第5話 土手から汁が漏れないと嬉しい
『てか俺、マジで魔王なの?』
冷静になってみると、声がおかしいことに気付く。空き缶を口元に当てて喋っているような、エフェクトがかった声しか発せなくなっているではないか。
寝起きだからちょっと声が枯れてるなぁ……くらいに思っていたら、これデフォルトかよ。
「やはり、まだ記憶がお戻りになりませんか? 混沌の胞胚を埋め込んだので馴染めば、ご自身がどのような存在であるのか思い出せると思います。おそらく、膨大な数の記憶があるので、取り込むのに時間がかかっているのでしょう」
『はぁ』
「いずれはきっと御身の姿も誇れるようになります。そうすれば私のトリガーを引いた姿を見ても――」
『ん? ごめん。後半聞き取れなかった』
「いえ、大したことではございません」
なんか、ラブコメの波動を感じた。
気のせいか。
しかし、この風体にもわずかに慣れてきた……いや、やっぱり無理だ。
もう二度と自分の姿を見たくないという感覚は変わらない。全然慣れてないわ。やっぱりこの姿のままでいるのは、どこか人としての倫理観に障る。精神衛生上よろしくない。
『フォルムチェンジとかできないのかなぁ?』
「大魔王様ならお手軽にできるかと。お力がお戻りになってはおりませんが、試しに念じてみてはいかがでしょう?」
『念じるて……いや、早くこの姿からおさらばしたいし、やってみるか』
かつての自分の姿を当社比3割増しにイケメンにして思い浮かべる。
そう。例えるのなら夜の電車の窓に映る自分。
そう。例えるのなら風呂から上がった直後の自分。
なぜか、あの時だけはやたらとイケメンに感じるんだよなぁ。そんなこと、まったくないというのに。
まぁいい。俺は必ずもとの身体を取り戻してみせる!
『~~~っ!?』
ふと一気に身体が軽くなった。
視界が高い。なぜか、天蓋付きのベッドを見下ろす形となっている。
ビロードの幕には一切ほこりがついておらず、部屋の調度品や鏡には曇り一つない。バルコニーへと続く窓からは淡い日差しが差し込んでいた。
「なんてお美しい……」
『は?』
手足を動かすという感覚が分からず、試行錯誤してどうにか視点を変える。
鏡には誰も映っていない。いや、部屋中が深い緑色の霧に覆われていた。
「すごい……固体から気体への直接の変身……お見事です……んっ! はぁ……ダメっ……素敵」
だから、なんで君はそんなうっとりしてるのよ。こんなのがタイプなの? 眼科行きなよ……。
どうやら、このエバーグリーンのような色味の霧が俺らしい。吸血鬼みたいだ。
でも、これどう見ても霧って言うより有毒そうなガスじゃん。部屋にいるこの子に悪影響がなければいいのだけど。
「普通であれば固体から気体に変わるには、まず液体を経なくてはいけません。それを直接変化できるとは流石は魔王様です」
『そんなすごいの? てか、これ、すごく不安定なんだけど』
「もしも普段のように二足歩行がお望みでしたら、鎧に入るという手段もありますよ」
彼女は部屋の隅に立てられている鎧の兜を外した。
「どうぞ、お入りください」
『……ええい、ままよ』
開いた首元からがらんとした闇の中へと入り込むようにイメージすると、宙に浮いている自分が鎧の中へと吸い込まれる感覚がした。兜が閉じられ、視点が先ほどと同じように部屋に立った状態と同じになる。
「いかがでしょう?」
下を見ると自分の胸元くらいの位置から少女がこちらを見上げていた。小さい。かわいい。
『いい感じ』
「よかったです。私としては先ほどのお姿は至高のものでしたが、このようにお姿を隠されているのも趣深いです」
なに、この子。あらゆる角度から全肯定してくれる彼女かよ?
