どれ、お前さんにも見せてやる」

『結構です!』

「オロチ、こいつにこの世界のことと戦況を教えて。時間が惜しいわ」

「まったく仕方ない。若造に儂のカオスっぷりを見せびらかすのは後日とするか」


 そんな日は来ねえよ。


『あんたは宰相とか参謀とかそんな感じ?』

「ふむ……人間における概念か……思い出したぞ。答えは否だ。魔族は人間とは異なり、序列などあってないようなもの。我々には上もなければ下も――」

『その急にラッパーみたいになるやつ、さっきもやったのでいいです』

「あっ、そう……」


 少しだけしょんぼりした蛇みたいな名前の蛙は、いそいそと地図を机に広げる。

 そこには円盤状の陸地と、それを囲うように海が描かれていた。そして、その陸地や海を更に囲うように霧が広がっている様子が描写されている。霧との境界線上は海だけではなく、陸地や島々にもあった。


「この地図を囲うようにある霧が我々、魔族の住まうオブスキュラ・ミストじゃ。そして霧の内側にある陸と海の世界がコスミシア。人間たちの領域である」

『オブスキュラ・ミストの方は霧の境目のところにしか国名が書いてないけど? 奥に国はないの?』

「書いても無駄じゃ。ミストにある国は我々がいる場所も含め、常に惑っている。それゆえに地図には記せない。魔族はミストの中を移動する際は目的地を念じながら進むことで、自ずとその場所へとたどり着くようになっておる。もっとも、自由かつ確実に行き来できる者は少ないがな」

『はぇ~』

「ちなみに、ミスト側に記されているのは国名ではなく集落の名前じゃ。魔族は数がそう多くはなく、食事も必要としないからな。国なんて大それたものを作る必要がない」

『じゃあ、このミストの外れにある集落は常に移動しないで、そこに留まってるのか?』

「左様。ゆえに、人がたどり着くことも可能であり、手つかずの資源も眠っておる。だから人間たちが押し寄せてくるのじゃ。戦地となっているのは主に三つ。雪原のシ・ヘイ。峡谷と密林のトポル・ルポル。列島のコルマハラ。ちなみに、ハンズを持った勇者は先日トポル・ルポルで派手に暴れ回っとったな」


 蛙の手が西北の国、東南の国、そして東の果てにある島々を指した。極東の列島……ツッコまないようにしよう。

 というか聞き捨てならないことが発された。


『セブンハンズって勇者も持ってるの?』

「あの方たちは気まぐれだから、おもしろいと思ったら魔族でも人間でも構わず付いていってしまうの。エールも大昔に人間を止まり木にしていたことがあるそうよ」


 ノイルの説明をなぞるように、エールがスカートの両側から腕のように影を伸ばし

て、くの字に曲げた。まるで「えっへん」と胸を張るかのように。そのポーズは異世界でも共通なの?


「もっとも、今の勇者に付いている方はこの子みたいに適当な理由ではなく、しっかりとした考えを持っているのだけどね」

 エールが今にも「ガーン⁉」ってエフェクトを出しかねない様子でノイルを見上げている……ような気がした。なんとなく、この影の気持ちが推しはかれるようになってきたぞ。


「いずれにせよ、私たちは彼らと交渉して仲間に引き入れないといけない」

『おぅ……』


 ふと地図の先端が揺れたように感じた。風もないのに?

 よく見ると地図の先がわずかに伸び縮みしている。まるで手を伸ばすかのように。その先には小さな冊子に挟まれた薄桃色の栞があった。


『シークラさん。今、その手を取るからね』

『メルカト様。ご無理をなさってはいけません。あなたのお身体がちぎれてしまいます』

『構うものか。君と触れられるなら』

『メルカト様……』


 そこには汗を飛ばしながら角を伸ばす地図と、心なしか表面を赤らめる栞がいた。いや、あったというのが正しい言い回しなような気もするが。


『シークラさん!』

『メルカト様!』

「さて。説明は以上じゃ」


 オロチの手によって地図が丸められる。


『ぐぁあああああああああああ! 痛い痛い痛い! いぎぃいいいいいいいいいいい‼ あぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ‼』

『メルカト様ぁ! おのれ両生類! もう少し優しく丸めなさいよ。この冷血漢! ごばぁっ⁉』


 オロチがサイコロ本のように分厚い辞書を冊子の上に乗せると、その声は遠ざかった。


「はて、あれはどこにやったかのぉ」


 次々とオロチは机の上を物色し始める。

 というか、さっきの何? ツッコんだら負けなの? 


「見つからん。まぁ、いいか。机上の勉強など取るに足らん」

『お前、ここで文官みたいな格好しておいてそれはないだろ。てか、なんか重要な情報を与えてくれるんじゃなかったの?』

「なんとかなるじゃろ。ノイルが付いているのだし。とりあえず、シ・ヘイに向かうのがよいかのぉ」

「えぇ。あんたは留守番だけど」


 冬眠しちゃうからね。変温動物の性だ。


「お主、失礼なこと考えているじゃろ?」


 いえいえ、そんな。

 小粋に俺は首をかしげてみせた。

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