「一度この感覚を掴めば、次からは兜を取らずとも、念じればすぐに出入りできるようになりますよ」
『そっか』
改めて鏡の前に立つ。先ほどのクリーチャーみたいな姿よりは余程まし。
ところどころに鋭利な意匠が凝らされており、禍々しさは感じるが、鉄黒の装甲は普遍的なデザインといって差し支えはない。
『液体にもなってみるか』
「大魔王様なら、きっと素晴らしいお姿となるでしょう」
『液体に良い姿も悪い姿もあるの?』
まずは鎧から出るか。念じると一瞬で視界が部屋全体を見下ろす形に戻った。
中身が抜けて倒れかけた鎧を少女が慌てて支えていた。ごめんね。一声かけるべきだったわ。
とりあえずスライムになることを目指し、その後に液状のまま人間の形になれるか試そう。そして、そこから徐々に固形化して人間の姿を取る。
これがもとの身体を取り戻す、俺の一連の計画であった。
『~~~~~っ⁉』
視界が一瞬で落ち、タマヒュンする。痛みや衝撃は無かったがびっくりした。
今度は部屋を下から見上げる形となる。
なんとも平べったい。水たまりにでもなった気分だ。
このままスライムのようになれるかイメージすると、ぐんぐん視界が高くなる。思った以上に上手くいき、そのまま人型まで到達した感覚を得た。
「あぁ……これが混沌に最も近きお方……いともたやすく固体、液体、そして気体に
身体を変えられるだなんて。なにものにも混ざるその懐の深さと自己を失わないその胆力。はぁ……見目麗しいお姿」
少女の感嘆を尻目に、俺は鏡の前で茫然と立ち尽くす。
……これって、下町名物の……いやいや、それは失礼だ。
えっと……週末の……それこそ土曜日の朝に駅のホームや階段とかでよく見る例のあれ。そう、あれだよ。華金で羽目を外しすぎた大人たちの残滓。
『ゲロじゃねえええええええええかああああああああああああ⁉』
全身、吐しゃ物塗れもとい、吐しゃ物を擬人化したような醜悪が化け物がそこにいた。
おまけにこいつ俺の意識と連動して動くんですわ。
「こんにちは。先日助けていただいたゲロです」じゃねえんだよ。
「あぁっ! なんて勇ましい声……んっ!」
『君は……楽しそうだね……』
ちなみに人のフォルムは驚くほどよく保っていたため、このまま人間に戻れないか試したら、固体になった瞬間ラスボスに強制変化させられた。
毒ガス⇔ゲロ人間⇔ラスボス。
自由度が低い⁉
こんだけ複雑怪奇なデザインになれるなら、人間の形くらい簡単に作れるだろ。低速で走っていると壊れちゃう昔のスポーツカーかよ。性能が極端すぎる。
結論、気体モードで鎧に入って過ごすのがベターだった。
「そうだ、大魔王様。よろしければオブスキュラ・ミストの景色をご堪能ください」
そういえば大事なことを失念していた。自分は気絶した後、この子によって異世界に連れて来られてしまったのだった。
俺の「はい?」は疑問ではなく肯定としての「はい」と受け取られてしまったのだろう。
「元の世界に戻れるのかなぁ」だなんて考える暇もなく、醜悪なクリーチャーと化したことで頭がいっぱいだった。
というかこんな姿じゃ帰るに帰れない。
『……そうだな、見せてもらうよ』
「はい!」
とりあえず状況確認だ。毒を喰らわば皿まで。自棄でもなんでもいい。せっかくの異世界を堪能しちゃうぞ☆
その白く繊細な手がバルコニーへの窓を開けると、レースのカーテンが風にそよいだ。
『~~~~~⁉』
舐めてた。
よくあるラノベみたいな普通の剣と魔法のファンタジーRPGの世界じゃない。
雲間からは天幕のように青い光が降り注ぎ、稜線を描くエメラルドとヴァイオレットの鉱石たちがそれを鮮やかに照り返している。
水の塊が巨大な怪魚の形を取って空を泳ぎ、鉱石の山に飛び込んでは中をくぐり、再び飛び上がる。
点々と伸びる木々からは匂い立つような極彩色の花々……ではなく蜘蛛ような生き物が無秩序に乱れ咲いていた。いや、蜘蛛がどうして木から生えているのよ。
『これは、異世界だと一発で分かる』
極めつけは空の向こう側。
月を見慣れた地球人には刺激が強すぎる。
今にも降ってきそうな超巨大惑星が3つも天界を覆っていた。
薄緑色の惑星には土星のように輪っかがあるが、その数は三本。しかも横一列ではなく、なぜか横二列、縦一列とクロスするようになっていた。一体どういう仕組みなのか。粒子同士がぶつかり合って大変なことになりそうだ。
赤々とした惑星は一番小さいが、どす黒いまだら模様を持ち、巨大なプロミネンスを繰り返し発しているため存在感が強い。
青白い惑星は最も巨大かつ淡泊な表面なだけあって、深海や快晴の空に対する恐怖をそのまま具現化したような威圧感と虚無感があった。
太陽系の惑星が月と同じ位置にあったら地球からどう見えるか?
そんな画像を見たことがあるが、まさにその光景が現実となっていた。それも、三つも同時に。
「いかがでしょうか」
『……この景色にいつか慣れると思うと、それはそれで怖い』
「面白いことを仰りますね」
いや、ホント。自分がクリーチャーであることを一時忘れてしまった。
別の恐怖心や不安が植え付けられてしまった気もするが、見せてもらえてよかった。
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